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冒険者はまだ見ぬロマンを求めて  作者: 片山武琉
第一章 魔女と銀の笛

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第一章52 『魔女に届く笛』


 ――ドンッ!!


 セージが地面を蹴った。


「来るぞ!」


 ジョージの声が森へ響く。


 次の瞬間、セージの身体が凄まじい速度で前へ飛び出した。


「え――」


「ルイス! 右!」


 カイルの声を聞いたルイスは、考えるより先に身体を横へ投げ出した。


 直後。


 ――ズガァン!!


 ルイスが立っていた場所へ、黒く変形したセージの右腕が叩きつけられた。


 地面が大きく抉れ、土と小石が周囲へ飛び散る。


「速っ……!」


 ルイスは地面を転がりながら勢いを殺し、すぐに立ち上がった。


 少し離れた場所では、セージが片手を地面についた姿勢のまま、ゆっくりと顔を上げている。


 その身体の周囲では、赤黒い魔力が炎のように揺らめいていた。


「セージ!」


 リュートが名前を呼ぶ。


 すると。


 セージの視線が、ゆっくりとリュートへ向いた。


「……リュート」


「!」


 自分の名前が返ってきた瞬間、リュートの表情が明るくなる。


「聞こえてる!」


 リュートは嬉しそうに一歩前へ出た。


「そうだよ! 僕だよ!」


「……」


 セージはしばらくリュートを見つめていた。


「あなた……」


「うん」


「私が……拾った……」


「そう!」


 リュートは強く頷く。


「覚えてるじゃん!」


「……そうね」


 ほんの僅かだったが。


 セージの顔に、人間らしい柔らかさが戻った。


 それを見たリュートは、もう一歩だけ近づこうとする。


「だったら、もうやめよう」


「……やめる?」


「うん。一緒に戻ろう」


「……戻る」


 セージはその言葉を確かめるように繰り返した。


「そうだよ」


「……どこへ?」


「……!」


 リュートの足が止まった。


「セージ?」


「戻るって……どこへ……?」


 セージは本当に分からないというように眉を寄せている。


「森の家だよ」


 リュートはすぐに答えた。


「僕たちが一緒にいたところ」


「森……」


「うん」


「家……」


 セージは目を細め、記憶の中から何かを探そうとする。


「……あった」


「そう!」


 リュートは再び笑った。


「覚えてる?」


「私が……そこで……」


 セージは頭へ手を添えた。


「研究を……」


「……」


「研究?」


 リュートが聞き返すと、セージはゆっくり頷く。


「そう……私は研究をしていた」


「うん。でも今は――」


「何の……?」


「え?」


 セージの顔に戸惑いが浮かんだ。


「私は……何を研究していた……?」


「……」


 リュートは、すぐには答えられなかった。


 そんな二人を見ながら、ジョージが静かに声をかける。


「セージ」


「……ジョージ」


「私が分かるか?」


 セージはジョージを見つめた。


 すぐには名前が出てこない。


 それでも少し考えたあと、セージは掠れた声で答えた。


「あなたは……グランベル……」


「そうだ」


「領主……」


「ああ」


 ジョージは剣を構えたまま、僅かに表情を緩めた。


「まだ分かるな」


「……」


 しかし。


 次の瞬間。


 セージの表情が突然苦しそうに歪んだ。


「でも……足りない」


「何が?」


 リュートが尋ねる。


 セージは自分の胸元を強く掴んだ。


「……力」


「セージ?」


「もっと……必要……」


「何のために?」


 リュートが問いかける。


「何のために力が必要なの?」


「……」


 セージはすぐには答えなかった。


 自分自身でも理由を探しているようだった。


「生きる……」


 やがて。


 セージの口から、その言葉が落ちる。


「そう!」


 リュートがすぐに反応した。


「生きるためだったんでしょ?」


 リュートは必死にセージへ語りかける。


「時間を失いたくなくて、もっと知りたいことがあって……だから研究を始めたんでしょ?」


「……知る」


「そうだよ!」


「私は……知りたかった……」


「うん!」


「だから研究してた……」


「そう!」


 リュートの顔に希望が戻る。


「だから、力そのものが欲しかったわけじゃ――」


 ――ドクンッ!!


