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冒険者はまだ見ぬロマンを求めて  作者: 片山武琉
第一章 魔女と銀の笛

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第一章55 『最後の抵抗』


 ――ピィィィィィィ……!


 リュートの笛の音が響く中、セージはゆっくりと一歩を踏み出した。


 以前なら、笛の音が届いた瞬間に身体の動きが止まっていた。


 だが今は違う。


 黒く変形した右腕を震わせながらも、セージは確実に前へ進んでいる。


「……止まらない」


 リュートの声が僅かに震えた。


「効いてはいる!」


 カイルがすぐに叫ぶ。


「完全に止められなくなっただけだ!」


「それでも!」


 リュートはさらに魔力を込める。


 笛の音が一段高くなり、セージの足が一瞬だけ止まった。


「今だ!」


 ジョージの号令と同時に、騎士たちが左右から飛び込む。


 正面から二人の騎士が盾を構え、セージの進路を塞いだ。


「押せ!」


「はっ!」


 重ねた盾へ、セージの黒い右腕が叩きつけられる。


 ――ガァン!!


「ぐっ……!」


 二人の騎士の身体が大きく後方へ押された。


「持て!」


「まだ……!」


 騎士たちは歯を食いしばりながら踏ん張る。


 その隙に、左右へ回った冒険者たちが武器を振るった。


 剣が脇腹を裂き、槍が太腿を貫く。


「入った!」


「離れろ!」


 ジョージの指示で、攻撃した者たちがすぐに距離を取る。


 しかし。


 傷口から赤黒い肉が盛り上がり始めた。


「また再生する!」


 ルイスが叫ぶ。


「ルイス!」


「分かってる!」


 ルイスは短剣を握り直し、セージへ向かって走る。


 右手へ炎を灯し、その火を短剣の根元へ添えながら、先ほど冒険者が作った脇腹の傷へ刃を重ねた。


 ――ザンッ!!


「っ……!」


 セージの身体が大きく震える。


 傷口へ炎が入り込み、再生しようとしていた赤黒い肉を焼いた。


「まだ遅くなる!」


 カイルが叫ぶ。


「炎は効いてる!」


「だったら、そこを狙い続ける!」


 ルイスが距離を取ろうとした瞬間。


「ルイス!」


 カイルの声が飛んだ。


「っ!」


 セージの左腕が振り抜かれる。


 ルイスは咄嗟に身体を沈めた。


 頭上を黒い腕が通り抜け、背後の木へ叩きつけられる。


 ――バキィッ!!


 太い幹が一撃で折れた。


「危なっ……!」


「感想は後!」


「分かってる!」


 ルイスが後方へ飛ぶ。


「ウインドバースト!」


 カイルが杖を振ると、強烈な風がセージの側面へ叩きつけられた。


 セージの身体が数歩分横へ流される。


「ジョージ!」


「ああ!」


 ジョージは風に押されたセージへ一気に踏み込み、黒く変形した右肩へ剣を振り下ろした。


 ――ガキィン!!


 硬い音が森へ響く。


「……!」


 ジョージの目が見開かれる。


 刃が。


 深く入らない。


「硬くなっている……!」


 これまでなら傷を作れていた部分が、今は黒い外皮のようなものに覆われ始めている。


「下がって!」


 カイルが叫ぶ。


 ジョージは剣を引き、その場から飛び退いた。


 直後。


 セージの右腕が地面を薙ぎ払う。


 ――ドォン!!


