迫りくる危機
デリターニャの周辺は、
その勢力圏は、すでに常識の枠を越えていた。
マータル国、ソーホー、ユータスト。
デリターニャのお隣の、その三国にまで、シャダ商会の影響は深く食い込んでいる。
つまりは三国では民も世相も、割と安定している。
問題は、さらにその外側だ。
デリターニャから遠く離れた地には、いまだ統一なき戦乱地帯が広がっていた。
群雄割拠…
大小無数の勢力が乱立し、国と呼ぶにはあまりにも脆弱。
言ってしまえば、大規模な盗賊団が群れているに過ぎない様な場所だ。
ゆえに、
そこは長らく、他人には一切、見向きもされていなかった。
干渉する価値もない。
放っておけば勝手に潰し合う。
俺達もそんな認識だった。
だが、その“無価値な場所”で、静かに火が灯る。
不満を抱えた者たち。
取り残された者たち。
連合に乗れなかった者たちが、寄せ集まり、
偶然なのか必然なのか…
それらはやがて、一つの悪しき塊となった。
アンチ商会連合。
粗雑で、統率もなく、野心だけが肥大化した歪な集団。
彼らの共通の目的はただ一つ。
デリターニャを奪い、すべてを乗っ取ること。
だが当然、正面からでは勝てない。
相応の戦力をぶつけねば…盗賊程度では全て返り討ちに遭っている。
そこで彼らが目を付けたのが、
カーナン周辺に居座る、あのアーマ軍の残党だった。
連合でもアーマでも、なんなら両方共倒れでも、
困る事など一切無い。寧ろ、大歓迎で有る。
火のない場所に、火種が投げ込まれた。
だが…
その火は、彼らの思惑通りには燃えなかった。
その炎を制御するような高度な術など、烏合の衆の誰も、それを持ち合わせてなど居なかった。
アーマ軍。神族の兵士。
それは、決して“ただの残党”ではなかった。
確かに、統率は弱い。
各々が勝手に動く寄せ集め。
だがその中には、
ひとつだけ、異質な集団が存在していた。
統率された動き。
無駄のない行軍。
そして、明確な意志。
その中心にいるのが…
ニニーギ。
上位神族にして、この派閥の頭脳。
総勢およそ二千。
彼の指揮下にあるその集団は、もはやただの“残党”などではない。
徹底的に鍛え上げられた、ひとつの精鋭軍だった。
彼らは、誰にも気づかれることなく動いた。
夜のみを選び、痕跡を消し、静かに進む。そして進軍の速度が異様な程速かった。
村を襲い、糧を得ながらも、その行軍は乱れない。
目的地は——デリターニャ。
その途中で、ニニーギは“噂”を得る。
そこにいるという、“悪魔”の…
たった一体で、数千の兵を殲滅した存在。
さらに——二頭の魔獣を従えているという。
「……ほう」
興味深げに、ニニーギは呟いた。
ただの誇張か。
あるいは、未知の存在か。そもそも、悪魔などという存在は居なかった。
神族やズク族、鬼族に異質な獣人、或いは竜種…
人間以外の脅威は、得てして架空の存在をでっち上げる。
殆どは人間が、勝手に作り上げたただの妄想に過ぎない。
彼は複数の記憶と証言を照合し——
結論を出す。
「居る事は事実、か…」
だが、問題はそこではない。
もしそれが——
“深淵の巨神”だった場合。
その瞬間、勝敗は決する。
いや、そもそも戦いにすらならない。
あの存在は危険、触れてはいけない別格なのだ。
かつて、より強大な神族たちが束になっても敵わず、
そして——全滅した。
あの歴代の、神族最強の戦士と謳われた“剣の神”ですら。
「……信じ難いが」
低く呟きながらも、ニニーギの思考は止まらない。
勝てない相手ならば——戦わなければいい。
武器を捨て、敵意を見せなければ、見逃される可能性はある。
あるいは、引き離す。
あるいは、誘導する。
すでに、いくつもの策が組み上がっていた。
「悪魔が神族であれば交渉。ズク族なら殲滅。巨神なら回避……」
すべての場合に、手を打つ。
それが、ニニーギという存在だった。
そして何より。
「……丁度退屈していたところだし」
彼は、笑った。
静かに。
愉しむように。
「噂の悪魔とやらが、少しは我を楽しませてくれるといいがな…」
夜の闇の中。
その軍勢は、音もなく進む。
そして、
デリターニャへと、その牙は向けられた。




