45
王都の石畳の上を、五人分の足音が重なる。
レオンが先に立って歩き出してから、道の流れは少し変わった。
中央通りの賑わいは相変わらずだったが、彼が前を行くと、不思議と迷いがない。
ただ王都に慣れているというだけではなく、この街の空気そのものを知っているような歩き方だった。
「こっち」
軽く振り返りながら、レオンが手で示す。
「神殿は中央区画の少し奥。王城と魔導院のちょうど間くらいにあるんだ」
「間?」
サラが小さく首を傾げる。
「そう」
レオンは歩調を緩めて答えた。
「王都って、見た目よりずっと区分けがはっきりしてるんだよ。商人が多い通り、貴族が通る通り、神殿側の静かな区画、魔導院の管理区域。慣れないとちょっと分かりづらいけど」
「なるほどな」
カイルが周囲を見回す。
「たしかに、同じ王都でも空気違うわ」
「でしょ?」
レオンが少し笑う。
「ここまでは人の流れが多いけど、もう少し行くと神殿の管轄が強くなるから、急に静かになるよ」
ラティアはその会話を聞きながら、少しだけレオンの背を見ていた。
よく喋る。
昔の記憶の中でも、たしかにこういう人だった気がする。
次々に言葉が出てくるのに、うるさい感じはしない。
相手が答えやすいように話して、必要なら自然に説明を足してくれる。
昔も、こんなふうだっただろうか。
思い出そうとすると、胸の奥が少しだけ痛んだ。
「どうした?」
不意に、レオンが横を向く。
視線が合って、ラティアは少し肩を揺らした。
「え……」
「難しい顔してた」
レオンは軽く笑う。
「王都、やっぱ疲れる?」
問いかけはやわらかい。
責めるでも、踏み込むでもなく、答えられる範囲でいいと言ってくれているみたいな言い方だった。
ラティアは少しだけ迷ってから、小さく頷いた。
「……つかれる」
「だよね」
あっさり返ってくる。
「人多いし、音も多いし、初日はだいたいみんなそんな感じ」
「みんな?」
「うん。地方から来た魔導院の見習いとか、神殿に上がってきた子とか。王都って慣れるまでは結構しんどいんだよ」
そう言ってから、レオンは少しだけ目を細めた。
「最初よりは歩けてるけど」
ラティアは目を瞬いた。
「……わかるの?」
「わかるよ」
レオンは笑う。
「さっきより、肩に力入ってない」
その言葉に、ラティアは思わず自分の肩を意識した。
たしかに、門をくぐった直後よりは少しだけ息がしやすい。
それはきっと、慣れてきたからだけではない。
前を歩くユリスの背中が視界に入っているからだ。
人波の向こうで見失わないようにと意識するだけで、足元が少しだけ安定する。
ラティアはそのことを口にできず、ただ小さく視線を落とした。
「無理して喋らなくていいからね」
レオンがさらっと言う。
「案内は俺がするし、分かんないことは後で聞けばいい」
「……うん」
答えると、レオンはそれ以上は追わなかった。
その距離感に少しだけほっとする。
けれど、次の瞬間。
「右」
低い声が前から落ちた。
ユリスだった。
ラティアがはっと顔を上げる。
前から、幅の広い荷車が二台並んで来ていた。
人の流れが一気に狭まる。
言われるままに右へ寄ると、ちょうど人の少ない隙間ができる。
ユリスは振り返らない。
けれど、ラティアがその位置へ収まるのを確かめたみたいに、ほんの少しだけ歩調を緩めた。
レオンがその背を見て、わずかに目を細める。
「……相変わらずだなあ」
小さく呟くような声。
「なにが?」
カイルが聞く。
「いや、別に」
レオンはすぐに笑ってごまかした。
ラティアはなんとなくそのやり取りを聞いていたけれど、意味までは分からなかった。
やがて中央通りを外れると、本当に空気が変わった。
喧騒が少しずつ遠のく。
道幅は広いままなのに、人の声が減り、足音まで静かに響くようになる。
白い石造りの建物が増えた。
建物の壁には神殿の紋章や、古い祈りの文様が彫られている。
開いた窓から流れてくる香の匂いも、通りの食べ物の匂いとはまるで違った。
「ここから先は神殿区画」
レオンが言う。
「私語が禁止ってほどじゃないけど、みんなちょっと静かになる」
「なるほどな」
カイルが鼻を鳴らす。
「たしかに、さっきより騒ぐ気にならん」
サラは周囲を見渡し、小さく息をついた。
「空気が澄んでいますね」
「神殿側は結界の手入れがこまめだから」
レオンが答える。
「気休めじゃなくて、本当に空気が違うんだよ。敏感な人だとすぐ分かる」
その言葉に、ラティアの指先がほんの少しだけ揺れた。
たしかに違う。
ただ静かなだけじゃない。
