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冒険者はまだ見ぬロマンを求めて  作者: 片山武琉
第一章 魔女と銀の笛

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第一章51 『初めての選択』


 リュートは。


 笛を強く握った。


「……リュート?」


 ルイスが名前を呼ぶ。


 だが、リュートは答えなかった。


 その視線の先にいるのは、赤黒い魔力の中心で苦しんでいるセージだった。


 セージの胸元には、先ほどまで全身へ散っていた魔力が集まり続けている。


 黒い紋が脈打つたびに身体が震え、その周囲では赤黒い光が不規則に弾けていた。


「カイル」


 ルイスはセージを見たまま尋ねる。


「あれ、どうなるんだ?」


「分からない」


 カイルも杖を構えながら答えた。


「でも、あのまま一ヶ所に魔力が集まり続けるのはまずい」


「どれくらい?」


「ものすごく」


「急に分かりやすいな」


「細かく説明してる時間がないんだよ!」


 その直後。


 ――ドクンッ!!


「ぐっ……!」


 セージが胸元を押さえ、大きく身体を折った。


 同時に赤黒い魔力が一気に膨れ上がる。


「来るぞ!」


 ジョージが叫んだ。


 ――ドォン!!


 セージの身体から魔力が噴き出す。


「――ウインドウォール!」


 カイルが杖を振る。


 ルイスたちの前に風の壁が広がり、押し寄せる赤黒い魔力を正面から受け止めた。


「ぐっ……!」


 風の壁を維持するカイルの身体が、少しずつ後方へ押される。


「カイル!」


「まだ大丈夫!」


 カイルは杖を両手で支えながら叫んだ。


「でも、長くは持たない!」


「だったら俺が――」


「待って」


 前へ出ようとしたルイスを、リュートが止めた。


「え?」


 ルイスが振り返る。


 リュートはセージではなく、研究室の床を見ていた。


「……まだ残ってる」


「何が?」


「この施設の術式」


 リュートは足元に刻まれた魔法陣へ視線を落とす。


 セージへ力を送り込んでいた装置そのものは、すでに止まっている。


 それでも。


 壁。


 床。


 天井。


 研究施設全体へ刻まれた魔法陣には、まだ僅かに赤黒い光が流れていた。


「装置は止まったんじゃなかったの?」


「セージへ力を送る装置は止まった」


 リュートは首を横へ振る。


「でも、施設そのものはまだ生きてる」


「どういうこと?」


 今度はカイルが尋ねる。


「ここには、魔力を集めるためのものだけじゃない」


 リュートは周囲を見回した。


「魔力を貯めるもの」


「流れを調整するもの」


「装置を守るもの」


「いろんな術式が重なってる」


「セージが全部作ったの?」


「うん」


 リュートは手の中の笛を見る。


「僕も」


「研究を手伝ってたから」


「少しだけ見たことがある」


 その言葉に、カイルの表情が変わった。


「リュート」


「もしかして、この施設を止めるつもり?」


「……うん」


「止めるだけ?」


「違う」


 リュートは顔を上げた。


「壊す」


「……!」


 ルイスが目を見開く。


「壊せるの?」


「分からない」


「分からないの!?」


「でも」


 リュートはセージを見る。


「やる」


 その時。


「やめなさい」


 セージの声が響いた。


「……セージ」


 リュートが振り返る。


 赤黒い魔力に包まれながらも、セージははっきりとリュートを見ていた。


「その術式には」


「触らないで」


「……」


「それは」


 セージは胸元を押さえながら、苦しそうに言葉を続ける。


「私が」


「二十年かけて」


「作ったものよ」


 リュートの指に力が入った。


「知ってる」


