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冒険者はまだ見ぬロマンを求めて  作者: 片山武琉
第一章 魔女と銀の笛

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第一章54 『崩壊』


 ――ピィィィィィィ……。


 リュートの笛の音が、森の中へ響き続けていた。


 地面へ押さえ込まれていたセージは、その音に抗うように身体を震わせている。


 騎士たちが槍を押し込み、冒険者たちが左右から動きを封じる。


 その中央で、ジョージは剣を構えたままセージから目を離さなかった。


「押さえろ! 無理に傷を増やす必要はない!」


「はっ!」


「リュートが抑えている間に立て直せ!」


 ジョージの指示を受け、負傷した者たちが後方へ下がっていく。


 カイルも杖を構えながら、セージの周囲を流れる赤黒い魔力を注意深く観察していた。


「……おかしい」


「何が?」


 ルイスが短剣を構えたまま尋ねる。


「笛は効いてる」


 カイルはリュートへ一度視線を向けた。


「セージの動きも抑えられてるし、魔力の流れも乱れてる。でも……」


 カイルの目が、セージの右肩へ向く。


 先ほどルイスが炎で焼いた傷。


 再生が遅くなっていたはずのそこが、再び塞がり始めている。


「再生が戻ってきてる」


「……」


 ルイスも傷口を見た。


 炎で焼け焦げた部分を押し退けるように、赤黒い肉が少しずつ盛り上がっている。


「俺の炎でも?」


「炎は効いてるよ。だから他より遅い」


 カイルは眉を寄せた。


「でも、それ以上の勢いでセージ自身の力が上がってる」


「力が上がってる?」


「うん」


「なんで?」


「分からない」


 カイルは首を横へ振る。


「新しく何かを取り込んでるわけじゃない。全部、もう身体の中にある力だ」


「だったら……」


 ルイスはセージを見る。


「まだ出し切ってないってこと?」


「たぶん」


 カイルの答えに、ルイスの表情が険しくなる。


 施設に蓄えられていた力。


 魔獣から集められた膨大な魔力。


 それらはすべて。


 今。


 セージの身体の中にある。


 笛で流れを乱しても。


 傷つけても。


 その奥から、さらに力が溢れ続けている。


「……厄介だな」


「今さら?」


「いや、さっきよりもっと」


「それは僕も同感」


 その時。


「……リュート」


 セージの声が聞こえた。


「!」


 リュートは笛を吹くのを一瞬だけ止める。


「何?」


「……」


 セージは顔を上げた。


 その瞳にはまだ、僅かに紫色が残っている。


「あなた……」


「うん」


「……私の」


 言葉が途切れる。


「セージ?」


「私の……何だった……?」


 リュートの表情が固まった。


「……」


 ほんの一瞬。


 答えられない。


 それでも。


 リュートはすぐに笑った。


「リュートだよ」


「……」


「セージが森で拾って、育ててくれた」


「……拾った」


「うん」


「私が……」


 セージは目を細める。


「育てた……」


「そう」


「……」


 しばらくして。


 セージの表情が僅かに緩んだ。


「そうだったわね」


「うん!」


 リュートの声が明るくなる。


「思い出した?」


「……ええ」


「なら大丈夫」


 リュートは笛を握り直した。


「まだ戻れるよ」


「……戻る」


「そう」


「僕が絶対戻すから」


「……」


 セージはリュートを見つめた。


 その顔には、どこか不安そうな色が残っている。


「リュート」


「何?」


「私……」


 セージが自分の黒い右腕を見る。


「さっきより……酷くなってる?」


「……」


 リュートは答えられなかった。


 右腕だけではない。


 黒い紋は肩から胸元へ広がり、首筋にも濃く浮かび始めている。


 爪も。


 腕も。


 少しずつ。


 人間のものから離れていく。


「大丈夫」


 それでも。


 リュートは答えた。


「絶対戻す」


「……そう」


 セージは、それ以上聞かなかった。


 リュートは再び笛を口元へ運ぶ。


 ――ピィィィィィィ……。


 澄んだ音が流れ始める。


 セージの身体が再び僅かに震えた。


 だが。


「……?」


 リュートの眉が寄る。


 先ほどまでとは違う。


 止まり方が弱い。


 押さえている騎士たちも、すぐに異変へ気づいた。


「領主様!」


「動きます!」


「押さえろ!」


 ジョージが叫ぶ。


 騎士たちは槍へさらに体重をかけた。


 しかし。


 セージの黒い右腕が、ゆっくりと持ち上がっていく。


「ぐっ……!」


「なんて力だ!」


「リュート!」


 カイルが叫ぶ。


「もっと強くできる!?」


「やってる!」


 リュートは頬を膨らませ、笛へさらに魔力を込める。


 音が一段高くなった。


 ――ピィィィィィィィィ……!


