第5話 ヘンリック会戦決着
アンリは眼下に広がる戦いを見ながら、無力感と焦燥感が増していった。自分の作戦がなんとかはまっているようで、トランヴィア王国兵の攻撃を凌いでいる。だが、それはギリギリのもので、何かあれば一瞬で崩壊する危うさを秘めていることをアンリはわかっていた。それをアンリの師であり、軍師のシャルもわかっていた。だが、シャルはこの場を打開できる策が現状ないとも思っていた。
「若、落ち着いてくださいね。必ずチャンスはありますから」
「わかってるよ、先生。レイが戻るまで耐えきって見せる」
アンリは自分に言い聞かせるように言う。アンリは単独で丘を降りたレイの身を案じていた。そして、その指示を出した自分を責めたい気持ちでいっぱいだった。彼はあの状況下でとれる最良の選択なのはわかっていた。そして、レイの腕を疑っているわけでもない。アンリは彼女を自分の身に余る実力の持ち主だとも思っていた。アンリは贔屓目込みで、大陸最強だと思っていた彼女のことを。
(だけど、単独でいかせてよかったのか。誰かをつけるべきだったか、いやだめだ。彼女についていける実力の戦力を割けば、この戦力差をどうにかできない。ああくそ)
アンリは悔しさを感じていた。自分の保有している戦力の少なさを、そして、自分が状況を一気に打開できるような策を思いつけないことにも。
丘の中腹は王国兵と帝国兵が入り乱れていた。王国兵の死体が多いが、帝国兵の死体もあった。そして、その死体はじわじわと増えていった。
「斬っても斬ってもきりがねえ」
ゴ―ヴァンは鬱憤をはらすように大剣を振るう。その後ろから、騎兵が近づく。「後ろ」とガレスの声とともに、その騎兵の腕に矢が突き刺さる。騎兵はうめき声をあげる。ゴ―ヴァンは騎兵に向けて大剣を振るう。騎兵の体は両断される。
「助かったガレス」
ゴ―ヴァンはガレスに向けて感謝の言葉を叫ぶ。ガレスは「次来るよ」とだけ返して、弓を引いていく。そのガレスの後ろに騎兵が近づく。その騎兵は、ガレスのもとに来る前に、ハリスの槍によって絶命する。ハリスはゴ―ヴァンに向けて声をかける。
「ゴ―ヴァン、油断するなよ」
「してないですよ、ちょっと隙をつかれただけです」
ハリスの声かけにゴ―ヴァンは返す。ハリスは「それは油断してるのと変わらん」と叫びながら、近くの兵士に槍を突き刺す。ハリスはすぐに槍を引き抜き、別の兵士に対処しようとする。だが、槍が抜けない。ハリスはまずいと思う。その時、別の兵士がハリスに槍を突き刺そうとする。だが、その兵士はゴ―ヴァンの大剣によって絶命する。
ハリスはなんとか槍を引き抜き、また近くの兵士に突き刺す。ゴ―ヴァンを攻撃しようとした兵士を。
「ハリスさん、さっきなんて言ってました?」
「うるさい、もう一度敵を突破して引くぞ、バカ」
「誰がバカっすか」
ゴ―ヴァンはハリスに向けて声を荒げる。ハリスは聞こえなかったかのように、周囲の味方に指示をだす。ゴ―ヴァンは舌打ちをしながらも、ハリスの指示に従う。彼らはもう何度目かもわからない敵中突破を行い、ダグラスが率いる騎兵とすれ違うのであった。
彼らは敵の突破になんとか成功する。徐々に突破に時間がかかるようになってきた。ハリスはちらりと部下の顔を見る。全員が疲れているのがわかった。そして、自分にも疲労感を感じる。ハリスはあと一回ほど突撃すればもう敵の突破は無理だと感じ取る。だが、ハリスはもう一回の突撃に向けて、兵をまとめはじめる。
「斉射、敵を近づけるな」