「だったら」


「分かるでしょう?」


 セージの声が僅かに強くなる。


「どれだけ時間をかけたか」


「どれだけ失敗したか」


「どれだけ作り直したか」


「あなたは」


「ずっと見ていたでしょう?」


「……うん」


 リュートは静かに頷いた。


「見てた」


「夜になっても」


「ずっと研究してた」


「僕が寝る時も」


「起きた時も」


「同じ場所に座ってたこともあった」


「……」


「失敗して」


「怒って」


「それでも」


「また次の日には続けてた」


 リュートは笛を強く握る。


「だから」


「僕だって」


「壊したくない」


「だったら――」


「でも!」


 リュートが、初めてセージの言葉を遮った。


「このままじゃ」


「セージが死ぬ!」


「……!」


「研究が残っても」


「セージがいなくなったら」


「僕には意味がない!」


「意味はある!」


 セージもすぐに叫び返した。


「研究は」


「私が死んでも残る!」


「積み上げた知識は」


「次へ繋がる!」


「だから価値があるのよ!」


「……」


「あなたまで」


 セージの顔が歪む。


「私が積み上げたものを」


「否定するの?」


「違う」


 リュートはすぐに首を横へ振った。


「否定したくない」


「セージが教えてくれたこと」


「僕」


「好きだった」


「魔法のことも」


「魔石のことも」


「森のことも」


「知らないことを」


「いっぱい教えてくれた」


 リュートは、少しだけ昔を思い出すように笑った。


「だから」


「セージの研究が」


「全部間違ってたなんて」


「思いたくない」


「だったら」


 セージが手を伸ばす。


「戻ってきなさい」


「……」


「リュート」


 その呼び方だけが。


 ほんの少し。


 昔と同じだった。


「まだ」


「間に合うわ」


「私のところへ戻って」


「研究を守って」


「また」


 セージが僅かに笑う。


「今までみたいに」


「一緒に――」


「できない」


「……!」


 リュートは静かに首を横へ振った。


「前にも言ったよ」


「僕は」


「セージを見捨てたくないから」


「止めるって」


「……」


「セージを大切にすることと」


「セージの言うことを」


「全部聞くことは」


「同じじゃない」


 リュートは自分の笛を見る。


「僕は」


「セージに助けてもらった」


「名前も」


「言葉も」


「この笛の吹き方も」


「いろんなことを教えてもらった」


「だからこそ」


 リュートは苦しむセージを見た。


「これ以上」


「セージが」


「この研究のせいで」


「壊れていくのを」


「見たくない」


 ――ドクンッ!!


「あぁっ……!」


 セージの身体から赤黒い魔力が弾けた。


 今度は。


 リュートへ向かう。


「危ない!」


 ルイスが前へ飛び出す。


 右手に灯した炎を短剣の根元へ添え、そのまま迫る魔力へ刃を振り抜いた。


 ――ガァン!!


「ぐっ!」


 短剣と赤黒い魔力が激突する。


 炎が激しく弾けた。


 ルイスの身体が押し戻される。


「カイル!」


「――ウインドバースト!」


 カイルの杖から強烈な風が放たれた。


 ルイスが受け止めていた魔力を横から叩き、その軌道を大きく逸らす。


 ――ズガァン!!


 赤黒い魔力が壁へ激突した。


「今だ!」


 ジョージが叫ぶ。


「リュート!」


「……うん!」


 リュートが走り出す。


「やめなさい!」


 セージの周囲へ再び魔力が集まる。


「リュート!」


 だが。


 セージの前へ、ジョージが立った。


「……ジョージ」


「今は私を見ろ」


 ジョージが剣を構える。


「お前の相手は」


「こちらだ!」


 ――ガキィン!!


