第二章64『遺跡の入口』
翌朝、ルイスが宿の階段を下りると、オリバーは食堂で朝食を取っていた。
昨日、商店の主人に紹介してもらい、どうにか部屋を確保できた宿だった。食堂には他にも冒険者がいて、卓上に広げた地図を覗き込んでいる。
「おう。起きられたか」
「馬鹿にするなよ!俺だって立派な冒険者だぞ!」
「荷物は確認したか?」
「した!」
ルイスは肩に掛けた袋を持ち上げた。
食料、水、縄。それから、昨夜買って、使い方を確かめておいた照明の魔道具。腰には短剣がある。
オリバーは袋を見て、頷いた。
「今日は最初から奥へ行くんじゃねぇぞ」
「入口の近くを調べるって、昨日決めた」
「そうか。誰と行くんだ?」
「レオンとフィリア!」
ルイスは席の横に立ったまま、二人のことを話した。
Cランクの剣士と、遺跡を調べながら旅をしている少女。
剣士の方は剣だけがどうにも苦手らしい、と説明すると、オリバーはパンを持つ手を止めた。
「……そいつ、大丈夫か?」
「避けるのはすっごいうまいんだ。昨日の手合わせでも、一回も当たらなかった」
「ふうん」
「それに、フィリアは古い文字とか分かるんだぞ。地図も自分で描いてた」
「そりゃ頼もしいな」
オリバーは残りのパンを口へ入れ、壁の時計を見た。
「で、集合はいつだ?」
「朝の鐘が鳴ったら!」
「なら、飯食っていけ。腹が減ってちゃ、途中でへばるぞ」
ルイスは空いている椅子へ腰を下ろした。
昨夜も、ベッドへ入ってからしばらく遺跡のことを考えていた。
遠くから見えた大きな入口。その上に彫られていた、まだ何か分からない絵。
今日は、それを間近で見られる。
運ばれてきた朝食を平らげると、ルイスは袋を背負い直した。
「じゃあ、行ってくる!」
「ああ。気をつけろよ」
扉へ向かう背中に、オリバーの声が続く。
「面白いものがあったら、帰ってから聞かせろ!」
ルイスは振り返り、大きく笑った。
「任せろ!」
――――――――――
ギルドの前には、既にレオンが立っていた。
白い上着の上に革の胸当てを着け、腰に剣を下げている。足元には、口をきっちり結んだ荷袋が置かれていた。
「おはよう!」
「ああ。時間どおりだな」
「まだ鐘は鳴ってないぞ」
「俺もそう思っていたところだ」
ルイスが近づくと、レオンは鐘楼へ目を向けた。
その隙に、ルイスは荷袋を見る。
大きさも、中身の詰まり方も、自分の袋とは随分違った。
「それ、何が入ってるんだ?」
「食料と水、それから道具だ」
「……何日分?」
「今日の分だ」
ルイスが顔を上げる。
レオンは当然のように頷いた。
「帰りの分もある」
「俺も帰りの分まで入れてるけど」
「足りなくなったら言ってくれ」
心配している方向が違う気がしたが、レオンの顔は真剣だった。
ルイスは笑いながら荷袋から目を離した。
「ありがとう!」
「おはようございます」
声に振り向くと、フィリアが通りを歩いてきていた。
青いリボンで留めた栗色の髪が、朝の風に揺れている。革鞄の他に小さな背負い袋があり、腰の杖も昨日よりしっかりと紐で留められていた。
「二人とも、早いですね」
「今来たとこ!」
「準備はできている」
レオンが荷袋を持ち上げる。
フィリアの視線が、一度だけその膨らみで止まった。
けれど、何も言わずに二人へ顔を戻す。
「では、出発しましょうか」
ちょうどその時、鐘が鳴った。
通りを歩く人々の頭上へ、澄んだ音が広がっていく。
ルイスは鐘楼を見上げ、それから街の外へ続く道に向き直った。
「よし。行こう!」
三人は、朝の通りを歩き出した。
店先では職人が戸板を外し、露店の男が品物を並べ始めている。昨日は人で埋まっていた道にも、今は馬車の通れる隙間があった。
街を出ると、道の先に同じ方向へ向かう冒険者たちが見えた。
大きな盾を背負う者。荷車を引く者。仲間と話しながら、歩幅を合わせる者。
