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王都の中央通りをしばらく進むと、通りの幅はさらに広くなった。


石畳はよく磨かれ、両脇の建物も宿場町のものとは比べものにならないほど大きい。


高い窓。

白い壁。

王都の紋章を掲げた建物。

行き交う人々の服も、どこか洗練されて見えた。


ラティアはきょろきょろしそうになるたびに、ぐっと正面を見る。


前。

呼吸。

立つ位置。


昨日、今日と繰り返してきたことを、頭の中でなぞる。


「慣れたか?」


カイルが横から言う。


ラティアは少し考えてから答えた。


「……全然」


カイルが吹き出す。


「正直だな」


「でも」


ラティアは小さく続ける。


「最初よりは、ちゃんと歩けてる」


サラがやわらかく微笑んだ。


「十分です」


ユリスはその少し前を歩いている。


人波を割るようにではなく、ただ自然に道が空いていくような歩き方だった。


その背中を見ていると、不思議と自分も歩ける気がする。


やがて一行は、神殿へ続くらしい白い石畳の道へ入った。


中央通りの喧騒から少し離れたその一角は、空気まで違っていた。


静かで、ひんやりしていて、どこか張りつめている。


ラティアが足元を見て歩いていた、そのときだった。


「――ユリス?」


明るい声が飛んだ。


ラティアは思わず顔を上げる。


前方の石段の上に、一人の男が立っていた。


黒髪だった。


陽の光を受けて、やわらかく揺れる髪。


すらりとした立ち姿。

けれど細すぎず、しなやかな強さを感じさせる体つき。


長衣の上に、魔導院らしい濃紺の外套を羽織っている。


その胸元には、金糸で魔法陣を模した紋章が刺繍されていた。


男は一瞬、ユリスを見ていた。


けれど次の瞬間、その視線がラティアへ移る。


止まる。


空気が、ほんのわずかに変わった気がした。


男の目が見開かれる。


明るい琥珀色の瞳が、信じられないものを見たように揺れた。


その顔を見た瞬間、ラティアの胸の奥が強く痛んだ。


懐かしい、と思うより先に浮かんだのは、あの日のことだった。


暴走した魔力が、レオンを弾いた。

苦しそうに息を呑んだ顔。

腕に滲んだ血。


傷つけた。


触れたかったわけじゃない。

傷つけたかったわけでもない。


でも、傷つけたのは事実だった。


ちゃんと謝れなかった。

ちゃんと別れも言えなかった。

怖くなって、何も言わずに離れてしまった。


そして――それが、山に籠ると決めたきっかけだった。


もう誰も傷つけたくないと、そう思った。


それなのに。


目の前のレオンは、そんなことを責めるより先に、会えたことに息を止めているように見える。


そのことが、少しだけ苦しかった。


胸の奥がぎゅっと縮む。


同時に、空気がほんのわずかに揺れた。


ラティアの指先に、淡い光がにじみかける。


ほんの一瞬。


けれど確かに、魔力が心の揺れに引かれていた。


「……っ」


ラティアは咄嗟に守り紐を握る。


呼吸。


ひとつ。

ふたつ。

みっつ。


吸って、吐く。


揺れはすぐに小さくなった。


でも、胸の奥の痛みまでは消えない。


ユリスの視線が、ほんの一瞬だけラティアの指先へ落ちた。


何も言わない。


けれど、その沈黙が「気づいている」と告げている気がした。


「……え」


その声は、さっきまでの軽さを失っていた。


ラティアの胸が、どくんと鳴る。


男は石段を一段、二段と下りてくる。


ためらいがない。


けれど途中で、ユリスの隣まで来たところでぴたりと止まった。


近い。


でも、いきなり踏み込みすぎない。


その距離感だけで、相手が人に慣れていることが分かった。


「……ラティア?」


低くなった声。


けれど、やわらかい。


名前を確かめるみたいに呼ばれて、ラティアは目を瞬いた。


「え……」


男は少しだけ笑った。


笑ったのに、その目はまだ信じきれていないみたいに揺れている。


「やっぱり」


息を吐くみたいに言う。


