第一章48 『意思』
――ドクン。
「ぐっ……!」
セージの身体が。
大きく震えた。
黒い紋。
頬。
そして。
目元へ。
少しずつ。
這い上がっていく。
「セージ!」
リュートが叫ぶ。
「もうやめて!」
「……」
セージは。
返事をしない。
透明な容器。
そこへ触れた右手を。
離そうとしない。
「聞こえてるんだろ!」
「……聞こえてるわ」
「だったら!」
「だから」
セージが。
ゆっくり。
顔を上げた。
「何度も言わせないで」
「……」
「止めない」
赤黒い光。
身体の周囲を。
揺らめいている。
「セージ……」
「ここまで」
セージの指が。
容器へ食い込む。
「来たのよ」
「……」
「二十年」
「失敗して」
「また試して」
「捨てられたものを拾い集めて」
「一つずつ」
「作り直した」
――ドクン。
「その結果が」
「今」
「ここにある」
赤黒い力。
脈打つ。
「それを」
「あと少しのところで」
「捨てろ?」
「できるわけがないでしょう」
「でも」
リュートが。
一歩前へ出る。
「死んだら」
「全部終わるじゃん!」
「……」
「セージが」
「ずっと死ぬのが怖くて」
「研究してたなら」
「ここで死んだら」
「何の意味もないだろ!」
「……」
一瞬。
セージの目が。
揺れる。
けれど。
「死なないわ」
「何で言い切れるんだよ!」
「私の研究だから」
「それ答えになってない!」
リュートの声が。
研究室へ響く。
「セージ!」
「その黒い痕!」
「前より増えてる!」
「身体も震えてる!」
「それでも成功してるって」
「本当に思ってるの!?」
「……」
沈黙。
カイルが。
杖を握ったまま。
セージを見る。
「……セージ」
「何?」
「リュートの言ってること」
「間違ってない」
「……」
「今」
カイルが。
床の魔法陣を見る。
「集めた魔力の流れが」
「一定じゃない」
「強くなったり」
「弱くなったりしてる」
「……」
「本来」
「受け取る側が完全に制御できてるなら」
「こんな風にはならないはずだ」
「……分かったような口を」
「分かってない」
カイルは。
即答した。
「僕には」
「この術式を全部理解できない」
「……」
「でも」
「失敗しかけてる魔法なら」
「見れば分かる」
セージの目が。
僅かに細くなる。
「余計なことを」
「じゃあ止めろよ!」
ルイスが。
突然。
声を上げた。
「……」
「失敗しかけてるなら」
「一回止めて」
「直せばいいだろ!」
「……簡単に言うわね」
「だって」
ルイスが。
首を傾げる。
「研究って」
「そういうもんじゃないの?」
「……」
「失敗したら」
「考えて」
「もう一回やる」
「セージ」
「ずっとそうしてきたんだろ?」
「……」
「だったら」
「今だけ」
「無理して続けるの」
「変じゃん」
「……」
セージの唇が。
僅かに動く。
返せない。
そのことが。
余計に。
苛立たせる。
「子供に」
「何が分かるの」
「分かんないよ」
ルイスが答える。
「でも」
「これだけは分かる」
セージを見る。
「怖いんだろ?」
「……!」
「止めたら」
「今までの二十年が」
「全部なくなる気がするんだ」
「……」
「だから」
「危ないって分かってても」
「手を離せない」
「……黙りなさい」
「違う?」
「黙りなさい」
声。
低くなる。
「セージ」
リュートが。
小さく呼ぶ。
「……」
「ルイスの言ってること」
「たぶん」
「合ってる」
「リュート、あなたまで……!」
――ドクン!!
「っ!」
赤黒い魔力。
一気に。
膨れ上がった。
「全員下がれ!」
ジョージが叫ぶ。
――バンッ!!
