表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/76

39

宿場町を出るころには、朝の光はもうすっかり高くなっていた。


石畳の道を抜けると、また土の街道が続いていく。


両脇には低い草原。

ところどころに木立。

遠くには、白く霞んだ山並み。


ラティアは宿場町の門を出たあと、何度か後ろを振り返りそうになって、やめた。


宿。

食堂。

朝のざわめき。


結界の外で迎えた初めての朝は、少しだけ不安で、でも思っていたより穏やかだった。


そのことが、まだ胸の中に残っている。


「どうした」


前を歩いていたユリスが、少しだけ振り返った。


ラティアははっとする。


「え?」


「さっきから静かだ」


カイルが横から笑う。


「朝飯食って放心してるんじゃねえの」


「してない」


ラティアはむっとして答える。


「考えてただけ」


「何を?」


そう聞かれて、ラティアは少し考えた。


何を考えていたんだろう。


王都のこと。

知らない街のこと。

人の多さのこと。


いろいろある。


でも、いちばん近いのは——


「……昨日よりは平気かも、って」


ぽつりと言う。


カイルが目を丸くした。


「お、成長したな」


「えらそう」


「えらいからな」


サラがくすりと笑う。


「でも、それは本当に大きなことですよ」


ラティアは小さく頷いた。


昨日の自分なら、宿場町の食堂に入っただけでももっと固まっていた気がする。


怖いものが消えたわけじゃない。


でも、少しずつ


“怖いけど進める”


