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神殿へ戻る道すがら、王都の空気はまた少しずつ変わっていった。
白い石の静かな区画を抜け、今度はどこか張りつめた知性のようなものが漂う通りへ入る。
建物は神殿ほど白くはない。
けれど整っていて、無駄がない。
高い塔。
細長い窓。
壁面に刻まれた複雑な紋様。
道の端には、見たこともない金属の柱や透明な板が一定の間隔で立っていた。
「ここから先が魔導院区画」
レオンが振り返って言う。
「王都の結界管理と観測、魔導具の開発、資料保管なんかをやってる場所」
「ずいぶん広いんだな」
カイルが周囲を見渡す。
「王都そのものを支えてる部分があるからね」
レオンはさらっと答えた。
「目立つのは神殿とか王城だけど、実際は裏でこういうのがずっと動いてる」
ラティアは高い塔を見上げた。
窓の奥に、淡い光が見える。
人の気配も多いのに、中央通りとは違う騒がしさだった。
おしゃべりの音ではなく、筆を走らせる音、何かを動かす音、時々きんと澄んだ金属音が混ざる。
「落ち着かない?」
レオンの声がした。
ラティアは少し考えてから頷く。
「……ちょっと」
「神殿とは違う意味で、圧があるよね」
「圧?」
「見えないものが多い場所って、だいたいそう」
言いながら笑う。
でもその目は、ラティアの様子をちゃんと見ていた。
「今日は中まで入らなくてもいいんだけど」
「入るのか?」
カイルが聞く。
「少しだけ」
レオンは答える。
「温室の件、記録と照合したい。あと、結界線の資料も見たいし」
サラが頷く。
「神殿の記録だけでは限界がありますものね」
ユリスは短く言う。
「必要なら行く」
「冷たく聞こえて、ちゃんと付き合ってくれるの優しいよね」
レオンが軽く笑う。
ユリスは答えない。
カイルが横で肩を揺らす。
「今さらだな」
魔導院の正門をくぐると、正面の建物の前にいた若い魔導士たちが一斉にレオンを見た。
その中のひとりが、明らかにほっとした顔で駆け寄ってくる。
「レオンさん! やっと戻っ――」
言いかけて、ラティアたちに気づいて止まる。
視線が揺れる。
ユリスで止まり、サラとカイルに移り、最後にラティアに触れて、少しだけ戸惑う。
「……来客?」
「そう」
レオンは慣れた調子で答える。
「神殿からの流れ。資料室使う」
「は、はい。許可は下りてます」
「ありがと」
軽い。
けれど、その一言だけで相手がすぐ動く。
ラティアはその様子を見て、少しだけ目を丸くした。
レオンは本当に、ここでちゃんと立場があるのだ。
ただ明るく話しやすいだけじゃない。
この場所で信用されている。
「行こうか」
案内されて入った建物の中は、外よりもさらに静かだった。
床は濃い色の石。
壁には魔法陣の図や古い記号が額装されて並んでいる。
天井には光を集めるためらしい透明な板がはめ込まれていて、昼の光がやわらかく拡散していた。
ラティアは思わず足を緩める。
ここは神殿とはまた違う。
祈りの静けさではなく、考えるための静けさ。
何かを調べ、解き明かし、見えないものを掴もうとする空気がある。
「こっち」
レオンが先に立つ。
「資料室は二階」
階段を上る途中、ラティアの指先がわずかにざわついた。
何かある。
嫌な感じではない。
でも、落ち着かない。
上階の廊下を歩いていた、そのときだった。
ラティアの足が止まる。
「……あ」
前方の壁際。
古い金属台の上に、小さな透明の箱が置かれている。
中には、曇った石みたいなものが入っていた。
何でもないものに見える。
でも、ラティアには分かった。
その周りに、ほんの薄く黒い揺れがまとわりついている。
「どうした?」
レオンが振り返る。
ラティアはその箱を見たまま、小さく指を向けた。
「あれ……」
全員の視線がそちらへ向く。
「……変」
レオンの顔から軽さが消える。
すぐに近づき、箱を覗き込む。
「結界観測石だ」
「観測石?」
サラが問う。
「結界の乱れとか魔力の濁りを拾う補助具」
レオンの声が低くなる。
「なんでこんなとこに……」
「見えるのか」
ユリスがラティアに聞く。
ラティアは頷く。
「うっすら……黒いの、ついてる」
レオンは眉を寄せた。
「俺には分からなかった」
その一言は、ラティアにとって少し意外だった。
レオンは何でも分かるわけではない。
でも、だからこそその次の行動が速かった。
「触るな」
若い魔導士へ即座に指示を飛ばす。
「記録を止めろ。管理責任者呼んで。あと、この階の出入り制限」
「え、あ、はい!」
相手が駆けていく。
カイルが箱の位置を変えずに周囲を見回す。
「一個だけか?」
「今見える範囲では」
ラティアは息を整えながら周囲を探る。
「……でも、これ、外からついた感じじゃない」
「中から?」
サラが聞く。
ラティアはうまく説明できず、少しだけ眉を寄せた。
「たまってる、みたいな……」
レオンが箱の側面に刻まれた印を見て、小さく舌打ちした。
「補助線の観測用だ。王都の外縁結界と繋がってる」
カイルが低く言う。
「つまり、温室や門前の件と無関係じゃなさそうだな」
レオンは短く頷く。
「たぶん繋がってる」
ラティアはその観測石を見つめたまま、胸の奥がひやりとした。
門前。
温室。
神殿の地図。
そして魔導院の観測石。
点だった違和感が、線になり始めている。
「……広がってる」
小さく零れた声に、ユリスが視線を向ける。
ラティアは唇を引き結ぶ。
「王都の中……思ってたより、ずっと」
レオンが静かに息を吐いた。
「そうだね」
もう笑っていなかった。
「こっちは本格的に洗わないとまずい」
そのとき、廊下の奥から足音が近づいてくる。
管理責任者らしい年配の魔導士が、慌ただしく現れた。
「何事です!」
レオンはすぐに仕事の顔へ戻る。
「観測石に異常。記録封鎖して。神殿にも連携回す」
「観測石に……!?」
驚愕する相手をよそに、レオンは次々に指示を出していく。
その姿を見ながら、ラティアは少しだけ息を呑んだ。
頼れる。
昔を知る人。
やさしい人。
そして、王都でちゃんと戦っている人。
でも、その一方で。
廊下の端で何も言わず立つユリスの姿を視界に入れると、不思議と呼吸が整う。
レオンに対する胸の揺れとは、まるで違う。
その違いを、まだ言葉にはできない。
ただ、確かに違うとだけ分かる。
リュミが肩口でふわりと揺れた。
ラティアはそっと守り紐に触れる。
王都に来てから、世界は広がるばかりだ。
知らないもの。
懐かしいもの。
怖いもの。
落ち着くもの。
その全部の中で、何かが少しずつ動き始めていた。