 セージから飛び出した赤黒い魔力を、ジョージが剣で受け流した。


「リュート! 急げ!」


「うん!」


 リュートは制御台へ向かう。


 その背中を、ルイスが追った。


「俺も行く!」


「ルイス?」


「一人で行かせられるかよ!」


「でも」


「守るだけ!」


 ルイスは走りながら笑った。


「決めるのは」


「お前がやれ!」


「……!」


「お前が決めたんだろ?」


「……うん」


 リュートも小さく笑った。


「ありがとう」


 二人は制御台へ辿り着く。


「どこを壊す?」


 ルイスが尋ねる。


「待って」


 リュートは制御台へ組み込まれた魔石を一つずつ見ていく。


 その中心。


 他より一回り大きな黒い魔石。


 そこから、無数の術式が伸びている。


「……これ」


「これ?」


「施設全体の術式を繋いでる」


 カイルも離れた場所から制御台へ目を向ける。


「その魔石が中心?」


「たぶん」


「ちょっと待って」


 カイルが杖を構えたまま、床を走る魔力の流れを見る。


「セージへの流れはもう切れてる」


「今ここに残ってるのは、施設を動かしてる分だけだ」


「じゃあ」


 ルイスが短剣を上げる。


「これを壊せば?」


「少なくとも」


 カイルが答える。


「施設の術式は止まる可能性が高い」


「なら壊す!」


 ルイスが一歩出る。


「待って」


「また!?」


 リュートがルイスの腕を掴んだ。


「……僕がやる」


「え?」


「僕が」


 リュートは中央の魔石を見る。


「壊す」


「……」


「これは」


 リュートの声が僅かに震える。


「セージが作ったものだから」


「だから」


「僕が決めたことなら」


「僕がやらないと」


「……分かった」


 ルイスは短剣を下ろした。


「じゃあ俺は」


「お前を守る」


「……うん」


「リュート!」


 遠くからセージの声が飛ぶ。


「やめて!!」


「……」


 リュートの手が、一瞬だけ止まった。


「それを壊したら」


 セージの声が震える。


「もう」


「戻せない!」


「……」


 リュートは目を閉じた。


 森の家。


 魔石。


 魔法。


 研究。


 セージから教えてもらったこと。


 名前。


 食事。


 眠る場所。


 そして。


 この笛。


 たくさんのものをもらった。


 だから。


 怖い。


 壊したくない。


「リュート」


 隣から、ルイスの声が聞こえた。


「……何?」


「怖い?」


「……うん」


「そっか」


 ルイスは制御台を見ながら言った。


「俺だったら」


「たぶん」


「めちゃくちゃ怖いと思う」


「え?」


「だって」


「大切な奴がずっと頑張ってたものを」


「自分で壊すんだろ?」


「……」


「怖くない方がおかしい」


「ルイス……」


「でも」


 ルイスはセージを見る。


「どっちを選んでも」


「何かは失うんじゃない?」


「……」


「だったら」


 ルイスはリュートを見る。


「一番」


「失いたくないものを」


「選べばいい」


「……」


 リュートはセージを見た。


 研究。


 施設。


 積み上げた知識。


 そして。


 セージ本人。


 今まで。


 リュートにとっては全部が一つだった。


 研究を手伝うことが。


 セージのためになる。


 セージの言うことを聞くことが。


 セージを大切にすること。


 そう思っていた。


 けれど。


 今は違う。


「……僕は」


 リュートは笛を握った。


「セージを」


「失いたくない」


「……!」


 セージの瞳が揺れる。


「研究じゃない」


「施設でもない」


「僕が」


 リュートは黒い魔石へ向き直った。


「一番」


「失いたくないのは」


「セージだ」


「リュート!」


「ごめん」


 リュートは笛を胸元へ戻す。


「でも」


「僕が」


「決めた」


 そして。


 制御台へ手を伸ばした。


 中央の黒い魔石。


 それを固定している金具へ指をかける。


「ぐっ……!」


 固い。


 簡単には動かない。


「リュート!」


「やめなさい!」


「……っ!」


 それでも。


 リュートは手を離さない。


「ルイス!」


「任せろ!」


 ルイスが制御台へ駆け寄る。


「ここか?」


「うん!」


「これを外せばいいんだな?」


「たぶん!」


「よし!」


 二人で。


 金具へ力を込める。


「せーの!」


「っ!」


 ――ガキンッ!!


 固定されていた金具が外れた。


 中央の黒い魔石が。


 僅かに浮き上がる。


「抜ける!」


 リュートが。


 両手で魔石を掴む。


「やめて!!」


 セージの声。


 それでも。


 リュートは。


 手を止めなかった。


「僕は」


「セージに」


「生きててほしい!」


 力いっぱい。


 魔石を引き抜く。


 ――ガキィッ!!


