第一章49 『揺れる笛の音』
――ドクン。
研究室の中央で、セージの身体を包んでいた赤黒い魔力が大きく脈打った。
それに合わせるように、床へ刻まれた魔法陣までもが淡く明滅する。
「来なさい」
セージは苦しげな様子など見せまいとするように背筋を伸ばし、ゆっくりと右手を持ち上げた。
「二十年前の続き――ここで終わらせましょう」
赤黒く染まり始めた瞳が、まっすぐジョージへ向けられる。
ジョージも剣を構えた。
「望むところだ」
「ジョージ!」
ルイスがその隣へ並ぼうとした瞬間、ジョージの腕が前へ出た。
「待て」
「何で?」
「一人で戦うとは言っていない。だが、正面から奴を受けるのは私だ」
ジョージはセージを見据えたまま言う。
「ルイス、カイル。お前たちは隙を作れ」
「隙って……」
「見れば分かるだろう。今のセージは、まともに斬り合える相手ではない」
セージの身体から漏れ出る魔力は、ただそこにあるだけで周囲の空気を軋ませていた。
以前までなら、魔法を放つ瞬間にだけ魔力が高まっていた。
だが今は違う。
何もしていない間でさえ、彼女を中心に赤黒い力が蠢き続けている。
「だから勝手に突っ込むな」
「……分かった」
ルイスが素直に頷くと、ジョージが僅かに眉を上げた。
「随分素直になったな」
「俺だって成長するって」
「昨日までなら、話を聞き終わる前に走ってたと思うけどね」
横からカイルが言った。
「うるさい!」
「静かに!」
「お前が言うな!」
「……お前たち」
ジョージが呆れたように息を吐いた、その瞬間だった。
セージの指先が僅かに動く。
「来るぞ!」
――ドンッ!!
石床が弾け、赤黒い魔力が何本もの槍となって噴き上がった。
「散れ!」
ジョージの声と同時に全員が左右へ飛ぶ。
直後、ルイスたちが立っていた場所を黒い槍が貫き、床に深い亀裂を刻んだ。
「うわっ!」
ルイスは肩から転がるように攻撃をかわすと、すぐさま身体を起こした。
「ルイス!」
「大丈夫!」
「なら次!」
カイルが杖を振り抜く。
「――ウインドバレット!」
圧縮された風が研究室を駆け抜け、セージへ襲いかかった。
周囲に散乱していた紙や壊れた研究器具まで巻き上げるほどの強風だったが、その正面に赤黒い魔力の壁が生まれる。
――ゴォォォッ!!
風と赤黒い魔力が正面からぶつかり合った。
「やっぱり硬い……!」
「なら直接だ!」
ジョージが一気に距離を詰める。
踏み込みと同時に振り下ろされた剣が、魔力の壁へ叩きつけられた。
――ガンッ!!
「ぐっ……!」
重い反動が腕へ返る。
それでもジョージは剣を引かない。
押し込む。
押し込む。
やがて、セージの身体が僅かに後方へ滑った。
「動いた!」
「今だ、ルイス!」
「おう!」
ルイスが床を蹴る。
「――燃えろ!」
右手に灯した炎を、短剣の根元へ添える。
まだ刃全体を炎で覆うことはできない。
「はぁぁっ!」
ジョージの横を抜け、低い姿勢から刃を振り抜く。
セージが咄嗟に左手を向け、二人の間へ新たな魔力の壁を作った。
「邪魔だ!」
――ザンッ!
短剣に添えた炎が弾ける。
――ガンッ!!
ジョージが押し込んでいた防壁の一点へ、さらに衝撃が重なる。
「揺らいだ!」
「同じ場所だ!」
カイルの声が飛ぶ。
「だったら――!」
ルイスはそのまま一歩踏み込んだ。
狙うのはセージの腕。
殺すためではない。
動きを止めるための一撃。
しかし。
「……甘いわ」
「っ!」
セージの瞳が細くなる。
直後、目に見えない衝撃がルイスの腹部へ叩き込まれた。
「ぐっ!」
肺の中の空気が一気に押し出され、身体が宙へ浮く。
「ルイス!」
「――風よ!」
吹き飛ばされたルイスの背へ、カイルの風が回り込んだ。
勢いを殺されながら着地したルイスは、数歩床を滑ってようやく止まる。
「助かった!」
「だから一人で入りすぎ!」
「ジョージと一緒だっただろ!」
「途中から一人だった!」
「細かい!」
「細かくない!」
「二人とも、前を見ろ!」
ジョージの怒声に、二人は同時に顔を上げた。
セージが両手を広げている。
その周囲には、拳ほどの赤黒い魔力の塊がいくつも浮かんでいた。
一つ。
二つ。
十。
さらに数を増やしていく。
「……消えて」
放たれた。
「盾!」
騎士たちが前へ出る。
――ガガガガガンッ!!