「ぁ……!」


 セージの動きが一瞬止まる。


「今だ!」


 ジョージが叫ぶ。


「押し戻せ!」


「はっ!」


 騎士と冒険者たちが一斉に力を込める。


 セージの身体が再び地面へ押しつけられた。


「効いてる!」


 ルイスが叫ぶ。


「でも……」


 カイルはリュートを見た。


 額に汗が浮かんでいる。


 笛を持つ指も、僅かに震えていた。


「リュート!」


「大丈夫!」


「まだ何も言ってない!」


「でも顔見たら分かる!」


「だったら分かってよ!」


「今やめられない!」


 リュートは笛を吹き続ける。


 その言葉の通りだった。


 今。


 笛を止めれば。


 セージは再び暴れる。


「……」


 カイルは何も言い返せず、杖を握り直した。


「ジョージ!」


「何だ!」


「長くは持たない!」


「分かった!」


 ジョージが即座に答える。


「なら攻めるぞ!」


 剣を掲げ。


 周囲へ叫ぶ。


「今度は押さえるだけではない!」


「動ける力そのものを削る!」


「ただし致命傷は避けろ!」


「はっ!」


「ルイス!」


「おう!」


「お前の炎を優先する!」


「分かった!」


 ジョージが正面へ出る。


 左右から騎士と冒険者。


 その後方。


 カイルが杖を向ける。


「ウインドカッター!」


 風の刃がセージの右脚を切り裂いた。


「っ……!」


 すぐに赤黒い肉が動き始める。


「今!」


 ルイスが地面を蹴った。


 右手に灯した炎を短剣の根元へ添え、セージの右脚へ斜めに刃を走らせる。


 ――ザンッ!!


「あぁっ!」


 傷へ炎が入り込み、再生しようとしていた肉が焼ける。


「やっぱり遅くなる!」


 カイルが叫ぶ。


「次!」


 ジョージがすぐに指示を飛ばす。


 騎士たちがセージの左腕へ槍を突き込み、冒険者が反対側から肩を狙う。


 セージの身体へ次々と傷が増えていく。


 リュートの笛で力の流れを鈍らせ、ルイスの炎で再生を遅らせる。


 そこへジョージたちの攻撃が重なるたび、セージの動きは少しずつ鈍っていった。


「いける!」


 一人の冒険者が叫んだ。


「このまま押せ!」


 しかし。


「いや!」


 カイルが叫ぶ。


「離れて!」


「え?」


 ――ドクンッ!!


 セージの胸元から、重い音が響いた。


「全員下がれ!」


 ジョージの声と同時に。


 ――ドォォォォン!!