ルイスもその列の後ろへ続く。
「みんな、今日も宝を探しに行くんだな」
「調査や物資の運搬もありますよ」
フィリアが答えた。
「あの荷車は、昨日ギルドにあったものではありませんか?」
指さされた先を見て、レオンが頷く。
「俺が積んだ箱だな」
「そういえば、レオンはどうして遺跡に来たんだ?」
ルイスが尋ねる。
「宝を探すためだ」
「やっぱり!」
「古い武具が見つかるかもしれないだろう? どんなものか見てみたい」
「剣も?」
「ああ」
レオンは腰の柄へ手を添えた。
「昔の剣士が使っていた剣だ。形も造りも、今のものとは違うかもしれない」
「それ、面白そうだな」
「だろう?」
レオンの声が弾んだ。
フィリアが二人の顔を見て、小さく笑う。
「武具が見つかったら、置かれていた場所も記録させてくださいね」
「ああ。君が調べてから、俺が見る」
「すぐに振らないでくださいよ」
「……分かった」
「今、少し迷いましたよね?」
ルイスが笑うと、レオンは前を向いた。
「手に取るなら、重さくらいは確かめたいだろう」
その気持ちは、ルイスにも少し分かった。
まだ何も見つかっていないのに、三人の話は道具や彫刻、財宝へと広がっていった。
畑を抜け、林へ入る。
木々の間に続く道は、何度も人が通ったのか、踏み固められた土が露出していた。途中では枝が払われ、荷車の轍も残っている。
やがて木々の向こうに、昨日見た崖が現れた。
ルイスは歩く速度を上げかけて、踏みとどまる。
フィリアがその足元を見た。
「走らないんですね」
「近くで見たいけど、三人で来たんだし!」
彼女は少し驚いたように顔を上げ、それから微笑んだ。
レオンも歩幅を合わせる。
林を抜けた途端、視界が開けた。
「……うわ」
ルイスは足を止めた。
目の前に、巨大な石の入口が立っていた。
――――――――――
遠くから見た時は、崖に開いた黒い穴だった。
近くで見ると、まるで違う。
入口の両側には、人が何人も並べそうなほど太い柱があった。表面には葉や蔓のような模様が彫られ、その間を、小さな鳥に似た姿が飛んでいる。
柱の上をつなぐ石にも、同じ模様が続いていた。
ルイスは首を反らした。
「こんなの、どうやって作ったんだ……?」
手を伸ばしても、彫刻の一番下にすら届かない。
昨日、街から見た凹凸の一つ一つが、今は葉や羽の形として見える。
フィリアは入口を見上げたまま、鞄から記録帳を取り出した。
「すごい……」
いつもの説明するような口調ではなかった。
ルイスが振り向くと、彼女の緑色の瞳は柱の模様を追っていた。紙へ目を落とし、すぐにまた顔を上げる。
「この葉の並び、途中で変わっているんですね。上の方は花でしょうか。あの鳥も、左右で向きが……」
鉛筆を動かしながら、小さく呟いている。
ルイスも同じ場所を見上げたが、どこが違うのかはすぐに分からなかった。
「フィリア」
「はい?」
「口、開いてる」
彼女は慌てて唇を閉じた。
レオンが横から柱を見上げる。
「俺も開いていたか?」
「うん」
「そうか」
そう言ったルイスも、次に上を見た時には、また口を開けていた。
入口の前には天幕が並び、道具や木箱が積まれていた。焚き火のそばでは、湯を沸かしている者がいる。
受付代わりの机へ近づくと、ギルドの職員が顔を上げた。
「探索の方ですね。お名前をお願いします」
三人が名乗ると、職員は書類を確かめた。
「ルイスさん、レオンさん、フィリアさん。入口付近の回廊と広間を調査して、今日中の帰還予定ですね」
「はい」
フィリアが答える。
「分かりました。戻られたら、こちらへ一言お願いします」
職員は遺跡の入口へ手を向けた。
「床が傷んでいる場所があります。縄や板で印を付けているので、その先へは入らないでください。新しく危険な場所を見つけた場合も、無理をせず報告をお願いします」