ジェラードは弓兵に指示をだす。弓兵たちは指示に従い、矢を放つ。矢の雨で王国兵の足は止まる。だが、ジェラードは徐々に対応されているのがわかっていた。このままでは、敵を止めきれないとも。
「カーラ、指示は任せるぞ」
その声とともにジェラードは持っていた弓を引く。そして、すぐに放つ。ジェラードが放った矢は王国兵の指揮官の脳天に吸い込まれていくかのように突き刺さる。ジェラードは次の矢をつがえる。ジェラードにはもう周りの音はほとんど聞こえていなかった。ただ、ジェラードは矢を放っていく。その矢は、的確に王国兵を一撃で仕留めていく。
「限界が近いな」
ダグラスはつぶやく。自分の体に疲労感をかなり感じていた、年を感じるダグラスであった。そして、自分だけでなくもウェリトン軍全体の限界をダグラスは肌で感じていた。長年の戦の経験が感じ取る、敗北の感触。それをダグラスは感じていた。だが、ダグラスはその感触を感じていないかのように、声を上げ味方を鼓舞する。
「われらウェリトン伯爵家の力を見せろ、ここが正念場じゃ」
誰もが限界を感じていた。その時、彼らは希望を見つけ、声を聞く。
丘を駆け上がる一騎の騎兵。赤い旗をつけた、銀髪の騎兵の姿を、そして彼女から放たれた言葉はウェリトン軍全体にとって希望となる。
「マルドゥク将軍は討ち取った!!!」
その言葉はウェリトン軍、そして彼らと戦う王国軍に一気に伝播する。ウェリトン軍にとっての希望の言葉、王国軍にとっての絶望の言葉が。
その言葉はアンリにも届く。アンリは「よし」と歓喜の声をあげ、拳をつきあげる。この戦いが始まってから初めての笑顔がアンリに浮かぶ。だが、アンリはすぐに気分を切り替える。敵将を討ち取ったといっても、以前自分たちの不利は変わらないからだ。
シャルはニヤリとわらっていた。そして、彼女はアンリに提案する。
「若、全軍突撃しましょう」
「えっ?」
シャルの助言はアンリにとっては驚きであった。敵は浮き足だっているのがわかる、だがこの状況で突撃するのはリスクが高いとアンリは思っていた。
「この機を逃してはいけません。それにもう少しで来るでしょう」
アンリは何が?と問おうとするが、彼は気づく。帝国の増援が到着してもおかしくない頃合いになってきたとアンリは気づいたのであった。
「シャル、僕も前線にでる」
「正直嫌ですが、構いません。だが、無理はしませんように」
シャルは釘を刺すように言う。アンリは「わかってる」と告げる。正直アンリがこの状況で前線にでる必要などない。むしろ出ないほうがいいだろう。だが、アンリはもう耐えきれなかったのだ。自分が何もできずに、ただ仲間が倒れるのを見るのが嫌だった。
「全軍突撃。トランヴィアを一気に粉砕する、続け!!!」
アンリは剣を引き抜き、号令をかけ、馬を走らせる。その場にいる全員がアンリに続く。アンリの号令はウェリトン軍全体にすぐに伝播する。そして、ウェリトン軍全員が王国軍に向かって突撃する。
トランヴィア王国軍全体はマルドゥク将軍戦死の報に動揺していた。そのさなかに、ウェリトン軍の突撃、トランヴィア王国軍は一気に混乱する。逃げ出す兵士も現れてしまう。何度もの突撃を、阻まれたトランヴィア王国軍の士気は下がっていた。
「うろたえるな、数はこちらが上なんだ」
トランヴィア王国軍ルッツは動揺する兵士に声をかける。そして、突撃してくるウェリトンの兵士を斬り伏せていく。ルッツは味方を立て直そうとする。その時、彼の耳に聞き捨てならない言葉が聞こえる。
「ルッツ!退却の指示を出せ」
「マリウス、何言ってる!この程度の突撃、しのぎ切れる」