「っ……!」


 突然、セージの身体が大きく跳ねた。


「セージ!」


「あ……あぁ……!」


 セージの全身から赤黒い魔力が溢れ始める。


「全員下がれ!」


 ジョージが叫んだ。


 カイルはすぐにルイスたちの前へ出ると、杖を大きく振った。


「ウインドウォール!」


 風が渦を巻きながら集まり、ルイスたちの前に巨大な壁を作る。


 直後。


 ――ドォォン!!


 セージから噴き出した赤黒い魔力が風の壁へ激突した。


「ぐっ……!」


 カイルの両足が地面を滑る。


「カイル!」


「まだ平気!」


 カイルは両手で杖を支えながら、風壁の向こうにいるセージを見た。


「それより、また身体の変化が進んでる!」


「……!」


 ルイスもセージへ目を向ける。


 セージの右腕は、先ほどよりさらに太くなっていた。


 伸びた爪は黒く鋭く、肩から首にかけて広がっていた黒い紋も、少しずつ頬へ近づいている。


「セージ!」


 リュートが叫ぶ。


「聞こえる!?」


「……」


 すぐには返事がない。


「セージ!」


 もう一度呼ぶ。


「……リュート」


「!」


 リュートの表情が明るくなった。


「大丈夫! まだ僕が分かる!」


「……あなた……」


「うん」


 ところが。


 セージはそこで言葉を止めた。


「……名前」


「え?」


「あなたの……名前……」


 リュートの笑顔が消える。


「……リュートだよ」


「……リュート」


「そう」


 セージは、その名前を何度か頭の中で確かめるように呟く。


「リュート……」


「うん」


「……そうだった」


 ようやく思い出したセージは、弱々しく笑った。


「ごめんなさい」


「……!」


「なんで謝るの?」


「忘れかけた……」


「いいよ!」


 リュートはすぐに首を横へ振った。


「思い出したなら大丈夫! 何回でも教えるから!」


「……」


 セージは何も答えず、リュートを見つめた。


 その表情には。


 先ほどまでの狂気ではなく。


 寂しさに似たものが浮かんでいた。


「リュート」


「うん」


「近づかないで」


「……」


「今の私は……」


 セージは黒く変形した自分の右腕を見る。


「自分で何をするか……分からない」


「……」


「だから、離れて」


「……嫌だ」


「リュート」


「離れない」


 リュートは胸元の笛を強く握った。


「僕は、セージを戻すって決めたから」


「……戻す」


「そう」


「僕がセージを元に戻す」


「……元……」


 セージはその言葉を繰り返した。


 そして。


 自分の身体へ目を落とす。


「私は……」


「……」


「どんな姿だった……?」


「……!」


 その問いに。


 リュートだけではなく、周囲にいた者たちまで言葉を失った。


「セージ」


 それでも。


 リュートはゆっくりと答える。


「長い黒い髪で」


「……」


「紫っぽい目で」


「……」


「いつも黒いローブ着てて」


「……」


「僕よりずっと背が高くて」


「……」


 リュートは少しだけ笑った。


「怖い顔してる時も多かったけど」


「……」


「たまに笑ってくれた」


「……」


「覚えてない?」


 セージは自分の右手を見つめる。


 太く変形した腕。


 黒い爪。


 皮膚を覆っていく紋。


「……違う」


「セージ?」


「こんな手じゃ……なかった」


「うん」


「違う……」


 セージの声が震え始める。


「私は……こんな……」


 その顔に。


 今度ははっきりと恐怖が浮かんだ。


「戻して」


「……!」


「リュート」


 セージは縋るように少年を見た。


「私を……戻して……」


「……うん!」


 リュートが強く頷いた。


「絶対に戻す!」


「だから――」


 ――ドクンッ!!


