短編02 コウモリ娘 前編
前後編です。
あ、今回は長めです。
彼女と出会えたのは、一言で言えば奇跡だ。
いつも親父が行く買い物に、僕が頼まれて行った。それが彼女がこの街に来た日だった。そもそも彼女があの大学を選んで、この街に部屋を借りた。他にも色々要因はある。それらを全部まとめて、「奇跡」と僕は思っている。
偶然? その偶然を奇跡と呼ぶんだ。
***
近所にあるスーパー。品揃えがそこそこでそこそこに安い、どこにでもある普通のスーパーだ。その入り口でその子は途方に暮れていた。
彼女は視線を向け数秒だけ意識させる十分な容姿をしていた。確かに亜人が人と混じって生活するようになって暫く経っている。この街の郊外には亜人用の、体の大きな亜人に合わせて部屋が大きく作ってあるマンションが建っているし、最近よく見かけるようになっていた。
そう、亜人だ。亜人がいたらとりあえず視線が行くけど、すぐに興味を無くす程度にはな
れている。
最初は、黒いコートを着ているのかと思った。春とはいえ、珍しくない服装だ。コートの上に着ているのは赤い布が首から下に垂れ、腰の辺りで両側で前の布から伸びた紐と結んである。髪からはみ出た耳は大きい。
亜人か、と興味をなくし視線を逸らし、すぐに思い返して彼女を見直す。コートの上に何かを着るのはおかしい。
よくよく見て見ると、自分の見間違いだったということはすぐに分かる。コートだと思っていたのは彼女の腕から伸びた膜のようなものだった。改めて全身を観察すると、彼女の脚の細さに驚く。まともに歩けるのだろうかとつい考えてしまう。更に裸足だ。足首から先は大きく、人間用の靴はとてもじゃないが入らないだろうからさほど不思議でもないか。全体の雰囲気はコウモリに似ている。コウモリ系の獣人なのだろう。
そういえば僕は買い物に来ているのだ。さっさと済ませるとしよう。彼女から視線を逸らし、入り口に向かう。解放されている入り口をくぐり、エントランス脇に詰まれた籠を手にとる。
ふと気になって先ほどの彼女を見ると、こちらに顔を向けていた。どことなく哀しそうだ。ただ、視線が少し上だ。彼女の視線につられ、僕も上を見る。入り口の枠の上部分だ。
改めて彼女を見る。じろじろ見るのは亜人だろうが人間だろうが失礼なことは承知の上で、彼女を見る。手が異様に長く、腕から生えた膜、コウモリ。そこまで考えて気付く。もしかして、歩けないのだろうか。手を自分の肩に置いて、自分を小さく見せているようにも見える。
僕は籠を持ったままスーパーの入り口から出て、彼女の前に立つ。小さくて、細い体だ。空を飛べる亜人は共通して小柄で、細い。つまり、彼女もそうなのだろう。しかし、予想外に可愛い。不安げに潤む瞳に、吸い込まれそうだ。小柄で大きく丸い目が愛らしい。可憐、という言葉がよく似合う。
「あ、あの」
僕が話かける前に、彼女から声。高い。こういうのを鈴のような声、と言うのだろう。
「私に何か?」
男に目の前に立たれて不安、なのかもしれない。僕は彼女の不安を解くために努めて優しい声で話しかけることにした。
「な、なにかお困りで」
しまった。どもった。あと声が裏返った。可愛い女の子の前はやっぱり緊張する。僕はすこし咳払いをして、言い直す。
「何かお困りですか」
変に思われないかなという考えは彼女の表情で杞憂になった。
「助けてくれるのですか?」
僕の顔をまっすぐ見つめて嬉しそうだ。期待を込めた声の調子は強い。丸い目の中、黒い瞳に吸い込まれてしまいそう。
「あ、あぁ」
その勢いと瞳で思わず一歩引いてしまう。
前から見ると、彼女が着ている赤い服は腰までの貫頭衣で、腰の辺りを紐で結んでいることが分かった。貫頭衣の理由は、その腕から生えた膜が腰のすぐ上まで体にくっついているからだろう。これでは普通の衣服は着られないではないか。
「その、私歩けないんです」
僕の返答に彼女は恥ずかしそうに言った。
「飛べるし、故郷では不便じゃなかったんですけど、その、入り口が狭くて」
右肩に置いていた右手を、彼女は手の平をこちらに見せるように広げる。彼女の手の平は人差し指まで普通の人間と同じだ。人差し指の半ばから中指に向けて膜が貼られ、そして中指から先はコウモリの翼のようになっている。翼の先は僕より高く、首が痛くなるくらい見上げないと先端が見えない。横はこれまた広い。僕が横に腕をまっすぐ伸ばしたくらいと同じかそれ以上。全部広げたらどれほど場所を取るのだろうか。これが人の大きさで羽ばたいて空を飛ぶのに必要な大きさなのだろう。
