第一章46 『笛吹の少年』
――ドクン。
地下。
研究施設の最深部。
巨大な脈動が。
通路全体を震わせる。
「こっち!」
リュートが。
先頭を走る。
「この先に」
「セージがいる!」
「分かった!」
ルイス。
その後ろを。
カイル。
ジョージ。
騎士たちが続く。
進むほど。
壁に走る。
黒い線が増えていく。
「これ……」
ルイスが。
走りながら見る。
「魔獣にあったのと同じじゃないか?」
「たぶん」
カイルが答える。
「装置から漏れた魔力が」
「施設そのものへ流れ込んでる」
「施設に?」
「術式が」
「建物全体に刻まれてるんだと思う」
床。
壁。
天井。
古い研究施設。
その中を。
無数の線が巡っている。
まるで。
巨大な生き物の。
血管。
「……」
ジョージが。
表情を険しくする。
「少なくとも」
「当時見つかった施設には」
「こんなものはなかった」
「じゃあ」
「セージが作った?」
「ああ」
二十年間。
人知れず。
研究を続けた結果。
「ここ自体を」
カイルが呟く。
「一つの巨大な魔道具にしたのかもしれない」
「……すげぇ」
「感心してる場合じゃない」
「分かってるよ!」
――ドクン!
「っ!」
再び。
大きな揺れ。
「急いで!」
リュートが叫ぶ。
「この先!」
長い通路。
その突き当たり。
巨大な扉があった。
「ここ!」
リュートが。
扉へ手をかける。
「待て」
ジョージが止める。
「私が開ける」
「……」
リュートが。
一歩下がる。
ジョージは。
剣を構えたまま。
扉へ手を添える。
「全員」
「構えろ」
騎士たちが。
武器を構える。
カイルが。
杖を握る。
ルイスも。
短剣へ手を置いた。
「……」
ジョージが。
ゆっくり。
扉を押す。
――ギィィィィ……。
重い音。
開いていく。
そして。
「……!」
ルイスの目が。
大きく開いた。
そこは。
巨大な研究室だった。
円形。
高い天井。
壁一面。
無数の魔石。
床には。
巨大な魔法陣。
その線は。
部屋だけではない。
廊下。
そして。
森の外へまで。
繋がっている。
魔法陣の中心。
透明な容器。
その中。
淡い光。
だが。
以前とは違う。
薄かった光は。
今では。
赤と黒を混ぜたような色へ変わっていた。
「……あれ」
カイルが。
息を呑む。
「森中から集めた力……?」
「うん」
リュートが。
小さく答える。
「あそこに」
「全部集めてる」
「……」
そして。
その前。
一人の女が。
立っていた。
長い黒髪。
白い肌。
古びた黒いローブ。
外見だけなら。
三十代ほど。
けれど。
紫がかった瞳の奥には。
その姿とは似つかわしくない。
長い年月を感じさせる。
冷たい光。
そして。
右手。
手首から。
腕。
肩。
首筋へ。
黒い紋が。
這うように広がっていた。
「……」
ジョージの足が。
止まる。
「セージ……」
女が。
ゆっくり振り返った。
「……」
紫がかった瞳が。
ジョージを見る。
「その呼び方」
「懐かしいわね」
「……!」
ジョージの手が。
剣の柄を強く握る。
「本当に」
「生きていたのか」
「ええ」
セージが。
静かに微笑む。
「残念?」
「……」
「二十年前」
「あなたもいたでしょう?」
「!」
ルイスが。
ジョージを見る。
「覚えてるのか?」
「もちろん」
セージは。
まるで。
昨日のことを話すように答える。
「あの場所にいた人間は」
「覚えているわ」
「私を見ていた者も」
「罵った者も」
「何も言わなかった者も」
「全部」
ジョージの表情が。
僅かに歪む。
二十年前。
まだ。
領主ではなかった頃。
父の後ろで。
見ていた。
処刑される。
一人の女を。
「……あの時」
ジョージが口を開く。
「私は」
「何もできなかった」
「そうね」
「父が」
「この街の領主だった」
「ええ」
「そして」
ジョージは。
まっすぐ。
セージを見る。
「お前が」
「何をしたのかも知っている」
「……」
「人を使った」
「研究をした」
「命を奪った」
「そうね」
否定。
しなかった。
ルイスが。
僅かにセージを見る。
「認めるんだ」
「事実だもの」
セージが答える。
「隠す必要がある?」
「じゃあ」
ルイスの表情が。
険しくなる。
「なんでまた」
「同じようなことしてるんだよ」
「同じ?」
「魔獣を使って」
「苦しませて」
