短編03 ウサギ娘 (2/4)
二番目です
20130305 タイトル修正
しいなが風邪を引いたと聞き、大学の講義が終わってから真っ先に部屋に行く。
到着すると、おばさんは快く僕を出迎えてくれた。
しいなのようすを聞くと、1時間前に眠ったところだという。
しいなは元々体が弱かったが、ここのところ調子が良く、油断したのだろう。
季節の変わり目で温度調節もしにくいだろうし。
僕はしいなが起きるまで待つ事にした。
看病も久しぶりだ。
しいなの傍にいることをおばさんに伝える。
「あら、悪いわね。
今日はお休みさせて貰おうと思ったけれど、あなたに任せても良い?」
仕事に行くのだろう。
もしくは男か。
僕は多少の複雑な感情を隠し、表面上は快く、承ることにした。
この七年で僕も大人になったものだ。
しいなとみのりの部屋に入る。
二段ベッドの下の段、そこが彼女の場所だ。
近寄って覗き込む。
しいなは寝息を立てていた。
額に冷却シートが貼られいる。
僕は汗で張り付く長い髪を剥がすように書き分け、頬に手のひらを当てた。
熱が手のひら全体に伝わってくる。
かなり高い。
息も熱のせいか荒い。
空の食器が洗い場にあったから、食事も薬もとったのだろう。
やることがなくなってしまったか。
体を拭くのはみのりに任せるとして、今の僕に出来ることは傍にいてあげることだけか。
しいなは孤独を嫌う。
容姿や病弱な体が原因で学校が嫌いになってしまったらしいが、それだけではないのだろう。
そして引き籠もりは寂しがり屋な彼女を余計に不安にさせる。
目が覚めたときに一人だと、きっと彼女は悲しむ。
しいなの学習机から椅子を引き、ベッドの隣に置く。
これに座り、本を読むとしよう。
学校に行かないしいなのために、本は沢山あるから。
どの本にしようかと、部屋を見渡す。
思えばこの部屋にも長い間お世話になっている。
自分ちの自室よりずっと、ここで過ごしている。
二段ベッドが入り、化粧台が消えた。
おばさんと、彼女達は寝室を別にしたのだ。
その経緯も良く覚えている。
僕は記憶を遡るのを辞めた。
読みかけの本をテーブルの上から取る。椅子に座り、栞のあるページを開いて読み始めた。
暫くして。
「ね、せんせ」
横で本を読んでいた僕にしいなが声をかけてくる。
目が覚めてしまったのだろうか。
「なんだい?」
彼女に応えながら本に栞を挟んで閉じる。
髪が一束、頬に張り付いている。
「どこにもいっちゃ、やあよ?」
「大丈夫。ここにいるから」
彼女は昔から、誰かに寄りかかって生きてきた。
だから病気の時は余計にその誰かがいなくなるのが不安なのだろう。
「ずっと、いっしょ、だからね。いっちゃやだよ」
細い腕を伸ばしてくる。
僕は彼女の伸ばされた腕を取り、手を握る。
彼女は腕を引き、僕の手を胸元に寄せた。
目線だけをこちらに向けて。
「せんせ、ずっといっしょだからね」
彼女は目を閉じ、そう言うと、また穏やかな寝息を立て始める。
まだ手は掴まれたままだ。
簡単に振り解けるだろう。
けれど、僕はみのりが帰ってくるまでそのままでいた。
**************************
日が大分傾いてきた頃。
「ただいま」
暫くしてみのりが帰ってきた。
しいなを起こさないよう「おかえり」と大声で応えるのはやめて、みのりが部屋に入ってくるのを待つ。
既におばさんは出て行ったのか、おかえりは聞こえない。
フローリングでやけに響く足音が近づいてくる。
そしてダイニングに繋がるフスマが開いた。
「おかえり」
僕は声を抑えてみのりに言った。みのりは一瞬笑顔を浮かべる。
