短編02 コウモリ娘 中編
思ったより時間が掛かった上にまだ終わりません
勢いで捲し立てて了承を取り付けた。そして僕は部屋の入り口に向けて這おうとする彼女を止める。足を伸ばして座った姿勢の彼女はアレをやるにはちょうどいい。
僕は彼女の横に立ち、彼女の膝の裏と背中に手を添え、持ち上げる。
「きゃっ」
突然の僕の行動に対する物だろうか、彼女は小さく悲鳴を上げた。
日本語では横抱き、お姫さまだっこと呼ばれる抱き方だ。軽い。彼女は、僕でも余裕で持ち上げられるくらい軽く抱き上げられた。骨っぽくて硬い膝の裏とは反対に、背中は凄く柔らかく、温かい。筋肉が凄いのか、右腕が彼女の肉に沈み込み、その奥にある背骨と肋骨の存在を感じた。彼女は上半身に重さが偏っているのか、右腕に掛かる負荷が左腕に比べ大きい。だが、彼女の軽さとぬくもりでいくらでも耐えられそうだ。
顔が近い。黒い瞳が僕をのぞき込み、頬には紅が差している。
「招待するんだ。これくらいは、させてくれよ」
何か言おうとした彼女に、僕は機先を制してお願いした。すると彼女は諦めたのか、目を逸らす。
「ぱんつ、みないでくださいね」
ぱんつ、と効いて一瞬、いや少しの間なんだったかと考え、彼女を頭から下に行くように眺める。軽いけど、骨張っているわけじゃなく、頬はぷにぷにしてそう。赤い布一枚を持ち上げる胸は控えめ。腰は細く、服の脇からも腰の肉は見えずに飛膜が繋がっているのが分かるだけだ。その下、ずいぶんと丈の短いデニム生地のホットパンツがある。おへそこそ見えないけれど、へその下とホットパンツの間の肌が見える。もう少し視線を下にやり、僕は慌てて視線を逸らした。
「ご、ごめん。見ないから。見てないから!」
この位置だと、ホットパンツの裾。彼女の細い足とホットパンツの裾の間から、何か白い物が見えた気がする。それに気付いて、僕は慌てて弁明したのだ。
疑うような視線が痛い。目を半分閉じ、眉間にしわが寄らせ、形の良い唇が一文字に引き締め、じぃっと僕を見つめてくる。そんな彼女に、僕は誤解していたことを気付いた。
いくら不憫な体の構造をしているからといっても、彼女は普通の女の子なんだ。そのメンタルな部分は人間とさほど変わらないのだろう。
「あはは、じゃあ行こうか」
僕はそんなことを思い、笑って誤魔化すことにした。彼女を壁にぶつけないように注意して方向転換。外に向かう。途中でしゃがんで、彼女を抱えたままスーパーのレジ袋を持つ。彼女が軽いので、手の力だけでレジ袋を持ってもさほど問題はないからだ。ただ、重い方を左手で持って置かないと厳しいかも知れない。
彼女の買った分も持っていく理由は単純で、この部屋には冷蔵庫がないのだ。洞窟の涼しい箇所に纏めて置いておく、なんていう保存をしていたため冷蔵庫の必要性を知らなかったらしい。お陰でそのあたりも含めて説得の材料にできた。つまり、冷蔵庫を買うまで僕の家で保存するよ、と。我ながらいい閃きだ。
僕は靴を履き、ドアの前に立つ。僕に抱えられたままの彼女がノブを親指と人差し指で捻り、そのまま押してドアを開ける。
手がふさがっているのでありがたかった。察してくれたのだろう。
「ありがとう」
「どういたしまして」
軽く微笑んで彼女は答えた。自然と僕の頬も緩んでくる。
ドアの外まで歩いて出てると、彼女はドアを閉める。ホットパンツの尻ポケットから彼女は部屋の鍵を取りだし、鍵穴に差し込んで捻った。かるい音がして、鍵が閉まる。
「そろそろ、降ろしてくれませんか?」
彼女は軽く頬を染める。僕はもう少しこのままがよかった。少し、名残惜しいけど、彼女を降ろす。