「街の方へ向かわせて!」
「それだけじゃない」
「あんな巨大な奴まで街へ送り込んだ!」
「……」
セージの視線が。
ルイスへ向く。
赤い髪。
橙色の瞳。
小柄な少年。
「あなたが」
「ルイス?」
「!」
「なんで知ってる?」
セージは。
リュートを見る。
「何度も」
「名前を聞いたから」
「……」
リュートが。
目を伏せる。
「あなたが」
セージは。
ルイスへ視線を戻す。
「あの個体を倒した少年?」
「……ああ」
ルイスの右手。
僅かに。
力が入る。
「……妙な魔力ね」
「興味深いわ」
「……」
「あなたのその力」
「調べてみたいくらい」
「嫌だ」
「……」
「絶対嫌だ」
即答。
セージが。
一瞬。
黙る。
カイルが。
小さく吹き出した。
「何笑ってんだよ」
「いや」
「君らしいなって」
「そこ笑うとこか?」
「ルイス」
ジョージの声。
「あまり刺激するな」
「でも」
「今は話を聞く」
「……分かった」
ルイスは。
短剣から。
少し手を離した。
「セージ」
ジョージが。
再び問う。
「何をしようとしている」
「見れば分かるでしょう?」
「いいや」
「分からない」
ジョージは。
巨大な装置を見る。
「二十年前」
「お前は魔石から力を取り出し」
「人間の生命力を補う研究をしていた」
「そして」
「自分自身へ使った」
「……」
ルイスが。
セージを見る。
目の前の。
若い姿。
実際には。
七十を越えている。
「なら」
ジョージが続ける。
「なぜ」
「今さらこれほどの規模が必要なんだ?」
「……」
セージの表情が。
少し変わる。
「足りなかったからよ」
「足りない?」
「ええ」
セージが。
自分の手を見る。
「二十年前」
「私は確かに成功した」
「老いた身体へ力を与え」
「若さを取り戻した」
「……」
「でも」
手首。
黒い紋。
「それだけでは」
「終わらなかった」
時間は。
止まっていない。
身体は。
今も。
僅かに変化している。
「一度若返った程度では」
「結局」
「また失う」
「なら」
セージの瞳が。
装置へ向く。
「失うたびに」
「補えばいい」
「……」
「外から」
「何度でも」
「必要な力を与える」
「そのために」
「私の身体そのものを」
「力を受け入れ続けられる器へ変える」
「……器」
カイルが呟く。
「それが」
「今の研究?」
「そう」
セージは。
少しだけ笑う。
「ようやく」
「ここまで来た」
――ドクン。
容器。
赤黒い光が。
脈打つ。
「森中の魔獣から」
「必要な量を集められる」
「余計な性質を除き」
「一つの力としてまとめることもできる」
「そして」
胸へ。
手を置く。
「それを」
「私自身へ流し込む」
「……」
リュートの顔が。
強張る。
「やめて」
小さな声。
「……」
セージの視線が。
リュートへ移る。
「セージ」
リュートは。
もう一度言った。
「やめて」
「……どうして?」
「危ない」
「何を根拠に?」
「だって」
リュートが。
セージの腕を見る。
「もう」
「身体がおかしくなってる」
黒い紋。
「前より」
「増えてる」
「……」
「それ」
「研究のせいなんだろ?」
「問題ないわ」
「問題ある!」
声が。
研究室に響く。
「昨日より」
「ずっと広がってる!」
「それに」
「さっきから」
「苦しそうだ!」
「……」
「セージ」
リュートが。
一歩前へ出る。
「もういいよ」
「……何が?」
「研究」
「……」
「もう」
「やめよう」
セージの表情が。
消える。
「リュート」
「僕」
胸元の笛を。
握る。
「今まで」
「セージの役に立ちたかった」
「拾ってもらったから」
「育ててもらったから」
「僕にできることなら」
「何でもしたいって思ってた」
「……」
「今も」
「それは変わってない」
リュートの声が。
僅かに震える。
「セージは」
「僕にとって大事な人だ」
「だから」
顔を上げる。
「止めたい」
「……」
「これ以上」
「魔獣を苦しませるのも」
「街を襲うのも」
「自分まで壊そうとするのも」
「全部」
「もうやめてほしい」
長い。
沈黙。
ルイスは。
何も言わなかった。
カイルも。
ジョージも。
ただ。
二人を見ている。
「……そう」
やがて。
セージが口を開く。
「それが」
「あなたの答えなのね」
「……うん」
「私を」
「裏切る?」
リュートの瞳が。