と、しかし視線を僕の後にやってからその笑顔は崩れてしまう。
「……ただいま。姉さん、寝てるんだ」
何か嫌なことがあったのか、その口調には棘のようなものが感じられた。
わざと大きな足を立てるように乱暴に歩いて、カバンを学習机の横に置く。
「ああ、熱も下がってきたようだし、明日には大分良くなってる」
落ち着いたしいなの顔を見る。
穏やかな寝息を立て、胸を規則正しく上下させる彼女ののど元は汗で濡れていた。
あとでみのりに頼んで体を拭いてあげなくては。
「いつから」
後から声。
何かを抑えるような、抑揚のない声だった。
「みのり?」
僕はみのりの名を呼びながら後を振り返る。
「いつから姉さんと手を繋いでるの?」
「えーと、」
僕は彼女の質問に答えるべく、自分の袖をまくり腕時計を見た。
自身の汗でベルトが濡れてあまり気持ちの良い状態ではない腕時計だ。
文字盤は短い方が4と5の間を指している。
「お昼からずっと、かな」
我ながら安あがりなものだ。
しいなの顔を見つめているだけで時間が瞬く間に過ぎていく。
勉強を教えているときと同じぐらい、早く時間が無くなってしまう。
「そう」
応えるみのりの声は震えていた。
「出てって」
少し前を置いて、みのりは口を開いた。
僕は「え?」と思わず聞き返す。
「私ね、部活やってきて汗掻いてるの。
だから、着替えるから」
「ああ」
そうだった。
彼女は陸上部だ。
女の子に余計な気を使わせてしまったな。
僕はしいなの耳元に口を寄せ、彼女の手を痛めないように優しく手を添える。
「ごめんね、また後で」
そう囁くと、しいなの手は緩む。
僕は繋いだ手を解き、立ち上がった。
視線をしいなに残しつつ体だけ後ろを向き、そのままでも歩けないのでようやく前を向く。
と、目の前にみのりがいつの間にか近づいていた。
頑張っているのだろう。
日焼けした顔が赤く上気している。
僕は歩きだし、彼女の脇を通り過ぎる。
シャワーは浴びてきたのか石鹸の匂いが漂ってきた。
それに混じって汗の臭いも。
何故か恥ずかしくなって歩みを進めようとした。
と、後に引っ張られる感じがして止まる。
後を振り返ると、上着の裾をみのりが掴んでいた。
「みのり?」
僕が名前を呼ぶと、彼女は慌てたように僕の上着を離す。
「いやっ、違うの」
両目に涙の雫を貯めた顔の横で、両手を横に振りなにか言い訳を探すようにした。
彼女は途端に何かに気付いたように泣き出しそうな顔に変え、拳を握りしめる。
「じゃなくて、早く出てって!」
難しい年頃……なのだろう。
僕が高校生だったときの同級生も感情の目まぐるしさは似たようなモノだった。
これ以上みのりの機嫌を損ね、しいなを起こしてしまう訳にはいかない。
僕は早足で部屋からでる。
フスマを閉める前に、「着替えが終わったら呼んで」とみのりに言い、音を立てすぎないようにしめやかに閉めた。
ダイニングはキッチンに隣接した部屋だ。
彼女達やおばさんは家にいるときは大抵この部屋を使っている。
大きなテーブルに椅子は4つ。
1つは僕に用意されたものだ。
僕がこの家で食事をするときの定位置であるキッチンから一番近い場所の椅子を引いて座る。
そういえば僕のカバン、部屋の中に置いてきてしまった。
本も読めないな。
と、布と布を乱暴に擦り合わせるような音が聞こえた。
着替えの衣擦れだろうか。
それにしては音が大きい。
制服を脱いでいるのか。
あとでボタンが外れていないか見ておくべきか。
タンスを乱暴に閉める音。
しいなが目を覚まさないか不安になる。
みのりは学校で何か嫌な事があったんだろうか?