次々と盾へ叩きつけられる魔力の塊に、騎士たちの身体が少しずつ後退していく。
「持ちこたえろ!」
「カイル!」
「分かってる!」
カイルが杖を掲げた。
「――ウインドウォール!」
騎士たちの盾の前へ、さらに風の壁が重なる。
それでも。
「ぐっ……!」
カイルの表情がすぐに歪んだ。
「何だこれ……重い!」
ただ押されているのではない。
赤黒い魔力が風へまとわりつき、少しずつその流れを乱している。
「まだ……!」
セージがさらに力を加えようとした。
その時。
――ドクン。
「……っ!」
セージの身体が、不自然なほど大きく震えた。
「セージ?」
リュートがいち早く気づく。
セージは胸元を押さえた。
呼吸が止まったように身体を固くし、その瞬間だけ、放たれていた魔力も弱まる。
「今だ!」
ジョージが飛び出す。
――ガキィン!!
先ほどまでより薄くなった魔力の壁へ、剣が深く食い込んだ。
「ルイス!」
「おう!」
その声を待っていた。
短剣の根元へ再び炎を灯し、ジョージの剣とまったく同じ場所へ叩き込む。
「そこだぁっ!」
――ザンッ!!
二つの攻撃が重なり、赤黒い壁へ大きな裂け目が走った。
「カイル!」
「任せて!」
カイルがその裂け目へ杖を向ける。
「――ウインドランス!」
収束した風が槍のように飛び、セージへ直撃した。
「くっ……!」
初めて。
セージの身体が大きく後ろへ押された。
「いける!」
ルイスが踏み出す。
「このまま――」
「待って!」
リュートの声が割って入った。
「セージが……!」
ルイスたちの視線がセージへ集まる。
「……っ」
その右腕が震えていた。
腕から肩へ。
肩から首へ。
そして頬から目元へと伸びた黒い紋が、心臓の鼓動に合わせるように明滅している。
「何だ、あれ……」
ルイスが短剣を下げた。
「カイル?」
「……分からない」
カイルは目を細め、杖を僅かに動かした。
「でも、さっきまでとは魔力の流れが違う」
「違う?」
「ああ」
床。
壁。
そして中央の装置。
それらを繋ぐ魔法陣へ視線を走らせる。
「セージから魔力が出てるだけじゃない。外からの魔力も、まだあの人の中へ流れ込んでる」
「まだ!?」
ルイスが装置を見る。
透明な容器の中に溜められていた赤黒い光は、すでにかなり減っている。
だが、床や壁を走る黒い線には、今なお微かな光が流れていた。
森中に散らされた黒い魔石。
そこから送られてくる力が。
まだ完全には止まっていない。
「装置……」
リュートの顔が青ざめた。
「まだ動いてる」
「止められないの?」
「制御盤まで行ければ……たぶん」
「じゃあ俺が――」
「待て」
走り出そうとするルイスを、ジョージが止めた。
「また?」
「セージを見ろ」
「……」
赤黒い瞳が。
こちらを捉えている。
「我々が背を向けた瞬間を狙っている」
「じゃあ、どうする?」
「二手に分かれる」
ジョージは剣を構え直した。
「私と騎士たちでセージを引きつける」
「ルイス、カイル、リュート。お前たちは装置を止めろ」
「ジョージは大丈夫なの?」
「心配するな」
「でも」
「急げ」
低い声だった。
「このまま力が流れ続ければ、どちらにせよ長くは持たん」
「……分かった!」
ルイスが走り出す。
「カイル!」
「行くよ!」
リュートも二人に続いた。
「行かせると――」
セージの右手が三人へ向く。
「思う?」
魔力が集まる。
だが。
「セージ!」
――ガキィン!!