ルッツはマリウスのほうを見ずに叫ぶ。トランヴィア王国軍が立て直せればいまだにこちらのほうが数は上で、敵は大きく疲弊しているのだから勝てるという確信がルッツにはあった。例え、全体の指揮官のマルドゥク将軍が戦死していても。まだ有利なのはこちらだと思っていた。だが、その有利はもうなくなっていたのを彼は気づいていなかった。
「後ろを見るんだ、ルッツ!!!」
「後ろ!?」
何を言っているんだ?と思いながら、ルッツは後ろを見る。丘の下を。そして、彼は「くそが」とつぶやく。ルッツはこの戦の負けに気づく、気づいてしまった。
丘の下にいるトランヴィア王国軍は東方より現れた帝国軍の攻撃をうけていた。グライス率いる2万の帝国軍の攻撃の前にトランヴィア王国軍はどんどんと崩壊していっていた。
「退却、全軍撤退!!!しんがりは俺が引き受ける。丘を降りろ!!!」
ルッツは退却の指示を出す。ルッツの退却の指示がでるやいなや、トランヴィア王国軍は丘を降りていく。ルッツは迫りくるウェリトンの兵士を斬り伏せていく。
ルッツは悔しさに唇をかんでいた。勝てる戦だった。有利な戦だった。だが、いまや負け戦になっている。ルッツは一人でも多くの兵士が逃げ切れるようにすることしかできないことに悔しさを覚える。そんな彼の前に、一騎の騎兵が現れる。
銀髪の騎兵。レイであった。
ルッツは感じ取る。彼女の強者の気配を、そして、マルドゥク将軍を討ち取ったのが銀髪の女の騎兵であったことも思い出していた。そんなわけない、戦場の混乱の中の噓だと思っていたことを思い出す。そして、それが事実なことに気づく。
「わが名はルッツ・バレナー。貴公はマルドゥク将軍を討ち取ったものだな」
「えっとそうだね、私はレイ」
レイはうなずく。ルッツは自分の死を確信する。マルドゥク将軍を討ち取ったものに自分が勝てるとは思っていない。だが、トランヴィア王国の一貴族としての矜持が彼を奮い立たせる。
「相手にとって不足なし、行くぞ」
ルッツはレイに向かって突撃し、剣を振るう。レイは右手の斧を一振りする。ルッツの腕は剣とともに宙に舞う。ルッツはそのまま何もできずに、レイの左手の槍によって絶命する。レイが槍を体から引き抜くと、ルッツの体は馬から転げ落ちる。レイは何事もなかったかのように、逃げ出す王国兵を追撃する。
その後ろでは、レイについてきていたウェリトン軍の兵士が「ルッツを討ち取った!!!」と声をあげていた。王国軍はその叫びにさらに士気を低下させるのであった。
そして、ウェリトン軍は丘から王国軍を追い落とすことに成功する。丘を降り切ったウェリトン軍は追撃を停止する。なぜなら、彼らの前に現れたのは友軍だったから。
グライス率いる帝国軍であった。グライスはウェリトン軍の兵士の一人に言葉を伝えるとその場をすぐに去っていった。ヘンリック会戦でのアンリ達ウェリトン伯爵軍の戦いは終わった。勝利という形で。
アンリが丘を降りると同時にレイが目の前に現れる。
「レイ。よくやったよ、君のおかげだ」
レイはアンリのもとにすぐ近づき、アンリの服装に血がついているのを見て、慌てた様子で問うてくる。
「怪我?大丈夫?」
「大丈夫、返り血だよ。レイこそけがは?」
レイの服と鎧と馬は血だらけであった。レイはアンリの問いに首を振り、「かすり傷もない」と答える。アンリはほっと息を吐き、「よかった」と言う。
「それでどうするの?」
レイは暗にまだ追撃するの?と問うていた。アンリは首を振る。
「いや、ここまでだ。もう一度戦えば、全滅するよ」
「わかった」
レイはそれだけ言って、黙る。アンリは近くにいるシャルに視線を向ける。
