第二章63 『不思議な出会い』
レオンと握手を交わしたルイスは、彼の手をもう一度見た。
指の付け根には硬い皮ができている。先ほど剣を振った時には妙な動きをしていたが、普段から鍛えていることは分かった。
「ルイスは、何を使うんだ?」
レオンに尋ねられ、ルイスは腰へ手を添えた。
「今は短剣!」
「今は?」
「前は剣を使ってたんだけど、なくしちゃってさ」
ルイスは短剣の柄を軽く叩いた。
「旅に出る時にもらった、大事な剣だったんだ。……なくしたって言ったら、怒られるだろうな」
「贈ってくれた人にか?」
「うん。でも、隠しててもしょうがないし、次に会ったらちゃんと話す」
レオンは頷いた。
「それがいい。君が無事なら、まずは安心してくれるだろう」
「だといいけど」
「安心して、それから怒るかもしれないな」
「結局怒られるじゃん!」
「大事な剣だったんだろう?」
真面目な顔で返され、ルイスは困ったように笑った。
「そうなんだよなあ……」
レオンは腰の短剣へ目を向ける。
「短剣なら、近づいて戦うのか?」
「ああ。拳とか蹴りも使うぞ」
「なるほど。遺跡の中なら、長い武器を振れない場所もありそうだな」
「そっか。壁とか天井に当たるかもしれないもんな」
ルイスはそう答えてから、庭の地面へ目を落とした。
木剣が当たった場所には、小さな窪みができている。
「……地面にも」
「そちらは、当てない方がいい」
「レオンが言うのかよ!」
ルイスが笑うと、レオンも窪みを見た。
「当てたから分かることもある」
「そんな真面目に言われても!」
横で話を聞いていたフィリアが、記録帳で口元を隠した。
ルイスは笑いを収め、レオンへ向き直る。
「でも、避けるのはすごかったぞ!」
「そうか」
「相手が振る前に、もう動いてたよな。あれ、どうやって分かるんだ?」
レオンが首を傾げる。
「肩と足を見れば分かるだろう?」
「……分かるの?」
「ああ。踏み込む前には足に力が入るし、振る前には肩が動く」
「それ、そんな簡単じゃないと思うぞ」
「そうなのか?」
今度はレオンが、不思議そうにルイスを見た。
「けど、見えても避けられない時とかあるだろ? 速かったらさ」
「当たる前に動けばいい」
「それが難しいんだって!」
レオンは口を閉じ、少し考え込んだ。
説明の仕方を探しているらしい。片足をわずかに引き、先ほどの手合わせを思い返すように肩を動かす。
「足が動かなければ、避けられないのは確かだな。走ったり、踏み込みを繰り返したりはしている」
「やっぱり、鍛えてるんだな」
「毎日な。だが、相手を見ることまで難しいとは思わなかった」
ルイスは、先ほどの男が剣を振る姿を思い返した。
肩が動いたと言われても、自分が見ていたのは振り下ろされる木剣だった。気づいた時には、レオンはもう横へ動いている。
「俺にもできるかな」
「では、今度一緒にやってみよう。見ながらの方が話しやすい」
「本当? 教えてくれるのか?」
「ああ。剣の振り方以外ならな」
ルイスが吹き出す。
フィリアも、今度は声を漏らして笑った。
レオンは二人を見てから、彼女へ顔を向けた。
「そちらの君は?」
「フィリアです。遺跡の調査を中心に活動しています」
「調査か。古い文字なんかも読めるのか?」
「読めるものもあります。時代や地域で違うので、何でもというわけではありませんけど」
フィリアは胸元で記録帳を抱え直した。
「建物や出土品を調べて、今は分からなくなっていることを確かめるんです」
「なるほど」
レオンは感心したように頷いた。
「では、俺の剣が当たらない理由も、いつか分かるかもしれないな」
「……剣術の専門ではありませんので」
「そうか。それは残念だ」
「遺跡と一緒に調べてもらう気だったのかよ!」
ルイスが笑うと、レオンは少しだけ首を傾げた。
「分からないことを調べると言ったから」
「何でも調べられるわけではないんです」
フィリアはそう答えながらも、頬に小さなくぼみを作って笑った。
「君たちは、もう組んでいるのか?」
レオンが二人を見比べる。
「いや、さっき会ったばっかり」
「街の露店で知り合ったんです」
「そうだったのか。随分と楽しそうに話していたから、旅の仲間かと思った」
「話が面白いんだよ。欠けた石像から、昔のことが分かるかもしれないんだ」
ルイスが言うと、フィリアは少し照れたように記録帳へ目を落とした。
「まだ、調べてみないと分かりませんよ」
「だから、見に行くんだろ?」
「……はい」
その返事を聞き、レオンが口元を上げる。
「だったら、俺も一緒に行こう」
ルイスは顔を上げた。
「レオンも?」
「ああ。探索を共にする相手を探していたところだ」