「あああああっ!!」


 セージが再び悲鳴を上げる。


「セージ!」


 赤黒い魔力が彼女の身体から爆発するように広がった。


「散れ!」


 ジョージの号令とともに、ルイスたちはそれぞれ左右へ飛ぶ。


 ――ズガァン!!


 セージの魔力が地面を抉った。


「セージ!」


 リュートが呼びかける。


「こっち見て!」


「……」


 セージが顔を上げた。


 だが。


 先ほどまで浮かんでいた恐怖の表情は消えている。


「もっと……」


「え?」


「力を……」


「……」


「もっと力が……」


「セージ!」


「足りない……」


「違う!」


 リュートが叫んだ。


「今必要なのは力じゃない!」


「……」


「セージは戻りたいって言ったじゃん!」


「戻る……」


「そう!」


「戻るために……」


 セージは胸元を押さえながら呟く。


「もっと……力がいる……」


「違うよ!」


 リュートの声が悲鳴に近くなる。


「力が欲しいんじゃない!」


「……」


 セージはリュートを見る。


「リュート……」


「うん」


「分からない……」


「……」


「私……何が欲しかった……?」


「……!」


「何を……したかった……?」


「セージ……」


「でも」


 セージは自分の身体から溢れる赤黒い魔力へ視線を落とした。


「これがあれば……大丈夫」


「何が?」


「分からない……」


「……!」


「でも」


 セージは魔力を握り締めるように指を曲げる。


「力があれば……大丈夫……」


「……」


 リュートは何も言えなかった。


「セージ!」


 その時。


 ジョージが強く名前を呼んだ。


「こちらを見ろ!」


「……」


 セージの視線がジョージへ向く。


「我々と話せ!」


 ジョージは剣を構えたまま叫ぶ。


「考えろ!」


「お前はまだそこにいる!」


「……」


 セージはしばらくジョージを見つめる。


「あなた……」


「ジョージだ」


「……ジョー……ジ」


「ああ」


「グランベル……」


「そうだ」


 その言葉を口にした途端。


 セージの瞳が鋭く変わった。


「グランベル……」


「……!」


「奪った……」


「何?」


「私から……全部……」


 ジョージの表情が険しくなる。


「セージ」


「思い出したのか?」


「処刑……」


「……」


「森……」


「捨てられた……」


「……」


「研究……」


 セージは苦しそうに額を押さえる。


「奪われた……」


「……」


「だから……」


 赤黒い魔力が再びセージの周囲へ集まっていく。


「力が……いる……」


「まただ」


 カイルが杖を構えた。


「昔の記憶と、今の『力が欲しい』って感覚が混ざってる」


「どういうこと?」


 ルイスが尋ねる。


「僕にも正確には分からない」


 カイルはセージを観察しながら答えた。


「過去の出来事は思い出せてる。でも、何が先で、どうしてそうなったのかって部分が曖昧になってるみたいだ」


「だったら」


 ルイスは短剣を握り直した。


「まだ話せば戻せる」


「簡単に言うね」


「やるしかないだろ」


「……そうだね」


 カイルも杖を握り直す。


 その瞬間。


「グランベル……!」


 セージが地面を蹴った。


「来る!」


 ジョージが正面へ踏み込む。


 ――ガキィン!!