「うわっ!」
衝撃。
ルイスたちが。
後方へ押し戻される。
「カイル!」
「大丈夫!」
風の障壁が。
何とか。
威力を受け流す。
「くっ……!」
カイルが。
歯を食いしばる。
「今の」
「セージがやったのか!?」
「違う!」
「え?」
カイルが。
セージを見る。
「たぶん」
「本人の意思じゃない!」
「……!」
セージも。
自分の手を見る。
「……何?」
魔力。
自分が。
放とうとしたわけではない。
それなのに。
勝手に。
外へ溢れた。
「セージ!」
「……」
「今の見ただろ!」
リュートが叫ぶ。
「もう」
「自分で制御できてない!」
「……違う」
「違わない!」
「違う!」
セージが。
声を荒らげる。
「少し」
「出力が乱れただけ」
「じゃあ止めて!」
「必要ない!」
「あるよ!」
「ない!」
研究室。
二人の声。
ぶつかる。
「セージ!」
「僕」
「昔から」
「ずっと言うこと聞いてきた!」
「……」
「魔獣を連れてこいって言われたら」
「連れてきた!」
「研究を手伝ってって言われたら」
「手伝った!」
「街の方へ向かわせろって言われた時だって!」
拳。
震える。
「嫌だったけど」
「やった!」
「……」
「でも」
顔を上げる。
「今は」
「聞けない」
「……!」
「これだけは」
「絶対に」
「聞かない!」
セージの瞳が。
見開かれる。
「僕は」
「セージを止める!」
「……」
「セージに」
「死んでほしくないから!」
その言葉。
赤黒い光の中。
まっすぐ。
届く。
「……」
セージが。
僅かに。
目を伏せる。
「……勝手ね」
「セージに言われたくない!」
「……」
ほんの。
一瞬。
セージの口元が。
緩みかける。
だが。
次の瞬間。
――バチンッ!
「っ!」
容器。
大きな火花。
「何だ!?」
ジョージが。
身構える。
「まずい!」
カイルの顔色が変わる。
「魔力の流れが」
「さらに速くなった!」
「セージ!」
「……」
セージも。
理解している。
透明な容器の中。
蓄えられた力。
それが。
当初の予定を超える速度で。
身体へ。
流れ始めている。
「手を離せ!」
ジョージが叫ぶ。
「今ならまだ」
「止められるかもしれん!」
「……」
セージの指。
僅かに。
動く。
離す。
それだけ。
たった。
それだけでいい。
「……」
手首が緩む。
だが。
その視界の先。
研究記録。
何百枚。
何千枚。
失敗。
死。
処刑。
森。
孤独。
二十年。
「……」
その全てが。
ここへ。
繋がっている。
「今、離したら……」
声。
小さい。
「……?」
リュートが。
聞き返す。
「今」
「ここで離したら……」
セージの手が。
再び。
容器を握る。
「私は」
「何のために」
「ここまで……」
「セージ!」
「分かってる!」
初めて。
感情を剥き出しに。
叫んだ。
「分かってるわよ!」
「危険なのも!」
「身体が」
「まだ完全に適応していないことも!」
「……!」
全員の表情が。
変わる。
「セージ……」
「分かってたのかよ」
「当然でしょう!」
セージが。
胸を押さえる。
「これは」
「私の研究よ!」
「誰より」
「私が分かってる!」
「なら」
リュートが。
震える声で。
「どうして……」
「怖いからよ!」
セージが。
叫んだ。
「……!」
その言葉に。
全員が。
止まる。
「もう一度」
「失うのが」
「怖いのよ!」
セージの声。
震えている。
「研究を」
「時間を」
「身体を」
「全部!」
「……」
「また」
「何もできないまま」
「終わるのが」
「怖い!」
長い年月。
初めて。
口にした。
恐怖。
「私は」
「まだ」
「知らない!」
「……」
「この世界のこと」
「魔法のこと」
「生命のこと」
「何も!」
「まだ」
「足りない!」
赤黒い魔力。
再び。
揺れる。
「だから」
「終われない」
「……」
「ここで」
「止まれない!」
「セージ!」
「……まだよ」
セージが。
自分の胸へ。
手を当てた。
「……」
リュートの顔から。
血の気が引く。
「この力は」
赤黒い光。
「こんなものじゃない」
「やめて……」
「もっと」
容器へ触れた手に。
さらに力を込める。
「セージ!」
「もっと……!」
セージが。
術式へ干渉する。
容器から身体へ。
流れ込む力が。
さらに増した。
――ドクン!!