「他に仲間はいないのか?」
「この街へは一人で来た。奥がどうなっているかも分からないし、一人で入るつもりはない」
レオンはフィリアの記録帳へ視線を向けた。
「君が遺跡を調べている間、周囲を見ている者も必要だろう?」
「そうですね。調査に集中すると、気づくのが遅れることもありますから」
「では、その役目は引き受けよう」
ルイスは頷いた。
剣は当たらない。
けれど、先ほどの手合わせで、一度も相手の攻撃を受けなかったことも確かだった。
「俺も一緒に行きたい!」
「では――」
「あの、続きは落ち着ける場所でしませんか?」
フィリアが庭の出入口を見た。
「ここだと、皆さんの邪魔になりますし」
道具を抱えた冒険者が近づいてきたので、三人は脇へ寄った。
「そうだな。中に机が――」
ルイスが言いかけたところで、腹が鳴った。
三人の間に、短い沈黙が落ちる。
ルイスは自分の腹を押さえた。
「……先に、飯でもいい?」
「私も、まだ食べていません」
フィリアが答えると、レオンが頷いた。
「ちょうどいい。近くに、量の多い店がある」
「本当?」
「ああ。昨日、確かめた」
レオンは迷いなく出口へ向かった。
「案内しよう」
「それは頼りになる!」
「それは、とはなんだ?」
――――――――――
レオンが案内したのは、ギルドから少し歩いたところにある食堂だった。
扉の前には大きな鍋が置かれ、蓋の隙間から湯気が上がっている。焼きたてのパンの匂いに、ルイスの足が速くなった。
三人は窓際の席へ座り、それぞれ食事を頼んだ。
フィリアは水の入った杯を端へ寄せ、机に図面を広げる。
「濡らさないでくださいね」
「分かった」
ルイスは杯を反対側へ動かした。
図面には、ギルドで見たものと同じ広間や通路が描かれている。その脇には、細かな文字が書き込まれていた。
「これ、自分で描いたの?」
「ギルドの記録を写しました。今日の報告も書き足してあります」
フィリアは入口から延びる線を指でなぞった。
「最初は、入口に近い回廊と広間を見たいんです。人物の彫刻が残っているので、まずそこを調べようと思っています」
「奥へは?」
ルイスが尋ねる。
「行きたいです。でも、最初から知らない通路へ入るより、遺跡の造りを確かめておきたいんです」
「造りって、部屋の並びとか?」
「はい。人が出入りしていた場所なのか、物を保管していた場所なのか。それだけでも、探し方が変わりますから」
ルイスは図面を見つめた。
四角い部屋と線だけだったものが、少し違って見えてくる。
誰かが通っていた道。何かを置いていた部屋。
そこに残っているものを見れば、昔の姿を想像できるかもしれない。
「じゃあ、まずはそこからだな!」
フィリアの指が止まった。
「いいんですか?」
「何が?」
「宝物庫を探しに、奥へ行きたいのかと思って」
「行きたいぞ」
ルイスは即答した。
「でも、入口の近くにも面白いものがあるんだろ? 見ないで通り過ぎたら、もったいないじゃん」
フィリアは少し目を丸くしてから、笑った。
「そうですね」
「俺も異存はない」
レオンが頷く。
「初めての場所だ。まずは日帰りで、帰る道も確かめておこう」
「では、明日の朝に出て、昼過ぎには遺跡を出るつもりでどうでしょう?」
「いいだろう。入口まで歩く時間も見ておいた方がいい」
相談する間に、食事が運ばれてきた。
湯気の立つ煮込みと、厚く切ったパン。フィリアが図面を畳むと、ルイスはさっそくパンを手に取った。
レオンの前には、他の二人より大きな皿が置かれる。
「それ、大盛り?」
「ああ」
「さっき頼んでたっけ?」
「店の人が、昨日と同じでいいかと聞いてくれた」
「一回で覚えられたんだな」
「四回おかわりしたからな」
ルイスの手が止まった。
「……それ、昨日一回の話?」
「そうだ」
レオンは当然のように頷き、匙を取る。
フィリアが、大皿と彼の顔を交互に見た。
「食料は、少し多めに用意しましょうか」
「俺の分は持っていく。二人の分まで食べるわけにはいかないからな」
「そこ、心配してたんじゃないと思うぞ」
ルイスは笑いながらパンをかじった。
「それぞれ、どんなことができるかも話しておこう」
レオンが言った。
「ルイスは短剣と体術だったな。他には?」
「炎も使える」
「火魔法か?」
「普通の魔法とはちょっと違うんだ。魔力を出すと、炎になる」
フィリアが匙を止めた。
「魔力そのものに、属性があるんですか?」
「そういう体質だって、教えてくれた奴が言ってた」
ルイスは右手を見下ろした。
「まだ練習してるところだけどな」
「それなら、遺跡では使う場所を選んでもらえると助かります」
