第二章62 『立派な剣士?』
ラステルの冒険者ギルドは、通りの角にある大きな石造りの建物だった。
扉の両側には、泥の付いた靴で立つ冒険者たちがいる。片方は縄を肩に掛け、もう片方は折り畳んだ紙を広げていた。
「だから、俺たちが通ったのはこっちだって」
「そっちは壁だっただろ?」
「その壁に穴が開いてたんだよ」
ルイスは二人の間を通り抜けながら、紙へちらりと目を向けた。
部屋らしい四角がいくつも描かれている。しかし、露店で見た地図とは形が違っていた。
「地図、いろんなのがあるんだな」
「まだ調査の途中ですから。隊によって、入った場所も違うんです」
フィリアが答え、扉を押した。
中へ入ると、いくつもの声が重なって聞こえてきた。
受付に並ぶ者。長机に荷物を広げる者。依頼の掲示板を見ながら、仲間と相談する者。
グランベルのギルドも賑やかだったが、ここでは机の上にも床にも、探索の道具が目立った。
壁際では、冒険者が革袋から石の欠片を取り出している。その隣で、ギルドの職員らしい男が何かを書き留めていた。
「あれ、遺跡で見つけたもの?」
「そうだと思います。出土した場所も報告することになっていますから」
「どこで見つけたかも?」
「はい。同じ物でも、置かれていた場所で分かることが違うんです」
ルイスが近づきかけると、フィリアは受付の列を指さした。
「先に、こちらですよ」
「分かってるって!」
「足は、あちらへ向いていましたけど」
ルイスは自分の足元を見てから、素直に受付へ並んだ。
しばらく待つと、二人の順番が来た。
「フィリアさん。今日も調査記録の確認ですか?」
受付の女性が、彼女を見て微笑む。
「はい。昨日の報告にあった人物の彫刻を、もう一度見せていただきたくて。それと、今朝までに新しい報告が入っていれば、そちらも」
「分かりました。そちらの方は?」
「俺、ルイス! 今日、この街に来たんだ」
ルイスは腰の登録証を外し、受付へ差し出した。
「遺跡のこと、聞きたい!」
「ルイスさんですね。登録証を確認させてください」
女性は証を受け取り、手元の書類と見比べた。
「Dランク……はい、確認できました」
戻された登録証を、ルイスは少し嬉しそうに眺めた。
街が変わっても、そこに刻まれた文字は変わらない。
「遺跡に入るには、どうすればいい?」
「まず、探索の登録をお願いします。参加する方のお名前と、予定している範囲、戻る予定の日を届け出ていただきます」
「戻る日も?」
「帰還が遅れた時に、どこを探せばよいか分かるようにするためです」
ルイスは頷いた。
何があるか分からない場所へ行く。
それは楽しみでもあったが、帰り道まで分かっているとは限らないのだ。
「今は、どこまで行けるんだ?」
女性は机の下から一枚の図面を取り出した。
露店の地図よりも細かく、ところどころに文字が書き込まれている。
「入口から、この広間までは複数の隊が通っています。その先は、まだ確認できていない通路が多いですね」
指先が図面の上を動いた。
「こちらは床の崩落。こちらは落石で通行できません。奥では魔獣を見たという報告もあります」
「魔獣もいるのか」
「はい。数や種類も調査中です。Dランクの方でも、初めて入る場合は複数人での探索をお勧めしています」
ルイスは図面へ顔を近づけた。
入口の先には広間があり、その奥から何本もの線が延びていた。途中で途切れているものも、先端に疑問符が付いているものもある。
「これ、まだ分かってないところ?」
「そうです」
「こんなにあるんだ……」
ルイスの声が弾んだ。
フィリアも隣から図面を見ている。その視線は、通路の端に描かれた小さな印で止まっていた。
「この印、昨日はありませんでしたよね?」
「彫刻の見つかった場所を書き足したんです。絵の記録もありますよ」
「見せていただけますか?」
返事が、ルイスと同じくらい早かった。
受付の女性が笑って、別の紙を取り出す。
そこには、両手で浅い器を持つ人物が描かれていた。
「あ!」
ルイスが声を上げると、フィリアも頷いた。
「これです。さっき話したのは」
露店の石像には、片腕がなかった。
今、目の前の絵には両腕がある。指の形まで描かれ、その間に器が収まっていた。
「本当に持ってる……」
