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冒険者はまだ見ぬロマンを求めて  作者: 片山武琉
第一章 魔女と銀の笛

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第一章6 『力を求めて』

 

 ――夜。


 西の森。


 月明かりすら届きにくい、森の奥深く。


 その中に、一軒の古びた建物がひっそりと佇んでいた。


 外から見れば、長い間誰にも使われていない廃屋にしか見えない。


 だが。


 その窓からは、僅かな明かりが漏れていた。


 建物の中。


 一人の女が机へ向かっている。


 肩から背中へ流れる長い黒髪。


 細い身体を包む、古びた黒いローブ。


 透き通るような白い肌。


 整った顔立ち。


 一見すれば、三十代ほどの女性にしか見えない。


 しかし。


 紫がかったその瞳だけは、外見とはどこか釣り合っていなかった。


 長い年月を生きてきた者だけが持つような、深く静かな眼差し。


 首筋から手首にかけては、薄い黒い痕が浮かんでいる。


 まるで血管とは別の何かが、皮膚の下を這っているかのように。


「…………」


 女は机の上へ置かれた紙をめくった。


 西の森周辺の地図。


 いくつもの細かな書き込み。


 そして。


 その中に混じって、一枚だけ古びた地図が置かれている。


 グランベル。


 その名が記された街の地図。


 女の指が、その文字の上で止まった。


「…………」


 ほんの一瞬。


 紫がかった瞳に、冷たいものが宿る。


 けれど。


 すぐに何事もなかったかのように、視線を外した。


 机の隅には。


 小さな瓶が一つ置かれている。


 その中には。


 淡い光を放つ、小さな結晶。


 女は瓶を手に取った。


 光へかざす。


「……まだ」


 静かな声。


「まだ、足りない」


 何が足りないのか。


 その言葉が何を意味するのか。


 答える者はいない。


 女はしばらく結晶を見つめた後。


 ゆっくりと瓶を机へ戻した。


「…………」


 その指先に浮かぶ黒い痕が。


 一瞬だけ。


 脈打つように揺れた。


 女の眉が僅かに動く。


 だが。


 すぐに表情は元へ戻った。


 夜の森。


 風が吹く。


 建物の外。


 木々の間から。


「グルルルル……」


 低い獣の唸り声が響く。


 女は僅かに顔を上げた。


 それから。


 何も言わず、再び机へ視線を戻す。


 窓の外。


 暗闇の中。


 いくつもの黄色く濁った瞳が。


 静かに光っていた。


 ――――――――――


 一方。


 グランベル。


 冒険者ギルドでは、夜になっても何人かの冒険者が残っていた。


「次の依頼は……」


 ルイスは掲示板の前で腕を組んでいた。


「薬草採取……荷物運び……魔獣討伐……」


 貼り出された依頼を一枚ずつ眺めていく。


「どれにしようかなぁ」


 その目は、まだまだ元気そうに輝いていた。


 そのとき。


「ルイスさん」


「ん?」


 受付から声が飛んでくる。


 昼間と同じ受付嬢だった。


「今日はもう休まれた方がいいと思いますよ」


「えー?」


「今日グランベルへ着いたばかりなんですよね?」


「ああ!」


「そのうえ、すぐ調査へ行かれたでしょう?」


「でも俺、まだ元気だぞ!」


 ルイスは両腕を上げてみせる。


「ほら!」


「元気でも休息は必要です」


「そうなのか?」


「そうです」


 受付嬢が苦笑する。


「疲れてから休むのでは遅いんですよ」


「…………」


 ルイスは少し考えた。


「冒険者って、休むのも仕事なのか?」


「無事に帰ってくるためには、大事なことだと思いますよ」


「なるほど……」


 ルイスは掲示板を見る。


 まだ気になる依頼はいくつもある。


「それに」


 受付嬢が続けた。


「明日になれば、新しい依頼が増えているかもしれません」


