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ローゼベナ戦記  作者: 光井 雪平
第一章 ヘンリック会戦
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第6話 帝国の未来

 時は少しだけさかのぼる。アンリたちウェリトン軍が丘で奮闘していたころ、焦りを隠せていない男がいた。ブレット・ハインツ。シェフィール帝国西方貴族の一人。そして、この戦いにてシェフィール帝国を裏切った男である。


「トランヴィア王国の連中め。何をしているんだ」


 ブレットは丘の戦況を見て舌打ちをする。自分たちは比較的有利に戦闘を進めているが、それでも突破することができないでいた。そのため、ブレットにとっては丘の奪取はすぐにでも成し遂げてほしい状況であった。


「『平原の覇者』が到着したら終わりなんだぞ」


 ブレットの不安は増していく。トランヴィア王国についたのはいいが、これで戦に負けたら自分が生きることが難しくなる。シェフィール帝国には戻れない。トランヴィア王国も戦果を出せなかった裏切り者を置く理由がない。そのため、ブレットに残された道は勝利だけであった。


 ブレットがトランヴィア王国についた理由は至極単純なものである。帝国についたままでは、自分の立場が守れないからである。ブレットは事業が失敗し、その損失を補填するために皇帝への上納金を使ったのである。その上納金もいずれきちんと納めるつもりであった。だが、ブレットはその上納金を取り返すために、事業を起こし失敗したのであった。


 ブレットが困っていたところに来たのが、トランヴィア王国の侵攻とそれと同時にトランヴィア王国からの裏切りの誘いだったのだ。彼は好機と思い、その誘いに乗ったのだ。


 裏切りは途中までうまくいっていた。ミルドラ伯爵に誤った情報を流し、彼を戦死させ、その混乱に乗じて軍を動かし、帝国軍の右翼に大きな打撃を与えた。なのに、現在丘が奪取できず、戦場は膠着状態になりつつあった。ブレットにとってはまずい状況であった。


「ああくそ、あの小僧め」

 

 ブレットは丘の頂上をにらむ。ブレットはアンリのことをほとんど知らない。だが、今彼にとってアンリは憎悪の対象になりつつあった。その時、ブレットは信じがたい情報を手にする。


「東方から部隊が接近中だと?!」

「数は2万ほどです。おそらくですが」


 伝令はそこで言葉を切る。その場にいる誰もが彼の言葉の先を把握する。そして、自分たちの状況がより最悪なものになったことに気づく。『平原の覇者』グライス・カーライル率いる増援の到着だった。


「どうしますか?ブレット様」


 ブレットの副官がブレットに問う。彼は青い顔をし、「早すぎる、おかしい、俺がだまされたのか、どういうことだ」と早口で様々なことをつぶやく。裏切りものの彼らにとってこの戦の敗北は死に直結する。そして、その敗北が迫ってきたのだ。


「トランヴィアに伝令をだせ、増援をよこせとな」


 副官は使い物にならなそうなブレットの代わりに指示を出す。伝令は素早くその場を離れていく。副官は増援を出す余力がトランヴィアにないとは思っていた。だが、今この場で彼にできるのはそれしかなかったのだ。しばらくして、グライス・カーライル率いる帝国軍の増援の到着のほうがその場に届く。副官はブレットをちらりと見る。ブレットは笑っていた。その目の焦点は定まっておらず、正気を保っている顔には見えなかった。


「お前らは戦え」

「ブレット様は?」


 副官がどういうことだ?と思ってすぐに問うが、ブレットは馬を走らせていた。副官はすぐに気づく。彼が逃走しようとしていることに気づく。啞然とするほかなかった。ブレットはその場をすぐに離れていく。副官たちその場にいる全員はしばし啞然とした後、ブレットを追う。そして、彼を捕らえようとする。すべての責任を押し付け、自分たちは生きようと思ったのだ。


 それによって、ブレット率いるハインツ子爵の部隊は混乱していき、軍隊としての統制は崩壊する。そこに帝国軍の突撃が始まる。裏切りものの部隊への攻撃は苛烈を極めるのであった。


 それと同じ頃、トランヴィア王国軍兵士は悪夢を見ている気分であった。勝っている戦のはずであった。たしかに、膠着状態の様相を呈したが、それでも時間の問題ではあったはずなのだ。なのに、帝国軍の増援の到着で一気に状況が変わった。今彼は逃げていた。後ろから迫りくる帝国軍から。