に変わってきている。


街道はしばらく穏やかに続いた。


時折、荷馬車とすれ違う。

旅人と行き交う。

道の脇には黄色い小花が揺れていた。


ラティアはそれを見つけて、少し目を細める。


花束にも似た色だと思った。


胸元の花束は、荷物の上に大切にしまってある。

守り紐は、今日も髪で小さく揺れていた。


風が吹く。


そのたびに糸が頬をかすめて、ラティアは少しだけ安心した。


「休憩するか?」


カイルが空を見上げながら言う。


「もう少し先に木陰がある」


ユリスが短く答えた。


「そこで」


四人はそのまま歩く。


ラティアは昨日までより、少しだけ周りを見る余裕があった。


空の色。

草の揺れ方。

土の匂い。


結界の中にも風はあった。

花も、光も、空もあった。


でも、こうして歩いていると全部が少しずつ変わっていく。


同じ景色が、続かない。


そのことが不思議だった。


「……外って」


ラティアがぽつりと呟く。


「ずっと、先があるんだね」


サラがやわらかく頷いた。


「はい」


「結界の中だと、どこまで行っても“知ってる場所”だったから」


ラティアは前を向く。


「でも、こっちは違う」


カイルが笑う。


「知らないとこばっかだろ」


「うん」


ラティアは素直に答える。


「でも、それがちょっと楽しい」


その言葉に、ユリスがほんのわずかに視線を向けた。


何も言わない。


でも、その沈黙は否定じゃなかった。


やがて、街道の脇に大きな木が見えてきた。


枝が広く張り、ちょうどよい日陰を作っている。


ユリスが足を止めた。


「ここで休む」


カイルがその場にどさっと腰を下ろす。


「助かる」


サラも木陰に入って、荷物を整えた。


ラティアもそっと座る。


地面の上。

木の根元。

草の匂い。


こうして外で休むことにも、少しずつ慣れてきた。


サラが水筒を差し出す。


「どうぞ」


「ありがと」


ラティアはひと口飲んで、小さく息を吐く。


冷たい水が喉を落ちていく。


そのとき、道の向こうから二頭立ての馬車がゆっくり近づいてきた。


立派な造りの箱馬車だ。


布の覆いもきれいで、車輪も新しい。


ラティアはそれを見て、少し身を乗り出した。


「……大きい」


カイルが横目で見る。


「金持ちっぽいな」


馬車はそのまま四人の前を通り過ぎるかと思われたが、少し先で速度を落とした。


窓の小さな隙間から、誰かがこちらを見ている。


ラティアはぴくりと肩を揺らす。


だが馬車はすぐにまた進み出し、そのまま街道の先へ去っていった。


「……なんだったんだ」


カイルが眉をひそめる。


サラは小さく首を傾げる。


「旅の貴族か商人でしょうか」


ユリスは馬車の去った先をしばらく見ていたが、やがて視線を戻した。


そのまま、水筒を返したラティアを静かに見た。


「……ラティア」


低い声が落ちる。


ラティアが顔を上げると、ユリスは少しだけ顎をしゃくった。


「来い」


短く呼ばれて、ラティアはおそるおそる立ち上がる。


木陰の端、カイルとサラから少し離れた場所まで行くと、ユリスはそこで足を止めた。


風が草を揺らす。


しばらく黙っていたあと、ユリスが言った。


「お前は、魔力を抑えようとしすぎる」


ラティアは目を瞬く。


「え」


「あの村でもそうだったが、揺れるたびに、押さえ込もうとする」


淡々とした声だった。


「それで余計に苦しくなってる」


ラティアは少しだけ唇を引き結ぶ。


当たっていた。


不安になるたび、暴れそうになるたび、必死に力だけをどうにかしようとしてきた。


「……だめなの?」


小さく聞くと、ユリスは首を横に振った。


「順番が違う」


ラティアはきょとんとする。


ユリスは短く続けた。


「先に整えるのは、魔力じゃない」


「じゃあ、なに?」


「お前自身だ」


風がひとつ、二人の間を抜けていく。


ラティアは黙ってその言葉を聞いた。


ユリスは区切るように言う。


「呼吸」


「姿勢」


「立つ位置」


「休むタイミング」


ラティアはぱちぱちと瞬く。


魔法の話だと思っていたのに、出てくるのはどれも生活の話みたいだったからだ。


ユリスはそんなラティアを見たまま、さらに言う。


「日頃からそこを意識しろ」


「……日頃から?」


「ああ」


ユリスはひとつずつ確認するように教えた。


「朝、起きたら深呼吸を三回」


「その日の自分の調子を、まずそこで見ろ」


ラティアは小さく頷く。


ユリスは続ける。


「ざわついたら、そのまま動くな」


「三つ数えて、息を吸え」


「吐いてから動け」


ラティアはその場で少し試すみたいに、息を吸ってみる。


ユリスの目が、ほんの少しだけやわらいだ。


「人の多い場所では、最初に出口を見ろ」


「次に、自分がどこに立つか決めろ」


「居場所が決まれば、余計に揺れない」


ラティアは宿場町の食堂を思い出した。


たしかに、どこにいていいか分からない時がいちばん落ち着かなかった。


「疲れてる時ほど、魔力は乱れる」


ユリスの声は変わらず低い。


「食える時に食え。眠れる時に眠れ」


「……うん」


「それと」


そこで少しだけ間が空く。


ユリスの視線が、ラティアの髪へ落ちた。


守り紐が風に揺れている。


「落ち着けるものを持て」


ラティアは目を瞬く。


「え?」


「目で見て、触れて、自分を戻せるものだ」


ラティアはそっと守り紐に触れた。


軽い糸の感触。


それだけで、少し胸が静かになる気がした。


ユリスはその様子を見て、少し目を見開き、瞳が揺れた気がした。

そして、短く言った。


「それでいい」


ラティアは守り紐を指先でつまんだまま、小さく聞いた。


「……こんなので、変わる?」


ユリスは迷いなく頷いた。


「変わる」


静かな断言だった。


「お前の魔力は心と繋がってる」


「なら、日常を整えれば揺れ方も変わる」


ラティアはその言葉を、胸の中でゆっくり繰り返す。


日常を整える。


魔力を抑えるんじゃなくて、自分を戻す。


それは、今まで考えたことのないやり方だった。


ユリスは最後にもうひとつだけ言った。


「平気なふりはするな」


ラティアが顔を上げる。


ユリスはまっすぐ見ていた。


「耐えられることと、平気なことは違う」


低い声が、静かに落ちる。


「無理なら言え」


ラティアはしばらく黙っていた。


その言葉が、思ったより深く胸に残ったからだ。


ずっと、自分は我慢するしかないと思っていた。


暴れないように。

壊さないように。

迷惑をかけないように。


けれど、ユリスはそこを見抜いたみたいに言う。


無理なら言え、と。


ラティアは守り紐に触れたまま、小さく頷いた。


「……やってみる」


ユリスは短く「ああ」と返す。


それだけなのに、不思議と背中を押された気がした。


少し離れた場所から、カイルの声が飛んでくる。


「なにしてんだ、教育係」


サラがくすりと笑う気配がした。


ユリスは振り返りもしない。


ただラティアに向かって、いつもの調子で言う。


「行くぞ」


「……うん」


ラティアはもう一度だけ深く息を吸う。


ひとつ。

ふたつ。

みっつ。


吐く。


胸の奥のざわめきが、さっきより少しだけ静かになっていた。


自分を戻す。


その言葉を胸の中で繰り返しながら、ラティアはユリスの背を追った。


四人はまた街道を進み始める。


王都へ続く道を。


空は高く、風はやわらかい。


知らない場所はまだ続いている。


でも、その中でラティアは少しずつ


“歩いていく自分”


にも慣れ始めていた。


遠くの地平線の向こうに、かすかに高い塔のような影が見えた気がして、ラティアは目を細める。


「……あれ」


ユリスが前を向いたまま言った。


「明日には見える」


ラティアは瞬く。


「なにが?」


「王都の外壁だ」


その言葉に、胸がひとつ大きく跳ねた。


明日。


王都が、見える。


ラティアは前を向く。


怖い。

でも、見たい。


その気持ちは、もう自分でもごまかせなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