ルイスは紙の上の手を見つめた。
露店の像も、こんなふうに何かを持っていたのだろうか。
フィリアは鞄から記録帳を取り出し、絵の脇に書かれた場所を確かめる。
「入口に近い回廊……。壁に彫られていたんですね」
「はい。写しを取りますか?」
「お願いします」
受付の女性が記録をまとめ始めた、その時だった。
「裏庭、誰か空いてるか!」
建物の奥から男の声が響いた。
「荷運びの依頼、あと二人だ! 積み込む前に持ち方だけ確認するぞ!」
何人かの冒険者が顔を上げる。
ルイスも声のした方を見た。
開かれた奥の扉の向こうには、日差しの当たる庭がある。大きな荷車と、その横に積まれた木箱が見えた。
「調査隊へ運ぶ物資ですね」
受付の女性が説明する。
「遺跡の近くに、調査の拠点を作っているんです」
「拠点?」
「道具や食料を置いて、探索から戻った方が休める場所です。入口までは距離がありますから」
「へえ……」
ルイスが裏庭へ目を戻すと、一人の青年が奥の扉をくぐっていった。
明るい金髪が、歩くたびに揺れている。
背はルイスよりかなり高く、白い上着の上に革の胸当てを着けていた。腰には細身の剣。姿勢がよく、人の間を抜ける時も慌てた様子がない。
「俺が手を貸そう」
青年の声が、こちらまで届いた。
「おう、助かる。そっちの箱を――」
「二つでいいか?」
「待て、そいつは中身が――」
青年は木箱を二つ重ね、持ち上げた。
男の言葉が止まった。
抱えた箱は、ルイスが先ほどオリバーと二人で運んだものと、そう変わらない大きさだった。それを青年は、何でもないように荷車まで運んでいく。
「すげぇ」
ルイスが呟く。
木箱を下ろした青年は、袖に付いた埃を払い、男へ振り返った。
「次は?」
「……あっちだ。割れ物だから、ゆっくり頼む」
「任せてくれ」
青年がこちらへ顔を向けた。
青い瞳と目が合う。
ルイスが見ていたことに気づくと、青年は口元を上げた。
「君も手伝いに来たのか?」
「いや、遺跡の話を聞きに――」
「そうか。探索なら、準備が大事だ。荷物を運ぶのも立派な仕事だぞ」
「俺も、さっきやってきた!」
「いい心掛けだ」
青年は満足そうに頷き、次の箱へ向かった。
ルイスは、少しだけ眉を寄せる。
「……なんか、褒められた」
フィリアが記録帳から顔を上げた。
「嫌だったんですか?」
「いや。誰だろうと思って」
「あの方も、遺跡へ来た冒険者みたいですよ」
受付の女性が言った。
「レオンさん。Cランクの方です」
「Cランク!」
ルイスはもう一度青年を見る。
自分より一つ上の冒険者。
腰の剣にも、自然と目が向いた。
――――――――――
写しを取り終えたフィリアと受付を離れると、裏庭から大きな音がした。
木箱を落とした音ではない。
乾いた木が、強く打ち合わされる音だった。
ルイスが扉から顔を出すと、荷車の横で二人の男が向かい合っていた。
一人は、先ほどのレオン。
もう一人は短い黒髪の冒険者で、どちらも木剣を持っている。
「荷物運びは?」
「終わったよ」
近くにいた男が、荷車へ顎を向けた。
「あいつら、剣の話で盛り上がってな。ちょっと手合わせするらしい」
レオンの本物の剣は、鞘ごと壁際に置かれていた。
代わりに握った木剣を肩の前に立て、彼は相手へ微笑む。
「遠慮はいらない。君の得意な攻めを見せてくれ」
「言ったな?」
黒髪の男が踏み込んだ。
木剣が、レオンの肩へ振り下ろされる。
速い。
ルイスがそう思った時には、レオンは半歩だけ横へ動いていた。
木剣が空を切る。
男はすぐに手首を返し、横へ薙いだ。
レオンは上体を反らして避ける。今度は突き。さらに一歩近づいた男が、逃げる先へ剣を振る。
それも、当たらなかった。
大きく跳び退いているわけではない。
肩を引く。足をずらす。ほんの少し身体の向きを変える。
必要な分だけ動いて、木剣を避けていた。
「……うまいな」
ルイスは、レオンの足元を見た。
男の剣ばかり追っていると、動きが分からなくなる。だが、レオンは踏み込まれるより先に、次の足を置いているようだった。
「今度は、こちらからいくぞ」
レオンが木剣を振り上げた。
ルイスは思わず身を乗り出す。
あれだけ軽く動ける剣士だ。
どんな一撃になるのだろう。