「っ!」
ジョージの剣が、その腕へ振り下ろされた。
間に黒い防壁が割って入る。
「相手は私だ」
「……ジョージ」
「二十年前」
ジョージは剣を押し込む。
「あの場所で、私は何もできなかった」
「……」
「だが」
さらに一歩。
「今は違う!」
――ガァン!!
魔力の壁が大きく揺れる。
「領主様!」
「左右から行け!」
「はっ!」
騎士たちも動く。
剣と槍が左右からセージへ迫った。
「……邪魔ね!」
セージが左手を振る。
「退きなさい!」
――ドンッ!!
赤黒い衝撃が周囲へ広がり、ジョージたちの身体を押し返す。
それでもジョージは倒れなかった。
剣を床へ突き立て、踏みとどまる。
「行け!」
「おう!」
その声を背に、ルイスたちは装置へ向かった。
――――――――――
「こっち!」
リュートが魔法陣の外周を走り、巨大な装置の裏へ回り込む。
そこには石造りの制御台があり、いくつもの魔石が複雑な魔法陣に組み込まれていた。
一本一本の溝を赤黒い光が流れ、中央の装置へ繋がっている。
「これか!」
ルイスが身を乗り出す。
「どうすれば止まる!?」
「待って!」
カイルが間へ入った。
「この魔石、たぶん全部繋がってる」
「黒い魔石?」
「うん。見て」
それぞれの魔石から伸びる線が、同じ魔法陣へ合流している。
「これ、一個壊したら止まらない?」
ルイスが短剣を上げる。
「待って!」
カイルが慌てて止めた。
「下手に壊して流れが乱れたら、残ってる魔力が一気にセージへ行くかもしれない」
「じゃあどうすんだよ」
「流れを少しずつ弱くする」
「できるの?」
「僕だけじゃ難しい」
「……」
その時。
リュートの視線が、自分の手の中にある笛へ落ちた。
「……僕なら」
「?」
「もしかしたら」
笛を握る。
「できるかもしれない」
「笛で?」
「うん」
リュートは床を走る魔法陣を見る。
「この装置は、森の魔獣たちから力を吸ってるんだよね?」
「おそらく」
「だったら……」
リュートは笛を握る。
「森にいるこの子たちへ、僕の音を届ける」
「抵抗してもらうってこと?」
「うん」
「そんなことできる?」
「分からない」
リュートは振り返る。
遠くでは。
ジョージたちが今もセージを食い止めている。
「でも、やる」
迷いはなかった。
「……分かった」
カイルが頷く。
「僕が魔力の流れを見る。変化があったら伝える」
「うん」
「ルイス」
「何?」
「もし何か起きたら、僕たちを守って」
「任せろ!」
「そこはちょっと不安だけど」
「何で!?」
「静かに!」
「はい!」
リュートは笛を口元へ運んだ。
目を閉じる。
思い出すのは。
幼い頃から。
セージと一緒に何度も確かめてきた感覚。
息の入れ方。
指の動かし方。
音の高低。
旋律。
そして。
自分の中に元々あった魔力を。
音へ乗せて。
相手へ届ける感覚。
セージが与えた力ではない。
気づいた時には。
すでに自分の中にあったもの。
声に乗せ。
無意識のうちに。
魔獣へ意思を届けていた力。
セージは。
それに気づいた。
そして。
籠の中にあった笛を使いながら。
どうすれば。
もっと遠くへ。
もっと正確に。
自分の意思を伝えられるのか。
二人で。
何度も。
試してきた。
それは本来。
魔獣へ命令するためだけのものではなかった。
自分の意思を。
相手へ届けるための方法。
リュートはゆっくりと息を吸った。
――ピィィィ……。
澄んだ音が、研究室の中へ広がる。
赤黒い魔力が唸る中でも、その音だけは不思議なくらいはっきりと聞こえた。
「……」
しかし。
何も変わらない。
「どう?」
「まだ同じ」
カイルが答える。
リュートは一度笛を離すと、さらに深く息を吸った。
もっと。
音へ魔力を乗せる。
遠くへ。
森の中にいる魔獣たちへ。
届ける。
――ピィィィィィ……。
「……!」
カイルが目を開いた。
「今!」
「何か変わった?」
「少しだけ!」
床を走っていた黒い光が、一瞬だけ揺らぐ。
「リュート、その音!」
「うん!」
さらに。
息を込める。
――ピィィィィィィ……!