「強く……!」
黒い紋が。
頬。
目元。
さらに。
額へ向かって伸びる。
「セージ!!」
――ゴォォォォォォッ!!
赤黒い魔力が。
爆発的に。
膨れ上がった。
「伏せろ!」
ジョージが。
騎士たちを庇う。
「カイル!」
「分かってる!」
風の壁。
「うわっ!」
ルイスが。
腕で顔を覆う。
その隣。
リュートだけが。
動かなかった。
「……」
ただ。
セージを見ている。
黒い痕。
顔。
赤黒い魔力。
そして。
紫だった瞳。
その奥へ。
赤黒い色が。
少しずつ。
混じっていく。
「……セージ?」
返事。
ない。
「セージ」
もう一度。
呼ぶ。
「……」
セージは。
ゆっくり。
顔を上げる。
その表情。
笑っている。
でも。
リュートが知っている。
笑い方ではなかった。
「……」
胸の奥。
冷たくなる。
初めてだった。
幼い頃から。
ずっと。
一緒にいた。
怒られた。
教えてもらった。
助けてもらった。
笑った。
大切な人。
そのセージを見て。
初めて。
はっきり。
恐ろしいと思った。
「……怖い」
小さな声。
そして。
「戻ってきてよ……」
その言葉へ。
セージは。
答えなかった。
――――――――――
「カイル!」
「何!?」
「結界!」
「もう一回壊す!」
「分かった!」
ルイスが。
炎を出す。
――ボッ!
「リュート!」
「……!」
ルイスの声。
リュートが。
振り返る。
「まだ終わってない!」
「……」
「怖いなら」
「取り戻そう!」
「……!」
「セージを!」
リュートの目。
揺れる。
そして。
笛。
強く握る。
「……うん」
「僕も」
「まだ」
「諦めない!」
カイルの風。
ルイスの炎。
再び。
結界へ。
――ドォン!!
「くっ!」
亀裂。
さらに。
広がる。
「いける!」
カイルが叫ぶ。
「もう一発!」
「おう!」
ルイスが。
炎を。
短剣へ添える。
「――燃えろ!」
踏み込む。
その瞬間。
「邪魔を」
セージの声。
「するなぁっ!!」
――ドンッ!!
「っ!?」
今度は。
明確な攻撃。
赤黒い魔力。
一本の槍のように。
ルイスへ飛ぶ。
「ルイス!!」
「くっ!」
赤黒い槍と短剣が。
真正面で激突する。
炎が弾ける。
――ガァン!!
衝撃が。
ルイスの腕を伝う。
「ぐっ……!」
腕が痺れる。
足は床を滑る。
「ルイス!」
「大丈夫!」
けれど。
受け止めた。
「……?」
セージの目が。
僅かに。
見開く。
カイルが。
声を荒げる。
「受け止めた!?」
「なら!」
ルイスが。
再び立つ。
「まだやれる!」
「……」
セージの瞳。
今度は。
ルイスの炎へ向く。
「……その炎」
赤黒い目。
細くなる。
「邪魔ね」
「そりゃどうも!」
「褒めてないわ」
「知ってる!」
再び。
短剣を構える。
しかし。
「待て!」
ジョージ。
「?」
「セージの相手は」
剣を抜く。
「私もする」
「ジョージ」
「これは」
セージを見る。
「グランベルの問題だ」
「……」
二十年前。
止められなかった。
見ていることしか。
できなかった。
だから。
「今度は」
剣を構える。
「傍観者では終わらん」
「……」
セージが。
ジョージを見る。
「そう」
「なら」
右手。
ゆっくり上げる。
「来なさい」
赤黒い魔力。
さらに。
身体を覆う。
「二十年前の続き」
「ここで」
「終わらせましょう」
――ドクン。
その瞬間。
セージ自身の身体が。
僅かに。
内側から。
軋むように震えた。
「……っ」
ほんの一瞬。
痛み。
けれど。
セージは。
無視した。
「……まだ」
自分へ。
言い聞かせる。
「まだ」
「大丈夫」
しかし。
その身体の奥。
取り込んだ力は。
もう。
静かには。
収まっていなかった。




