第二章73 『青空』
通路の先で、灯りが一つ揺れた。
戻ってきた調査隊の男が、職員へ手を上げる。
「真ん中は通れる。右の壁際だけ避けてくれ。上に石が残ってる」
「分かりました」
職員が頷き、ルイスたちへ振り返った。
「見に行きましょう。ただし、印の内側を歩いてください」
「おう!」
ルイスは袋の紐を握り直した。
職員の後へ続き、細い通路を進む。
足元を照らしていた灯具の光が、少しずつ薄くなった。壁の継ぎ目が、灯りを向けなくても見える。
曲がり角の向こうで、草が揺れていた。
ルイスは思わず歩みを速めた。
けれど、先を行く職員の背中を見て、足を緩める。
その向こうに、明るい四角があった。
「……空だ」
入口を抜けた途端、風が髪を持ち上げた。
ルイスは顔を上げた。
高い壁に囲まれた向こうに、青い空が見える。
思っていたより、ずっと上だった。
四方の壁は途中から岩肌へ変わり、その縁から木の枝がせり出している。葉の間を抜けた日差しが、庭の半分を斜めに照らしていた。
下りてきた階段の深さだけ、頭上の空も遠くなっているようだった。
「こんなところに……」
フィリアも入口で立ち止まった。
薄暗い通路から出てきたばかりの瞳を細め、庭を見渡す。
床には石が敷かれていた。
その継ぎ目から草が伸び、中央の低い囲いには、土と枯れ葉が溜まっている。壁際には柱が並んでいたが、その上に屋根は残っていなかった。
レオンが足元を確かめてから、日向へ顔を向けた。
「温かいな」
「さっきまで、ずっと寒かったもんな!」
ルイスは灯具の覆いを閉じた。
手の中の光が消える。
それでも、フィリアの髪の色も、レオンの白い上着も、はっきりと見えた。
「外に出たのに、まだ遺跡の中なんだな」
「中庭のような場所だったのかもしれませんね」
フィリアは頭上を見上げた。
「壁の上の方にも、縁を揃えた石が残っています。全部が崩れて開いたというより、もともと空いていた部分がありそうです」
ルイスもつられて見上げる。
岩肌の下に、横へ長く突き出した石があった。
その端から、小さな草が垂れている。
昔の人も、ここで空を見たのだろうか。
部屋や通路を歩いた後に、この明るさの中へ出てきたのだろうか。
ルイスは大きく息を吸った。
土と草の匂いがした。
――――――――――
庭の中央には、四角い石の囲いがあった。
ルイスは通行できる範囲を確かめ、近くへ寄った。
腰より低い縁の内側に、細い草が密集している。隅では、小さな白い花が咲いていた。
「ここ、畑だったりして」
「植える場所ではあったかもしれません」
フィリアは囲いの外側へ膝をついた。
石に残る模様を、指を触れさせずに目で追う。
「何か彫ってありますね」
ルイスもしゃがんだ。
土の付いた石の表面に、細長い葉が並んでいる。
その間に、丸い粒をつけた穂があった。
「あの器と似てる!」
「ええ」
フィリアは記録帳を開いた。
器の外側にあった模様を探し、石の穂と見比べる。
「粒の並び方も似ています。こちらの方が、大きく残っていますね」
「やっぱり、麦かな」
「上の回廊で、束を運んでいた人も確かめたいです」
彼女の鉛筆が動き始める。
ルイスはその隣で、石の模様を端まで辿った。
穂の先が、欠けた角の向こうへ消えている。
反対側には、両手を広げた小さな人物がいた。
「こっち、人だぞ」
フィリアが顔を寄せた。
人物の足元には、短い線が何本も刻まれている。片手の上にも、丸いものが一つあった。
「何してるんだろうな」
「種をまく姿にも見えますね。ただ、手のところが欠けているので……」
フィリアは言葉を切り、立ち上がった。
囲いの別の面へ目を向ける。
ルイスも一緒に回ろうとしたが、足元の赤い布に気づいて止まった。
その先には、壁から落ちたらしい石が積もっていた。
「向こうは、見えないな」
「今は、こちらから分かるところまでにしましょう」
フィリアは元の場所へ戻り、人物と穂の位置を描き留めた。
ルイスは囲いの中を見た。
今、生えている草は、昔の人が植えたものではないかもしれない。
それでも、土を入れて、何かを育てられる場所が残っている。
「俺、遺跡って、宝を隠す部屋とか、罠とかばっかりあるのかと思ってた」
レオンが隣へ来た。
「ないとは限らないぞ」
「そうだけどさ。こういう庭もあるんだなって」
ルイスは白い花を指さした。
「ここに座って、飯食ってた奴もいたかもしれないだろ?」
「それは、分かる」
レオンは迷わず頷いた。
それから、肩の荷袋を下ろす。
ルイスは彼を見た。
「……今、食べるつもり?」
「休憩には、ちょうどいいと思ってな」
フィリアが記録帳から顔を上げた。
しばらくレオンの袋を見て、それから少し笑う。
「私も、お腹が空いてきました」
「じゃあ、俺も!」
三人は職員に休んでよい場所を聞き、入口近くの平らな石へ腰を下ろした。