 土が大きく抉れ、石と木片が周囲へ飛び散った。


「ウインドウォール!」


 カイルが風の壁を作り、飛んできた破片を受け止める。


「どんどん強くなってる……」


 ルイスがセージを見た。


「身体も」


「魔力も」


「再生も」


「うん」


 カイルも険しい表情を浮かべる。


「笛で抑えられてるのに、まだ上がってる」


「そんなのありかよ」


「僕に言われても困るよ!」


 その時。


「もっと……」


 セージの声が聞こえた。


「……」


 全員の視線が向く。


 セージは、自分の黒い右腕を見つめていた。


「もっと……力を……」


「セージ!」


 リュートが笛を一度止める。


「僕を見て!」


「……」


 セージの顔がゆっくり動く。


 黒い紋は頬まで届き、片方の瞳は赤黒く濁っている。


 それでも。


 もう片方には。


 まだ僅かに紫色が残っていた。


「リュート……」


「うん!」


 リュートの表情が明るくなる。


「まだ分かるよね?」


「……」


「僕が誰か分かる?」


 セージは。


 しばらく黙った。


「……」


「セージ?」


「リュート……」


「そう!」


「……私が」


 セージの声が掠れる。


「拾った……」


「うん!」


「森で」


「そうだよ!」


「育てた……」


「うん!」


 リュートは何度も頷いた。


「覚えてる!」


「まだちゃんと覚えてるよ!」


「……」


 セージは。


 ほんの少し。


 微笑んだ。


「そう……」


「だから!」


 リュートは笛を握る。


「まだ戻れる!」


「僕の音も届いてる!」


「ルイスの炎だって効いてる!」


「みんなでやれば――」


「リュート」


「何?」


「……嘘が」


「え?」


「下手ね」


「……!」


 リュートの言葉が止まった。


「セージ……」


「私を見て」


「……」


 セージは自分の身体へ視線を落とした。


 太く変形した右腕。


 伸びた爪。


 胸元まで広がった黒い紋。


 もう、人間の身体とは呼べない部分が増えている。


「私……」


 セージはゆっくり右手を動かした。


「この手が」


「どんな形だったか……」


「思い出せない」


「……」


「それでも」


「戻れると……思う?」


「戻れる!」


 リュートは即座に答えた。


「戻す!」


「僕が戻すから!」


「……」


「まだセージはいるじゃん!」


「僕の名前だって分かる!」


「話もできてる!」


「だから――」


「そうね」


 セージは静かに頷いた。


「まだ……」


「話せるわね」


「……!」


「だからこそ」


 その言葉の意味を。


 リュートは理解できなかった。


「セージ?」


 だが。


 次の瞬間。


 ――ドクンッ!!


「あ……っ!」


 セージの身体が大きく震える。


「セージ!」


 赤黒い魔力が一気に膨れ上がった。


「下がれ!」


 ジョージが叫ぶ。


「ウインドウォール!」


 カイルが風の壁を展開する。


 直後。


 ――ドォォォォン!!


 爆発した魔力が森を薙ぎ払った。


「ぐっ……!」


 カイルの風壁が大きく歪む。


「強い……!」


「カイル!」


「まだ持つ!」


 ルイスたちは風壁の後ろで身体を低くする。


 リュートだけは。


 セージを見続けていた。


「セージ!」


「……」


「聞こえる!?」


 返事がない。


「セージ!」


「……力」


「違う!」


「僕だよ!」


「……もっと」


「セージ!」


「もっと……」


 セージの身体が。


 ゆっくり持ち上がる。


「力を……」


 その声は。


 先ほどよりも平坦だった。


「セージ!」


 リュートは笛を口元へ運ぶ。


 ――ピィィィィィィ……!


