表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
48/74

48


温室を出たあとの空気は、肌にひやりと心地よかった。


熱気と濃い香りに包まれていたせいか、外の風は少し冷たいだけでひどく楽に感じる。


ラティアは庭園の端にある白い石の腰掛けへ座らせられていた。


「座ってろ」


そう言ったのはユリスだった。


短くて、いつも通りの声。


けれど逆らう隙を与えない言い方で、ラティアは素直に従った。


温室の中では気を張っていたせいか、座った途端に足の力が少し抜ける。


肩口では、リュミがふわふわと漂っていた。

大丈夫、と言うように、時々やわらかくまたたく。


ラティアはその小さな光を見て、ほんの少しだけ息を吐いた。


サラは執事と侍女に温室内での経緯を説明しに行き、カイルは周囲の警戒を兼ねて庭の外れを見に行った。

ユリスは伯爵家の使いと短く言葉を交わし、すぐ近くにはいない。


庭には、少しだけ静かな時間が落ちていた。


ラティアは膝の上で手を組む。


まだ少しだけ指先が熱い。


でも、門前の時とは違う。


怖かった記憶の隣に、助けられた実感がちゃんと残っていた。


「少しは落ち着いた?」


声がして顔を上げる。


レオンだった。


いつの間にか近くまで来ていて、ラティアから少し距離を空けた位置で立ち止まる。


いきなり隣に座ったりしない、その間合いが彼らしかった。


ラティアは小さく頷いた。


「……うん」


「そっか」


レオンもそれ以上は急がない。


近くの柱に軽く背を預けて、庭の花壇へ視線を流す。


「でも、結構無茶したでしょ」


「してない」


反射みたいに返すと、レオンが吹き出した。


「その返し、昔と同じ」


ラティアは少しだけ口を閉じる。


昔。


その言葉が出るたびに、胸の奥が少しだけ揺れる。


レオンはやわらかく笑ったまま言った。


「無茶してる人ほど、してないって言うんだよ」


「……レオンも言いそう」


「言うかも」


さらっと返ってくる。


その軽いやり取りに、少しだけ肩の力が抜けた。


でも、気が緩んだせいか、今まで押し込めていたものまで浮かび上がってくる。


言わなきゃ、とずっと思っていたこと。


言いたいのに、ずっと言えなかったこと。


ラティアは視線を落とした。


膝の上で、指先が小さく動く。


「……レオン」


名前を呼ぶと、レオンの表情がほんの少しだけ静かになる。


「ん?」


返事は、いつも通りやわらかい。


それが余計に言いづらい。


喉の奥が少しつまる。


でも、ここでまた黙ったら、前と同じになる気がした。


ラティアは守り紐に触れそうになって、やめる。


代わりに息を吸った。


ひとつ。

ふたつ。

みっつ。


吐く。


「……あの時」


声が少しだけ掠れる。


「ごめん」


それだけ言うのに、胸の奥が痛かった。


レオンはすぐには答えなかった。


ラティアは視線を上げられない。


続けようとすると、言葉がうまく出てこない。


「わたし……傷つけて」


喉が鳴る。


「わざとじゃなかったけど……でも、傷つけて……」


あの日の記憶が、嫌に鮮明によみがえる。


暴走した魔力。

弾かれた身体。

苦しそうに息を呑む顔。

腕の血。


守るはずの力で、傷つけた。


その事実だけが、ずっと胸の奥に棘みたいに残っていた。


「ちゃんと謝れなくて」


声がさらに小さくなる。


「そのまま、逃げて……」


逃げた。


山に籠った理由はひとつじゃない。

でも、あの日のことが大きかったのは確かだった。


レオンにだけじゃない。


誰かに触れること自体が怖くなった。


ラティアはぎゅっと唇を噛む。


「ほんとは、ずっと……」


気にしていた、と言いたいのに、最後までうまく言えない。


沈黙が落ちる。


責められても仕方ないと思った。


なのに。


「うん」


返ってきた声は、驚くほど静かだった。


責める響きがない。


ラティアが顔を上げると、レオンはもう笑っていなかった。


でも、怒っているわけでもない。


まっすぐにこちらを見ている。


「痛かったよ」


その言葉に、ラティアの肩がびくりと揺れる。


レオンは目を逸らさない。


「普通に痛かった。びっくりもした」


淡々としているのに、その分だけ本当のことだと分かる。


ラティアの胸がぎゅっと縮んだ。


やっぱり、そうだ。


自分は、傷つけた。


けれどレオンは、そのまま少しだけ息を吐いた。


「でも」


その一言で、ラティアは息を止める。


レオンは困ったように、ほんの少しだけ笑った。


「会えなくなった方が、嫌だった」


