九:ザ・シューティング・バトル(前編)
僕がコロニーの中で生活を始めてから、一週間と少しが過ぎようとしていた。
この一週間はあまりにも濃密で、正直あっという間だった。
生活の基本となるお店、食品店や雑貨屋さんを見て回ったり、癖の強い食材の調理法をアイと模索したり。
狩りから帰ってきてお疲れな雫の、愚痴や罵倒を受け流したり、ご近所のおばさんに竈を使った料理のテクニックを教わったり。
風呂上りでバスタオル一枚巻いただけの雫にばったり出くわして、見事な回し蹴りを側頭部に食らったり、ごはん中にこれっぽっちも興味のない乙女ゲーのストーリーについて熱く語られたり………………いや違う、本当に濃密だったんだ。嘘じゃない。
例えば、結構大きなターニングポイントとなる出来事が二つあった。
一つは、自分の立ち位置が明らかになった。
もう一つは、ささやかながら、僕にも収入源ができた。
一つ目について話そう。
これは要するに、雫と一緒に住む、というのが一体どれくらいの人間に……というか主に男に、嫉妬されるポジションなのかという事を改めて知った、という事だ。
あれは丁度、研究所でCMSUをアップデートした日の午後の事だった。
◆◆◆
「結構パンはおいしいね」
【私に味は分かりませんが……店に居た時間で売れていたパンの数と今の時間帯、そして値段、それらを総合的に解釈すれば、きっとそのパンはおいしいのだろう、と推測することはできます。あくまで推測なので、味は分かりませんが】
「……拗ねた?」
【拗ねてません】
「ごめんって」
【拗ねてません】
アイをなだめながら、僕は街の中をゆっくりと練り歩く。
近くのパン屋さんで買ったパンは熱々で、中々の美味だ。この感じだと、小麦は問題なく食すことができそうだ。
「でもちょっと高かったね。手が出ないほどじゃないけど」
【塩の値段でしょう。現在氷床が海を覆っているため、塩の入手が非常に難しくなっているようです。海辺にあるコロニーからの輸入が、唯一の供給源です】
「塩が高いのか―。料理をする側としては、かなり痛いなー」
CMSUのデータベースをアップデートしたため、アイはこの世界の基本的な事なら、ほとんどなんでも答えられるようになった。
電力の供給源が水素発電である事や、CMSU以外の携帯端末が存在している事。
ここでの通貨は紙幣だが、場所によっては貝殻や石である事もあり、換金所があったり、物々交換の方が主流であるコロニーもあるという事。
警察や医者といった昔ながらの職業がある一方で、狩人や採集家と言った新たな職業が根付いているという事。
実に様々な事を教えてもらいながら、僕は街の中を探検した。
そう、探検と言って差し支えなかった。
海外旅行に来た、というのともまた少し違う。
だってこんな町並みは、こんな文化は、どんな教科書にも載っていなかったし、想像だにしなかった。
異世界に来た、と表現するのが一番しっくりくるかな、と僕は思った。
「ん、ここは……」
【保育園、ですね。この街で一番大きな『青空保育園』です】
またベタな名前を……。
広い園庭の中を園児たちが楽しそうに走り回っている。きゃっきゃと上がる笑い声が、実にほほえましい。
しかし、保育園か……。なんだろう、すっごく嫌な予感がする。
「ほほぅ、いい所に来たな!」
「あぁ、今から帰るところなのでお構いなく、カイトさん」
そしてこういう時の僕の予感は、よく当たるんだよな……。
イサオ!、とか、タケシ! みたいな豪放磊落で男らしい名前がよく似合う見た目のカイトさんが、仁王立ちで僕の前に立ちふさがった。
「そうつれない事を言うな。ちょっと面、貸してもらおうか」
「会った時から思ってたんですけど、あなた本当に保育士なんですか?」
僕が園児だったら絶対懐かないと思うんだよね。
ついてこい、と言うカイトさんの後を渋々歩きながら、僕はどうやって逃げ出そうか思案していた。
だってこれ確実にあれでしょ?