レオンが踏み込む。
木剣が振り下ろされた。
相手の男から、大きく離れた場所へ。
「……え?」
ルイスの声と、木剣が地面を叩く音が重なった。
勢い余ったレオンの上体が、前へ傾く。
黒髪の男も一瞬止まったが、すぐに木剣を引き戻した。
「隙だらけだぞ!」
今度こそ背中へ当たる。
そう見えた。
ところがレオンは、前へ倒れかけた姿勢のまま身をひねった。
男の木剣が、背中のすぐ脇を通る。
レオンはその下を抜け、二歩先で身体を起こした。
姿勢を整え、髪を払う。
「いい反応だ」
「お前、今のなんだよ!?」
「少し、地面が近かったな」
「地面はずっとそこだろ!」
周囲から笑い声が上がった。
レオンは足元と木剣を見比べ、それから構え直した。
ルイスは隣のフィリアを見た。
「今、外したよな?」
「……そう見えました」
「でも、その後は避けた」
「はい」
二人は揃って、庭の中央へ視線を戻した。
レオンがもう一度、剣を振る。
今度は男が後ろへ退くより先に、木剣が変な角度へ流れた。
男の反撃は、また当たらない。
剣を振らなければ、驚くほど隙がない。
振った瞬間だけ、何かがおかしくなる。
ルイスは首を傾げた。
「……どうなってるんだ?」
やがて黒髪の男が、肩で息をしながら木剣を下ろした。
「もういい。お前、避けてばっかりじゃねぇか」
「守りも剣士には必要だ」
「一回くらい、まともに振れよ」
「そのつもりで振っているんだが」
「じゃあ、なんで地面を叩くんだよ!」
「それが分かれば、俺も助かる」
レオンは真剣な顔で木剣を見つめた。
男は何か言いかけたが、その顔を見ると、困ったように頭を掻いた。
「……本気で言ってるのか」
「ああ。手合わせ、感謝する」
レオンが頭を下げる。
男も木剣を肩へ担ぎ、息を整えながら脇へ退いた。
ルイスはとうとう堪えきれず、口を開いた。
「なあ!」
レオンが振り向く。
「君か。どうだった?」
「避けるの、すっごいうまいな!」
レオンの顔が明るくなった。
「そうか」
「うん! でも、剣はなんでそんなに外すんだ?」
近くにいた男が吹き出した。
フィリアが横で小さく息を呑む。
レオンは手元の木剣へ目を落とした。
「俺も、そこを知りたい」
「自分でも分かんないの?」
「ああ。練習では、一振りずつ確かめているんだが」
レオンは木剣を持ち直し、ゆっくりと腕を動かした。
途中で剣先が傾く。彼はそこで手を止め、握りを確かめた。
ルイスも、その手元を覗き込む。
「他の武器は? 槍とか斧とか」
「使ったことはある」
「そっちも、こうなるのか?」
「いや。剣ほど困ったことはないな」
「じゃあ、そっちを使えばいいじゃん!」
レオンが顔を上げた。
「俺は剣士だ」
迷いのない返事だった。
ルイスは一度、彼の木剣へ目を向ける。
「……当たらなくても?」
「だから、練習している」
レオンは当たり前のことを説明するように答えた。
ルイスは口を開きかけて、閉じた。
言っていることは分かる。
けれど、他の武器なら困らないという話は、どこへ行ったのだろう。
横で聞いていたフィリアが、記録帳を胸元へ抱え直した。
「剣がお好きなんですね」
「ああ」
今度は、レオンの口元が少し緩んだ。
「思ったように振れたら、気持ちがいいだろうな」
そう言って、もう一度木剣へ目を落とす。
ルイスも、つられてその剣を見た。
先ほどは、地面を叩いていた。
それでも、この青年は次の一振りを試すつもりなのだろう。
「……変な奴だな」
「君も、随分とはっきり言うな」
レオンはそう言ったが、口元には笑みが残っていた。
木剣を脇へ置き、ルイスへ向き直る。
「君、名前は?」
「ルイス!」
「俺はレオン。Cランク冒険者だ」
「それは聞いた!」
「そうか。では、名乗る前から知られていたわけだな」
「さっき、受付の人に教えてもらったんだよ」
「なるほど」
レオンが手を差し出した。
ルイスも、その手を握る。
しっかりとした手だった。
木剣を握っていた指には、厚く硬い皮ができている。
ルイスはその手を見てから、もう一度レオンの顔を見上げた。
立派な格好をした、Cランクの剣士。
けれど、どうにも剣だけが噛み合っていない。
ルイスにとって、遺跡に入る前から、分からないものが一つ増えていた。




