第二章74 『新しい風』
庭を渡る風が、フィリアの図面の端を持ち上げた。
彼女が手で押さえると、レオンも反対側へ指を添える。
ルイスは頭上へ目を向けた。
さっき声のした場所では、もう枝も揺れていない。
「どこまで行ったんだろうな」
「道を確かめているんでしょう。少し時間がかかると思います」
フィリアが答えた。
ルイスは向かいの入口を見た。
蔓の下に見える柱と、積もった石。
その先に階段があり、さらに外へ道が続いている。
頭の中でつなげてみたが、どちらへ曲がるのかも、何段上るのかも分からなかった。
しばらくして、通路から足音が近づいてきた。
戻ってきた職員が、庭にいた男へ折り畳んだ紙を渡す。
「外の隊からです。入口の向こうは、上へ抜ける階段で間違いなさそうですね」
ルイスは顔を上げた。
「つながってた?」
「ええ。ただ、途中が埋まっています。こちらから通り抜けるのは、まだ難しいでしょう」
職員は紙を広げた。
簡単な線で、崖と庭の位置が描かれている。その脇から曲がった線が延び、途中に幾つかの印が付いていた。
「階段を上がった先にも、敷石が残っていました。崖に沿って北へ続いているようです」
「北……」
フィリアが自分の図面を回した。
ルイスも隣から覗く。
庭の向こうに描かれた点線が、紙の上で少し長くなった。
「その先は?」
「林の中ですね。沢を越えたところで石が途切れていたので、今日はそこまでです」
「壊れたのか?」
「土に埋まっているだけかもしれません。落ち葉も多かったそうですから」
職員は、報告に書かれた場所を指で示した。
フィリアが位置を書き写す。
ルイスは向かいの入口へ顔を戻した。
ここから出て、階段を上がる。
崖のそばを歩き、林へ入って、沢を越える。
どこへ続くかは分からなくても、さっきより先の景色を想像できた。
「外にも、まだ残ってるんだな」
「建物の周りにも、調べるところがありそうですね」
フィリアが頷いた。
その目は、庭の模様を見ていた時と同じくらい明るかった。
――――――――――
帰りは、来た道を辿った。
空が壁の向こうへ隠れると、ルイスは再び灯具の覆いを開いた。
台の並ぶ部屋を通り、踊り場へ戻る。
階段の壁にあった窪みを見ても、今度は足を止めなかった。代わりに、その先へ伸びる線を目で追った。
途中で石の継ぎ目に入り、見えなくなる。
どこまで続いているのだろう。
フィリアも気づいたらしく、歩きながら壁を見ていた。
上の広間へ戻ると、朝より多くの灯りが揺れていた。
道具を運ぶ者たちが通るのを待ち、三人は回廊へ入った。
「あそこだ」
ルイスが灯具を上げる。
両腕に長い束を載せた人物。
昨日は何の束か分からなかったが、残った先端に、小さな粒のような形が見えた。
フィリアは庭で描いた穂の絵を開いた。
「似ていますね」
「やっぱり、作物だったのかな」
「その可能性が高くなりました」
彼女は記録へ短く書き足した。
ルイスは人物の顔を見上げた。
この人は、どこから運んできたのだろう。
庭の向こうの道かもしれない。街から来た自分たちと、同じ入口を使ったのかもしれない。
少し先に、器を持つ人物がいた。
こちらは、最初に見た時よりも分からないことが増えていた。
何を載せていたのか。
いつ、何のために使い方が変わったのか。
「また来る時、見るところ決まっちゃったな」
ルイスが言うと、フィリアは顔を上げた。
「私も、帰って記録を比べたいです。今日の分だけでも、かなり増えましたから」
「まずは報告だな」
レオンが入口の光へ目を向ける。
「帰ってから忘れる前に、伝えておこう」
「うん!」
三人の足音が、回廊へ重なった。
――――――――――
街へ戻る頃には、通りに並ぶ露店の影が長くなり始めていた。
ルイスはギルドの長机で、フィリアの図面を押さえていた。
職員が報告を書き留める間、彼女は器と台の寸法、それから庭で見つけた模様を順番に説明した。
外の道については、別の調査隊の報告と合わせて確認することになった。
「古い道なら、近くに住んでいる人が知ってたりしない?」
ルイスが尋ねると、職員は筆を止めた。
「北の林の方ですか?」
「うん。沢を越えるって言ってた」
