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翌朝。
街道は、昨日よりもずっと広くなっていた。
踏み固められた土の道はまっすぐ先へ伸び、ところどころに車輪の深い跡が残っている。
行き交う旅人も多い。
荷馬車。
徒歩の商人。
巡礼らしい一団。
王都へ近づくほど、人の流れは太くなっていくのだと、ラティアにも分かった。
空は高く晴れていた。
風は少し冷たいが、朝の光は明るい。
ラティアは歩きながら、何度も前を見ていた。
昨日、ユリスは言った。
明日には見えると。
それが、ずっと胸の奥に引っかかっている。
「そんなに見たいか?」
横からカイルの声が飛ぶ。
ラティアははっとして、少しだけ頬を熱くした。
「……見たい」
「素直だな」
「だって、気になる」
サラがやわらかく笑う。
「王都は、ここよりずっと大きいですよ」
ラティアは小さく息を吸った。
宿場町よりも大きい場所。
人がもっと多くて、建物も多くて、知らないものだらけの場所。
怖い。
でも、その怖さはもう、後ろに下がりたいだけのものじゃなかった。
その向こうに何があるのか、見たいと思う気持ちがちゃんと混ざっている。
しばらく歩く。
道はゆるやかな坂に差しかかっていた。
登るにつれて、視界が少しずつひらけていく。
風が頬を撫でた。
ラティアは自然と足を速めそうになって、でも我慢して前を見た。
そのときだった。
前を歩いていたユリスが、わずかに顎を上げた。
「見えるぞ」
短い声。
ラティアの呼吸が止まる。
顔を上げる。
坂の向こう。
空の下に、灰白色の線が浮かんでいた。
最初はただの地平線の歪みに見えた。
だが一歩、また一歩と進むごとに、それははっきりと形を持ちはじめる。
高い壁。
いくつもの塔。
その向こうに、さらに屋根の群れが重なっている。
ラティアは思わず立ち止まった。
「……あ」
声にならないような、かすかな息。
王都だった。
物語の中で何度も読んだ場所。
勇者が帰る場所。
聖女がいる場所。
王がいる場所。
そして——
自分が、これから入っていく場所。
「……大きい」
やっとそれだけ言えた。
カイルが笑う。
「まあな」
「壁、すごく高い……」
「王都だからな」
ラティアは目を離せない。
春の結界から出たときに見た森とも、村とも、宿場町とも違う。
ひとつの世界が、壁の向こうにまるごとあるみたいだった。
サラが静かに言う。
「遠くから見るだけでも、圧がありますよね」
ラティアはこくりと頷く。
本当にそうだった。
圧倒される。
怖いくらいに大きい。
それなのに、目が離せない。
ユリスは少し先で足を止め、ラティアの反応を待っていた。
ラティアはその背中を見る。
大きな壁を前にしても、ユリスはいつもと同じように立っている。
その揺れなさに、少しだけ救われる。
「……ほんとに来たんだ」
ぽつりと呟く。
誰に言ったのか、自分でもわからない。
けれど、その声にユリスが振り返った。
「来たな」
短い答え。
それだけなのに、現実が急にはっきりした気がした。
ラティアは小さく守り紐に触れる。
髪の横で揺れる、白と薄い金と若草色。
花束のことも思い出す。
春の結界。
フロス。
村の人たち。
いろんなものに送り出されて、ここまで来た。
胸が少しだけ熱くなる。
「……どうした」
ユリスの声。
ラティアは首を振る。
「ううん」
少しだけ笑う。
「なんか……いろいろ思い出しただけ」
ユリスはそれ以上は聞かなかった。
代わりに、前を向いたまま言う。
「ここからは人も増える」
「……うん」
「昨日教えたこと、忘れるな」
ラティアは一瞬きょとんとしてから、小さく頷く。
呼吸。
姿勢。
立つ位置。
出口。
それから、自分を戻すこと。
「……大丈夫」
そう言いかけて、少し止まる。
そして言い直した。
「……たぶん、大丈夫」
カイルが吹き出した。
「お、言い直したな」
ラティアは少しだけむっとする。
「ちゃんと考えただけ」
「それでいいんじゃねえの」
カイルは肩をすくめた。
サラがくすくす笑う。
「立派です」
ラティアは少しだけ照れて、視線を王都へ戻した。
大きな壁。
高い塔。
あの中に、まだ知らないものがたくさんある。
怖い。
でも——
もう、目をそらしたくはなかった。
風が吹く。
草が揺れる。
街道の先には、人の列がゆっくりと王都へ吸い込まれていく。
その流れの中に、自分たちも入っていくのだ。
「行くぞ」
ユリスの声が落ちる。
ラティアはもう一度だけ、王都を見た。
怖い。
でも——
もう、目をそらしたくはなかった。
「……うん」
小さく返す。
四人はまた歩き出す。
王都へ続く道を。
その一歩一歩が、物語の中心へ近づいていくみたいだった。