すると。
制御台へ並ぶ魔石の一つを流れていた光が弱まった。
続いて二つ。
三つ。
「来てる!」
カイルの声が弾む。
「流れが弱くなってる!」
「よし!」
ルイスが笑う。
「そのままいけ!」
「……っ!」
リュートは笛を吹き続けた。
額へ汗が滲む。
息も苦しい。
魔力が。
急速に削られていく。
いつものように。
近くの魔獣へ。
簡単な指示を送るのとは違う。
森の中。
遠く離れた。
何匹もの魔獣へ。
同時に。
意思を届けようとしている。
それでも。
音は止めない。
そして。
その変化に。
誰よりも早くセージが気づいた。
「……」
ジョージの剣を受け止めながら、視線だけを装置へ向ける。
リュート。
笛。
そして。
弱まり始めた魔力の流れ。
「リュート」
その声に。
笛の音が僅かに揺れた。
「……何をしているの」
――ドンッ!!
「ぐっ!」
セージがジョージを魔力で弾き飛ばす。
「領主様!」
「構うな!」
ジョージは床へ剣を突き立て、身体を止めた。
「奴を行かせるな!」
「はっ!」
騎士たちが再び前へ出る。
「邪魔!!」
――ゴォォォッ!!
赤黒い魔力が爆発し、騎士たちをまとめて押し退けた。
そして。
セージが一歩、装置へ向かう。
「リュート!」
研究室に声が響いた。
「……!」
「やめなさい」
リュートの指が僅かに震える。
「その音を止めなさい!」
怖い。
今のセージは。
怖い。
赤黒い瞳。
顔まで広がった黒い紋。
周囲を歪ませるほどの魔力。
それでも。
リュートは笛を下ろさなかった。
――ピィィィィィィ……!
「リュート!」
セージの表情が歪む。
「どうして……!」
リュートは一度だけ笛を離した。
荒い息を整える。
そして。
まっすぐ。
セージを見る。
「僕が決めたから」
「……!」
「もう」
「セージに言われたことを全部そのままやるんじゃなくて」
「僕がどうしたいのか」
「自分で決めるって」
「……」
「僕は」
リュートは笛を強く握った。
「セージを助けたい」
「だから」
「止める」
そして。
再び笛を吹く。
――ピィィィィィィ!!
「……っ」
セージの表情が揺れた。
怒っているようにも。
悲しんでいるようにも。
どこか寂しそうにも見えた。
「……そう」
小さな声。
「それが」
「あなたの選んだことなのね」
リュートは答えない。
ただ音を響かせ続ける。
「……」
セージは一瞬だけ目を伏せた。
だが。
次に顔を上げた時。
そこに浮かんでいたのは、研究者としての執念だった。
「なら」
右手を上げる。
「私も」
「私の選択をするわ」
「!」
赤黒い魔力がリュートへ集中する。
「リュート!」
ルイスが床を蹴った。
リュートの前へ滑り込み、短剣を構える。
「――燃えろ!」
――ガァン!!
「ぐっ!」
短剣と黒い魔力が激突する。
だが。
重い。
腕が痺れ、肩が悲鳴を上げる。
「ルイス!」
「笛止めんな!」
「でも!」
「俺が守る!」
「……!」
「お前は」
ルイスは歯を食いしばりながら叫んだ。
「自分でやるって決めたことをやれ!」
「……うん!」
――ピィィィィィィ!!
笛の音が再び強く響いた。
「……」
セージは。
その二人を見ていた。
リュートの前に立つルイス。
そして。
その背後で。
自分に逆らうために。
二人で何度も扱い方を探ってきた笛を吹いている少年。
「どうして……」
小さな声が漏れる。
「私がリュートを育てたのに」
「私が全部教えたのに」
赤黒い魔力が不安定に揺らぐ。
「なのに」
「どうして」
「私を止める側にいるの」
「セージ!」
リュートが一度だけ笛を下ろした。
「セージが教えてくれたからだよ!」
「……何?」
「自分で考えることも」
「知らないものを知ろうとすることも」
「自分の力と向き合うことも」
「全部!」
「セージが僕に教えたんだ!」
その言葉に。
セージの動きが止まる。
「この力だって」
リュートが。
笛を握る。
「最初から僕の中にあった」
「僕自身も」
「どうしてできるのか」
「何なのか」
「ずっと分からなかった」
「……」
「でも」
「セージが見つけてくれた」
「一緒に考えてくれた」
「どうやったら届くのか」
「どうしたらもっと上手く使えるのか」
「何度も」
「一緒に試してくれた!」
セージの瞳が。
僅かに揺れる。
「だから僕は」
「今度は」
「自分で考えた」
「考えて」
「決めた!」
リュートの声は震えていた。
それでも。
迷いはなかった。
「僕は」
「今のセージを止めたい!」
――ピィィィィィィ!!