「山裾に集落はありますね。ただ、今回の道を知っているかどうかまでは……」
職員は手元の紙をめくった。
「地元の案内人にも、確認してもらいましょう」
「お願いします」
フィリアが頭を下げる。
報告を終えて外へ出ると、彼女はギルドの扉の前で立ち止まった。
鞄へ記録帳をしまいかけた手が止まっている。
「どうした?」
ルイスが覗き込む。
「近くに暮らしている方のお話も、聞いてみたいと思って」
「道のこと?」
「はい。それに、あの建物を何と呼んでいたのか、とか。今まで、どんなふうに見ていたのかも」
ルイスは街の向こうへ顔を向けた。
自分には、見つかったばかりの遺跡だった。
けれど、近くに住んでいる人なら、冒険者が集まる前から、あの崖や森を見ていたはずだ。
「……そっか。急に全部できたわけじゃないもんな」
「入口が見つかる前から、知っているものがあるかもしれません」
フィリアが頷いた。
レオンは少し考えてから、ルイスへ顔を向ける。
「オリバーなら、近くの村のことも知っているんじゃないか?」
「あ!」
ルイスは顔を上げた。
「聞いてみよう!」
――――――――――
オリバーは、宿の食堂で伝票を数えていた。
卓上には空の杯と、紐でまとめた紙の束がある。
ルイスたちが入ってくると、片手を上げた。
「おう。今日は三人揃ってか」
「聞きたいことがあるんだ!」
「帰ってきて早々、今度はなんだ?」
オリバーは紙を重ね、空いている椅子を示した。
三人が腰を下ろす。
ルイスは中庭と、その外で見つかった道のことを話した。
途中で器の話になり、穂の模様に戻りかけたところで、フィリアが図面を広げた。
「建物の北側に、古い道が残っているそうなんです。こちらの林の先に集落があると聞いたのですが、ご存じですか?」
「山裾の連中だな」
オリバーは図面を見てから頷いた。
「知ってるのか!」
「直接行くことはそう多くねぇが、街じゃ品物を買うぞ。干した薬草とか、木の実の油とかだな」
「商売に来るんですか?」
フィリアが尋ねる。
「ああ。何軒かで荷をまとめてな。ここの市にも来る」
ルイスはフィリアを見た。
彼女もこちらへ顔を向けていた。
「じゃあ、街で会える?」
「来てりゃな。だが、遺跡の話を聞きたいのか?」
「道のこととか、あの辺に何があったのかとか!」
オリバーは少し考えた。
太い指で顎を擦り、窓の外へ目を向ける。
「それなら、まず商店の主人に聞いてみるか。俺より付き合いが長ぇ。荷が来たばかりなら、まだ街にいるかもしれん」
「今から行ける?」
「お前は本当に、思いつくと早ぇな」
オリバーは苦笑しながら、伝票を袋へしまった。
「店へ届けるもんもある。案内してやるよ」
「ありがとう!」
ルイスは椅子から立ち上がった。
フィリアも図面を畳もうとして、一度手を止める。
「あの。急に伺って、ご迷惑にならないでしょうか」
「まずは、話を聞ける相手がいるか確かめるだけだ。向こうにも都合はあるからな」
「……はい」
フィリアは頷き、紙を鞄へ収めた。
その指には、まだ薄く土が残っていた。
ルイスは自分の手も見た。
灯具を持っていた掌と、図面を押さえていた指。
今日はずっと、石と紙を見ていた。
これから会うかもしれないのは、その土地で今も暮らしている人たちだ。
「どんなところに住んでるんだろうな」
「それも聞くつもりか?」
レオンが尋ねる。
「聞けたら! 山のそばなんだろ? 街とは違うもの、見えるのかなって」
「まずは、ご挨拶からですよ」
フィリアが言った。
「分かってる!」
ルイスが答えると、オリバーが立ち上がった。
「よし。話すことは、歩きながら考えとけ」
四人で宿を出る。
通りには、荷を引いて帰る商人たちの姿があった。
木箱の間に、小さな布袋や、束ねた枝が積まれている。
行きに見た時には、ただの売り物だった。
今は、それを集めた場所や、ここまで運んできた人のことが気になった。
ルイスはオリバーの隣へ並んだ。
「なあ、おっさん」
「今度はなんだ?」
「その人たち、どんな言葉で話すんだ?」
「俺たちと同じ言葉も話すぞ。仲間内じゃ、別の言葉を使うこともあるがな」
「へえ……!」
フィリアが隣で顔を上げた。
ルイスと目が合う。
二人とも、聞きたいことが一つ増えたらしかった。