「っ!」


 黒い魔石が。


 制御台から外れた。


 その瞬間。


 床を走っていた光が大きく揺らぐ。


「消え始めた!」


 カイルが叫ぶ。


 壁。


 天井。


 床。


 施設全体を繋いでいた術式が。


 一つ。


 また一つ。


 光を失っていく。


「リュート……」


 セージの声が。


 今度は怒鳴り声ではなく。


 悲鳴に近かった。


「それは」


「私の……!」


「……ごめん」


 リュートは取り外した黒い魔石を見る。


 まだ。


 僅かに赤黒い光を放っている。


 これを戻せば。


 もしかしたら。


 また動かせるかもしれない。


 だから。


 終わらせる。


 リュートは魔石を。


 石造りの制御台へ。


 叩きつけた。


 ――ガンッ!!


 一度。


「っ……!」


 まだ。


 割れない。


「リュート!!」


「ごめん!」


 もう一度。


 ――ガンッ!!


 そして。


 三度目。


「僕は!」


 両手に力を込める。


「セージを失いたくない!!」


 ――ガァン!!


 ――パキン。


「……!」


 黒い魔石へ。


 一本の亀裂が走った。


 次の瞬間。


 ――バキバキバキッ!!


 魔石が砕けた。


 同時に。


 研究施設全体の魔法陣から。


 完全に光が消えた。


「……そんな」


 セージの声が、小さく落ちる。


 床も。


 壁も。


 天井も。


 二十年間。


 セージが作り続けてきた研究施設が。


 静かに。


 沈黙した。


「私の……」


 セージは砕けた黒い魔石を見る。


「研究……」


 リュートはゆっくり手を下ろした。


「……ごめん」


「……」


「でも」


 リュートは涙を拭う。


「これが」


「僕の選んだことだから」


「……」


「セージを失うより」


「研究を失う方を」


「僕は選ぶ」


 セージは。


 砕けた魔石を見つめたまま。


 しばらく動かなかった。


「……研究」


 やがて。


 小さく呟く。


「私の……研究……」


「セージ?」


 リュートが呼ぶ。


 セージはゆっくり顔を上げた。


「私は……」


「何を……」


「……?」


「何を」


 セージが眉を寄せる。


「しようと……していた……?」


「……セージ」


 リュートの表情が変わる。


「私の研究は……」


 セージは自分の頭を押さえた。


「違う」


「私は」


「もっと……」


 言葉が止まる。


「もっと?」


「……力」


「……」


「もっと」


 セージは胸元を掴んだ。


「力が……」


「必要……」


「セージ?」


「違う……」


 セージ自身も。


 自分の言葉に戸惑うように。


 首を振った。


「何のために……?」


「私は……」


 ――ドクンッ!!


「っ――!」


 セージの身体が大きく跳ねた。


「セージ!」


「何だ!?」


 ルイスも短剣を構える。


「カイル!」


「分かってる!」


 カイルがセージを見る。


「施設の術式は止まった!」


「でも!」


 セージの身体から。


 赤黒い魔力が再び噴き出す。


「身体の中に入ってる力までは消えてない!」


「……!」


 リュートの顔が青ざめた。


「じゃあ」


「まだ……?」


「暴走は止まってない!」


 ――ドォン!!


 赤黒い魔力が爆発する。


「伏せろ!」


 ジョージが叫んだ。


「――ウインドウォール!」


 カイルが再び風の壁を展開する。


 しかし。


 今度の衝撃は。


 先ほどまでより明らかに強かった。


「ぐっ……!」


 風の壁が大きく揺れる。


「カイル!」


「まずい……!」


 カイルは杖を支えながら、天井を見る。


「施設が!」


 ――バキィッ!!


 大きな亀裂が天井を走った。


 直後。


 石片が次々と落下し始める。


「全員!」


 ジョージが出口を指さす。


「地上へ出ろ!」


「でもセージが!」


 リュートが叫んだ。


「置いていけない!」


「置いていくとは言っていない!」


 ジョージは即座に返す。


「ルイス!」


「おう!」


「カイル!」


「分かってる!」


「三人で道を作る!」


「リュート!」


 ジョージはリュートを見る。


「セージを呼び続けろ!」


「……うん!」


 ――ゴゴゴゴゴ……!