「外に言ったら呼ぶから、ここでまってて」
そう言って、僕はこれから降りる五階分の階段を思い出し、少しだけ気分が暗くなった。
階段を下りる間、嫌な考えが浮かぶ。今日は良い。けれど、この先ずっと助け続けるなんで出来ないからだ。僕も大学があるし、彼女にも生活はある。ずっと一緒に、か。
そういっや後悔と、いやこれでいいんだという考えがグルグル渦巻く。
気付いた時には階段を下りきっていた。少しだけ息を整えながら歩き、彼女の部屋の前が見えるところまで歩く。そして彼女に向けて手を振った。
彼女は廊下の手すりに手を掛けると、両腕の力で体を持ち上げて手すりの上に足を載せる。翼を広げ、ジャンプするように飛び立った。2.3回羽ばたいてゆっくりと僕の前に降り立つ。
「それじゃあ、先導お願いしますね」
彼女は僕が歩く後を飛んで追いかけるらしい。そこで僕はふと自宅を思い出す。一軒家だ。割と古くからある家で、埋め立て地が出来る前は海まで徒歩3分。庭はそこそこ広いが、松が何本も植わっている。いや、重要なのはそこではない。
庭から見上げた光景を思い出す。かなり大きい樹木で空が狭かった気がする。そもそも彼女が飛び立てるスペースはあるのだろうか。電線や電柱の問題もある。お客様を畑や他所の駐車場に立たせるわけにもいくまい。
「あ、それがね」
そうだ。ずっと一緒にいることは出来ないけれど、家に泊めるならともいう考えもダメなんだ。
「その、もしかしたら君が直接着地できるスペースがないかも知れないんだ」
「ふぇ?」
彼女は小首を傾げて、疑問がそのまま口から出たような声を出した。着地して、両腕が畳み掛けのまま。
「だからね」
全く。僕は何処まで馬鹿なんだろうか。それとも彼女をからかいたかったのか。分からないけれど、引っ込みが付かないことは確か。だから、僕は提案するしか無いのだろう。
「その、君を抱っこしたまま連れて行かなきゃいけないみたいなんだ」
少し恥ずかしい思いをしながら家の前まで来た。帰宅しながら家の近くで彼女が降りれそうなところを探したけれど、やっぱりなかった。流石に車道に降りるのは危ないだろうし。
「ここだよ」
彼女を抱えたまま門を通る。門、とは言っても門柱と、伸縮する鉄柵のような門扉で構成された簡素なものだ。その門扉も、車の出入りを考えて開けっ放しにしてある。鍵を掛けるところなんか、さび付いて用途を成すのかすら謎だ。
庭に入る。園芸趣味による花壇や樹木が並んでいる。歩くだけならいいが、彼女の離着陸には辛いかも知れない。出来るとすれば車庫の上か。そこそこに広いが、資産家というわけでもなく、ご先祖が田舎だったころから住んでいるだけだ。
「もう少し木が少なかったら良かったんだけどね」
彼女の顔を見ると、少し表情が硬い。
「い、いえ。その、私こそ手間をお掛けしまして」
「いや、僕が無理を言って来て貰ったんだ。これくらいの手間、分けないよ」
僕のわがままが半分、なのだ。彼女にとって不便ではあるけれど、不快な思いはさせたくない。
そんな事を思いながら玄関の前に立つ。しまった。両手がふさがっているだけならまだしも、彼女を抱えたままでは扉、開けられるかな。と思案する僕の顔が見えたのか、彼女が腕を伸ばして戸に手を掛ける。
「こういう扉なら、私も簡単に開けられるんですけどね」
はにかみながら人差し指を戸の格子に掛けて押すように開けた。なるほど、彼女の故郷でも使われているのかも知れない。開き戸だと苦労してたからな。
