第二章71『宝物』
フィリアの鉛筆が、器の縁をなぞった。
壁画に残る線を描き足し、その隣に、小部屋で見つけた欠片の絵を並べる。
ルイスは灯具を持ったまま、二つを見比べた。
「魔道具って、昔からあったんだな」
「ええ。今とは違う作り方をしていたものもあります」
「じゃあ、これも光ったりしたのかな」
手に持った灯具を少し上げる。
フィリアは壁画へ目を戻した。
「何に使ったかは、まだ分かりません。ただ、器に魔力を入れていたなら、刻まれた線も、そのためのものだった可能性があります」
「模様じゃなくて?」
「はい。魔力を留めたり、決まったところへ流したりするための線かもしれません」
ルイスは石壁の人物を見た。
両手に載せた、浅い器。
食べ物が入っていると思っていた時には、広間へ供え物を運ぶ姿に見えた。けれど、魔力を運んでいると考えると、同じ姿でも気になるところが変わってくる。
「どこへ持っていくんだろうな」
人物の足は、壁画の左へ向いていた。
その先にも色は残っている。だが、壁の途中から大きく剥がれ、衣服らしい線がわずかに続くだけだった。
ルイスは灯りを寄せた。
何か見つからないかと光の向きを変えたが、露出した石の上に、新しい形は浮かばない。
隣で、レオンが壁から一歩離れた。
「この部屋へ運んできたわけではないのか?」
「え?」
「ここに描いてあるからといって、ここで起きたこととは限らないだろう?」
ルイスは顔を上げた。
フィリアが頷く。
「そうですね。別の場所で起きた出来事を、後から描いたのかもしれません」
「そっか……」
ルイスは部屋を見渡した。
絵の続きがあるなら、この先だと思っていた。
けれど、描かれた人々が、本当にこの床を歩いたかどうかも分からないのだ。
「じゃあ、器を置いたところも、別にあるかもしれないんだな」
「はい。広間の台だったのか、それ以外なのか。置ける場所が残っていれば、手掛かりになると思います」
「置ける場所……」
ルイスは、部屋の入口へ顔を向けた。
階段を下りてくる途中に、一つあった。
「踊り場の壁!」
フィリアの鉛筆が止まる。
「丸い窪み、ありましたね」
「そこから線も伸びてた。あれ、器を置くところじゃないか?」
「戻る時に、確かめましょう」
彼女は記録帳の余白へ、小さく書き加えた。
ルイスはもう一度、壁画へ灯りを向ける。
器を運ぶ人物の隣で、槍を持つ人々が身構えていた。
その姿を眺めていると、レオンがぽつりと言った。
「走らずに運べる時間が、あったんだろうか」
ルイスは彼を見た。
レオンの目は、器を支える両腕に向いていた。
「周りが戦っていたなら、ゆっくり歩くのは難しそうだ」
いつもの、荷物の運び方を考える声だった。
けれど、ルイスはすぐには笑えなかった。
こぼさないように持つ人。
その間、後ろへ槍を向けている人。
フィリアが壁を見上げたまま、静かに頷いた。
「……運べるように、守っていたのかもしれませんね」
ルイスは灯具の柄を握り直した。
石壁に残った器が、少し重そうに見えた。
――――――――――
記録を終えて踊り場へ戻ると、下りてきた時より人が増えていた。
通路の前では職員が図面を広げ、補強に使う木材の置き場所を指示している。壁際へ荷物を寄せた冒険者たちが、その話を聞いていた。
「奥へ行けるのは、いつになる?」
「点検が終わってからです。まだ床の下を確認できていない場所があります」
「向こうの隊は入ったんだろ?」
「あちらは調査のためです。皆さんも、今通れる範囲を確認してください」
職員が図面の一部を示す。
ルイスたちは邪魔にならないよう、壁のそばへ寄った。
すぐ近くで、革の帽子を被った男が仲間へ顔を近づけていた。
「下にまだ部屋があるなら、手つかずの物も残ってるはずだ」
「壊れた皿ばっかりじゃなきゃいいがな」
「馬鹿。古代遺物が一つでも出りゃ、そんな皿を拾ってる場合じゃなくなるぞ」
ルイスの足が止まった。
「古代遺物?」
思わず口にすると、男がこちらを向いた。
帽子の下で、片方の眉が上がる。
「知らねぇのか?」
「昔の道具だろ?」
「ただ古いだけじゃねぇ。今の職人にも作れねぇような、不思議な力を持った代物さ。指輪や首飾り、小さな箱でも、とんでもねぇ値が付く」
男は親指と人差し指で、小さな輪を作った。
「こんなもん一つで、大きな家が買えるかもしれねぇんだ」
「そんなに!?」
「能力次第じゃ、それ以上だ」
隣の男も口元を緩めた。
「俺は古代魔法武具の方がいいな。そこらの剣じゃ傷も付かねぇ魔獣を斬れるとか、魔法を防ぐ鎧とかよ」
「売らねぇのか?」
「使うんだよ。強ぇ武具がありゃ、もっと上の依頼を受けられる。高ランクに上がるのも夢じゃねぇだろ」
「扱えればな」
「扱ってみなきゃ分からねぇさ」
二人が笑う。
ルイスは腰の短剣へ手を添えた。
そんな武器が、本当にあるのだろうか。