「うそだろ。ほんとに?」


ラティアの喉がわずかに鳴る。


その声音が、ひどく懐かしい気がした。


でも、懐かしさだけでは受け止めきれない。


「……レオン?」


ぽつりと零れた声は、自分で思っていたよりずっと弱かった。


名前を呼べたことに少しだけ安堵して、同時に胸が痛んだ。


男――レオンの顔が、ぱっと明るくなる。


その表情があまりにもまっすぐで、ラティアは思わず目を見開いた。


「覚えてた」


嬉しそうに言う。


「うわ、よかった。忘れられてたらちょっと立ち直れないとこだった」


そう言って、レオンは石段を降りる足を少しだけ速めた。


一段。

二段。

三段。


ためらいなく近づいてくる。


けれどラティアの目の前まで来たところで、ふいに足が止まった。


近い。


明るい琥珀色の瞳が、信じるように、確かめるようにラティアを見る。


「ほんとに……ラティアだ」


掠れたような声だった。


その手が、ゆっくりと持ち上がる。


抱きしめるように、肩へ伸びかけて――止まった。


指先が、行き場をなくしたみたいにわずかに揺れる。


触れたいのに、触れていいのか分からない。


そんなためらいが、その一瞬に滲んでいた。


ラティアの胸が、どくんと鳴る。


レオンは小さく息を吐いて、困ったように笑った。


「……急に近すぎたか」


そう言って、伸ばしかけた手を引く。


けれどその目はやわらかいままで、会えたことをまだ信じきれていないみたいに揺れていた。


その様子に、カイルがにやっとする。


「知り合いか?」


レオンはラティアから目を離さないまま答える。


「知り合い、っていうか……」


少しだけ言葉を探して、それから笑う。


「昔から知ってる」


ラティアの胸が、また小さく揺れた。


昔。


その言葉に、幼い頃のぼやけた記憶がかすかに触れた気がする。


春の結界に閉じこもる前。

まだ、誰かと繋がっていた頃。

黒髪の、よく笑う男の子。


サラが穏やかに一礼した。


「はじめまして。私たちは――」


「ああ、ごめん」


レオンがそこでようやくちゃんと全員を見る。


「名乗るの遅れた」


軽く肩をすくめて、でもどこか余裕のある仕草で言った。


「レオン・アルヴェル。王国付きの魔導士やってる」


カイルが眉を上げる。


「お抱えかよ」


「そうそう。意外と偉いんだよ、俺」


そう言って笑う。


その軽さは人懐っこいのに、不思議と安っぽくない。


ちゃんと実力がある人間の余裕、みたいなものがあった。


ラティアはまだ少し呆然としていた。


レオン。


名前を呼んだ瞬間、記憶の奥に薄く霞んでいたものが少しだけ輪郭を持った。


幼い頃。

自分より少し年上の少年。

よく喋って、よく笑って、近くにいた人。


そして、自分が傷つけた人。


でも、目の前のレオンはもう“少年”ではなかった。


背が高い。

声も低い。

笑う口元には昔の面影があるのに、ふとした瞬間の目が妙に男っぽい。


その違いに、ラティアは少しだけ戸惑う。


レオンはそんなラティアをじっと見ていた。


長い。


見られている時間が、少し長い。


「……大きくなったね」


やわらかく言う。


「びっくりするくらい」


ラティアの頬が少し熱くなる。


どう返せばいいか分からず、口を開きかけて閉じた。


その様子に、レオンがふっと笑う。


「その顔は変わってない」


懐かしそうな声だった。


「困るとちょっと固まるやつ」


ラティアはますます言葉に詰まる。


あの日、自分を傷つけた相手に、どうしてそんなふうにやさしく笑えるんだろうと思ってしまう。


「……レオンも」


やっと絞り出す。


「変わった」


「うん?」


レオンが首を傾げる。


ラティアは少しだけ視線を逸らした。


「なんか……大きい」


カイルが吹き出した。


サラも肩を揺らす。


レオンは一瞬きょとんとして、それから声を立てて笑った。


「なにそれ」


楽しそうだった。


その笑い方が、昔の記憶の中の輪郭と重なる。


