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祭りの熱気が少しずつ静まっていく頃。


村の広場の端では、焚き火の火が小さく揺れていた。


ラティアはまだ髪に結ばれた守り紐を指先でそっと確かめていた。


結ばれているだけなのに、不思議と胸の奥が落ち着く。


そのとき、広場の向こうからサラが戻ってきた。


隣には、白い髭をたくわえた年配の男がいる。


村長だった。


「皆さん、少しよろしいですかな」


穏やかな声に、カイルが串を置く。


「なんだ?」


村長は四人を見回し、ゆっくり頭を下げた。


「本日は、本当にありがとうございました」


深く、丁寧な礼だった。


「熊の件だけではありません。あの黒い化け物のようなもの……あれが村へ入っていたらと思うと、今でもぞっとします」


サラが静かに頷く。


「完全な魔物ではありませんでしたが、放っておいてよいものでもありませんでした」


村長は難しい顔で息を吐いた。


「最近、この辺りの山はおかしいのです」


ラティアが顔を上げる。


村長は続けた。


「獣が急に荒れたり、夜の森で黒い影を見たという者がいたり……最初は噂だと思っておりましたが、今日のことで、ただ事ではないと分かりました」


カイルが腕を組む。


「やっぱり残滓が流れてるんだろうな」


ユリスは焚き火の向こうで、黙ったまま村長の話を聞いていた。


村長はそのユリスに向かって言った。


「勇者様。もし王都へ戻られるのでしたら、どうかこのこともお伝えください」


「伝える」


ユリスは短く答える。


村長はほっとしたように頷いた。


だが、そのあと少しだけ言いよどんだ。


「それと……もう一つ」


視線が、ラティアへ向く。


ラティアの肩がぴくりと揺れた。


「そのお嬢さんのことも」


ラティアは固まる。


カイルがにやっとする。


「聖女様の話か?」


「違う」


ラティアが即答する。


村長は苦笑した。


「いえ、そう呼ぶつもりはありません。ただ……」


少し言葉を選ぶようにしてから、続ける。


「この村の誰も、あの熊を前に立って止めることなどできません。あの黒い魔物の前で、恐れに飲まれず立っていられる者もおりません」


ラティアは目を伏せる。


村長の声は静かだった。


「その力を、ただ山奥に置いておくのは惜しい。……いや、危ういと言うべきかもしれませんな」


ラティアの胸が少し痛む。


惜しい。

危うい。


どちらも、自分にはしっくりくる気がした。


そのとき、サラが一歩前に出た。


「村長さんのおっしゃる通りです」


穏やかな声。


「ラティアさんの力は特別です。だからこそ、王都で正しく見極めてもらう必要があります」


ラティアはぎゅっと指先を握る。


王都。


その言葉は、まだ胸の奥を少しだけ緊張させた。


村長は懐から一通の封書を取り出した。


厚手の紙に、村の印が押されている。


「これは王都の神殿宛の紹介状です」


サラがそれを受け取った。


村長はラティアを見る。


「あなたがこの村を救ってくださったこと、私どもが証人になります」


ラティアは目を瞬く。


「……証人」


「ええ」


村長は頷いた。


「わたしは怪しい者ではない、と」


カイルが吹き出す。


「怪しい自覚はあったのか」


ラティアはむっとしてそちらを見る。


「……ない」


「今の間が怪しい」


「怪しくない」


サラがくすくす笑った。


少しだけ、空気がやわらぐ。


けれどラティアの胸の中は、まだ静かではなかった。


王都へ行く。


それが、ただの“行ってみたい”ではなくなってきている。


もっと大きな意味を持ち始めていた。


村長が去ったあと、焚き火のそばに小さな沈黙が落ちた。


最初に口を開いたのはカイルだった。


「で、どうする?」


ラティアを見る。


「今さら置いてくって選択肢は、まあないけどな」


サラも静かに続ける。


「村で起きたことだけでも、王都に伝われば必ず調査が入ります」


ラティアは視線を落とした。


もし一人で残れば。


また誰かが来るかもしれない。


黒い残滓も、山に残っている。


自分だけで抱えるには、世界はもう少し広すぎると知ってしまった。


「……わたし」


小さく口を開く。


声は少し震えていた。


「行ったほうが、いいんだよね」


サラは優しく頷く。


「はい」


カイルも肩をすくめる。


「たぶんな」


ラティアは焚き火の火を見つめる。


ぱち、と小さく薪が弾けた。


王都。


物語の中で何度も読んだ場所。


勇者が集い、聖女がいて、王がいる場所。


そこへ、自分が行く。


怖い。


でも。


もう、それだけじゃなかった。


ゆっくりと顔を上げる。


視線の先には、ユリスがいた。


さっきからずっと黙っている。


だが、その目はまっすぐラティアを見ていた。


逃げ道を塞ぐでもなく、急かすでもなく。


ただ、選ぶのを待っている。


ラティアは小さく息を吸った。


「……行く」


静かな声だった。


けれど、はっきりしていた。


「王都へ」


その言葉が落ちた瞬間、カイルが「よし」と笑う。


サラも穏やかに目を細めた。


そして最後に、ユリスが口を開いた。


「明日の朝、出る」


短い一言。


「村を出れば、次の宿場までは半日だ」


もう、王都への旅は始まっているような声だった。


ラティアはこくりと頷く。


「うん」


返事をしたあとで、胸の奥が少しだけ熱くなる。


自分で決めた。


怖いけれど、自分で選んだ。


それが不思議と嬉しかった。


カイルが立ち上がる。


「じゃあ決まりだな。今日は寝ろ。明日からは本格的な旅だぞ」


サラも立ち上がった。


「朝の準備がありますから、早めに休みましょう」


二人は先に宿の方へ歩いていく。


ラティアも立ち上がろうとして——


ふと、髪に結ばれた守り紐に触れた。


白。

薄い金。

若草色。


帰るための紐。


その感触に、胸のざわめきが少しだけ落ち着く。


そのとき、低い声がすぐそばで落ちた。


「不安か」


ユリスだった。


ラティアは少し迷ってから、正直に頷く。


「……うん」


「でも」


少しだけ笑う。


「行きたいとも思ってる」


ユリスはそれを聞いて、ほんのわずかに目を細めた。


「なら、それでいい」


短い答え。


ラティアは顔を上げる。


ユリスはいつもの無表情に近い顔で、焚き火の向こうを見ている。


でも、さっきの言葉はどこかやわらかかった。


ラティアは守り紐にそっと触れる。


「……王都って、どんなところ?」


ぽつりと聞く。


ユリスは少し考えてから答えた。


「人が多い」


ラティアは思わず笑う。


「それはもう聞いた」


ユリスは少しだけ間を置いて、続けた。


「うるさい」


「うん」


「面倒も多い」


「うん」


「だが——」


ラティアが待つ。


焚き火の火が、その横顔を赤く照らしていた。


「お前が見たいと思ったものは、たぶん全部ある」


ラティアは目を瞬いた。


その言葉が、胸に静かに落ちる。


怖い場所じゃなくて、見たいものがある場所。


そう思えたのは、初めてだった。


「……そっか」


小さく呟く。


ユリスはそれ以上何も言わなかった。


だが、その沈黙は不思議と心地よかった。


遠くで祭りの最後の笑い声が響く。


村の夜は、もう終わりに近い。


けれどラティアの中では、ひとつの道がはっきりと形を持ち始めていた。


王都へ。


物語の中心へ。


そして——


自分の知らない世界の、その先へ。


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