――――――――――
レオンの包みから、丸いパンが出てきた。
続いて、干した肉。
その下から、小さな袋に入った豆が現れる。
「まだあるのか?」
「豆は日持ちするからな」
「そういうことじゃなくて」
ルイスは笑い、自分のパンを取り出した。
固くなった端を齧る。
通路の中では気にならなかった空腹が、一口食べると急にはっきりした。
隣のフィリアは膝へ布を敷き、パンを小さく割っていた。
風が吹くと、耳の上の青いリボンが揺れる。
彼女は髪を押さえ、それから閉じた記録帳へ目を落とした。
「飯の時も、気になる?」
ルイスが尋ねると、フィリアは少し恥ずかしそうに笑った。
「忘れないうちに、書いておきたいことがあって」
「何?」
「上の回廊の彫刻です。昨日は、広間へ向かって供え物を運ぶ姿だと考えていましたけど、この庭とも関係があるのかもしれません」
ルイスは中央の囲いを見た。
「収穫したものを、持ってきたとか?」
「はい。作物を育てることや、収穫に関わる場所だった可能性を、もう少し調べたいです」
「庭が見つかったら、上の絵まで変わるんだな」
ルイスはパンを飲み込み、壁の向こうへ顔を向けた。
回廊も広間も、ここからは見えない。
それでも、器や籠を持つ人物の姿は思い出せた。
隣で、レオンが豆の袋を開いた。
ルイスはその手を見た。
袋の口を押さえ、紐を解く。
何でもない動きだったが、今日は指先だけではなく、肘にも目がいった。
「どうした?」
「いや。この前、肩と足も見ろって言われたから」
レオンの手が止まる。
「食事中も練習するのか?」
「そうじゃないって! なんとなく、見ちゃったんだよ」
「なるほど」
レオンは袋を持ち直した。
それから、豆を一粒つまむ。
「では、これは?」
右手が上がった。
ルイスはその肩を見た。
レオンの口へ、豆が入った。
「……食っただけじゃん!」
「ああ。よく見ていたな」
「それは分かるぞ!」
フィリアが吹き出した。
慌てて口元を押さえたが、肩はまだ揺れている。
ルイスも笑いながら、残りのパンへ齧りついた。
風が庭を抜けていく。
遠い木の枝で、鳥が一度だけ鳴いた。
遺跡の中で聞くその声は、街道で聞いた時より、少し不思議だった。
――――――――――
休憩を終えた三人は、庭の入口へ戻った。
職員は近くの柱に図面を広げ、調査隊の男と通路の位置を確かめていた。
フィリアも隣で自分の図面を開く。
台の並んだ部屋。
そこから横へ延びる通路。
その先に、庭の四角を描き足していく。
ルイスは紙と庭を交互に見た。
「その辺に、もう一つ入口があるぞ」
向かいの壁を指さす。
蔓と崩れた石の間に、柱の一部が見えていた。
「ええ。そこは、まだ通れません」
職員が答えた。
「向こうも部屋?」
「今、上から確かめているところです」
「上?」
ルイスは空を見上げた。
職員の指が、庭を囲む岩の縁へ向く。
「外を回ってきた隊がいるんです。ここがどのあたりか、位置を合わせようとしていて」
話している間に、頭上で葉が擦れた。
「おーい!」
声が降ってきた。
ルイスが顔を上げると、木の枝の間から男が一人、こちらを見下ろしていた。
地面へ腹をつけ、崖の縁から顔だけを出している。
「そこ、下りられそうか?」
庭の職員が呼び返した。
「いや。こっちからは無理だ! だが、反対側に石段がある!」
ルイスは向かいの入口を見た。
柱の向こうは暗く、どこへ続くか分からない。
「そこへ、つながってるのか?」
思わず声を上げる。
上の男が手を振った。
「今、回って確かめる! 古い道も残ってるぞ!」
「道?」
「崖に沿って、横へ続いてる!」
男の顔が、葉の向こうへ消えた。
枝が揺れ、細かな影が壁を滑る。
ルイスはフィリアの図面へ目を戻した。
入口は、街から見えた大きなものだけだと思っていた。
けれど、この庭には、別の場所から来る道もあったのかもしれない。
「上の回廊、通らなくても来られたんだな」
「つながっていれば、そうですね」
フィリアは庭の向こうへ点線を描いた。
その先は、まだ空白だった。
レオンが向かいの柱を眺める。
「なら、器を運ぶ人と、作物を運ぶ人で、使う道が違った可能性もあるな」
フィリアの鉛筆が止まった。
彼女は紙へ目を落とし、回廊と庭の間を指で辿る。
「……出入りする場所も、分けて考えた方がよさそうですね」
ルイスは向かいの入口を見た。
草の生えた石の向こうに、誰かが通っていた道がある。
そこを辿れば、この建物の外へ出られるのかもしれない。
そして、昔ここへ来た人々も、その道の先から歩いてきたのだろうか。
「その道、どこまで続いてるんだろうな」
フィリアも顔を上げた。
「確かめたいですね」
返事は、ルイスと同じくらい早かった。
彼女は笑い、まだ何も描かれていない図面の端を覗き込んだ。