「っ……!」


 セージの動きが僅かに止まる。


「効いた!」


 ルイスが叫ぶ。


「リュート!」


「うん!」


 笛の音がさらに強くなる。


 セージの右腕が震える。


 前へ進もうとする身体。


 その内側を巡る赤黒い力を、リュートの音が必死に鈍らせている。


「セージ!」


 リュートは笛を吹きながら、必死に名前を呼ぶ。


「戻って!」


「僕を見て!」


「……」


「セージ!」


 その時。


「……リュート」


「!」


 リュートの目が大きく開く。


「うん!」


「ここにいる!」


「……」


 セージは。


 苦しそうに。


 顔を上げる。


 僅かに残った紫色の瞳が、リュートを捉えた。


「……よかった」


「え?」


「まだ……分かる」


「……!」


「あなたが」


「リュートだって……」


「そうだよ!」


 リュートは笑った。


「だから大丈夫!」


「まだ戻れる!」


「……」


 だが。


 セージは笑わなかった。


 代わりに。


 ゆっくりと首を横へ振る。


「セージ?」


「……違う」


「何が?」


「私……」


 セージは自分の胸元を押さえる。


「分かるの」


「……?」


「中で」


「何かが……」


「私より」


「大きくなってる」


「……」


「私が考える前に」


「身体が動く」


「……」


「思い出そうとしても」


「消えていく」


「……」


 リュートの顔から。


 少しずつ。


 笑みが消える。


「でも」


「まだいるよ!」


「セージはまだ――」


「今は」


 セージがリュートの言葉を遮った。


「……いる」


「……!」


「でも」


「いつまで……?」


「……」


 リュートは答えられない。


「セージ……」


「私」


 セージが。


 自分の黒い腕を見る。


「さっき」


「何のために研究してたか」


「分からなかった」


「……」


「あなたのことも」


「一度」


「忘れた」


「……」


「次は」


 セージの声が震える。


「思い出せるか」


「分からない」


「……!」


「そんなこと――」


「ある」


 セージははっきりと言った。


「私には」


「分かる」


「……」


 その言葉は。


 研究者だった頃の。


 セージらしい声だった。


「この身体は」


「もう」


「私の命令を聞いてない」


「……」


「力を求めることだけが」


「残ろうとしてる」


「……」


 リュートは。


 何も言えない。


「でも!」


 やっと。


 声を出す。


「だからって!」


「まだ決まったわけじゃない!」


「僕の笛で止められる!」


「今だって止まってる!」


「だったら!」


「もっと強く吹けば――」


「リュート」


「……」


 セージは。


 静かに少年の名前を呼ぶ。


「無理をしてるでしょう?」


「……!」


「顔を見れば分かる」


「……」


「昔から」


「隠すのが下手ね」


「……セージ」


「その笛で」


「今の私を」


「ずっと押さえ続けるのは」


「無理」


「……」


「違う」


 リュートは首を横へ振る。


「まだやれる」


「やる」


「僕が――」


 ――ドクンッ!!


「っ……!」


 セージの身体が再び震える。


 紫色だった瞳へ。


 赤黒い色が広がる。


「セージ!」


「……っ」


 セージは。


 自分の頭を押さえた。


「リュ……」


「うん!」


「僕だよ!」


「……」


「セージ!」


「リュー……ト」


「そう!」


「……」


 セージは何度か瞬きをした。


「……覚えてる」


「……!」


「まだ」


「覚えてる」


「だから!」


 リュートが一歩前へ出る。


「まだ大丈夫!」


「戻せる!」


「……」


 セージは。


 そんなリュートを。


 悲しそうに見た。


「本当に」


「……頑固ね」


「セージに似たんだよ!」


「……そう」


 ほんの僅か。


 セージが笑う。


「それなら」


「仕方ないわね」


「……」


 その笑顔は。


 今までより。


 穏やかだった。


 だからこそ。


 リュートは。


 胸の奥に。


 嫌な予感を覚えた。


「セージ?」


「リュート」


「何?」


「……次に」


 セージが言葉を選ぶ。


「私が」


「あなたを忘れても」


「……」


「名前を呼び続ける?」


「当たり前だよ」


「……そう」


「何回忘れても」


「何回でも教える」


「だから――」


「……ありがとう」


「……!」


 その言葉に。


 リュートの呼吸が止まる。


「セージ」


「どうして」


「そんな言い方するの……?」


「……」


 セージは答えなかった。


 代わりに。


 少し離れたジョージを見る。


「ジョージ」


「……何だ」


「あなたも」


「聞いておいて」


「……?」


「セージ?」


 リュートが不安そうに名前を呼ぶ。


 セージは。


 もう一度。


 少年を見る。


「まだ」


「今なら」


「言えるから」


「……何を?」


 リュートが尋ねる。


 その瞬間。


 ――ドクンッ!!


「っ……!」


 セージの身体が激しく震えた。


「セージ!」


 黒い紋が。


 頬を越え。


 目元へ。


 さらに広がる。


「ぁ……っ!」


「カイル!」


「まずい!」


 カイルが杖を構える。


「変化がまた進む!」


「リュート!」


 ジョージが叫ぶ。


「笛を!」


「うん!」


 リュートはすぐに笛を口元へ運ぶ。


「セージ!」


「今止めるから!」


 ――ピィィィィィィィィ……!


 強い音が森を満たす。


「ぁぁっ……!」


 セージの身体が止まる。


 だが。


 その瞳から。


 紫色が。


 少しずつ。


 消えていく。


「セージ!」


 リュートが叫ぶ。


「僕を見て!」


「……」


「セージ!」


「……リュート」


「!」


 まだ。


 呼べた。


 リュートの瞳に。


 希望が戻る。


「そう!」


「ここにいる!」


「……」


 セージは。


 苦しみながらも。


 リュートを見た。


 そして。


 何かを伝えようと。


 ゆっくり口を開いた。


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