表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
43/74

43

王都の門をくぐった瞬間、空気が変わった。


人の声。

馬の蹄の音。

荷車の車輪が石を鳴らす音。


それらが幾重にも重なって、ひとつの大きなうねりのようにラティアの耳へ流れ込んでくる。


高い建物。

ずらりと並ぶ店。

石畳の広い通り。

見上げるほどの外壁。


どこを見ても、人がいた。


ラティアは思わず立ち止まりそうになる。


「……っ」


息が少し浅くなる。


守り紐に触れる。


ひとつ。

ふたつ。

みっつ。


吐く。


出口。

立つ位置。

呼吸。


ユリスに教わったことを、胸の中で繰り返す。


「ラティア」


サラのやわらかい声がした。


ラティアははっと顔を上げる。


サラはすぐ隣にいた。


「大丈夫です。ゆっくりで」


「……うん」


小さく頷く。


前を見ると、ユリスとカイルは少し先で足を止めていた。


置いていかない程度の距離。

ちゃんと待ってくれている距離。


それだけで、少しだけ胸が落ち着く。


「すげえだろ」


カイルが振り返りながら言う。


「これが王都だ」


ラティアは目を丸くしたまま、小さく答えた。


「……大きい」


カイルが吹き出す。


「そこかよ」


「だって、すごく大きい」


真面目な返しに、サラがくすりと笑った。


そのとき、門前で助けた侍女が、慌てた様子で駆け寄ってきた。


「勇者様!」


その後ろには門兵が二人、そして立派な外套を羽織った年配の男がいる。


御者ではない。

もっと家の中で仕える、立場のある者らしい。


男は四人の前まで来ると、深く頭を下げた。


「ベネディクト子爵家の執事、グランと申します」


声は落ち着いていたが、目元にはまだ動揺の色が残っていた。


「このたびは、我が家の令嬢エリシア様をお救いいただき、心より感謝申し上げます」


深い礼だった。


ラティアは少し身を固くする。


王都に入ったばかりで、いきなりこんなふうに頭を下げられるのは落ち着かない。


「本来であれば子爵自らお礼を申し上げるべきところですが、まずはお嬢様を屋敷へお運びせねばならず……」


「構わない」


ユリスが短く言った。


グランは再び頭を下げ、それから視線をラティアへ向けた。


ラティアの肩がぴくりと揺れる。


「そちらのお嬢様にも、特にお礼を申し上げたく」


グランの表情は真剣だった。


「あなた様が手を伸ばしてくださらなければ、お嬢様は今も苦しんでおられたでしょう」


ラティアは答えに詰まる。


助けた。

そう言われると、まだ少し現実味がない。


怖かった。

壊すかもしれないと思った。

それでも手を伸ばした。


その結果が、いま目の前の礼になっている。


「……たまたま、分かっただけだから」


やっとそれだけ言うと、グランはかすかに目を細めた。


「それでも、です」


静かな声だった。


カイルが横で小さく笑う。


「だってさ」


ラティアは少しだけ唇を尖らせる。


「カイル、うるさい」


「はいはい」


サラがやわらかく間をつないだ。


「ご令嬢のご容態は、しばらく安静にしていただければ落ち着くと思います」


グランは頷いた。


「すでに神殿と魔導院にも使いを出しております」


その言葉に、ラティアの胸が少しだけざわついた。


魔導院。


またその名が出る。


王都へ来たのだと、改めて思う。


「もしよろしければ」


グランが慎重に言葉を選ぶ。


「後日、あらためて子爵家へお越しいただければと。正式にお礼をお伝えしたいとのことです」


カイルが眉を上げた。


「貴族の屋敷にか?」


「はい」


グランは深く頷く。


その場に、短い沈黙が落ちた。


ユリスはすぐには答えず、ラティアの様子を見た。


王都の通りは、絶えず人と音で流れている。

人。

店。

声。

石畳。


ここは、結界の中の静かな春とも、村のやわらかな賑わいとも違う。


人の意思が、絶えずぶつかり合って動いている場所だ。


「……ラティア」


低い声。


ユリスだった。


視線が向く。


「どうする」


ラティアは少しだけ目を瞬く。


自分に聞くんだ、と思った。


前なら、すぐに周りに任せていたかもしれない。


でも今は違う。


少しだけ考える。


怖い。

知らない貴族。

知らない屋敷。


でも――


「……行く」


小さく、でもはっきり言う。


「ちゃんと、様子も知りたい」


グランの表情がわずかにやわらいだ。


「ありがとうございます」


ユリスはそれを聞いて短く頷いた。


「では後日だ」


話はそれでまとまる。


グランは再び深く礼をして、門兵とともに去っていった。


その後ろ姿を見送ってから、ラティアは小さく息を吐く。


「……王都、入ったばっかりなのに、もうすごい」


「だろ?」


カイルが笑う。


「これからもっとすごいぞ」


「脅さないでください」


サラが苦笑する。


ラティアは守り紐に触れた。


少しざわつく。

でも、さっき門前でやれた。

今もちゃんと立っていられる。


その事実が、少しずつ自分を支えてくれていた。


「まずは宿を取る」


ユリスが言う。


「それから神殿へ行く」


王都の空気の中で、その声だけは変わらない。


ラティアはそのことに、少しだけ安心する。


「……うん」


四人は王都の中央通りへ足を向ける。


道の両側には店が並び、色鮮やかな布や果物、焼き菓子や装飾品が目に飛び込んでくる。


ラティアは見たいものが多すぎて、視線が落ち着かない。


「前を見ろ」


ユリスの低い声。


ラティアははっとして顔を上げる。


その直後、横を大きな荷車が通り過ぎた。


もしそのまま一歩出ていたら、ぶつかっていたかもしれない。


「……ごめん」


「だから言った」


呆れたような、でも本気ではない声だった。


カイルが吹き出す。


「王都初日から轢かれるなよ」


「轢かれない」


「怪しいな」


サラがくすくす笑う。


そんなやり取りの中で、ラティアは少しだけ肩の力を抜いた。


怖いだけじゃない。

落ち着かないだけでもない。


王都は大きくて、目が回りそうで、知らないものばかりだけど。

その中を、自分はちゃんと歩いている。


ふと、通りの向こうに人だかりが見えた。


何かの店先らしい。


そこに立っている男が、一瞬こちらへ顔を向ける。


黒髪。

陽の光を受けて、やわらかく揺れる髪。


遠くて、まだ表情までは見えない。


けれど、なぜかその視線だけが妙に引っかかった。


ラティアは思わず足を止めかける。


次の瞬間には、人波に紛れて見えなくなっていた。


「ラティア?」


サラの声に、はっとする。


「……ううん」


首を振る。


「なんでもない」


けれど、胸の奥のざわつきだけは消えなかった。


王都は広い。

知らないものばかりだ。


それなのに今の一瞬だけは、まるで何かがこちらを見つけたような気がした。


四人はそのまま王都の奥へ歩いていく。


賑わいの中へ。

新しい出会いと、まだ見えない波の中へ。


ラティアは守り紐をそっと握った。


胸の奥で、何かが静かに動き出している気がした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