 黒い爪とジョージの剣が激突した。


「ぐっ……!」


「ジョージ!」


 ルイスは叫び、急いでジョージの方へと駆け出す。


「来るな!」


 ジョージはセージの右腕を剣で受け止めながら、真正面から彼女の目を見る。


「私はここだ!」


「恨むなら私を見ろ!」


「グランベル……!」


「そうだ!」


 ジョージが力を込め、セージの腕を押し返す。


「だが!」


 ジョージは強く叫んだ。


「お前が本当に欲しかったものまで、グランベルのせいにするな!」


「……!」


 セージの動きが、一瞬止まった。


「私が……欲しかった……」


「そうだ!」


「思い出せ!」


 ジョージはさらに声を張る。


「お前は何のために研究を始めた!」


「……」


 セージの顔が苦しそうに歪む。


「私は……」


「……」


「死にたく……なかった……」


「……!」


 リュートが目を見開く。


「そうだよ!」


 リュートも叫んだ。


「セージはもっと生きたかったんだ!」


「……生きる……」


「そう!」


「力そのものが欲しかったんじゃない!」


「……」


 ほんの一瞬。


 セージの瞳の奥に、元の紫色が戻った。


「リュート……」


「うん!」


「私は……」


 しかし。


 ――ドクンッ!!


「ぁ……!」


「セージ!」


「離れろ!」


 ジョージが叫ぶ。


 直後。


 ――ドォン!!


 赤黒い魔力が弾け、ジョージの身体を吹き飛ばした。


「ジョージ!」


 ルイスが駆け寄る。


「大丈夫か!?」


「問題ない!」


 ジョージは地面を転がりながら剣を突き立て、勢いを殺してすぐに立ち上がった。


「それより前を見ろ!」


「っ!」


 ルイスが振り返った時には、セージがすでに目前まで迫っていた。


「速っ!」


 セージの黒い右腕が、横薙ぎに振り抜かれる。


「ルイス!」


 ――ガキィン!!


 ルイスは咄嗟に短剣を両手で支え、その一撃を受け止めた。


「ぐっ!」


 衝撃が両腕へ走る。


「重っ……!」


「ウインドバースト!」


 カイルが杖を振ると、強烈な風がセージの横腹へ叩きつけられた。


 ――ドンッ!!


「っ……!」


 セージの身体が横へ押し流される。


「今だ!」


 ジョージがすぐに叫んだ。


「全員で動きを止めろ!」


「はっ!」


 騎士たちが一斉に動く。


 二人が正面から注意を引きつけ、別の騎士たちは左右へ展開した。


 そのさらに外側を、冒険者たちが囲むように回り込む。


「脚を狙え!」


「おおっ!」


 騎士の槍がセージの右脚を貫いた。


 ほぼ同時に、冒険者の剣が左腕を浅く切り裂き、別の男が斧の柄を肩口へ叩きつける。

 

「入った!」


「そのまま押さえろ!」


 ジョージの指示を受け、全員が一斉に武器へ力を込めた。


「セージ!」


 リュートが叫ぶ。


「今、動きを止めるから!」


「……リュート」


「!」


 セージが苦しそうにリュートの名前を呼んだ。


「大丈夫!」


 リュートは必死に笑う。


「すぐ終わるから!」


「……戻る」


「うん!」


 リュートは何度も頷いた。


「一緒に戻ろう!」


 その時。


「……?」


 セージの右脚へ槍を突き刺していた騎士が異変に気づいた。


 槍の周囲で。


 裂けていた肉が、ゆっくりと動いている。


「何だ……これ」


 傷口が。


 塞がり始めていた。


「抜け!」


 カイルが叫ぶ。


「早く!」


 しかし、騎士が槍を引き抜こうとした時には、すでに遅かった。


 再生した肉が槍を強く挟み込む。


 ――バキッ!!


