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街道をしばらく進むと、遠くに屋根の群れが見え始めた。


最初は小さな影だったそれが、近づくにつれてはっきり形を持っていく。


石造りの門。

背の低い柵。

煙を上げる家々。

道沿いに並ぶ荷車。


「……あれ?」


ラティアが目を細める。


カイルが答えた。


「宿場町だ」


ラティアは思わず立ち止まりそうになる。


村より大きい。


人の気配も、建物の数も、ずっと多い。


胸の奥が、少しだけざわついた。


「人、多そう」


「多いぞ」


カイルがあっさり言う。


「村よりずっとな」


ラティアは小さく息を吸った。


怖い。


でも、見たい。


その二つの気持ちが同時に胸の中で揺れていた。


ユリスが少しだけ歩みを緩める。


「無理なら、俺の後ろにいろ」


いつも通りの、短い声。


でも、その一言でラティアの呼吸が少しだけ整う。


「……うん」


小さく頷く。


街道の先では、旅人や商人が出入りしていた。


荷馬車を引く馬のいななき。

人の話し声。

木箱を運ぶ音。


外の世界は、止まらない。


結界の中では聞いたことのない音が次々に耳へ入ってくる。


ラティアはそのひとつひとつに反応するみたいに、きょろきょろと辺りを見ていた。


「落ち着け」


カイルが笑う。


「全部見る気か」


「……だって」


ラティアは門の脇に積まれた荷物を見る。


麻袋。

樽。

干し草。

見たことのない道具。


「全部ちがう」


サラがやわらかく微笑む。


「それが外の世界です」


門をくぐると、空気がまた少し変わった。


村よりも濃い匂い。


焼けたパンの香り。

煮込みの匂い。

馬と土と、人の暮らしの匂い。


ラティアは目を丸くした。


「……すごい」


またその言葉が漏れる。


カイルが吹き出した。


「本日何回目だ」


「だって、ほんとにすごい」


真面目に返されて、カイルは肩をすくめる。


宿場町の中央通りは、それなりに賑わっていた。


商人が声を張り上げ、旅人が行き交い、店先には布や食べ物が並んでいる。


ラティアは思わず一歩、ユリスの近くへ寄った。


人が多い。


知らない顔ばかりだ。


誰も自分を知らない。


そう思うと、不思議と少し心細い。


前世では、人の中にいることはもっと当たり前だったはずなのに。

学校でも、店の中でも、町を歩くときでも。

人の気配が近くにあることは、きっと特別なことじゃなかった。


けれど今は、どうやって人と関わっていたのか、一瞬わからなくなる。


この世界で目を覚ましてからずっと、魔力のことばかり考えていた。

暴走しないように。

誰も巻き込まないように。

傷つけないように。


そうやって人から距離を取っているうちに、

“人の輪の中で自然に立つ”ことさえ、少し曖昧になっていたらしい。


(……どうやって、人と関わってたっけ)


そのとき。


「おっと」


前から来た男とぶつかりそうになったラティアの腕を、ユリスが軽く引いた。


一歩、後ろへ。


肩が触れそうなくらい近い距離になる。


「前を見ろ」


低い声。


ラティアはどきりとして、慌てて頷いた。


「……ごめん」


男はそのまま通り過ぎていく。


ユリスは何もなかったように手を離した。


けれどラティアの胸の奥は、しばらく落ち着かなかった。


サラがそんな二人を見て、小さく笑う。


「宿を取りましょうか」


カイルが周囲を見回す。


「この時間なら、まだ空いてるだろ」


ユリスが頷いた。


「奥の宿だ」


どうやら目星があるらしい。


四人は通りを少し外れ、木造の大きな宿の前で足を止めた。


看板には、羽根を広げた鳥の絵が描かれている。


「飛び鳥亭」


ラティアが小さく読み上げる。


「読めるのか」


カイルが少し意外そうに言う。


ラティアはむっとした。


「読める」


「いや、別に馬鹿にしてない」


「した」


「してない」


サラがくすくす笑う。


ユリスは扉を開けた。


中は外よりも少し暗く、あたたかかった。


木の机と椅子。

壁に吊るされたランプ。

奥から漂ってくるスープの匂い。


ラティアはまた小さく目を見開く。


「……中もすごい」


「全部すごいな」


カイルが笑う。


宿の女将が顔を上げる。


「いらっしゃい——……って」


一瞬、目が丸くなる。


勇者一行に気づいたらしい。


「あらまあ」


「部屋は空いているか」


ユリスが短く聞く。


女将は慌てて頷いた。


「ええ、ありますとも! ちょうど二部屋空いてますよ」


カイルが言う。


「じゃあ男二人、女二人で」


ラティアはその言葉にほっとする。


知らない場所で一人部屋だったら、少し不安だった。


女将は鍵を取りに奥へ引っ込んだ。


その間、ラティアはそっと窓際の席に近づく。


外の通りが見える。


人が歩いている。

馬車が通る。

夕暮れの光が、石畳を赤く染め始めていた。


「どうだ」


ユリスの声が横から落ちた。


ラティアは少し考える。


「……まだ、こわい」


正直に言う。


「でも」


窓の外を見る。


「来てよかった、って思う」


ユリスは少しだけ黙った。


それから短く言う。


「そうか」


それだけなのに、ラティアは少しだけ嬉しくなる。


女将が鍵を持って戻ってきた。


「お待たせしましたよ」


サラが受け取り、ラティアを振り返る。


「行きましょうか」


ラティアは頷いた。


二階へ上がる木の階段を見上げる。


宿。

部屋。

知らない町の夜。


またひとつ、初めてが増える。


でも、その全部を前より少しだけ受け入れられそうな気がした。


髪の守り紐に触れる。


胸元の花束の香りが、まだかすかに残っている。


ラティアは小さく息を吸った。


王都へ向かう旅は、まだ始まったばかりだ。


それでも今夜、自分はもう——


春の結界の外で、ちゃんと眠ることができるのかもしれなかった。


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