フィリアが言った。
「残っている物を焼いてしまうかもしれないので」
「……ああ、そうか」
「もちろん、危ない時は別です。記録より、怪我をしないことの方が大事ですから」
ルイスは頷いた。
「気をつける」
レオンも、フィリアへ顔を向ける。
「君は?」
「調査と記録、それから古い文字の解読です。戦闘は得意ではありません」
フィリアは腰の杖へ視線を落とした。
「身を守るための練習はしていますけど、魔獣が出た時は、お二人を頼ることになると思います」
「任せてくれ」
レオンが答える。
ルイスもパンを飲み込んでから頷いた。
「その代わり、遺跡のことは教えてくれよ!」
「私に分かることなら」
「分からないことは、一緒に調べればいいだろ?」
フィリアは一度、膝の上の記録帳を見た。
それから二人へ視線を戻し、はっきりと頷く。
「はい。お願いします」
レオンが杯を手に取った。
「では、明日は三人で探索だ」
「おう!」
ルイスも杯を持ち上げる。
フィリアが続き、三つの杯が軽く触れ合った。
知り合ったばかりの二人だった。
どんな場所を旅してきたのか。何が好きで、何を見てきたのか。まだ、知らないことの方がずっと多い。
けれど、明日向かう場所は同じになった。
――――――――――
食事を終えた三人は、一度ギルドへ戻った。
受付へ三人の名前を届け出て、明日の探索範囲と帰還予定を伝える。
その後も、必要な道具の相談が続いた。
縄は誰が持つのか。照明は一人ずつ用意した方がいいのか。写した図面は、濡れないようにどう包むのか。
食料の量で再びレオンが二人を驚かせ、ルイスが掲示板の探索報告に足を止めているうちに、思ったより時間が過ぎていた。
ギルドを出る頃には、通りの影が少し長くなっていた。
「俺、オリバーのおっさんのところに戻らないと」
ルイスが言うと、フィリアが頷いた。
「明日の朝は、ここで待ち合わせにしましょうか。足りない道具は、今日のうちに揃えておいてくださいね」
「分かった!」
「遅れるなよ、ルイス」
レオンが言う。
「まだ遅れてないだろ!」
「念のためだ」
「自分も遅れないでくださいね」
フィリアが付け加えると、レオンは胸を張った。
「俺は時間に正確だ。鐘が鳴る前に来よう」
「どの鐘?」
ルイスが尋ねた。
レオンは少し黙ってから、フィリアを見た。
「……どの鐘にする?」
フィリアは笑いながら、朝の待ち合わせ時刻を二人へ伝え直した。
ルイスも頷き、通りへ一歩踏み出す。
そこで、ふと思い出した。
「そうだ。鐘楼!」
二人が顔を向ける。
「遺跡の入口、見えるって言ってたよな?」
「ええ。ここからなら、それほど遠くありませんよ」
フィリアが坂道の先を指さした。
レオンもそちらへ目を向ける。
「寄っていくか。俺も、そこからは見ていない」
「行こう!」
今度は三人で、鐘楼へ続く坂を上った。
通りが途切れ、低い石垣のある広場へ出る。
街の屋根の向こうには畑が広がり、その先に林があった。さらに奥で、灰色の崖が横へ長く延びている。
「あそこです」
フィリアが指を上げた。
崖の一部に、黒い穴が見えた。
周囲の岩とは違う、まっすぐな線が入口を囲んでいる。その両側には、遠くからでも分かるほど太い柱が立っていた。
「……あれが」
ルイスは石垣へ手を置いた。
入口の近くには、天幕らしい小さな形が並んでいる。人の姿も見えたが、ここからでは点ほどにしか見えない。
それと比べると、入口がどれほど大きいか分かった。
「すげぇ……」
露店の地図に描かれていた、小さな四角。
その向こうにある場所が、今、目の前にあった。
レオンが隣へ立ち、目を細める。
「思ったより大きいな」
「昨日は入口ばかり見ていたんですけど……」
フィリアは鞄から記録帳を取り出した。
「上にも、何か彫られていますね。横に長く続いているような」
「ここから分かるの?」
「形があることくらいです。何の絵かは、近くで見ないと」
ルイスは入口の上へ目を凝らした。
確かに、岩壁とは違う凹凸が続いている気がする。
しかし、何が描かれているのかは分からなかった。
「明日、見られるんだな」
「ええ」
フィリアが答える。
レオンも、腰の剣へ手を添えた。
「三人でな」
ルイスは二人を見て、それからもう一度、崖の入口へ顔を向けた。
あの奥には、どんな景色が続いているのだろう。
誰が作り、何を残したのだろう。
考えるほど、明日の朝が待ち遠しくなった。
「楽しみだな!」
夕方の風が、広場を通り抜けた。
フィリアの青いリボンが揺れ、レオンの上着の裾がはためく。
三人はしばらく並んだまま、まだ遠い遺跡の入口を眺めていた。




