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黒い残滓が消えたあとも、広場にはしばらく緊張が残っていた。


焚き火の火が、ぱち、と小さく弾ける。


誰もすぐには動けない。


村人たちは少し離れた場所でざわめき合い、けれど近づくこともできずにいた。


そんな空気を破ったのは、さっきの村娘だった。


「……た、助かった……?」


震える声。


誰にともなく漏れたその言葉に、ようやく村人たちが現実を取り戻したように息をつく。


「消えた……」


「今の、なんだったんだ……」


「勇者様が倒したのか……?」


「あの子を狙ってたように見えたけど……」


「聖女様、じゃないのか……?」


「違う」


ラティアが即答した。


声が思ったより大きく出て、自分で少しびっくりする。


村人たちの視線がまた集まり、ラティアは一瞬たじろいだ。


だがその前に、カイルが笑いながら前へ出た。


「はいはい、そこまでな」


片手をひらひら振る。


「細かい話はあとだ。今はまず落ち着け」


軽い口調なのに、不思議と場が和らぐ。


サラも一歩進み、穏やかに微笑んだ。


「もう大丈夫ですよ」


優しい声。


「残りの魔力も消えました。皆さんに害はありません」


その言葉で、ようやく村人たちの緊張が少し解けた。


あちこちで深い息が漏れる。


村長らしい年配の男が、震える足で前に出る。


「勇者様方……それに、あなたも」


ラティアはぴくっと肩を揺らす。


「村を守ってくださって、本当にありがとうございます」


深く頭を下げた。


それにつられるように、周りの村人たちも次々と頭を下げる。


ラティアはあわあわと手を振った。


「ち、違う、そんな……!」


「いや、今回はそこまで謙遜しなくていいだろ」


カイルが横から言う。


「倒したのは俺とユリスだけど、お前に反応してたのは事実だしな」


「それ、よくない事実じゃない?」


ラティアがすぐに言い返すと、カイルは肩をすくめた。


「まあな」


そのあっさりした返しに、周りの村人たちから小さな笑いが漏れる。


さっきまでの張りつめた空気が、ゆっくりほどけていく。


祭りの灯りが、再びやさしく村を照らし始めた。


そのとき。


広場の隅で、小さな子供が母親の後ろから顔を出した。


おそるおそる、ラティアを見る。


それから、てててっと近づいてきた。


ラティアは目を丸くする。


子供はラティアの前で立ち止まり、少し考えるように首をかしげたあと、ぽつりと言った。


「あれ、お姉ちゃんのこと見てたよね?」


ラティアは少しだけ息を呑む。


けれど、しゃがみこんで目線を合わせた。


「……うん」


小さく答える。


「でも、もう大丈夫だよ」


子供はほっとした顔になって、それからまた聞いた。


「こわくなかったの?」


ラティアは少し困ってから、笑った。


「ちょっとだけ、こわかった」


すると子供は真剣な顔で頷いて、母親のところへ戻っていった。


その背中を見ながら、ラティアは胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じた。


怖かった。


でも。


逃げなかった。


それだけでも、前とは違う気がした。


「……ラティア」


低い声。


ユリスだった。


ラティアが振り向くと、彼は広場の少し外れを見ていた。


「少し来い」


短い言葉。


ラティアはこくりと頷く。


二人は焚き火と人の輪から少し離れた、広場の端まで歩いた。


村の灯りが少し遠くなる。


夜風が頬に触れた。


しばらく、二人とも黙っていた。


ラティアは指先を胸の前でぎゅっと握る。


言いたいことが、たくさんある。


でも、まとまらない。


先に口を開いたのはユリスだった。


「さっきの残滓」


ラティアの肩が小さく揺れる。


「お前に反応していた」


責める声音ではない。


ただ事実を確認する声。


ラティアは少し迷ってから、ぽつりと答える。


「……うん」


「理由は分かるか」


ラティアは視線を落とす。


すぐには答えられない。


遺跡。


焦げ跡。


雪山で見た黒い魔物。


全部が頭の中を巡る。


でもまだ、はっきり言葉にはできない。


「……たぶん」


小さな声。


「わたし、あれをどこかで感じたことがある」


ユリスは黙って聞いていた。


ラティアは続ける。


「同じ感じがしたの。雪山で見た黒い魔物と……さっきのやつ」


少し間が空く。


「わたし、たぶん……あの時、何かしちゃったんだと思う」


「それで、ああいうのに見つかるようになったのかも」


ユリスの表情は変わらない。


だが、その目は静かにラティアを見ていた。


逃げずに。


逸らさずに。


ラティアはその視線に、少しだけ息が詰まる。


「……こわくないの?」


気づけば、そう聞いていた。


ユリスは一瞬だけ目を細める。


「何がだ」


「わたし」


自分で言って、少し苦しくなる。


「また、何かに狙われるかもしれない」


「今日みたいに、巻き込むかもしれない」


「それで……」


声が小さくなる。


「一緒にいると、危ないかもしれない」


夜風が吹く。


遠くで祭りの音が揺れる。


ユリスは少しだけ間を置いてから言った。


「怖くない」


短い答えだった。


ラティアは目を瞬く。


ユリスは続ける。


「警戒はする」


はっきりと。


「だが、それと恐れることは違う」


ラティアは黙って聞いていた。


「お前が狙われるなら、守る」


ユリスの声は落ち着いている。


「原因を探る必要があるなら探る」


そこで一度言葉を切る。


「止める必要があるなら止める」


ラティアの呼吸が、少しだけ止まる。


「それが俺の役目だ」


静かな断言だった。


ラティアは、じっとユリスを見つめた。


その言葉は冷たくない。


優しすぎるわけでもない。


ただ、強かった。


揺れない声。


その強さが、胸の奥にすっと染みていく。


「……ずるい」


思わず、そんな言葉が漏れた。


ユリスの眉がわずかに動く。


「何がだ」


ラティアは俯く。


「そうやって言われると……安心しちゃう」


ユリスは何も言わなかった。


ただ、少しだけ目を伏せる。


ラティアは自分の胸を押さえる。


さっきまで残っていたざわつきが、もうほとんど消えている。


代わりにあるのは、静かな熱だった。


「……ありがとう」


小さな声。


ユリスは短く答える。


「気にするな」


そのとき、広場の方からカイルの声が飛んできた。


「おーい!」


振り向くと、焚き火のそばで手を振っている。


「二人だけでしんみりしてんじゃねえぞ!」


ラティアの顔が一気に熱くなる。


「ち、違う!」


サラが隣でくすくす笑っていた。


「ごはんが冷めてしまいますよ」


ユリスは小さく息を吐く。


「戻るぞ」


ラティアは頷いた。


「うん」


さっきよりも、少しだけ素直に。


二人は並んで広場へ戻る。


村の灯りはまだ温かい。


笑い声も、音楽も、ちゃんとそこにある。


ラティアは歩きながら、ふと思った。


外の世界は怖い。


知らないものばかりだ。


でも――


その中で、ただ怯えているだけじゃなくて。


向き合うことは、できるのかもしれない。


そんなことを、少しだけ思えた夜だった。


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