「なっ……!」


 槍が途中から折れた。


「下がれ!」


 騎士が武器から手を離し、後ろへ飛ぶ。


 ルイスはセージの脚を見た。


 折れた槍の穂先が体内に残っているにもかかわらず、傷口はそのまま塞がっていく。


「……再生」


 ルイスが呟く。


「街を襲った巨大魔獣と同じだ」


「いや」


 カイルが首を横へ振る。


「もっと速い」


 ジョージが切り裂いた左腕も。


 冒険者が斧を打ち込んだ肩も。


 傷口から肉が盛り上がり、みるみるうちに元へ戻っていく。


「嘘だろ……」


 一人の冒険者が息を呑んだ。


「あれだけやって、もう治るのかよ」


「なら、再生が追いつく前に動きを止めるまでだ!」


 ジョージが剣を構え直した。


「ルイス!」


「おう!」


 ジョージに呼ばれたルイスは、セージへ向かって走り出した。


 右手に意識を集中すると、以前よりも迷いなく炎が灯る。


 ルイスはその炎を短剣の根元へ添えながら、セージの側面へ回り込んだ。


「セージ!」


 ルイスは再生したばかりの左腕を狙う。


「ちょっと我慢してくれ!」


 身体を捻り、炎を添えた短剣を一気に振り抜いた。


 ――ザンッ!!


「っ……!」


 刃がセージの腕へ食い込む。


 さらに、傷口へ触れた炎が赤黒い肉を焼いた。


 ――ジュウッ。


「……!」


 カイルがすぐに異変へ気づく。


「ルイス!」


「俺も見えてる!」


 先ほどまでならすぐに塞がっていた傷が、今度は残っている。


 肉は確かに再生しようと動いていた。


 だが。


 焼かれた傷口を塞ごうとするそばから、残った熱が再び肉を焼いている。


 その分だけ。


 他の傷よりも塞がるのが遅い。


「焼かれた部分の修復に時間がかかってる!」


 カイルが叫ぶ。


「だったら!」


 ルイスがもう一度セージへ踏み込もうとする。


「待て!」


 ジョージが止めた。


「一人で突っ込むな!」


「でも、炎なら効く!」


「だからこそだ!」


 ジョージは周囲の騎士と冒険者へ視線を走らせる。


「全員でルイスの攻撃を通す!」


「……!」


「総員!」


 ジョージが剣を掲げた。


「我々がセージの動きを止める!」


「ルイスを前へ出せ!」


「はっ!」


「おおっ!」


 騎士と冒険者が同時に動く。


 正面にはジョージ。


 左右には騎士と冒険者。


 後方ではカイルが杖を構える。


「ウインドカッター!」


 カイルの放った風の刃が、セージの足元を斜めに切り裂いた。


「っ!」


 セージが僅かに体勢を崩す。


「今だ!」


 ジョージが正面から踏み込み、セージの右腕へ剣を叩きつけた。


 ――ガキィン!!


 セージが反射的に爪で受け止める。


 その瞬間。


 横腹が大きく開いた。


「ルイス!」


「おう!」


 ルイスは迷わず地面を蹴った。


 短剣の根元へ炎を灯したままセージの懐へ潜り込み、その横腹へ刃を振り抜く。


 ――ザンッ!!