「……!」


 ルイスの顔が上がる。


「新しい依頼!?」


「はい」


「じゃあ明日また来ればいいんだな!」


「そういうことです」


「よし!」


 あっさり掲示板から離れた。


「今日は寝る!」


「切り替えが早いですね……」


「明日に備えないとな!」


 ルイスは笑った。


「じゃあな!」


「はい。お疲れ様でした」


 ギルドを出る。


 外はすっかり暗くなっていた。


「おお……」


 ルイスが辺りを見回す。


 昼間とは違うグランベル。


 建物には明かりが灯り、酒場からは楽しそうな笑い声が聞こえている。


 仕事を終えた人々。


 今から店へ向かう者。


 夜になっても街は眠っていない。


「夜になると、また違って見えるなぁ」


 歩きながら、楽しそうに辺りを見る。


「これも旅の面白いところだな!」


 そのまましばらく歩き――。


「……あ」


 ルイスが止まった。


「そういえば」


 懐へ手を入れる。


 チャリン。


 指先に触れたのは。


 今日の調査依頼で受け取った、銀貨一枚。


「宿、探さないとな」


 昨日はクライの家へ泊めてもらった。


 だが。


 これからはそうはいかない。


「飯も食わねぇといけねぇし……」


 指を折りながら数える。


「旅の食料もいる」


 さらに。


「武器も欲しい」


 自分の拳を見る。


 今日の調査では戦わずに済んだ。


 街へ来る途中の魔獣も、拳と蹴りでどうにかなった。


 だが。


 これから先も、それで通用するとは限らない。


 手の中の銀貨を見る。


「……これ、全然足りなくね?」


 銀貨一枚。


 銅貨にすれば十枚分。


 宿に泊まって。


 飯を食べて。


 少し食料を買えば。


 ほとんど残らない。


「…………」


 しばらく固まった。


 そして。


「安い宿にしよう!」


 即決だった。


 一軒目。


『一泊 銀貨一枚』


「……高い」


 二軒目。


『一泊 銅貨八枚』


「ここも高いな……」


 三軒目。


『夕食付き 一泊 銀貨一枚』


「飯付き……!」


 一瞬だけ目が輝く。


 だが。


 銀貨を全部使えば、明日の分が何も残らない。


「…………」


 腹を押さえる。


「いや……我慢だ」


 名残惜しそうに店を離れた。


 さらに歩く。


 すると。


「あれ?」


 大通りから少し外れた場所。


 細い路地の先に、小さな建物が見えた。


 古びた木製の看板。


『宿屋 月影亭』


「……」


 ルイスが看板を見る。


 建物を見る。


「安そう」


 迷わず扉を開けた。


 カラン。


 小さな鐘が鳴る。


「いらっしゃい」


 カウンターの奥から、年配の女性が顔を出した。


「一人かい?」


「うん!」


「泊まり?」


「ああ!」


「一泊なら、銅貨五枚だよ」


「……!」


 ルイスが目を輝かせる。


「ここにする!」


「早いねぇ」


「安いから!」


「ははは!」


 女将が楽しそうに笑った。


「じゃあ、先にお代をもらうよ」


「おう!」


 ルイスは銀貨一枚を差し出す。


「これで!」


「はいよ」


 女将は銀貨を受け取り、銅貨五枚を返した。


「お釣りだよ」


「ありがとう!」


 ルイスは銅貨を大事そうに懐へしまう。


 そのとき。


 ――ぐぅぅぅ。


「…………」


「…………」


 ルイスの腹が。


 盛大に鳴った。


 女将がルイスを見る。


 ルイスは少しだけ目を逸らした。


「……腹、減ってるのかい?」


「まぁ……ちょっと」


「ちょっとって音じゃなかったねぇ」


「…………」


 ルイスが気まずそうに腹を押さえる。


「飯は……明日の朝でもいいかなって」


「今夜は食べないつもりかい?」


「そのつもり!」


 女将が眉を下げた。


 改めて。


 目の前の少年を見る。


 まだ若い。