「俺の雫さんに近づくな!」って言われて、ぼこぼこに殴られちゃうみたいな。こっちは近づきたくて近づいたわけじゃないんですけどね……。なんならお譲りしますよ。
「おい皆、噂の男を連れてきたぞ!」
「うわぁ……」
カイトさんの一声で、ぞろぞろと屈強な男たちが保育園の裏口からご降臨なされた。
全員中々にガタイがよく、なんなら揃いも揃って顔がいかつい。
しかし皆、可愛いクマさんのアップリケがついたエプロンを着ているから、保育士さんであるのは間違いない。青空保育園は一体、どんな子供を育てたいんだろうか。
「ほーう? こいつが?」「見るからに弱っちそうだな!」「くくく……俺にかかればこんなやつ三秒と持つまい」
やっぱり、さっき逃げちゃえばよかったなぁ、と後悔しつつ周囲を伺う。
人気はない。背中側は塀になっているし、周りは囲まれている。
純粋な腕力じゃ敵わないのは、ぱっつんぱっつんに膨れ上がった上腕二頭筋を見れば分かる。
早速池貝医院のお世話になりそうだ。はは、まだ行ってなかったし丁度いいかな……。
「今更だが、名前を聞こうか。俺はカイトだ」
「知ってます。僕は一条楓です」
「楓か、いい名前だ」
「どうも」
「だが! それと雫さんの護衛を任せられるかとは話が別だ!」
思ったより明後日の方向から切り込んできたな。
……ていうか、何? 護衛?
「あの、護衛って……?」
「とぼけるなぁああああああああ!」
「いや、純粋に質問をですね……」
「言い訳をするなぁああああああああ!」
「耳って付いてます?」
人の話を聞いて、お願いだから。
ちらっと他の保育士A、B、C(仮)の面々にも目を向けてみたが、どうにも話を聞いてくれそうな雰囲気じゃない。
うんうんとカイトさんの言葉に熱くうなずいている。
「お前が、雫さんの護衛にふさわしい実力を持つかどうか、今ここで! 俺が試してやる!」
「ふさわしくなくていいので解放してください……」
殴られるのかなぁ、と思いつつ、とりあえずぐっと奥歯をかみしめた。
顎が外れるのと、舌を噛むのだけは、とりあえず避けときたい。
その時。
「せんせ、何してんの?」
「――――っ! あ、あきら君!」
上から救いの声が下りてきた。
見上げると、あきら君が塀からひょっこりと顔を出して、不思議そうな目を向けていた。
どうやら、丁度この塀の向こうで遊んでいたらしい。
園庭で遊んでいたら先生たちの声が聞こえ、不思議に思って覗いてみた、と言ったところか。
なんでもいいけど、君はいつもすっごくいい仕事をするね! 将来が楽しみだ!
「実力ーとか、ためすーとか聞こえたけどー?」
「い、いや、これはだね」
「分かった!」
「違うんだ、あきら君!」
しどろもどろに言い訳するカイトさんを完全に無視し、あきら君は興奮気味に言った。
「シューティング・バトル! するんだね!」
◆◆◆
「で、なんですか、これ」
「練習用のボウガンだ。殺傷力は本物に比べればかなり低い。が、使い勝手は本物の狩猟用と変わらん」
「いやそうじゃなくってですね」
「あっちが的だ。青い的は動かない。赤い的はランダムに動く。赤の方が得点は高いが、その分難易度は高い。緑もあるが、尋常じゃない速さだから素人には当てられないと思った方がいい。俺はここ、お前はそこ。お互いに指定の場所から動かず、的に向かってボウガンを打ち続け、制限時間内に多く点を取った方の勝ちだ」
「僕が聞きたいのは、どうしてこうなったのか、っていうことで……」
「そんなのは俺が聞きたい!」
「事の発端はあなたですよね⁈」
シューティング・バトル、という言葉をあきら君が発した瞬間、校庭にいた園児たちがあれよあれよと集まってきた。
どうやらシューティング・バトルは、この時代の娯楽の一つの様で、子供たち、特に男の子に人気があるらしい。
アイ曰く
【楓の時代で言うと、プロ野球とか、プロサッカーを見る感覚に近いのでしょう。ただ、この時代の「ボウガン」の腕前は、狩人としての実力に直結します。狩人は事実上、この世界の人たちの食料供給者ですから、小さい子たちの憧れは更に大きいかと】
なるほど、つまるところボウガンを巧みに扱える人間はカッコ良く、しかも自分たちの食料を持ってきてくれる、街のヒーローってわけだ。
青い的が二十五個に、赤い的が十個。緑の的が五個。