と、いうより、まさか……な。
姉への当てつけか、それとも。
布を大げさに翻したり落としたりする音が続いて、収まった。
「もういいよ!」
みのりが大声で僕を呼ぶ。
フスマを開けて中に入ると、何かが壊れた様子はない。
みのりの制服は丁寧にハンガーに掛けられている。
セーラーの上は洗った方が良いだろうか。
何を騒いでいたのか、と聞こうとして、やめた。
みのりは僕に背を向け、膝を抱えている。
もう何処かに出かけるつもりはないのか、Tシャツにホットパンツという薄着だった。
「どうしたの?」と声を掛けるわけにもいかないだろう。
少しだけ僕は迷って、
「さ、そろそろ勉強しようか。
宿題、出ているんだろう?」
とみのりの背に問いかけた。
すると彼女はのそのそと動き出す。
七年前から、こうやってのっそりと準備するのは悩んでいるときだった。
僕に打ち明けられない悩みの時は、ずっと顔に出さずに思考だけが鈍くなる。
僕は彼女の遅い準備を待ちながら、二段ベッド脇に置きっぱなしのカバンを取り、テーブルの前に座る。
「まずは復習から行こうか」
彼女がテーブルの対面に座ったのを確認し、僕は今日の授業を切り出した。
**************************
みのりが数学の問題を2つ解いた。
7年間のきちんとした予習復習の成果か、今では苦手な分野はなくなっている。
理解してから次に進む、という小学校の恩師の教えに従った結果だ。
もうこの分野は大丈夫だろうと、予習に移ろうとした頃、しいなが目を覚ましたようだ。
無言で体を起こし左右を見る。
「……せんせ?」
しいなは子どもの頃から、身じろいだりせずに素直に起きる子だった。
「おはよう」
僕はしいなに挨拶を返し、立ち上がってベッドに寄る。
「熱はどう?」
ベッドの脇に膝を立て、彼女の首筋に手を当てる。
「あっ……」
みのりが声を漏らした。
……。
しいなの熱は大分引いているらしく、寝起き特有のぬるい体温が伝わってくる。
「せんせ、くすぐったい」
目を細め、自身の首筋に当てた僕の手を取るしいな。
「ずっといてくれたの?」
首の動きだけで頷く。
「大事ないみたいで良かった」
「せんせ、ありがと」
彼女はそう言って僕に抱きつく。
肩の上から腕を回し、僕が離れにくいように絡めるように。
「こらこら」
僕は軽く笑って彼女の頭と背をポンポンと軽く撫でる。
それに気を良くしたのか、しいなも抱きしめる力を強くした。
「せんせ、うれしい?」
しいなが耳元で囁いた。
「ヤな声……」
と、後から、みのりの声。
僕もしいなも思わず身を固くする。
「うぅ」
しいなは腕を解き、僕の両肩を押して僕から離れた。
「みのりちゃん」
しいなはみのりから目を逸らすように俯く。
両手を切なそうに胸元で重ねた。
耳も項垂れている。
僕がみのりの様子をうかがうように後を振り向くと、彼女も口角を下げて僕から顔を逸らした。
同じく耳は項垂れ、黒髪を抑えている。
僕は二人に掛ける言葉を探そうとして少しの間だけ視線を宙に彷徨わせた。
そして、
「二人とも、そろそろお腹空いたろう。
何か作るよ」
と言って立ち上がった。
上手い言葉が見つからなかったのだ。
放置するわけにも行かないが、かといってみのりをどう叱れば良いのか、しいなをどう慰めれば良いのかが分からない。
フスマまで歩いて、開ける。
けれど、二人とも俯いて暗い雰囲気を放っておく事ができずに部屋から出て行けなかった。
ほんの少しだけ、何を言うかもう一度考える。
もやもやした思考が固まりかけ、口を開く。
「二人とも」
そうした途端に、八方美人な答えが見つかった。
何も言わないよりはマシだろうと思い、僕はそれを口にする。
「すこし二人で話し合ってみるといい」
顔だけで振り向いて、みのり、付いてしいなを見た。
変わらず俯いて、立ったままの僕では表情が窺い知ることができない。
僕はそのまま部屋からでて、今日のメニューはどうしようかと思考を切り替えた。
二人には美味しいものを食べて貰いたいから。
**************************
翌日――
携帯電話が喚く音で起こされた。
だんだん大きくなる音によりまどろみから急速に覚醒へと引き上げられる。
僕は体を起こし、目と目の間を摘んで軽く揉みながら空いた片手で音の出所を探り、携帯を取ろうとした。
だが目論見は外れ携帯電話に手が届かない。
頭を振って眠気を吹き飛ばし、改めて携帯電話を視認して手に取った。
ボタンを押してとりあえず音を消し、狭いモニタを見る。
しいなからのメールだ。
件名は書いていない。
昨日、二人が険悪になり、食事を終えて僕が帰る段になっても二人は仲直りしなかった。
二人は何かを話せたのだろうか。
時間こそ昼前と早い時間帯ではないが、メールで連絡を取り合うよう時間ではない。
胸に急な不安が押し寄せ、それを抑えながら僕はボタンを押してメールの内容を見る。
『せんせ
みのり止めて
はやく』
何があった、と考えるより早く僕は立ち上がり、寝間着のまま部屋を飛び出した。
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