笛が鳴る。
「カイル!」
「来た!」
床を走っていた黒い光が一斉に弱まった。
「流れが……かなり落ちた!」
「やった!」
ルイスが叫ぶ。
「このままなら!」
だが。
「……え?」
カイルの声が急に低くなった。
「何?」
「待って」
「何か、おかしい」
「おかしい?」
カイルはセージを見る。
「外から流れ込む魔力は確実に減ってる」
「なのに……」
「セージの魔力が減ってない」
「……?」
ルイスも見る。
セージを包む赤黒い力は。
弱まるどころか。
先ほどよりも濃くなっている。
「何で!?」
「分からない!」
カイルが杖を握り締める。
「外から来る量は減ってるんだ!」
「なのに」
「セージの中の魔力は、むしろ強くなってる!」
「増えてるってこと?」
「違う」
「増えてるんじゃない」
カイルの顔が強張る。
「今まで身体の中に押し込められてた力が、外へ漏れ始めてるんだ」
「!」
「……っ」
セージが胸元を押さえる。
「ぐっ……」
「セージ!」
リュートの笛が止まった。
「近づくな!」
カイルが叫ぶ。
「今」
「セージの身体の中で何か起きてる!」
腕。
肩。
首。
顔。
黒い紋が強く脈打つ。
――ドクン。
「っ……!」
セージの膝が僅かに沈んだ。
「セージ!」
「……問題」
息が乱れる。
「ない」
「あるだろ!」
「ない……!」
震える身体を。
無理やり立たせる。
「私は」
「まだ」
「制御できる」
――ドクン!!
「うっ……!」
胸元を掴む手に力が入った。
「セージ!」
リュートが一歩踏み出す。
「来ないで!」
「!」
セージの声が響いた。
「来るなって言ってるでしょう!」
「でも!」
「危ないの!」
その言葉で。
リュートの足が止まる。
「……」
苦しんでいる。
それでも。
自分ではなく。
リュートを心配している。
「セージ」
「……」
「だったら」
リュートは震える声で言う。
「セージもそこから離れてよ」
「……」
「お願いだから」
セージは目を閉じた。
迷う。
ほんの一瞬だけ。
しかし。
再び目を開いた時。
その視線は。
透明な容器へ向いていた。
残された光は。
あと僅か。
「……まだ」
「セージ?」
「あと少し」
「何言ってるの?」
「あと少しで」
「全部終わる」
「セージ!」
残った力。
それを見つめる。
「これを全部受け入れれば」
「私は」
「証明できる」
「やめろ!」
ルイスが叫んだ。
「今やったら絶対ヤバいだろ!」
「セージ!」
カイルも声を上げる。
「今は入れる量を減らすんだ!」
「身体の中にある力を」
「先に落ち着かせないと!」
「……落ち着かせる?」
セージは掠れた声で繰り返した。
「そんなことをしたら」
「また」
「失う」
「何を?」
「力を」
「時間を」
「二十年を」
赤黒い瞳が。
さらに濃くなる。
「嫌」
「セージ……」
「嫌よ」
手が。
容器へ伸びる。
「ここまで来て」
「また奪われるなんて」
「絶対に」
「嫌!」
「待て!!」
ジョージが走る。
「セージ!」
「やめて!!」
ルイスとリュートの声が重なる。
だが。
セージの手は。
透明な容器へ触れた。
「全部」
床の魔法陣が一気に光を増す。
「私に」
壁。
天井。
研究室全体へ走る黒い線。
それらが。
一斉に輝いた。
「来なさい」
――ドクン。
一瞬。
全ての音が消えた。
「……え?」
ルイスが眉を寄せる。
次の瞬間。
――ドクンッ!!