「あぁっ!」


 今度は。


 セージの口から、はっきりと人間の悲鳴が上がった。


「……!」


 その声を聞いた瞬間。


 ルイスの腕が止まりかける。


「セージ……」


「痛い……」


 リュートが息を呑んだ。


「セージ!」


 思わず駆け寄ろうとする。


「待て!」


 ルイスが振り返って叫んだ。


「まだ危ない!」


「でも!」


「分かってる!」


 ルイスも苦しそうにセージを見る。


「俺だって、こんなのやりたいわけじゃない!」


「……」


「でも!」


 ルイスは短剣を握り直した。


「止めなきゃ、もっと苦しくなる!」


「……」


 リュートは唇を噛む。


「セージ」


「……」


「ごめん」


 リュートは小さく謝った。


「でも」


「絶対に戻すから」


「……リュート」


「うん」


 セージの瞳に。


 また僅かに紫色が戻る。


「信じて……」


「!」


「私を……戻して……」


「……うん!」


 リュートは力強く頷いた。


「絶対に!」


 その言葉を聞いて。


 セージがほんの少し笑う。


 しかし。


 その笑みは。


 長く続かなかった。


「……力」


「え?」


「もっと……」


 セージの表情が再び歪む。


「もっと力が……」


「セージ!」


「ないと……戻れない……」


「違う!」


 リュートは必死に否定した。


「力じゃない!」


「でも……」


 セージは自分の黒い腕を見る。


「力があれば……治る」


「……」


「もっと強くなれば……戻れる……」


「違うよ!」


 リュートは声を張った。


「それ以上の力を求めたから、こうなってるんだよ!」


「……」


 セージはリュートを見る。


「そう……なの?」


「そうだよ!」


「……」


 セージは自分の身体を見下ろした。


「じゃあ……私は」


「何をすれば……」


「僕たちに任せて!」


 リュートは迷わず答える。


「もうセージが一人で何とかしなくていい!」


「……一人」


「そう!」


 リュートは周囲を指した。


「僕がいる!」


「ルイスもいる!」


「カイルも!」


「ジョージも!」


「騎士のみんなも、冒険者のみんなもいる!」


「……」


 セージはゆっくりと周囲を見た。


 ジョージ。


 ルイス。


 カイル。


 騎士たち。


 冒険者たち。


 最後に。


 リュート。


「みんな……」


「そうだよ!」


「だから、もう力を探さなくていい!」


「……」


 少しの間。


 セージは何も言わなかった。


 そして。


 ゆっくりと黒い右腕を下ろす。


「……分かった」


「……!」


 リュートの顔が明るくなる。


「セージ!」


「私……もう……」


 ――ドクンッ!!