胸の奥が、どくんと大きく鳴る。


「え……」


思わず漏れた声に、レオンは肩をすくめた。


「いや、だってそうだろ」


軽く言おうとしているのに、うまく軽くしきれていない。


その声が少しだけ本音に近い。


「痛かったのは、その時の話で終わるけど」


レオンは視線をやわらかくする。


「いなくなったのは、ずっと残る」


ラティアは言葉を失う。


許された、とは少し違う。


もっと静かで、もっと苦しい。


自分が思っていたより、レオンはずっとあの日の先を見ていたのだと分かる。


「だから」


レオンは少しだけ笑った。


「今さら、“ごめん”だけで終わらせたくないんだよね」


その言葉に、ラティアの目が揺れる。


謝りたかった。


ずっとそのつもりだった。


でも、謝って終わることを、自分はどこかで望んでいたのかもしれない。


それで区切りにして、少しだけ楽になりたかったのかもしれない。


でもレオンは、それを受け取らない。


受け取らないまま、ここにいていいと言う。


それが、ありがたくて、苦しい。


「……レオン」


ラティアの声が小さく震える。


何を言えばいいのか、分からない。


許してほしかったのか。

責めてほしかったのか。

会えて嬉しいのか。

怖いのか。


全部が混ざって、うまく言葉にならない。


レオンはそんなラティアを見て、ほんの少しだけ目を細めた。


「泣くほど責めてないよ」


「泣いてない」


「今にも泣きそう」


「……ない」


言い返す声が弱い。


レオンはふっと笑う。


「そこも変わってない」


昔と同じ、みたいに言われると、胸の奥がまた揺れた。


変わっていないものと、変わってしまったものが、一緒にここにある気がする。


ラティアは膝の上の指をぎゅっと握る。


「……でも」


やっと絞り出す。


「会えて、よかった」


その言葉を言った瞬間、自分で少しだけ驚いた。


もっと気まずいかと思っていた。


もっと怖いかと思っていた。


でも、会えてしまったから分かる。


会えなかったままの方が、ずっと痛かった。


レオンの目が、ゆっくりと和らぐ。


「うん」


短く答える。


その一言が、妙にあたたかい。


「俺も」


それだけだった。


でも、その“俺も”にいろんな意味が含まれている気がして、ラティアはまた目を伏せた。


少しだけ沈黙が落ちる。


庭のどこかで、風に葉が鳴る音がした。


その静けさの中で、レオンがふと視線をずらす。


「あんまり今ここで、昔話ばっかりしてると」


「え?」


ラティアが顔を上げる。


レオンは、どこかおかしそうに口元をゆるめた。


「機嫌悪くなりそうなのがいるし」


意味が分からず、ラティアはきょとんとする。


そのときだった。


「レオン」


低い声。


振り向くと、少し離れた場所にユリスが立っていた。


いつからいたのか分からない。


全部聞いていたのか、聞いていなかったのかも分からない。


ただ、その顔はいつも通りで、読めない。


「補佐が呼んでる」


短い用件だけ。


レオンはくすりと笑う。


「はいはい。今行くよ」


軽く返してから、ラティアを見下ろす。


「立てる?」


問いかけられて、ラティアは頷いた。


「……うん」


立ち上がるとき、一瞬だけ足元が揺れそうになる。


けれど今度は自分で踏みとどまれた。


その様子を見て、レオンが少しだけ目を細める。


「前より強くなったね」


やわらかい声。


ラティアは返事に迷う。


強くなったのかどうか、自分ではまだ分からない。


でも、昔みたいに全部から逃げるだけじゃなくなったのは、たぶん本当だった。


「……少しだけ」


そう答えると、レオンは嬉しそうに笑った。


「その少しが大きいんだよ」


そう言って先に歩き出す。


ラティアもその背を追おうとして、ふと視線を上げた。


ユリスと目が合う。


一瞬だけ。


何も言わない。


けれど、その目は静かにラティアを見ていた。


さっきより少しだけ深く。


ラティアの胸が、また小さく鳴る。


レオンと話した後なのに。


いや、話した後だからこそなのかもしれない。


胸の奥が落ち着かないのに、ユリスを見ると少しだけ息がしやすくなる。


その感覚の意味を、まだうまく言葉にできない。


ユリスは先に歩き出した。


ラティアもその後ろにつく。


レオンは少し前で、相変わらず迷いなく王都の道を知っているみたいに歩いている。


昔を知る人。


今を支える人。


その二人の間で、ラティアはそっと守り紐に触れた。


糸の感触は、指先に静かに馴染んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