「っ……!」
セージの身体が大きく跳ねた。
「セージ!?」
透明な容器に残されていた赤黒い光が、一気にセージの腕へ流れ込む。
「ぐっ……!」
黒い紋が濃くなる。
「止めろ!」
ジョージが装置へ剣を振り下ろした。
――ガァン!!
魔力の壁が、その刃を止める。
「ルイス!」
「おう!」
短剣へ炎を添える。
「はぁぁっ!」
――ザンッ!!
魔力の壁へ亀裂が走る。
「カイル!」
「風よ!」
――ドンッ!!
三人の攻撃。
ついに。
防壁が砕けた。
「割れた!」
「装置を!」
ルイスが走る。
その時。
「待って!」
カイルの声が飛んだ。
「止まって!」
「何で!?」
「もう」
カイルの顔が。
青ざめる。
「装置じゃない」
「……え?」
「魔力の流れが」
「装置から切れてる」
「切れてる?」
ルイスが振り返る。
「じゃあ止まったのか?」
「違う」
カイルの視線が。
ゆっくり。
セージへ向いた。
「もう」
「全部」
「セージの中に入った」
「……!」
研究室が。
異様な静けさに包まれた。
「……」
セージは。
立っていた。
俯いたまま。
動かない。
「セージ?」
リュートが小さく呼ぶ。
「……」
「セージ」
一歩。
近づこうとする。
その時。
セージの指が。
ピクリと動いた。
「!」
ゆっくり顔を上げる。
紫だった瞳。
その大半が。
赤黒く染まっている。
セージは。
自分の手を見つめた。
「……できた」
「え?」
「全部」
口元へ。
笑みが浮かぶ。
「入った」
「……」
「これで」
セージが。
笑う。
「私の研究は――」
――ドクンッ!!
「っ……!」
言葉が途切れた。
「セージ?」
胸を押さえる。
「……何」
――ドクン!!
「ぐっ……!」
膝が床へ落ちる。
「セージ!」
リュートが走り出そうとする。
「待て!」
ルイスが腕を掴んだ。
「離して!」
「今は駄目だ!」
「でも!」
「見ろ!」
「……!」
赤黒い魔力が。
セージの身体の内側から。
膨らみ始めている。
皮膚の下。
黒い紋が。
生き物のように蠢く。
「何で……」
セージは自分の腕を見た。
「私は」
「受け入れた」
「全部」
「取り込んだ」
「なのに」
――バチッ!
「っ!」
右肩から。
魔力が弾ける。
「何で」
――バチバチッ!
「どうして……!」
「カイル!」
「もう」
カイルの顔が強張る。
「身体が」
「抑えられてない」
「……」
「外から取り込んだ力が」
「セージの中で」
「暴れ始めてる」
「……そんな」
セージは首を横に振った。
「違う」
「私は」
「成功した」
自分自身へ。
言い聞かせるように。
「まだよ……」
「?」
「まだ」
「制御できる」
――ドクンッ!!
「あぁっ……!」
今度は。
隠しきれない悲鳴。
「セージ!!」
――ゴォォォォォォッ!!
赤黒い魔力が。
セージの身体から。
天井へ向かって噴き上がった。
床が揺れ。
壁に亀裂が走り。
天井から砂埃が降り注ぐ。
「全員下がれ!」
ジョージが叫ぶ。
「研究室を出るぞ!」
「でもセージが!」
「今近づけば巻き込まれる!」
カイルがリュートの腕を掴んだ。
「嫌だ!」
「リュート!」
「離して!」
リュートは。
笛を強く握った。
「まだ」
「僕は」
赤黒い光。
その中心にいるセージを見る。
「セージに」
「何も届いてない!」
その声が。
届いたのか。
分からない。
「……リュート」
「!」
「セージ!」
赤黒く染まった瞳。
その奥。
ほんの一瞬だけ。
元の紫色が覗いた。
「……逃げ」
――ドクンッ!!
「っ――!」
言葉が途切れる。
赤黒い魔力が。
爆発した。
――ドォォォォォン!!
視界が。
赤と黒に染まる。
そして。
二十年かけて。
集め。
奪い。
積み上げてきた力は。
ついに。
セージ自身の意思さえ振り切って。
暴れ始めた。