それぞれ校庭に置かれ、十五メートル程離れたところに、僕とカイトさんは立っていた。
弓道が的まで二十八メートル、とかだっけ? それよりは近い訳だけど、それにしたって当たる気が全くしない。
大体、やる側はともかく、見る側は本当に楽しいんだろうか、この競技……。
「ほら、それ使っていいから」
「はぁ、どうも……」
箱に入ったボウガンを手に取ると、ずっしりとした重みが伝わってきた。矢は練習用という事で殺傷能力の低い物が使われるようだけど、それでも人に当たれば普通に怪我をするだろう。
『からんからんと軽快な音を立てて転がったそれを、雫が黙って取り上げる』
『……何、それ?』
【鉄製の矢ですね。形状、材質から判断するに、ボウガン、もしくはクロスボウで打ち出されたものだと思われます】
『当たったら死にます?』
【……分かりませんが、狩猟用にカスタマイズされている様に見受けられます。当たり所が悪ければ、或いは】
……あれもボウガン、だったっけ。ボウガンがこの世界での主要武器なのであれば、凶器からの犯人の特定は難しいか。
まぁそれは一先ず置いておこう。差し迫った問題は、そっちじゃない。
「あの、知ってると思いますけど、僕ボウガンなんて使ったことありませんよ? 正直勝負にならないんじゃないかと……」
ボウガンの構造自体は非常に単純だ。
引き金を引けば、矢が飛んでいく。
一発撃ったら射出部横にある取っ手を手前に引き、矢をセットすればリロードできる。
一応スコープも付いているから、これで照準を合わせるのだろう。
仕組みは分かる。けど、それで使いこなせるようになるなら苦労はしない。動かない青い的にだって当てられるかどうか……。
「それなら大丈夫だ! 俺もボウガンはあまり得意じゃない!」
「そうですか、ならこの勝負はやめにしません?」
「それはできん!」
「なんでですか?」
「なぜなら俺の彼女が見に来てしまったからだ! 戦いを途中で投げるなんてかっこ悪い事はできない!」
えぇぇ……そんな理由? っていうかあなた彼女いるんですか!
それで雫に陶酔してるって、カイトさんも彼女さんも一体どういう心持なんだ……。
園庭には僕とカイトさんのシューティング・バトルを見ようと、保育士さんや園児、そしてその保護者などが集まって、結構な数になっていた。
その中で一人、こっちに向かって手を振っている鮮やかな金髪の女性がいた。カイトさんも手を振り返しているから、きっとあれが彼女さんなのだろう。
「それに、これはこれでお前の実力を試す、いい機会ではあるしな」
「さいですか……」
「数発試し打ちした後に本番行くぞ、何か質問はあるか?」
「いえ、特には」
まぁ、何でもいいか。
さっさと負けて、終わりにしよう。
負けたからといってどうなるわけでもないし、流石にこれくらいギャラリーもいたら、ゲーム後に変に絡まれることもないだろう。
雫と住んでいる、という僕の位置付け上、「ボウガンが死ぬほど下手くそなやつ」みたいな噂は広まってしまうかもしれないけど……別にだからと言って困らない。事実は事実だ。
「あらあらあらぁ?」
試し打ちも適当に流してしまおうとボウガンを構えようとしたその時、聞き覚えのある声が耳に届いた。
「うふふ、なんだかおもしろそうな事になってますねー」
「げっ……雫……」
「あらあら、ごあいさつですね。折角応援しに来てあげたのに」
「嘘つけ……大方仕事帰りに人だかりを見つけて、覗いてみたら僕がいたから、面白がってからかいにきただけだろ」
「あら、私の行動そのままじゃないですか。見てたんですか? やだ、ストーカー?」
「んなわけあるか!」
雫の登場で、周りの人たちは一層盛り上がっていた。黄色い声が飛んでくるたびに、雫はにっこりと笑ってそれに答えた。
こいつ、平気な顔でギャラリー背負ってるな……。魅了の力の事を考えると、こういうの慣れっこなんだろうけど。
「でもまぁ、応援するまでもありませんね……」
「そりゃそうだろ」
「えぇ。端から勝つ気がない人間なんて、応援する気にもなりませんし」
「……」
「気付いてます? 貴方今、目が死んでますよ。死にかけた魚の目と、青空を見ようともしなくなった家畜の目。それを足してドブに漬けたみたいな濁った目の色……。勝とう、良いとこを見せよう、という気概があるだけ、カイトさんの方が応援したくなるというものです」
