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朝。


目を開けると、知らない天井があった。


木の板が規則正しく並び、窓の隙間から淡い光が差し込んでいる。


ラティアはしばらく瞬きをした。


どこだっけ、とぼんやり考えて——


(……あ)


思い出す。


宿場町。

宿。

王都への旅の途中。


ゆっくり息を吐く。


春の結界の小屋ではない。


けれど、思っていたよりも胸は苦しくなかった。


隣のベッドを見ると、サラはもう起きていた。


身支度を整え、静かに髪をまとめている。


ラティアが起きたことに気づくと、やわらかく微笑んだ。


「おはようございます」


「……おはよう」


ラティアは上体を起こしながら答える。


髪の守り紐が、肩のあたりで小さく揺れた。


それに触れると、昨夜のことが少しだけよみがえる。


知らない町。

知らない宿。

でも、ちゃんと眠れた夜。


「少しは眠れましたか?」


サラが聞く。


ラティアはこくりと頷く。


「……うん。昨日より、ちゃんと」


「よかったです」


サラはそう言って、窓の外を見た。


「下はもう賑やかですよ。旅人の朝は早いですから」


ラティアもつられて窓を見る。


外の通りには、もう人が動いていた。


荷車を押す音。

馬の鼻を鳴らす声。

遠くから聞こえる、人の話し声。


宿の中にも、階下から食器の触れ合う音や、誰かの笑い声がかすかに届いてくる。


ラティアは少しだけ肩をすくめた。


「……朝から、いっぱいいる」


サラがくすりと笑う。


「はい。ですから、ゆっくり降りましょう」


身支度を終えて部屋を出る。


廊下はまだ少し薄暗く、木の床が歩くたびに小さく鳴った。


階段を下りるにつれて、食堂の音がはっきりしてくる。


人の声。

皿の音。

焼いたパンの香り。

スープの匂い。


ラティアは最後の一段の前で、少しだけ止まった。


サラが振り返る。


「大丈夫ですか?」


ラティアは小さく息を吸う。


「……うん」


そう答えたものの、胸の奥は少しだけそわそわしていた。


食堂には、思っていたより多くの人がいた。


商人らしい男たち。

旅人。

荷物を置いて朝食をとる者たち。


皆それぞれ勝手に話し、食べ、笑っている。


そこへ足を踏み入れた瞬間、ラティアはほんの少しだけ、自分の居場所が分からなくなった。


人の輪の中へ入る、その感覚がまだ曖昧だ。


どう立てばいいのか。

どこに視線を置けばいいのか。

何を自然と呼ぶのか。


そんなことを一瞬考えてしまう。


そのとき。


奥の席から、低い声がした。


「こっちだ」


ユリスだった。


ラティアが顔を上げる。


窓際の四人席に、ユリスとカイルが先に座っている。


ユリスは短く視線を向けただけだったが、その一言で、ラティアの胸のざわつきが少し静まった。


「行きましょう」


サラに促され、ラティアはそちらへ向かう。


席に着く。


サラが隣に。

向かいにカイル。

そして斜め前にユリス。


その配置が、思った以上に落ち着いた。


カイルがパンをちぎりながら笑う。


「おはよう、寝坊助」


「寝坊じゃない」


ラティアはむっとする。


「普通」


「旅では遅い方だ」


「う……」


言い返せない。


サラが間に入る。


「今日は初めての宿でしたから」


「サラ甘いなあ」


「カイルが厳しすぎるんです」


そんなやり取りを聞いているうちに、少しだけ肩の力が抜けた。


宿の女将が朝食を運んでくる。


湯気の立つスープ。

焼きたてのパン。

薄く切った燻製肉。

小さな果物。


ラティアはそれを見て、また少し目を丸くした。


「朝から、こんなに」


「旅人向けだろ」


カイルがスープを口に運ぶ。


「食えるときに食っとけ」


ラティアはおそるおそるスープをひと口飲んだ。


あたたかい。


塩気と、野菜のやさしい味が広がる。


「……おいしい」


ぽつりと呟く。


カイルが笑う。


「昨日からそればっかだな」


「だって、おいしい」


真面目に返されて、カイルは肩をすくめた。


ラティアはパンをちぎる。


ふと視線を上げると、食堂の人たちが時々こちらを見ているのに気づいた。


勇者一行だからだろう。


少しだけ居心地が悪くなる。


けれど、前みたいに息が詰まるほどではない。


ユリスがいる。

サラがいる。

カイルもいる。


その事実だけで、知らない場所の輪郭が少し柔らかくなる。


「今日のうちに、次の宿場まで行く」


ユリスがパンを置いて言った。


ラティアは顔を上げる。


「次も、町?」


「宿場だ」


「このくらい人いる?」


カイルが吹き出した。


「基準そこかよ」


ユリスは少し考えるようにしてから答える。


「ここよりは少ない」


ラティアは小さくほっとした。


その反応を見て、カイルがにやっとする。


「王都なんか行ったら倒れるんじゃねえか?」


「倒れない」


即答したものの、自信はあまりなかった。


王都。


その言葉を思うだけで、まだ胸は少しだけざわつく。


サラがやわらかく言う。


「すぐに慣れなくても大丈夫ですよ」


ラティアはうなずいた。


「……うん」


すると、ユリスが短く続けた。


「無理なら言え」


ラティアは少しだけ目を瞬く。


ユリスはいつも通り、淡々とスープを飲んでいる。


だが、その言葉はちゃんとラティアに向いていた。


「無理はさせない」


それだけ。


それだけなのに、胸の奥があたたかくなる。


ラティアはパンを握りしめたまま、小さく頷く。


「……うん」


窓の外では、朝の光が石畳を照らしていた。


人が行き交う。

馬車が通る。

道はずっと先へ伸びている。


自分は本当に、その先へ行くのだ。


王都へ。


物語の中心へ。


怖い。


でも、昨日より少しだけ、ちゃんと実感できる。


ラティアは守り紐にそっと触れた。


軽い糸の感触。


それから、テーブルの上の手を見た。


震えていない。


完全に平気ではないけれど、逃げ出したくなるほどでもない。


それだけで、少し進めた気がした。


朝食を食べ終えるころには、食堂のざわめきにも少しだけ耳が慣れていた。


まだ全部は遠い。


でも、もう何もかもが怖いわけじゃない。


ラティアは窓の外を見た。


空は高く、道は続いている。


「……ほんとに行くんだ」


小さく、誰にともなく呟く。


その声に、ユリスが視線を向けた。


ラティアは少しだけ笑う。


「王都」


ユリスは短く答えた。


「ああ」


その一言が、背中を押すみたいに静かに落ちた。


ラティアはもう一度だけ窓の外を見た。


怖さの奥に、少しだけ期待がある。


そのことを、自分でもやっと認められた気がした。

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