 施設全体が大きく揺れ始める。


 天井から巨大な石が落ちてきた。


「――ウインドカッター!」


 カイルが杖を振る。


 風の刃が落下してきた石を切り裂き、左右へ弾き飛ばした。


「ルイス!」


「任せろ!」


 ルイスはセージへ向かって走る。


 しかし。


 赤黒い魔力が進路を塞ぐ。


「邪魔だ!」


 短剣の根元へ炎を添える。


 ――ガァン!!


 短剣を赤黒い魔力へ叩きつける。


「ぐっ……!」


 押し返されそうになる。


 それでも。


 ルイスは踏み込んだ。


「どけぇっ!!」


 炎が弾ける。


 赤黒い魔力の流れが。


 一瞬だけ。


 左右へ押し退けられた。


「ジョージ!」


「分かっている!」


 ジョージが、ルイスの作った隙間を抜ける。


「セージ!」


「……」


 セージは。


 まだ。


 砕けた研究装置を見ていた。


「セージ!」


 ジョージが彼女の腕を掴む。


「離しなさい!」


「断る!」


「ジョージ!」


「二十年前」


 ジョージはセージを引き寄せた。


「私は」


「お前が連れていかれるのを」


「見ているだけだった!」


「……!」


「今度は」


 セージの腕を自分の肩へ回す。


「同じことはしない!」


「……」


「歩け!」


「私は……」


「歩けないなら」


 ジョージがセージの身体を支える。


「担いででも連れていく!」


「……本当に」


 セージは苦しそうに笑った。


「父親より」


「乱暴ね」


「それは褒め言葉か?」


「嫌味よ」


「なら」


 ジョージも僅かに笑う。


「まだ話せるな」


「ルイス!」


 カイルが叫んだ。


「上!」


「え?」


 ルイスが顔を上げる。


 巨大な岩が落ちてくる。


「うわっ!」


「――ウインドランス!」


 カイルの杖から風の槍が放たれた。


 ――ドンッ!!


 風の槍が岩を横から撃ち抜き、落下する方向を逸らす。


「助かった!」


「走って!」


「おう!」


「リュート!」


 ルイスが叫ぶ。


「行くぞ!」


「……うん!」


 リュートはジョージに支えられているセージの横へ走った。


「セージ!」


「……」


「聞こえる?」


「……聞こえてる」


 返ってきた声に。


 リュートは少しだけ安堵する。


「絶対」


「置いていかないから」


「……」


「だから」


「歩いて!」


「……うるさい子」


「セージに育てられたから!」


「……そう」


 セージが。


 ほんの少し。


 目を細める。


「私が……」


「あなたを……」


「うん」


「育てた……」


「……はず」


「……!」


 リュートの足が一瞬止まりかける。


「セージ?」


「何でもない」


 セージは首を振った。


「行きましょう」


「……うん」


 リュートは。


 不安を押し込めるように。


 強く頷いた。


 ――ゴゴゴゴゴゴ!!


「急げ!」


 ルイスたちは地下通路へ飛び込んだ。


 背後では、研究室そのものが崩れ始めている。


 ――ドォォン!!


 石。


 砂埃。


 そして。


 暴走した赤黒い魔力。


 それらが後ろから押し寄せる。


「カイル!」


「――ウインドバースト!」


 カイルが振り返りざまに杖を振った。


 強烈な風が通路を駆け抜け、押し寄せる砂埃と赤黒い魔力を一瞬だけ押し返す。


「今のうち!」


「走れ!」


 ルイス。


 リュート。


 ジョージ。


 セージ。


 そしてカイル。


 五人が地上へ向かって走る。


 暗い通路の先。


 遠く。


 白い光が見えた。


「出口だ!」


 ルイスが叫ぶ。


 だが。


 その出口の一部が。


 崩れ落ちた瓦礫によって塞がれていた。


「くそっ!」


 ルイスが走りながら短剣を構える。


「カイル!」


「分かってる!」


 カイルが出口へ杖を向ける。


「――ウインドランス!」


 風の槍が瓦礫の中心へ突き刺さった。


 ――バギィッ!!