 旅装とはいえ。


 一人で街を歩き。


 財布の中身まで気にしながら宿を探している。


「……あんた、いくつだい?」


「十四!」


「十四……」


 女将が小さく息を吐く。


「まったく」


「?」


「そんな歳で、何を遠慮してるんだか」


「え?」


 女将はカウンターの奥へ向かう。


「ちょうど夕飯が少し余ってる」


「……!」


 ルイスの顔が一気に明るくなる。


「食っていきな」


「いいのか!?」


「ああ」


「でも、金――」


「いらないよ」


「えっ」


「余りものを捨てるくらいなら、腹を空かせた子に食わせた方がいい」


 女将が笑う。


「それだけさ」


「…………」


 ルイスは少しだけ目を丸くする。


 それから。


 深く頭を下げた。


「ありがとう!」


「いいってことよ」


「めちゃくちゃ助かる!」


「元気だねぇ」


「腹減ってたから!」


「それはもう分かったよ」


 女将が笑った。


 ほどなくして。


 小さな食卓に。


 温かなスープ。


 硬めのパン。


 少しの肉と野菜。


 豪華ではない。


 けれど。


「うまそー!」


 ルイスにとっては十分すぎる夕食だった。


「いただきます!」


 一口。


「うまっ!」


「そんな勢いで食べたら喉に詰まるよ」


「大丈夫!」


「大丈夫じゃない子が、みんなそう言うんだよ」


「そうなの?」


「そうだよ」


 ルイスは夢中で食べる。


 女将はその様子を見ながら。


 少しだけ笑っていた。


 ――――――――――


 食事を終え。


 ルイスは鍵を受け取った。


「部屋は二階の一番奥だよ」


「分かった!」


「明日の朝も早いのかい?」


「たぶん!」


「たぶんって……」


「ギルドで新しい依頼見る!」


「冒険者なのかい?」


「ああ!」


 ルイスが胸を張る。


「まだFランクだけどな!」


「そうかい」


 女将が少し目を細める。


「なら、無茶だけはしないようにね」


「分かってる!」


「……本当かねぇ」


「なんでみんな同じ反応するんだよ!」


「ははは!」


 女将の笑い声を背に。


 ルイスは階段を上がった。


 案内された部屋の扉を開ける。


「おお……」


 小さな部屋。


 ベッド。


 机。


 椅子。


 窓。


 豪華なものなど、何一つない。


「……十分!」


 ルイスは荷物を下ろした。


 そのままベッドへ腰を下ろす。


「ふぅ……」


 そこで初めて。


 身体から力が抜けた。


「意外と疲れてたのかもな」


 受付嬢の言っていたことは正しかったらしい。


 ベッドへ仰向けに倒れ込む。


「今日は色々あったなぁ……」


 グランベル。


 冒険者ギルド。


 初めての依頼。


 奇妙な動きをしていた魔獣。


 西の森から街道へ続いていた足跡。


「……西の森」


 身体を起こす。


 窓へ目を向けた。


 街の建物の向こう。


 さらに遠く。


 夜の闇に沈む森が見える。


「何があるんだろうな」


 気になる。


 ものすごく。


 けれど。


 今の自分が、一人で本格的に踏み込むにはまだ早い。


「もっと依頼をやって……」


 自分の手を見る。


「もっと強くなって」


 その先を思い浮かべる。


「いつか絶対、あの森も見に行く!」


 満足そうに笑う。


 そして再びベッドへ倒れ込んだ。


「明日は、どんな冒険が待ってるんだろうな」


 目を閉じる。


「……楽しみだ」


 腹は満たされている。


 身体には、心地よい疲れ。


 やがて。


 静かな寝息が、部屋の中へ響き始めた。


 その頃。


 グランベルから離れた西の森。


 月明かりの届かない森の奥で。


 一人の女が。


 淡い光を放つ小さな結晶を。


 ただ静かに見つめ続けていた。


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