 赤黒い魔力が爆発した。


「ウインドウォール!」


 カイルが杖を振る。


 風の壁が広がった。


 だが。


 衝撃はこれまでより強い。


「ぐっ……!」


 風壁の前面が大きく歪む。


「カイル!」


「持たせる!」


 カイルは歯を食いしばった。


 吹き荒れる風。


 赤黒い魔力。


 その間。


 何人もの騎士と冒険者が地面へ伏せる。


 ルイスも片腕で顔を庇いながら踏ん張った。


「なんだよ……これ!」


 やがて。


 魔力の勢いが弱まる。


「……」


 風壁が消えた。


 ルイスが顔を上げる。


「……嘘だろ」


 さっきまで地面へ押さえつけられていたセージが。


 立っている。


 両脚へ刺さっていた槍は折れ。


 肩や腕にあった傷の大半も塞がっていた。


 ルイスの炎によって焼かれた部分だけはまだ残っている。


 だが。


 そこさえも。


 ゆっくり。


 再生している。


「全部……」


 騎士の一人が呟く。


「治ってる……」


「完全じゃない!」


 ルイスが叫ぶ。


「俺の炎のところはまだ残ってる!」


「でも」


 カイルは険しい顔をする。


「時間の問題だ」


「……」


 セージがゆっくりと顔を上げる。


 右腕は。


 さらに太く。


 肩から指先まで、黒い硬質なものに覆われ始めている。


 その姿を見て。


 リュートは息を呑んだ。


「セージ……」


「……」


 呼ぶ。


 返事がない。


「セージ!」


「……」


 もう一度。


「僕だよ!」


 セージの瞳が。


 ゆっくり動く。


「……」


「リュート!」


「……リュー……」


「!」


 リュートが一歩前へ出る。


「そう!」


「リュート!」


「……ト」


「うん!」


 セージは。


 少し時間をかけて。


「……リュート」


 名前を言った。


「よかった……」


 リュートは胸を撫で下ろす。


「まだ大丈夫」


 けれど。


 セージは困ったように眉を寄せた。


「……どうして」


「何?」


「あなたは……」


「どうして……ここに……?」


「……」


 リュートの笑顔が止まる。


「セージ?」


「私……」


 セージは周囲を見回した。


 森。


 騎士。


 冒険者。


 ジョージ。


 カイル。


 ルイス。


「何を……していたの?」


「……!」


「どうして……」


 自分の黒く変わった腕を見る。


「こんな……」


「……」


 リュートは笛を握った。


「大丈夫」


「何が……?」


「思い出さなくていい」


「……」


「今は」


 リュートはセージをまっすぐ見る。


「戻ることだけ考えよう」


「……戻る」


「うん」


「……」


 セージの瞳が。


 僅かに揺れる。


「私……」


「戻れる……?」


「戻れる!」


 リュートは即答した。


「絶対に!」


「……」


 その言葉を聞き。


 セージが。


 ほんの少しだけ笑った。


「そう……」


 その直後。


 瞳の奥。


 赤黒い光が強くなる。


「でも……」


「セージ?」


「足りない……」


「……」


「何が?」


「……力」


 リュートの表情が曇る。


「また……」


「もっと……」


 セージが自分の胸元を掴んだ。


「もっと……欲しい……」


「セージ!」


「足りない……」


「何のために!?」


 リュートが叫ぶ。


「何のために力が欲しいの!?」


「……」


 セージは。


 長い間。


 答えなかった。


「……分からない」


「……!」


「でも」


 黒い右手を。


 ゆっくり握る。


「欲しい……」


「……」


「もっと」


「力が……」


 その声には。


 以前あった研究者としての理屈も。


 老いへの恐怖も。


 復讐への怒りも。


 ほとんど残っていなかった。


 ただ。


 力。


 その言葉だけが。


 何度も。


 セージの口からこぼれる。


「セージ……」


 リュートは。


 笛を握る手に力を込めた。


 まだ。


 名前を呼んでくれる。


 まだ。


 話せる。


 だから。


 まだ終わっていない。


「もう一回」


 リュートが笛を口元へ運ぶ。


「僕が戻す」


「……」


「絶対」


「戻すから」


 ――ピィィィィィィ……!


 笛の音が再び森へ響く。


「っ……!」


 セージの身体が震える。


 一瞬。


 動きが止まる。


 だが。


 これまでと違い。


 すぐに。


 黒い右腕が動き始めた。


「……!」


 リュートの目が見開かれる。


「止まらない……?」


「リュート!」


 カイルが叫ぶ。


「下がって!」


「でも!」


「今までより効きが弱い!」


 セージの身体が。


 笛の音へ逆らいながら。


 一歩。


 踏み出す。


「セージ!」


「……力」


 もう一歩。


「もっと……」


 黒い右腕が。


 大きく持ち上がる。


「セージ!」


「もっと……!」


「全員構えろ!」


 ジョージが叫んだ。


 騎士。


 冒険者。


 再び武器を構える。


 ルイスも短剣を握る。


 カイルも杖を向けた。


 その中。


 リュートだけが。


 笛を吹き続けていた。


 効かなくなったわけじゃない。


 まだ。


 セージは。


 僅かに動きを鈍らせている。


 なら。


 まだ。


 届いている。


 リュートはそう信じた。


 しかし。


 その目の前で。


 セージの黒い紋は。


 ゆっくりと。


 顔へ。


 広がり始めていた。


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