 岩へ大きな亀裂が走る。


「まだ!」


「――ウインドカッター!」


 風の刃が亀裂へ沿って走り、岩をさらに細かく切り裂いた。


「今だ、ルイス!」


「おおおおっ!」


 ルイスは最後に残った瓦礫へ蹴りを叩き込んだ。


 ――ドンッ!!


 崩れた岩が外へ転がる。


 一気に。


 外の光が差し込んだ。


「開いた!」


「全員!」


 ジョージが叫ぶ。


「外へ!」


 ルイスが最初に飛び出す。


 続いて。


 カイル。


 リュート。


 そして。


 ジョージに支えられたセージ。


 全員が森の中へ飛び出した。


 直後。


 ――ドォォォォォン!!


 背後で地下施設の一部が崩落した。


 地面が激しく揺れる。


「っ……!」


 ルイスは腕で顔を庇いながら、何歩も前へ走った。


 やがて。


 崩落の音が少しずつ遠ざかる。


「……出られた」


 ルイスが息を吐く。


「本当に……」


 カイルも肩で息をする。


「もう地下は嫌だね」


「俺も」


「絶対また入るでしょ」


「遺跡なら入る」


「ほら!」


 そんな二人のやり取りをよそに。


「領主様!」


 声が飛んだ。


 森の中。


 地下へ入らず周囲を警戒していた騎士たち。


 そして、研究施設の外で待機していた冒険者たちが次々と駆け寄ってくる。


「ご無事でしたか!」


「ああ」


 ジョージは短く答えた。


「負傷者は?」


「すでに後方へ!」


「動ける者は?」


「ここに!」


 騎士たちが武器を構える。


 冒険者たちも。


 剣。


 斧。


 槍。


 杖。


 それぞれの武器を手にしていた。


「何があったんだ?」


 一人の冒険者が崩れた地下施設を見る。


「すごい音だったぞ」


「話は後だ」


 ジョージが答える。


「今は――」


 そこで。


 ジョージの言葉が止まった。


「……」


 彼の肩へ体重を預けていたセージが。


 また。


 震えていた。


「セージ?」


 リュートが気づく。


「……っ」


 セージは胸元を押さえる。


「セージ!」


「来ないで……」


「え?」


「リュート」


 セージが顔を上げる。


 その表情は。


 さっきよりも。


 明らかに苦しそうだった。


「離れて」


「でも!」


「お願い……」


 ――ドクン。


「っ!」


 セージの身体が跳ねる。


「カイル!」


 ルイスが叫ぶ。


「分かってる!」


 カイルもすぐに杖を構えた。


「全員下がって!」


 騎士と冒険者たちが一斉に距離を取る。


「セージ」


 ジョージも彼女の身体から手を離した。


「立てるか?」


「……」


 セージは答えない。


 それどころか。


 自分の右手をじっと見つめていた。


「何……」


「セージ?」


「何なの……」


 右手。


 指先。


 黒く染まっていた爪が。


 少しずつ。


 伸び始める。


「……!」


 リュートが息を呑む。


 ――ミシッ。


 小さな音。


「え?」


 ルイスがセージを見る。


 右腕。


 骨格そのものが。


 内側から押し広げられるように。


 形を変えていく。


「セージ!」


「来ないで!」


 セージが叫んだ。


 その声には。


 まだ。


 はっきりと意志があった。


「私は……」


 セージが変わっていく腕を見る。


「こんなものを……」


「望んで……」


「……」


 言葉が止まる。


「セージ?」


「何を……」


 セージが頭を押さえた。


「私は」


「何を望んで……?」


「……!」


 リュートの表情が強張る。


「セージ」


「思い出して」


「研究してたんでしょ?」


「研究……」


 セージが呟く。


「そう」


「研究……」


「私は……」


 その顔に。


 ほんの一瞬。


 理解したような色が戻る。


「私は」


「死なないために……」


「時間を……」


「もっと……」


「……」


 また。


 止まる。


「もっと」


 セージの視線が。


 自分の黒く変わる腕へ向く。


「力が……」


「必要」


「違うよ!」


 リュートが叫んだ。


「セージが欲しかったのは」


「力そのものじゃない!」


「……」


「知りたいことがあって」


「もっと生きたかったんでしょ!?」


「……生きる」


 セージが。


 ゆっくりリュートを見る。


「そう……」


「私は」


「生きるため……」


 少しだけ。


 表情が戻る。


「……リュート」


「うん!」


「僕だよ!」


「……」


 セージは。


 リュートの顔を見つめた。


「リュート……」


「そうだよ」


「大丈夫」


「僕がいるから」


「……」


 その言葉に。


 セージの唇が僅かに動く。


「私が……」


「拾った……」


「……子」


「……うん」


 リュートが笑う。


「覚えてるじゃん」


「……そうね」


 ほんの少し。


 セージも笑った。


 だが。


 次の瞬間。


 ――ドクンッ!!


「あああああっ!!」


 セージの身体が大きく反る。


「セージ!」


「リュート……!」


 セージが苦しみながら叫んだ。


「逃げて!」


「嫌だ!」


「お願い!」


「今度は」


 セージの瞳が揺れる。


「私が……」


「何をするか……」


「分からない……!」


 ――ドォォォォン!!