彼女の頭や足を戸にぶつけないよう、体勢を工夫して中に入る。
「ただいま」
「お、お邪魔?」
語尾を上げる疑問系。そしてお邪魔で止めるのだろう。聴いたら、こういう時に使う言葉がうろ覚えなのだそうだ。忘れていた。彼女は亜人であると同時に外国人でもあるのだった。
「お邪魔します、でいいんだよ」
「お邪魔します……ですね、ありがとうございます」
彼女の笑顔が本当に可愛い。お礼を言われながらだと更にひとしおだと思う。
彼女を玄関の土間と廊下の間にある段差に立たせ、その横にレジ袋を二つ置いて、僕は靴を脱ぐ。
「ちょっと待ってね。タオル、取ってくるから」
彼女は靴を履かず、素足で地面に立っていたのだ。濡れタオルで足を拭くぐらいはしておかなくては。これは道中すでに説明しており、了承済みだ。
「はい、お願いします」
彼女の声を横から聞きながら、靴を脱いで段差に上がり、靴を揃える。
「帰ってきたのか」
後から声が掛かってくる。良く聴く、というか毎日聴く声だ。
「あ、お邪魔してます」
「ああ、父さん」
彼女が僕に先んじて父さんに挨拶をし、続けて僕も振り向いてただいまを言おうとした。
「誰かいるうわぁッ!」
だが僕が後を向ききる前に父さんは応接間の入り口から身を隠すように隠れる。
「お、お前が誰か連れてくるのは珍しいな!」
かなり焦っているようで、口調が荒く、声も大きい。まさかと思い、応接間から父さんの様子を伺うと、案の定くつろぎモードのTシャツにパンツだけ、という格好だった。
「しかも可愛い女の子じゃないか」
壁の影から頭を出して彼女を見、少し表情が険しくなる。
「その、なんだ。反対はしないが、亜人を連れてくるとは思わなかったからビックリした」
思えば女の子を連れてくるのは初めてだった。初めてで亜人なのは何かと難易度が高かったのかも知れない。
「さ、上がって貰いなさい。私は着替えてくる」
精一杯見栄を張ったセリフを言いながら父さんは部屋の奥の方に駆けていく。寝室のタンスに服を取りにいったのだろう。
「あー、アレが僕の父さん。君のことはあとで紹介するよ」
「はい、ありがとうございます」
「それじゃあ、ちょっと待ってね」
廊下を僕は早足で歩き、お風呂場に行く。棚からタオルを一枚取り、洗面台で蛇口のレバーを押して水を出してタオルを濡らし、きつく絞れば濡れタオルの完成だ。足早に彼女の所に戻る。
「お待たせ」
彼女は笑顔で返してくれた。
僕は彼女の横にしゃがみ、「ちょっと失礼」と彼女の足を掴む。
「えっ?」
細く骨張っているように見えていたが、意外にも柔らかく、肉が多い。しかし余計に骨の軽さを感じてしまい、力を緩める。強く握ったら簡単に折れてしまいそうだった。
「足、曲げて貰えるかな?」
「あの、ちょっと」
と言って足を優しく掴む手を上に上げると、彼女が足を曲げる力もありゆっくりと持ち上がる。足が浮いて足の裏が床から離れたところで、彼女の足を塗れタオルで拭く。アスファルトの上だったからか、余り汚れていない。
「ひゃ」
彼女が裏返ったような声を上げた。
素足が基本だからか指の付け根の当たりは皮が厚く多少硬くなっている。土踏まず……と呼べるかどうか分からないが足の裏の真ん中辺りは柔らかくしっとりとした足だ。しっかりと太く長い指は脚そのものより強そうですらある。指と指の間を塗れタオルに絡めた指でなぞり、拭う度に上擦った耐えるような声が上から降り注いだ。
「ひぅ、あ、あのひゅぅ!」
足を拭きながら彼女の顔を見上げると、目を瞑って震えている。くすぐったいのを我慢しているのだろうか。