三人は頷き、机を離れた。
ルイスは照明の魔道具を袋から取り出した。
手のひらに収まる金属の灯具で、覆いをずらすと、内側に淡い光が灯る。
フィリアも鞄から灯具を取り出していた。レオンは荷袋の口を開き、食料の包みを押さえながら、その脇に入れていた灯具を引き抜く。
「これ、買っておいてよかったな」
「奥は外の光が届かないでしょうから」
入口に近づくにつれ、足元の土が大きな石板へ変わった。
その端で、フィリアが立ち止まる。
「どうした?」
ルイスが尋ねると、彼女は柱の内側を指さした。
「ここの石、外側と積み方が違います」
蔓や鳥が彫られた柱の内側に、飾りのない石が重ねられていた。
大きさも色も、少し違う。
ルイスは見比べた。
「壊れたから直したとか?」
「そうかもしれません。入口を狭くするように足してあるので、後から変えた可能性もありますね」
フィリアは記録帳へ数行を書き込んだ。
「昔の人も、建てた後で作り直すのか」
「長く使っていれば、直すこともあるでしょうね。用途が変わることもありますし」
ルイスは柱の外側から、内側の石へ目を移した。
一度に全部できた建物だと思っていた。
けれど、その後にも誰かが来て、手を加えている。
遺跡の姿だけでも、ずいぶん長い時間が残っているのかもしれなかった。
「ここに溝があるぞ」
レオンが足元を見て言った。
敷石には、指先ほどの幅の溝が刻まれていた。入口を横切り、その両端は壁際へ続いている。
途中の一か所だけ、石の縁が欠けていた。
ルイスはしゃがみ、その脇に落ちていた小さな欠片を見る。表は土に汚れていたが、割れた面は白っぽかった。
「踏んだら、もっと欠けるかな」
「そこは避けて通りましょう」
フィリアが言い、溝と欠けた場所を簡単に描き留めた。
ルイスは立ち上がり、石板の平らなところへ足を置いた。
レオンが先に入口の影へ入る。
「俺が前を見る。二人は後ろから来てくれ」
「分かった!」
ルイスは灯具を持ち直した。
外の日差しを背に、石の入口をくぐる。
空気が変わった。
朝の風とは違う、ひんやりとした冷たさが頬に触れる。足音が壁に返り、もう一人分の足音のように響いた。
ルイスは思わず声を落とした。
「……中、広いな」
入口の先には、高い天井の回廊が延びていた。
左右には柱が並び、その間の壁に、人物や植物の彫刻が続いている。
レオンが少し先で足を止め、灯具を掲げた。
その光に、壁の一部が淡く浮かぶ。
器を両手で持った人物だった。
「あ!」
ルイスが声を上げる。
フィリアも彼の横へ来た。
「昨日の記録にあった……」
紙の上で見た姿が、石の壁に残っていた。
人物の指は器の縁に添えられ、その下には衣服の襞が細かく彫られている。ところどころ欠けていたが、顔も両腕も確かにそこにあった。
ルイスは近づき、手を伸ばしかけた。
それから、フィリアへ顔を向ける。
「触っても大丈夫?」
「まずは、触らずに見てみましょう。表面が崩れやすくなっているかもしれませんから」
「分かった」
ルイスは手を下ろした。
代わりに、灯具を少し動かす。
光の向きが変わると、器の下に刻まれた線がはっきりした。
「こんなところにも模様がある」
「本当ですね。絵では見えませんでした」
フィリアが記録帳を開いた。
レオンは二人から少し離れ、回廊の先へ視線を向けている。
誰かと一緒に、初めての場所へ入ってきた。
自分が見つけたものを、隣の誰かも見ている。
ルイスは灯りを持ち上げ、石の人物をもう一度眺めた。
「来てよかったな」
フィリアが顔を上げる。
「まだ、入口ですよ?」
「もう面白い!」
レオンが振り返り、笑った。
「なら、奥ではもっと忙しくなりそうだ」
ルイスは回廊の先を見た。
灯りの届かない向こうにも、柱と壁が続いている。
見たいものは、まだいくらでもあった。