「飛んで入るのは、無理みたいだね」
どう言えば良いのか悩んだ挙げ句、状況からすぐに分かることを言ってしまう。彼女は僕の言葉を受けて哀しそうに顔を伏せる。
「そうなんです。空からお店探したんですけど、私が入れそうなお店がなくて」
彼女は翼をたたみ、人差し指を引っ掛けるように肩に手を置いた。
たしか商店街には店に入らなくても買えるお店があったはず。いや、あそこはアーケードで空からは分からないか。そもそもアーケードのある商店街であんな大きな翼広げたら、他の買い物客の迷惑になってしまうだろう。
「それで、途方に暮れてたんです」
やっぱり、僕も男なのだろう。下心がないわけでもない。けれど、可愛い女の子が困っている。これで助けなくては、男が廃るってものだ。
「ちょっと待ってて」
僕はそう言ってスーパーの入り口に向かう。目的の物は入ってすぐ、カゴの山の反対側。ショッピングカートだ。上のカゴにスーパー所定の買い物カゴを入れ、下の段にもカゴを置けるオーソドックスなもの。
僕は一台引き出し、下の段に持っていたカゴを置く。そして入り口から出て、彼女の前に立つ。
「お待たせ」
彼女の顔が明るくなる。その笑顔だけでも嬉しいのは男の哀しい性だろうか。
僕は上のカゴに、シャツを脱いで敷いた。彼女の足は裸足が土足なのだろうから、そのままというのは気が引ける。
「さ、これに乗って」
一時限りの親切なのかもしれない。けれどなにもしないよりはマシに違いない。
カートに乗れと言われ戸惑ったのか、少しだけ悩むように俯いて、
「え、その、ありがとうございます」
それから僕に顔を向けてお礼を言ってくれた。
彼女は翼を広げ、羽ばたいた。巻き起こる風が土埃を巻き起こす。僕の体に当たる風はもう少し強ければ痛みを感じていたかも知れないほど強い。
彼女が羽ばたく度に、ふわり、ふわり、と彼女の体が浮き上がる。時折足が動くのはバランスを取っているからだろうか。彼女はカートの上に移動すると、シャツが敷かれたカゴに、体育座りで座った。彼女の翼の膜がカートからはみ出て垂れ下がっている。
そういえば彼女の分のカゴはどうしよう。いや、彼女に持っててもらえば良いか。
「じゃあいくよ」
正しい使い方ではないだろうが、お店の人には説明すれば分かってくれる、と思う。
お店の人にも納得してもらえ、無事に買い物が出来た。彼女が買うのが安い肉とフルーツに偏っているのが気になる。種族的な食べられるものがあるのかと思ったが、どうやら違うようだ。
彼女の種族、つまりコウモリ人は主食になるものの調理が難しいので食べることは可能だがあまり食べないそうだ。たしかに翼に付いた2本の手や足では調理しにくいのだろう。それで、そのまま食べられるフルーツや焼けば食べられる肉を食べる事が多いそうだ。
僕は今、彼女に家まで送っていくことを提案し、彼女の分のレジ袋をもって道を歩いている。
彼女はというと、電線より上を飛んでいるのだ。背の高い建物や電線に引っかからないように注意しながら僕が見失わないように低空飛行している。それを見ると、非常に申し訳なく感じてしまう。
もう少し街の中心部、埋め立て地だったところに行くと電線は埋め込み式で飛びやすいらしい。彼女の家もそちらにあるようだ。スーパーからは僕の家と同じ方向だが、既に僕の家を通り過ぎて10分くらい経っている。流石の機動力だなと思う。
歩いていると、電柱がなくなり、電線が建物の中を入った。この施設で電線は地中に埋まっていく。空を飛べる亜人が不自由しないように、という配慮からこの埋め立て地では電線を地下埋め込みにしたらしいが、地震が起きて断線したらどうするのだろうとか思っていた。実際、空を飛べる亜人はあまり引っ越してこなかったらしいし。
けれど、彼女が不自由しないのならこの政策には意味があったのだろう、と勝手なことを考えてしまう。
そんなことを思っていると、彼女が降りてきた。
「お疲れ様です。あのマンションですよ」