 赤黒い魔力が爆発した。


「全員伏せろ!」


 ジョージが叫ぶ。


「――ウインドウォール!」


 カイルが杖を振る。


 巨大な風の壁が。


 ルイスたち。


 騎士たち。


 冒険者たちの前へ広がった。


 赤黒い魔力が風壁へ激突する。


「ぐっ……!」


 カイルが歯を食いしばる。


「カイル!」


「まだ平気!」


「でも」


 カイルは。


 風壁の向こうを見ていた。


「変化が」


「進んでる……!」


 赤黒い魔力の中心。


 セージの影。


 右腕は。


 先ほどまでより。


 さらに大きく。


 黒く変形している。


 肩。


 首。


 頬。


 黒い紋も。


 少しずつ広がっていた。


 だが。


 まだ。


 人間の姿は残っている。


「……」


 リュートは。


 風の壁の向こう。


 セージだけを見る。


「セージ!」


「……」


「聞こえる!?」


 少し。


 間があった。


 それから。


「……聞こえる」


「!」


 リュートの顔が明るくなる。


 セージは。


 苦しそうに。


 それでも。


 確かにリュートを見た。


「まだ……」


 セージが。


 自分へ言い聞かせるように。


 呟く。


「私は」


「私……」


「そうだよ!」


 リュートが叫ぶ。


「セージはセージだよ!」


「……」


「だから」


「戻れる!」


「……戻る」


 セージは。


 その言葉を。


 確かめるように繰り返す。


「戻る……」


「そう!」


「一緒に戻ろう!」


「……」


 だが。


 セージの視線が。


 ふと。


 宙を彷徨う。


「戻る……?」


「どこへ……?」


「……!」


 リュートの笑顔が止まる。


「セージ?」


「私は……」


 セージが。


 苦しそうに額を押さえる。


「何を……」


「していた……?」


「……」


「研究……?」


「そうだよ」


 リュートは。


 すぐに答えた。


「でも」


「もう研究はいい」


「今は」


「セージが戻れば――」


「研究……」


 セージが呟く。


 砕けた地下施設の方へ。


 ゆっくり顔を向ける。


「私の……研究」


「……」


「壊れた」


「……うん」


「どうして……?」


 その問いに。


 リュートは。


 胸を締めつけられる。


「僕が」


「壊した」


「……リュートが?」


「うん」


「セージを助けたかったから」


「……」


 セージは。


 しばらく。


 リュートを見る。


 怒るのか。


 悲しむのか。


 誰にも分からない。


 しかし。


「……そう」


 セージは。


 小さく呟いただけだった。


「……?」


 リュートが。


 少し戸惑う。


 さっきまでなら。


 あれほど守ろうとしていた。


 二十年。


 積み重ねた研究。


 それなのに。


 今のセージは。


 まるで。


 その重さまで。


 思い出せないようだった。


「セージ……?」


「……いい」


「え?」


「研究は……」


 セージが胸元を押さえる。


「また」


「作れば……」


「……」


「力があれば」


「また……」


「何でも……」


「できる」


「セージ」


 リュートの声が。


 僅かに震える。


「違うよ」


「何が……?」


「セージは」


「そんなこと言ってなかった」


「……」


「研究は」


「知りたいからするんだって」


「僕に教えてくれたじゃん」


「……知る」


「そう!」


「知らないことを」


「知るのが好きだったんでしょ?」


「……」


 セージの瞳が。


 一瞬だけ揺れる。


「そう……だったかしら」


「……!」


「セージ……」


「でも」


 セージの右手。


 黒い爪が。


 さらに伸びる。


「今は」


 その瞳に。