「『平原の覇者』が来るぞ。逃げろ!!!」


 誰かが騒いでいる。兵士は恐怖で顔を歪ませながら、逃げていく。この兵士は『平原の覇者』グライス・カーライルのことを知っていた。だが、噂として知っているだけだったのだ。大したことないと思っていた。兵士は自分の判断を呪う。先に逃げた兵と同じくすぐに逃げればよかったと思う。ちらりとグライスを見たその時兵士は『平原の覇者』グライス・カーライルの噂は誇張されたものではないと理解したのだ。


『平原の戦では負けなし』

『彼が一対一で負けたことはない』

『兵士百人が彼一人に殺された』


 ほかにもあった噂が本物だったとその兵士は知った。兵士は逃げる。その背は情けないものであった。


「おいおい。弱すぎるぞ、トランヴィア。俺を楽しませてみろよ!!!」


 グライスは両手の矛を振るい、トランヴィアの兵士を殺しながら笑顔で叫ぶ。彼の馬と矛は返り血で真っ赤になっていた。グライスに挑む兵士は幾人かいた。だが、彼らの勇気は蛮勇となってしまった。グライスの矛に一瞬で命を奪われたのだから。


「閣下、先行しすぎです!!!」


 フィルはグライスに向けて叫ぶ。グライスは声が聞こえないようで、彼の笑いしか帰ってこない。フィルは頭を抱えたい衝動を抱えながら、「ああくそ」と吐き捨てる。


「閣下を追うぞ!!!少しでも落ち着かせる」


 フィルは周りにいる精鋭たちに声をかける。精鋭たちは、フィルに憐れみの視線を一度向けた後うなずき、彼の指示に従うのであった。フィル率いる精鋭はグライスを追う。グライスを落ち着かせるために。グライスをあのままにしておくと、どこまで突っ込むかが分からないからだ。グライスはフィルたちの動きを気にせず突っ込んでいく。


「カーライル閣下の増援によってトランヴィアの左翼は壊滅状態です」


 イーサンとベルダーたち中央部本陣の面々はほっと息を吐く。先ほどまで、右翼の救援をどうするかをもめていたのだが、それが解決されたのだから。


「グライスの到着が早くて助かったな」

「そうですね、殿下」

「ベルダー、一気に敵を粉砕しよう」


 イーサンはベルダーに視線を向ける。ベルダーはうなずき、後方に残していた予備戦力に指示を出す。イーサンはニヤリと笑う。先ほどまで青い顔をしていた彼には血が通ってきたようであった。


 ベルダーはそれをイーサンにバレないように冷めた目で見る。だが、すぐにその目をそらし、右翼の丘の方を向く。そして、内心でアンリに感謝の言葉を送る。


(期待以上、いや、思ってもいない活躍をしてくれたな)


 ベルダーはハインツ子爵の裏切りの動きを知っていた。だが、それを泳がした。シェフィール帝国内部にどれだけの内通者がいるかがわからなかったのだ。だが、ベルダーは内心で泳がしたのは失敗だったかと思っていた。内通者の数が想像を優に超えていた。アンリに嘘を言ったつもりはなかったのだ。ベルダーは右翼のために予備戦力を用意していたのだ。だが、その予備戦力の中に内通者がいたのだ。


(はあ、帝国西方貴族全体を洗いなおさねばならんとは。それに中央もか)


 ベルダーはもう戦の後を考えていた。ベルダーは自分の使える駒を頭の中で確認する。そして、その数が思ったより少ないことに憂鬱になっていくのであった。


(第二皇子派閥は信用ならない。大体この男は凡人だ。そんな派閥にすり寄る必要などあるものか)


 ベルダーは隣のイーサンを内心であざけるような目で見る。彼の帝国への忠誠は本物だ。だからこその『十席』なのだから。本物であるからこそ、ベルダーはイーサンを見極めていたのだ。次期皇帝は近いうちに決める必要がある。それをベルダーは予感していたのだ。


「トランヴィア王国軍撤退開始しました!!!」


 しばらくたってきたその報告はその場に歓喜の声をあげさせる。ベルダーはほっと息を吐く。だが、すぐに「被害を確認しろ、動ける部隊は追撃の用意を」と指示を出していく。その指示を出しながらも、ベルダーはこの後のことについて思案する。


 トランヴィア王国への対処だけでなく、この後の帝国の未来を考えながら。ベルダーの目は目前の勝利ではなく、その先の帝国の未来を見据えていた。


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