ラティアの胸のざわつきが、少しだけやわらいだ。


けれど同時に、あの時の痛みを自分だけがまだ引きずっているような気もして、少し苦い。


レオンは笑いながらも、ラティアの髪に結ばれた守り紐へふと視線を落とした。


その目が、ほんの一瞬だけ細まる。


「……へえ」


小さく、でもちゃんと聞こえる声。


ラティアがきょとんとする。


レオンは何でもないように笑って戻した。


「いや、似合ってるなと思って」


その言葉に、ラティアは少しだけ耳が熱くなる。


ユリスはそのやり取りを黙って見ていた。


何も言わない。


ただ、レオンの視線がラティアに落ちるたび、その横顔が少しだけ硬い気がした。


レオンはそんな空気に気づいているのかいないのか、あっさりとユリスへ向き直る。


「で、なんでラティアと一緒にいるの?」


軽い口調。


でも、言葉の芯は意外なほどまっすぐだった。


ユリスは短く答える。


「成り行きだ」


「雑だなあ」


レオンが笑う。


「もっとこう、いろいろあるだろ」


「あるが、今話す必要はない」


「冷たい」


そう言いつつ、レオンはまったく気を悪くした様子がない。


むしろ慣れている感じだった。


カイルが小さく呟く。


「この二人、知り合いか」


サラが静かに答える。


「そんな感じですね」


レオンはふっとラティアを見る。


「とにかく、会えてよかった」


その声は、さっきより少しだけやわらかかった。


「ほんとに」


ラティアはその言葉をまともに受け止めきれず、少しだけ視線を揺らす。


胸の奥が、妙に落ち着かない。


懐かしい。

でも、近い。

優しい。

でも、少しだけ苦い。


自分はこの人を傷つけたのに、どうしてこんなふうに会えてよかったと言ってくれるんだろう。


そのことが、嬉しいのに少し痛かった。


ラティアはそっと守り紐に触れた。


すると、その動きを見たレオンの目がまた一瞬だけ細くなった。


けれど今度も何も言わない。


代わりに、明るい声で言った。


「ちょうどよかった。俺も神殿に呼ばれてたとこなんだ」


「呼ばれてた?」


サラが首を傾げる。


レオンは頷いた。


「門前の件」


その一言に、場の空気が少し締まる。


「ベネディクト子爵家の令嬢だろ? 魔導院にも連絡きてる」


レオンの表情から笑みは消えていない。


けれど、声には仕事の顔が混ざっていた。


「詳しい話、たぶん俺も聞くことになる」


そう言ってから、ラティアを見る。


「君にも」


ラティアの胸が小さく鳴った。


王都へ着いたばかりなのに、もう新しい出来事が動き始めている。


そして、その中心に自分もいるらしい。


ユリスが短く言う。


「なら話は早い」


「だね」


レオンはあっさり頷く。


それから少しだけ笑って、ラティアへ向かって言った。


「久しぶりの再会が門前の異変つきって、相変わらずだなあ」


ラティアは目を瞬く。


「……相変わらず?」


「昔から、放っておくといろいろ起きてた」


「起こしてない」


「起きてた、かな」


言い直しながら笑う。


その言い方があまりに自然で、ラティアは少しだけむっとしながらも、どこか安心してしまう。


ユリスが一歩前へ出た。


「行くぞ」


短い声。


その言葉で、空気が少し引き締まる。


レオンは肩をすくめた。


「はいはい。じゃあ案内するよ」


そう言って、ためらいなくラティアの少し前へ立つ。


けれど次の瞬間、ほんの一拍だけ止まって、振り返った。


「……あ」


明るく笑う。


「無理してなければ、だけど」


その言い方がやさしくて、ラティアは少しだけ目を見開いた。


それから、小さく頷く。


「……うん」


王都の石畳の上を、六人分の足音が重なる。


知らない街の真ん中で、昔を知る存在が隣にいる。


そのことが、ラティアの胸をまた少しだけざわつかせた。


でも――


そのざわつきは、懐かしさだけでも、怖さだけでもなかった。

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