 赤黒い光が混ざる。


「力が」


「必要……」


「もっと」


「……力が」


「セージ!」


 リュートが一歩前へ出る。


「来るな!」


 セージが。


 突然。


 鋭く叫んだ。


「……!」


「お願い」


 その声は。


 震えている。


「まだ」


「あなたが誰か」


「分かるうちに」


「離れて……」


「……」


 リュートは。


 足を止めた。


「セージ」


「……」


「僕」


「諦めないから」


「……」


「絶対」


「戻すから」


「……リュート」


 セージが。


 少年の名前を呼ぶ。


 まだ。


 名前を呼べる。


 まだ。


 自分を覚えている。


 その事実だけで。


 リュートには十分だった。


「ジョージ」


 リュートが。


 前を向いたまま呼ぶ。


「何だ」


「セージを」


「助けたい」


「……」


「まだ」


「中にいる」


 ジョージは。


 しばらく。


 セージを見る。


 そして。


 剣を抜いた。


「分かった」


「……!」


「ただし」


 ジョージは。


 周囲の騎士たちへ視線を向ける。


「我々も」


「守るべき者がいる」


「……うん」


「セージが制御を失ったなら」


「止める」


「それでもいいか?」


「……」


 リュートは。


 僅かに俯いた。


 そして。


「うん」


 頷いた。


「僕も」


「止める」


「でも」


 笛を強く握る。


「倒すためじゃない」


「戻すために」


「……」


 ルイスが。


 リュートの横へ立つ。


「じゃあ」


「戻せるように」


「まず止めるか」


「……うん」


 カイルも。


 杖を構えた。


「僕たちは」


「セージを動けなくする」


「リュートは」


「どうすれば戻せるか考えて」


「分かった」


「総員!」


 ジョージの声が森へ響く。


 騎士たち。


 冒険者たち。


 全員が。


 武器を構えた。


「相手は一人だ!」


「だが」


「決して一人で挑むな!」


「全員で動きを止める!」


「はっ!」


「おおっ!」


 ルイスも短剣を握る。


 右手。


 炎。


 灯る。


 それを。


 短剣の根元へ添える。


「セージ」


 リュートが。


 最後に。


 もう一度呼んだ。


「……」


 セージは。


 ゆっくり。


 顔を上げる。


「……リュート」


「うん」


「僕だよ」


「……」


 まだ。


 通じている。


 まだ。


 終わっていない。


 そう信じて。


 リュートは笛を握った。


 その直後。


 ――ドクンッ!!


「っ……!」


 セージの身体から赤黒い魔力が溢れる。


「もっと……」


「……!」


 リュートが息を呑む。


「セージ?」


「もっと」


 セージは。


 苦しそうに胸元を掴む。


「力を……」


「セージ!」


「力が」


「あれば……」


「私は……」


「……」


 そこで。


 また。


 言葉を失う。


 何のための力なのか。


 もう。


 本人にも。


 分からなくなり始めている。


「……セージ」


 リュートの声が小さくなる。


 それでも。


 まだ。


 諦めない。


 目の前のセージは。


 まだ。


 自分の名前を呼べるから。


 だから。


 取り戻せる。


 そう。


 信じた。


 ――ドンッ!!


 次の瞬間。


 セージが地面を蹴った。


「来るぞ!!」


 ジョージが剣を構える。


 ルイスが短剣を握る。


 カイルが杖を前へ向ける。


 リュートは。


 笛を胸元で強く握った。


 まだ。


 救える。


 そう信じたまま。


 グランベル最後の戦いが。


 始まった。


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