「ぁ……!」


「セージ!?」


 セージの身体が大きく震えた。


 その直後。


 顔から。


 表情が抜け落ちる。


「……力」


「……」


「もっと……力……」


「セージ?」


「……」


「リュートだよ」


「……リュート」


「うん!」


「……」


「セージ?」


 セージはしばらくリュートを見ていた。


「……あなた」


「……」


「誰……?」


「……!」


 その一言に。


 リュートの顔から血の気が引いた。


「セージ……?」


 震える声で、もう一度名前を呼ぶ。


「僕だよ」


「……」


「リュートだよ」


「……」


 セージの瞳が揺れる。


「リュー……」


「そう!」


「リュート!」


「……ト」


「うん!」


 長い沈黙のあと。


「……リュート」


「!」


「思い出した?」


 セージは僅かに迷ってから。


 小さく頷いた。


「……ええ」


「……!」


 リュートは大きく息を吐いた。


「よかった……」


 まだ。


 思い出せる。


 まだ。


 自分の名前を呼べる。


「まだ大丈夫……」


 リュートは、自分自身へ言い聞かせるように呟いた。


 その様子を。


 カイルは少し離れた場所から黙って見ていた。


「カイル?」


 ルイスが気づく。


「どうした?」


「……いや」


 カイルはセージの身体へ目を向ける。


 黒く変形した腕。


 異常な身体能力。


 傷を瞬く間に塞いだ再生力。


 そして。


 全身を流れる赤黒い魔力。


「気になることがある」


「何?」


「身体の変化が」


 カイルは眉を寄せた。


「街を襲った巨大魔獣に似すぎてる」


「……」


 その言葉は。


 少し離れていたリュートの耳にも届いた。


「魔獣……?」


 リュートがゆっくり振り返る。


「カイル」


「何?」


「今、セージが魔獣に似てるって言った?」


「……ああ」


 カイルはセージから目を離さず答える。


「異常な身体強化も、再生も、赤黒い魔力も」


「巨大魔獣に起きていた変化とかなり近い」


「……」


 リュートもセージを見る。


 そして。


 黒く変わっていく身体の奥で脈打つ赤黒い力へ視線を向けた。


「魔獣……」


 リュート自身。


 何度も魔獣へ笛を吹いてきた。


 音に魔力を乗せ。


 意思を伝え。


 進む方向を変えた。


 セージの命令を受けて。


 魔獣を操ったこともある。


「……」


 そこで。


 リュートの中に、一つの考えが浮かぶ。


「待って……」


「リュート?」


 ルイスが少年を見る。


「どうした?」


「セージが取り込んだ力って」


 リュートはカイルへ顔を向けた。


「魔獣から集めたものだよね?」


「……そうだね」


 カイルは少し考えてから頷く。


「少なくとも、大部分は魔獣の魔石から抽出したものだと思う」


「……」


 リュートは胸元にある笛へ目を落とした。


 セージは人間だ。


 少なくとも。


 元は。


 そうだった。


 でも今は。


 その身体が。


 魔獣から集めた力によって変わり始めている。


「だったら……」


 リュートが笛を握る。


「これ」


「笛?」


 ルイスが聞き返す。


「うん」


 リュートはセージを見つめた。


「セージにも……効くかもしれない」


「……!」


「セージを操るってこと?」


「違う!」


 リュートはすぐに首を横へ振った。


「セージ本人を操りたいんじゃない」


「じゃあ?」


「今のセージの身体を動かしてる力」


 リュートはセージの黒い右腕を見る。


「その中に」


「魔獣から取った力があるなら」


「僕の音が」


「そこに届くかもしれない」


「……」


 カイルは何も言わず。


 一度。


 リュートの笛を見る。


 そして。


 セージを見る。


「可能性はあるかもしれない」


「本当?」


「分からないよ」


 カイルはすぐに付け加える。


「そもそも、君の笛が魔獣へどう作用してるのかだって、僕は全部理解してるわけじゃない」


「……」


「でも」


 カイルは僅かに頷いた。


「試す価値はある」


「……!」


 リュートはすぐに笛を口元へ持っていこうとした。


「待て」


 ジョージが止める。


「リュート」


「何?」


「何が起きるか分からん」


「……」


「私たちが前へ出る」


 ジョージは剣を構える。


「お前は後ろから試せ」


「でも」


「もしセージが暴れれば」


 ジョージは周囲にいる騎士たちへ視線を送った。


「我々で止める」


「……」


「お前は」


「セージへ音を届けることだけ考えろ」


「……うん」


 リュートは頷いた。


「ルイス」


「おう」


「カイル」


「分かってる」


 ジョージが騎士と冒険者たちへ向き直る。


「総員、前へ!」


「セージの注意はこちらへ向ける!」


「はっ!」


「おう!」


 全員が再び武器を構えた。


 その後方。


 リュートは笛を持ったまま、セージの名前を呼ぶ。


「セージ」


「……」


 セージがゆっくりと振り返った。


「……リュート」


「うん」


 その答えを聞いただけで。


 リュートの胸に、また希望が灯る。


「今から」


「ちょっとだけ試したいことがある」


「……何?」


「この笛」


 リュートが胸元の笛を見せる。


「覚えてる?」


「……笛」


 セージはそれを見つめた。


 しばらく。


 考える。


「私が……」


「うん」


「教えた……」


「そう!」


 リュートが笑った。


「覚えてる!」


「……」


「だったら」


 リュートは笛を握り直す。


「きっと届くよ」


「何が……?」


「僕の音」


 リュートはまっすぐにセージを見る。


「セージを戻すための音」


「……戻す」


「うん」


 セージはゆっくりと目を閉じた。


「……やって」


「!」


「セージ?」


「もし……」


 セージは苦しそうに息を吐く。


「私が……私じゃなくなる前に」


「……」


「戻せるなら……」


 ゆっくりと目を開き。


 リュートを見る。


「やって」


「……!」


 リュートは笛を握る手に力を込めた。


「大丈夫」


 自分自身にも言い聞かせるように。


 強く答える。


「絶対」


「戻すから」


「……」


 リュートは大きく息を吸った。


 まだ。


 セージは自分の名前を覚えている。


 まだ。


 話すことができる。


 まだ。


 自分から「戻りたい」と願っている。


 なら。


 絶対に間に合う。


 リュートはそう信じながら。


 笛を口元へ運んだ。


 ――ピィィィィィィ……。


 澄んだ笛の音が。


 静かな森の中へ。


 ゆっくりと広がっていった。


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