爪の裏側も拭く。先端に行くほど内側に湾曲した爪は太く分厚く、長い。先は床を木津付けるのを防ぐために丸めた上でゴムを被せている。この爪を天井に張り巡らした棒に引っ掛ける事で長時間疲れずにぶら下がることが出来るのだという。勿論、指を曲げてしっかり握る事もあるらしい。
もう片方の足も同じように持ち上げて拭く。拭き終わった後に彼女の表情を伺うと、少し涙目に潤んでいた。そんなにくすぐったかったのだろうか。
「あ、ありがとうございます。じ、自分でできましたのに」
言われて気付く。彼女、手より足の方が器用だと聞いていた。ということは自分で拭けたのだろうか。本人もそう言っているし、余計なことをしてしまったのかも知れない。
「あ、その、気付かなくてごめん」
思わず謝罪が出た。
「あ、いえ、その、いいんです、人に拭いて貰うの、初めてで気持ちよかったし」
「え!?」
「い、いえ、違うんです! その……」
そのあとは良く分からなかった。
「あ、すいません。上手く言えなくて、その、故郷の言葉が」
故郷の言葉、そういえば彼女はどこから来たのだろうか。なぜこの街に。僕は彼女の頬の赤い顔を見て、疑問を心にしまう。
「じゃあ、中に案内するよ」
僕は彼女を両腕で抱える。疑問は後でいくらでも。折角のお客様を玄関で待たせるわけにはいかない。
彼女を抱え、応接間に連れて行こうと入りかけて、僕は後から父親に名前を呼ばれた。
「その子をリビングに通しなさい」
彼女を壁にぶつけないように注意して後に向き直ると、ポロシャツとチノパンを着た父さんが立っていた。ズボンは膝の辺りにサイズ表記のシールが貼ってあるままだ。たしか去年買ったやつだったと思う。
「どうせなら食事もしていくといい。今日は鍋だ」
そういって父さんは玄関の段差においてあるままのレジ袋に歩み寄り、中を覗く。
「ブロック肉とフルーツ……?」
「あ、それは」
彼女のだ。一応、シリアルも入ってたと思う。僕はそれは彼女のだと言って、彼女を連れてきた経緯を話した。抱えたままなのは彼女に悪いので、居間に入りつつだ。彼女の部屋に入った当たりで彼女を座椅子に座らせてこたつに入れた。そのまま、家に至る経緯を話す。
父さんは父さんでレジ袋の中の食材を、リビングに併設のキッチンにある台所に入れながら聴いていたようだ。
「そうか。それは苦労したね」
と父さんは彼女にお茶の入った湯飲みを彼女の前に置いて言った。
「いえ、目標がありますから、このくらい」
彼女は湯飲みを両手の人差し指と親指で抱えるように掴む。お茶に口を付け、何かをあちちみたいに言って離した。
「日本語も、夢のために覚えましたし。勉強だって、生活だって辛くありません」
もう一度、今度はお茶の水面に息を吹いて少し覚ましてから口に含む。こくり、と細い喉が鳴り、ふぅ、と彼女はため息を吐いた。
「嘘です。本当は少しだけ、不便です」
そして彼女は俯き加減でお茶を見つめ、動かない。
彼女の弱音を初めて聴いた。彼女とは沢山離したけれど、辛いとか大変だとか、そういう弱音は言わなかった。熱いお茶が、容易く彼女の心を溶かして辛いことを言わせたのだろうか。僕は今までよりももっと、彼女の側にいてあげたくなった。
「よし、買い物行ってくる。鍋の材料だ」
このタイミングで父さんはそんなことを言い出した。何を急に、と思ったがそういえば今日買った食材で鍋をするには少し物足りない気がする。だからだろうか。
リビングから飛び出した父さんは僕の名前を呼び、「私が帰ってくるまでおもてなしして上げなさい」と行って家を出ていった。