揺れる。
けれど。
「違う」
「……」
「僕は」
笛を。
強く握る。
「セージを」
「見捨てたくないから」
「止める」
「……」
その瞬間。
セージの瞳が。
僅かに。
揺れた。
本当に。
ほんの一瞬。
「……馬鹿な子」
小さく。
呟く。
「え?」
「何も分かっていない」
セージが。
装置へ向き直る。
「私は」
「二十年」
「このために生きてきた」
「……」
「処刑され」
「森へ捨てられ」
「身体が動くようになるまで」
「どれほどかかったと思う?」
声が。
少し低くなる。
「それでも」
「私は戻った」
「研究を拾い集め」
「失った資料を」
「一つずつ作り直した」
「失敗して」
「また試して」
「また失敗して」
「……」
「二十年」
拳が。
握られる。
「二十年よ」
「……」
「それを」
「今さら」
「やめろ?」
セージが。
振り返る。
「できるわけがないでしょう」
「でも!」
「リュート」
冷たい声。
「あなたには分からない」
「……」
「時間が」
「自分から何かを奪っていく恐怖が」
「……」
「昨日までできたことが」
「今日にはできなくなる」
「覚えたこと」
「積み重ねたこと」
「その全てを」
「身体の衰え一つで」
「失っていく」
紫がかった瞳。
そこには。
怒り。
恐怖。
そして。
執着。
「そんなものを」
「私は認めない」
「……」
「誰が」
「人間は老いるものだと言った?」
「誰が」
「死ぬのが当然だと決めた?」
「……」
ルイスは。
その言葉を聞く。
「セージ」
「?」
突然。
ルイスが口を開いた。
「死ぬの」
「怖いのか?」
「……」
研究室が。
静かになる。
「ルイス」
カイルが。
少し驚いた顔をする。
「何?」
「いや……」
セージは。
ルイスを見る。
「怖い?」
「ああ」
「だって」
ルイスが。
首を傾げる。
「ずっと聞いてると」
「そう聞こえる」
「……」
「知らないことがまだある」
「もっと知りたい」
「なのに」
「時間がなくなるのが嫌なんだろ?」
「……」
「それって」
「死ぬのが怖いってことじゃないのか?」
セージは。
何も答えない。
「俺も」
ルイスが続ける。
「まだ見たことない場所」
「いっぱいある」
「知らないことだって」
「めちゃくちゃある」
「だから」
「全部見たい」
「……」
「でも」
少し考える。
「だからって」
「誰かの時間を奪ってまで」
「自分だけ長く生きたいとは」
「思わない」
「……!」
セージの目が。
鋭くなる。
「分かったようなことを」
「分かってない」
ルイスは。
即答した。
「俺」
「セージじゃないし」
「……」
「だから」
「セージがどれだけ怖かったのかも」
「どれだけ研究したのかも」
「全部は分かんない」
そして。
装置を見る。
「でも」
「魔獣が苦しんでるのは分かる」
「街の人が怪我したのも知ってる」
「リュートが」
「ずっと悩んでたのも見た」
「……」
「それなら」
橙色の瞳。
真っ直ぐ。
セージを見る。
「止める理由には」
「十分だろ」
「……」
しばらく。
誰も喋らなかった。
やがて。
セージが。
小さく息を吐く。
「子供ね」
「十四だからな」
「そういう意味ではないわ」
「じゃあ何だよ」
「ルイス」
カイルが。
肩を掴む。
「たぶん」
「そこ掘らなくていい」
「そうか?」
「うん」
わずかに。
空気が緩む。
しかし。
「話は終わり?」
セージの声。
「……」
ルイスたちの表情が。
戻る。
「なら」
セージが。
装置へ手を伸ばした。
「私は続けるわ」
「待て!」
ジョージが。
剣を向ける。
「それ以上」
「装置へ触れるな」
「……」
「セージ・ナイトシェード」
領主として。
名を呼ぶ。
「魔獣を利用した街への襲撃」
「危険な研究」
「そして」
「多数の人間を危険へ晒した行為」
「グランベル領主として」
「これ以上」
「見過ごすことはできない」
「……」
「研究を止めろ」
「今なら」
「身柄を拘束するだけで済ませる」
「……」
セージが。
小さく笑った。
「あなた」
「父親に似てきたわね」
「……」
「同じ顔をする」
「何?」
「自分が」
「正しいことをしていると思っている顔」
「……」
「二十年前もそうだった」
セージの指が。
魔法陣へ触れる。
「止めろ!」
ジョージが。
踏み込む。
――ドクン!!