「グライス閣下が『あとは任せて、休んでいろ』と伝えてきたのですから、お言葉に甘えましょう」
「そうだね、シャル。この場で一度立て直そう」
「かしこまりました」
アンリとシャルは部下に指示を出していく。そして、アンリは被害を確認する。正確な被害はここではわからない。だが、ウェリトン軍の半数近くが戦死していた。アンリはそれに大きく胸を痛め、悔しさを大きく感じながらも、表情に出さず冷静に軍を立て直していく。
軍の立て直しがほぼ終わるころ、ダグラスがアンリの前に現れる。
「若、ご無事でなによりです」
「ダグラスこそ無事でよかったよ」
「申し訳ありませんでした」
ダグラスは突如謝罪の言葉を口にする。アンリは首をかしげる。
「いきなりどうした?」
「いや、若を甘く見ていました。若のおかげでわれらは生き残れました」
「そんなことないよ、皆のおかげだ。それにむしろ僕のせいで多くの人が亡くなった」
アンリは唇をかみしめる。アンリの胸中はもっとうまくやれたのではないか?もっといい策があったのではないか?丘を守ることに固執せず退却するべきだったのではないか?と答えのでない問いに占められていた。
「若、初陣で3倍以上の相手を撃退した。十分すぎる戦果です」
「だけど、多くの犠牲をだした」
「若。それを悔やむのであれば、次の戦をお考え下さい。次の戦では、もっと犠牲を減らし、もっと大きな戦果をだせるように。犠牲になったものたちが浮かばれるように」
ダグラスはアンリに語気を強めて伝える。アンリは「そうだね」とうなずく。アンリの心の中が軽くなったわけではない。だが、今はこれだけ考えても仕方がないとアンリは思うのであった。
「大体、シャル貴様は何をしていた?若に偉そうに語っていたが。若の策しか実施してないであろう」
「若の補佐をきちんと行っていましたが」
シャルは首をかしげる。ダグラスはイラついたかのように、語気を強める。
「策を考えるのも貴様の仕事のはずだが」
「若の策は私の教育の賜物です」
「それでは今この場では仕事していないと同じではないか」
「補佐をしていますが」
「そういうことではない」
そのままダグラスとシャルは言い合いを始める。アンリがいつも通りの二人に、どこか安心しながら、このままでは困るなと思い二人を仲裁しようとした瞬間、伝令がその場に現れる。
「トランヴィア王国軍撤退!!!ウェリトン伯爵旗下の軍は体勢を整え次第、カーライル伯爵の軍に合流せよとのことです」
トランヴィア王国軍の撤退。それはアンリにとって、いやシェフィール帝国にとって一つのことを意味する。
「勝ったのか、この戦」
「そういうことです、若。よかったですな」
ダグラスはアンリにやさしく声をかける。アンリはほっと息を吐く。シャルがアンリにそっと声をかける。
「若、やるべきことをやってください」
アンリはやるべきこと?と一瞬疑問に思うが、すぐに何をするべきか気づく。アンリは剣を空に掲げる。
「帝国の勝利だ。勝どきをあげろ!!!」
ウェリトン軍の兵士全員が勝利を喜ぶ声をあげる。アンリの初陣は勝利に終わる。逆境を打ち払い勝利したのだった。
後世の歴史書にヘンリック会戦と呼ばれた戦は終わった。シェフィール帝国の勝利という形で終わった。だが、シェフィール帝国の被害も大きいものであった。シェフィール帝国は参戦兵力8万うちの3万を失った。トランヴィア王国は参戦兵力7万のうちの2万5000を失ったのであった。お互いに大きな犠牲をだしたこの戦は終わった。
そして、この戦の勝利にアンリ・ウェリトンは大きく貢献したのであった。彼の歴史書の登場はこの戦から始まるのであった・・・