白く整えられた空気の下に、何かを隠しているような張りつめ方がある。
きれいなのに、どこか息を潜めているみたいだった。
「……ラティア?」
サラが静かに声をかける。
ラティアははっとする。
「え?」
「少し顔色が」
「だいじょうぶ」
反射みたいに答えてから、自分で少しだけ止まる。
無理なら言え。
昨日から何度も言われた言葉が、胸の奥で引っかかった。
ラティアは小さく息を吸った。
「……ちょっと、緊張してる」
言い直すと、サラがやわらかく頷く。
「それで十分です」
レオンも軽く笑った。
「むしろその方が安心する。王都の神殿って、慣れてない人にはちょっと威圧感あるし」
「お前はないのか」
カイルが聞く。
「俺?」
レオンは肩をすくめた。
「あるよ。最初は普通に怒られたし」
「怒られたのかよ」
「魔導院の人間ってだけでちょっと警戒されることもあるしね」
その返しに、サラがふっと微笑む。
「少し分かります」
「ひどくない?」
「事実でしょう?」
そんなやり取りが交わされるうちに、ラティアの肩の力がほんの少し抜けた。
少しだけ、笑いそうになる。
その時だった。
神殿へ続く広い階段の下に、白衣姿の若い神官が一人立っているのが見えた。
こちらに気づくと、顔色を変える。
「レオン様!」
駆け下りてきた神官は、息を整えるのもそこそこに頭を下げた。
「お待ちしておりました。門前の件で、神殿長補佐がお話を」
レオンの表情が、少しだけ変わる。
さっきまでの軽さは残っている。
けれどその奥に、仕事の顔が差した。
「もう話通ってるんだ」
「はい。ベネディクト子爵家からも使いが来ております。それと……」
神官はそこで一瞬だけラティアを見た。
迷うような、測るような視線。
ラティアの胸が小さく鳴る。
神官はすぐに目を伏せた。
「門前で令嬢をお救いした方にも、できれば同席をと」
空気が少しだけ張る。
ラティアは思わず守り紐に触れた。
まだ神殿の中にも入っていないのに、もう“見られている”気がした。
「俺たち全員か?」
カイルが聞く。
「はい」
神官は緊張した面持ちで頷いた。
「勇者様ご一行として、神殿でも正式に応対いたします」
「仰々しいな」
カイルが小さく呟く。
レオンはその言葉に苦笑してから、ユリスを見る。
「……ってことらしい」
ユリスは短く答えた。
「分かった」
それだけ。
でも、その一言で話が進む空気になる。
神官も明らかにほっとした顔をした。
レオンは少しだけ振り返って、ラティアを見る。
「入れそう?」
やわらかな声だった。
答えを急がせない、確認の声。
ラティアは神殿の白い階段を見上げる。
高い。
静か。
逃げ場が少なそうに見える。
胸の奥が少しだけざわつく。
でも、ここまで来た。
門前の件も、自分に無関係ではない。
それに——前には、ユリスがいる。
ラティアは小さく息を吸った。
ひとつ。
ふたつ。
みっつ。
吐く。
「……いける」
声は小さい。
それでも、ちゃんと出た。
ユリスがほんの少しだけ振り返る。
視線が合う。
何も言わない。
けれど、その目が静かに「来い」と告げている気がした。
ラティアはこくりと頷く。
レオンはそれを見て、ふっと笑った。
「じゃあ決まり」
そう言って階段の方へ向き直る。
「案内お願い」
「は、はい」
神官が先に立つ。
ユリスがその後を歩き出す。
ラティアも続く。
そのすぐ横にサラ。
少し後ろにカイル。
そしてレオンが、さりげなく最後尾に回った。
前にも後ろにも人がいる形。
囲まれている、というほどではない。
けれど自然に逃げ道がある配置で、ラティアは少しだけ息をつきやすくなる。
一段。
また一段。
白い石の階段を上るたび、王都のざわめきが遠ざかっていく。
その代わりに、静かな緊張が近づいてくる。
門前の異変は、もうただの偶然ではない。
王都の神殿も、魔導院も、貴族家も、すでに動き始めている。
そして、その中心に自分も立たされようとしているのだと、ラティアははっきり感じていた。
白い大扉の前で、神官が立ち止まる。
ゆっくりと扉が開く。
冷たい香の匂いが流れ出た。
ラティアは小さく息を呑む。
そのとき。
前を行くユリスの足が、ほんの一瞬だけ止まった。
完全に振り返るわけではない。
けれど、ラティアがついてきているか確かめるみたいな間だった。
それだけで、胸の奥のざわめきが少し静まる。
ラティアは守り紐をそっと握り直した。
大丈夫。
そう言い切れるわけじゃない。
けれど、歩ける。
白い扉の向こうへ、五人は足を踏み入れた。