「っ!」
床。
魔法陣が。
一斉に光った。
――ゴォォォォッ!!
「何だ!?」
巨大な魔力。
部屋全体へ。
吹き荒れる。
「みんな下がって!」
カイルが。
杖を地面へ突く。
「――ウインドウォール!」
障壁。
風の壁。
ルイスたちの前へ。
展開する。
――ドンッ!!
「ぐっ!」
カイルの身体が。
後ろへ押される。
「カイル!」
「大丈夫!」
「でも」
「すごい……!」
魔法陣。
壁。
無数の魔石。
その全てが。
同時に。
光っている。
「セージ!」
リュートが叫ぶ。
「止めて!」
「もう遅いわ」
「え?」
――ドクン。
容器の中。
赤黒い力が。
大きく脈打つ。
「必要な量は」
「もう集まった」
「……!」
カイルの顔が。
変わる。
「まさか」
「今から……」
「ええ」
セージが。
透明な容器へ。
手を伸ばす。
「最後の工程へ入る」
「駄目!」
リュートが。
走り出す。
「リュート!」
――バチンッ!
「っ!」
透明な壁。
弾き飛ばされる。
「うわっ!」
「リュート!」
ルイスが。
すぐに受け止める。
「大丈夫か!?」
「う、うん……」
「何だ今の!?」
「防護術式!」
カイルが叫ぶ。
「魔法陣の中心だけ」
「別の結界が張られてる!」
「壊せる?」
「やってみる!」
カイルが。
杖を向ける。
「――ウインドランス!」
風。
鋭い槍となり。
結界へ。
――ガンッ!!
弾かれる。
「硬い!」
「じゃあ俺も!」
ルイスが。
短剣を構える。
「じゃあ」
ルイスの右手。
炎。
――ボッ!
「行く!」
地面を蹴る。
炎。
短剣。
刃の根元へ。
一瞬だけ。
沿わせる。
「――はぁぁっ!」
――ザンッ!!
結界へ。
炎を帯びた短剣が。
ぶつかる。
――バチィッ!!
「くっ!」
腕へ。
強い反動。
それでも。
「……!」
透明な壁。
炎で熱せられた一点が。
わずかに歪む。
そこに僅かな亀裂。
「いける!」
カイルが叫ぶ。
「そこだ!」
「同じ場所を狙って!」
ルイスが。
短剣を構え直す。
炎。
さらに。
短剣へ。
「――燃えろ!!」
――ボォッ!
「はぁぁぁぁっ!!」
――ガァンッ!!
亀裂が広がる。
「カイル!」
「任せて!」
杖。
向ける。
「――風よ!」
一点。
亀裂へ。
「ウインドランス!!」
――ドンッ!!
結界。
大きく。
揺れた。
「もう少し!」
しかし。
その時。
「……遅いわ」
セージの声。
「!」
全員が。
中央を見る。
セージの手。
透明な容器。
その中心。
赤黒い力へ。
触れている。
「セージ!!」
リュートの叫び。
――ドクン。
力が。
セージの腕へ。
流れ込む。
「……っ!」
黒い紋が。
一気に濃くなる。
「やめろ!」
ルイスが叫ぶ。
「身体が」
「もうおかしくなってるだろ!」
「……」
セージの身体が。
小さく震える。
「まだ」
「……」
「まだよ」
力。
手首。
腕。
肩。
胸。
ゆっくり。
流れ込んでいく。
「これくらい」
「耐えられる」
「セージ!」
「二十年……」
セージが。
歯を食いしばる。
「このために」
「……生きてきた」
――ドクン!!
研究室全体が。
大きく揺れた。
「っ!」
黒い紋。
首筋へ。
そして。
頬の近くまで。
僅かに。
伸びる。
「やっぱり!」
リュートが。
顔を青くする。
「セージ!」
その瞬間。
セージの視線が。
リュートへ向く。
「……」
ほんの一瞬。
苦しそうな。
表情。
「……リュート」
「!」
「来ないで」
「え?」
今までとは。
違う声。
命令ではない。
冷たくもない。
「危ないから」
「……!」
リュートの目が。
大きく開く。
けれど。
次の瞬間。
「っ……!」
セージが。
胸を押さえた。
「セージ!」
――ドクン!!
赤黒い光が。
爆発するように。
研究室を覆う。
「伏せろ!!」
ジョージの声。
――ゴォォォォォォッ!!
全てが。
光に。
飲み込まれた。