一体どこから聞いてたんだよ、と思いつつも、僕はそれを口にしない。
言い返せない自分がいた。
別に勝とうなんて思ってない。勝ちたいなんて思ってない。
「きっかけはどうあれ、新しい世界の新しい文化。それに触れる機会を得たのに、挑戦しよう、とりあえずやってみよう。そういう気持ちになれない人って、下らないですよねー」
「……」
そういう感情が沸き上がらなかったという事に、今気づいた。
無意識に制御してしまったのか、それとも元来、こういう事にはあまり関心がないのか……それすらも曖昧だ。
いつもの事だ。
そう思って、流そうとする。
「ふふ、感情制御が行き過ぎて、心まで死んじゃいました? とんだポンコツじゃないですか。私がゴミって言ったの、あながち間違ってないんじゃないですか?」
「……?」
ただ、雫の罵倒に違和感を覚えた。
勿論いつもの通り、慈悲も容赦もない、テトロドトキシンもかくや、って位の毒舌ではあるんだけど……。それにしては、執拗な気がした。
雫の毒舌は、いつも痛烈だけど、同時にあっさりもしている。
一つの事をここまでネチネチと引っ張るのは、見たことがなかった。
「もう……、何か言い返したらどうなんですか? それとも正論過ぎて何も言い返せませんか? 第一――――」
「雫」
「はい?」
「もしかして、心配してくれてる?」
よくそれだけ罵倒を思いつくな、と感心するくらい喋り続けていた雫がぴたりと止まる。
そして数秒後、心底呆れた顔をしてまた話し始めた。
「…………はぁ? 何言ってるんですか? 寝言は寝て言え、なんてありきたりなセリフを吐く日が来るとは思いませんでした。心配? 誰が? 誰を? 自分が心配されるに値する人間だとでも思ってるんですか? そもそも――――」
「……はは」
あぁ、もう。分かりやすく煽りやがって。
気づいてしまえば、彼女の言葉はこれまでに比べるとあまりにも茶番染みていて。
若干赤らんだ雫の顔を見ながら、僕は沸き上がった感情をしっかりとキャッチして、言う。
「ったく……ごちゃごちゃうるさいよ」
「……」
「やるよ、やってやるよ。目をかっぽじってよーく見てろよ? 絶対勝ってやるからな!」
「……あら、そうですか。なら精々頑張ってください」
ぷいっとそっぽを向いた雫の表情は、長い黒髪に隠れて良く見えなかったけど……声のトーンで、なんとなく想像できた。
あの時の話、聞かれてたんだな……。
『勿論自分の意志で感情を動かすことは可能です。ただ……ふっと沸き上がった感情が、勝手に消える事があるんですよ。多分、無意識に消しちゃってるみたいで』
『僕が流されやすく見えたのは、それが原因だと思います。意志とか感情とか、普通にしてたら希薄なんですよ、僕は』
今回もただ流されるままに勝負に乗り、適当な所で負けようと思っていた僕を見て。
原因がどうあれ奮起して、感情を高ぶらせて、勝負して欲しいと思ったのだろうか。
煽って、貶して、怒らせて。その原因を、自分で作ろうと思ったのだろうか。
全く、お節介と言うかなんというか……。意外と人の事、ちゃんと見てるんだな。
「ありがと、雫」
「なんのことやらさっぱり分かりません。まぁ、負けたら散々馬鹿にしてあげますから、そのつもりで」
「ぐっ……」
すっかり元の調子に戻った雫にばっさりと切り捨てられ、僕は潰れたカエルみたいな声を出す。
大見得を切ったものの、勝てる確率は正直かなり低い。
とりあえず試し打ちで出来る限りコツをつかむしかないかな……。
「はぁ……本当に、その頭は飾り物なんですねぇ」
「……?」
「貴方には素晴らしい味方がついてるじゃないですか。……ねぇ、アイさん?」
【その通りです、雫さん】
胸ポケットからアイが答えた。
味方? どういうことだ?
【既に準備は整いました。楓。貴方にその気があるのならば、私のサポートで勝率を引き上げます】
「そ、そんな事できるの?」
【ふふ、お任せください。私のサポート込みで、勝率は五十%近くまで上昇します】
「サポート無しだと?」
【不確定要素も多いですが……まぁ良くて二%ですかね】
あまりにも低すぎて変な笑いが出そうになる。
是非ご指導のほどお願いいたします、と、僕は頭を垂れた。