彼女は地面に立って翼に付いた人差し指ですぐ近くの5階建てマンションを指さした。開放廊下から見えるドアとドアの感覚からして、もしかしてワンルームマンションだろうか。
「私は先に部屋の前に行ってますね」
と、彼女は羽ばたき、マンション5階まで飛んでいき、上の階と手すりの間から廊下に降り立った。このマンション、エレベーターが付いてないようだ。5階建てでエレベーターが付いていないのは珍しい。……頑張ろう。
5階に辿り着いて、息を整える。なかなか整わない。ゆっくり目に登ってきたとはいえ、流石に5階まで階段を登るのは疲れる。あまり遅くなっても心配させてしまうし、呼吸はまだ辛いけど行くとしよう。
僕は彼女の待つドアの前まで行った。
「あ、お待ちしてました」
朗らかな笑顔が素敵だ。
「待たせ、ちゃった、みたいだね」
呼吸が荒いせいで途切れ途切れに答えてしまう。
「少しの間だけでしたから」
そう言って彼女はショートパンツのポケットから鍵を取りだし、ドアの鍵を開けた。そして鍵をポケットに入れて、ドアを開けて、
「よいしょ」
ドアの上に手を掛け、跳び乗った。締まらないように、ドア枠の上に指を付いていた。半開きのドア。彼女はドアの開く方向に体重を掛ける。と、軽い軋む音を立ててドアが開く。
「あの、何を?」
「え? あ、ドアを開けてます。こうしないと、開かなくて」
完全に開いたのを確認した彼女は腕、というか翼の力だけでドアを乗り越えて内側に。そして着地。
「ふぅ」
息を整える彼女。そうか、歩けないからドアを開けるときに身を引いて避けられないんだ。そして部屋の中に倒れ込む。
「よいしょ」
倒れるときに親指と人差し指をついて衝撃を殺していた。
「ふっ」
息を短く吐き、人差し指に力を込めて体を引き寄せるように這う。玄関の土間と中を仕切る段差のところを過ぎる当たりが凄く痛そうだ。
どう声を掛けていいか悩んでいると、彼女は腕をまた伸ばしながら振り返る。
「あ、どうぞ中にお入りください。荷物を持って頂けるだけで大分楽なんで。よいしょ」
そう言ってまた彼女は這い出す。腕を曲げた時に、腕が長いために肘が狭い廊下の両側の壁にごちと音を立てて当たる。彼女の動きが止まる。
「ど、ドアは、締めて下さいね」
痛みを堪えて誤魔化すような声だった。この部屋、彼女には狭すぎるのではなかろうか。
僕は「あ、あぁ」と曖昧な返事をして、玄関に入る。床にレジ袋を、彼女と自分の分、両方を置いて、靴を脱いて、部屋に上がった。
部屋は狭かった。玄関に入ってすぐ、洗濯機が置いてあり、廊下と台所は同じスペース。内開きのユニットバスらしき部屋のドアは例の開け方をしなくてもいいように開けっ放し。そのせいかそのドアの前は水浸しで、布製の何かを引きずった後なのか、水の跡が奥側に向けて伸びていた。奥にある部屋も、ベッドが部屋の半分以上のスペースを占めている。残ったスペースも未開封のダンボールが置いてあるため狭い。
彼女は体勢を変え、こちらに向かって座っている。足を伸ばしているのは這う体勢から体の向きを転がるように変えたためだろう。そして赤い服の胸の部分には水で濡れた跡がある。恐らくユニットバス前の水浸しだった所を這ったためだろう。
「あ、日本ではお客さまにお茶をお出しするんでしたね。ごめんなさい、お茶もお湯も用意できてないんです」
中指から小指まで折り、親指と人差し指を伸ばし合わせた手で顔を少し隠した彼女が言う。もしかして両手を合わせて謝罪するポーズなのだろうか。むしろ僕がごめんなさいしたくなってきた。
「お夕食……もダメですよね。一緒に買い物してきたとき、色々材料をお買いのようでしたし」
何故、僕はこの子に気遣われているのだろう。むしろ、僕が気遣ってあげなければいけない立場では?
僕は彼女の種族的な不利を笑うつもりも、馬鹿にするつもりもない。けれど、どうしても、不憫と思うこの気持ちは変えられない。
お客さまに対する応対をどうしようかと悩む彼女に歩み寄り、しゃがむ。
「じゃあ、お願いしていいかな」
目の高さを同じにして、僕は彼女に言った。
「え、私に出来ることなら」
人のいい答え。本当に、良い子だと思う。彼女にしてあげられること、他に思い浮かばなかった。だからたった一つの、その日を過ごせるだけのような、最低な提案をしてしまった。
「うちに、こないか?」
つづきます。