刃の形は、今のものと同じなのか。魔力を入れる線が、剣にも刻まれているのかもしれない。
隣を見ると、レオンも話を聞いていた。
「気になる?」
「ああ」
「剣があったら、見たいよな!」
「どんな握り方をするものなのか、確かめたい」
「そこからなんだ」
「手に合わなければ、振りにくいだろう?」
ルイスは笑いかけたが、レオンは至って真剣だった。
帽子の男が、フィリアの記録帳へ目を落とす。
「嬢ちゃんは調査か。何か、よさそうな物は見つかったか?」
「加工された器を調べています」
「器?」
「魔道具として使われていた可能性があるんです」
男の目つきが変わった。
「どこにあった?」
「上の小部屋です。ただ、今のところ見つかっているのは欠片で、何ができたのかも――」
「なんだ、欠片か」
男は肩を落とした。
「使える物が出たら教えてくれよ。早い者勝ちって話でもねぇだろうが、他の連中より先に見つけたいからな」
仲間へ顎を向け、図面を見に戻っていく。
フィリアは閉じた記録帳を見下ろした。
ルイスはその顔を覗き込む。
「欠片でも、使い方は分かるかもしれないんだろ?」
「……はい」
「じゃあ、見ようぜ。さっきの窪み!」
フィリアが顔を上げた。
少しだけ口元を緩め、頷く。
「そうですね」
――――――――――
壁の窪みは、階段のすぐ脇にあった。
ルイスが照らすと、丸く削られた奥の石と、その下から延びる細い線が見えた。
フィリアは職員に調べてもよいか尋ね、許可をもらってから近づいた。
「思ったより浅いですね」
壁を横から見る。
窪みの下には、石が少しだけ張り出していた。
ルイスも隣へ回った。
「ここに載せる?」
「そのための出っ張りには見えます。でも、器を置ける形かは、寸法を確かめないと」
フィリアが鞄から細い紐を取り出した。
端を合わせ、窪みの幅と、張り出した部分の奥行きを測っていく。
ルイスは記録帳へ光を向けた。
彼女が器の絵の隣へ数字を書き足す。
「合いそう?」
「欠片から考えた大きさなら、置ける可能性はあります。ただ、器の底が全部残っているわけではないので……」
「他の道具かもしれない?」
「はい」
ルイスは窪みを見た。
丸いところへ丸い器を置く。
それだけなら、ぴったりの答えに思えた。けれど、フィリアはまだ、器だとは書かなかった。
代わりに鉛筆を止め、石の張り出しへ顔を近づける。
「ここ、照らしてもらえますか」
ルイスは灯具を下げた。
石の縁に、細かな筋があった。
一つではない。
上から下へ、短い傷が何本も重なっている。
「何か擦った?」
「そう見えますね」
レオンが横から覗き込んだ。
「置くだけなら、奥へ押す時にも擦れそうだな」
「引っ張り出す時も?」
「ああ。重ければ、少し引きずるかもしれない」
フィリアは傷の向きも描き留めた。
それから、窪みの奥へ灯りを向ける。
石の底に、小さな丸い穴があった。
そこから伸びる溝が、壁の線へつながっている。
ルイスは自分の灯具へ目を落とした。
昨夜、店で使い方を教わった時には、覆いをずらせば光ることにばかり気を取られていた。
この窪みにも、何かを置けば、動き始めるものがあったのだろうか。
「昔は、ここも明るかったのかな」
フィリアが顔を向ける。
「灯りですか?」
「うん。階段、暗いだろ。器から魔力を使って、壁が光ったりしたら面白いなって」
彼女は階段を見下ろし、それから壁の線を目で追った。
「そうですね。ここを通る人には、灯りも必要だったでしょうから」
「今みたいな灯具を持ってたかもしれないがな」
レオンが言った。
「両手で器を持ってたら、灯りは誰が持つんだ?」
「別の人だろう」
「そっか!」
フィリアが笑った。
その笑い声を聞きつけたのか、図面を畳んだ職員が近づいてきた。
「何か分かりましたか?」
「この窪みも、上の器と関係があるかもしれません。まだ、形を比べているところですが」
フィリアが記録を見せる。
職員は紙と壁を見比べ、少し考え込んだ。
「似たものなら、下の部屋にもありましたよ」
三人の顔が上がった。
「同じ窪みですか?」
「壁ではなく、台の方ですが。丸く窪んだ石が、いくつか並んでいました」
ルイスは階段の先へ目を向けた。
一つだけではない。
何かを置く場所が、並んでいる。
「そこ、見に行ける?」
職員は手元の図面を開き直した。
「床の確認は済んでいます。こちらの通路からなら。ただ、奥の出口はまだ通れません」
指先が、新しく描かれた四角い部屋で止まる。
フィリアが二人を見た。
ルイスは頷き、レオンも荷袋を背負い直した。
「案内をお願いできますか?」
「ええ。私もちょうど、そちらへ戻るところです」
職員の後へ続きながら、ルイスは壁の窪みを振り返った。
今は、何も載っていない。
けれど、石の縁には、誰かが物を動かした傷が残っていた。
何を置き、何度取り替えたのだろう。
次の部屋では、その形を、もう少し想像できるかもしれなかった。




