第一章44 『広がる暗雲』
翌朝。
グランベル西門。
「……すげぇ」
ルイスは。
目の前に集まった人々を見ながら呟いた。
騎士。
兵士。
冒険者。
魔法使い。
そして。
治療道具を背負った者たち。
いつもの街道調査とは。
明らかに規模が違う。
「こんなに行くのか?」
「全員が研究施設まで行くわけじゃないよ」
隣にいたカイルが答える。
「え?」
「森の入口と旧道の途中にも人を残す」
「何かあった時に」
「退路を確保するためだって」
「なるほど」
ルイスは。
もう一度。
集まった人々を見る。
確かに。
治療班の近くには。
簡易的な担架。
水。
薬。
予備の武器。
そういったものまで用意されていた。
「今回は」
カイルが。
少しだけ真剣な声になる。
「本当に戦いに行く準備だよ」
「……」
ルイスも。
森を見る。
昨日までは。
何があるのかを調べるだけだった。
けれど。
今日は違う。
森の奥。
隠された道の先。
そこに。
セージの研究施設がある可能性は高い。
そして。
リュートも。
「ルイス」
「ん?」
「怖くない?」
「怖い?」
「うん」
「……」
ルイスは。
少し考える。
「分かんない」
「分からない?」
「なんか」
胸へ手を当てる。
「ここが変な感じする」
「それは緊張じゃない?」
「そうなのか?」
「たぶんね」
「でも」
ルイスは。
少しだけ笑った。
「行きたい」
「……」
「何があるのか」
「ちゃんと見たい」
「それに」
森を見る。
「リュートと話したい」
「……うん」
カイルも頷いた。
「僕も」
その時。
「全員、聞け!」
大きな声。
集まった者たちが。
一斉に振り返る。
馬に乗ったジョージが。
西門の前に立っていた。
いつもの領主としての服ではない。
鎧。
腰には剣。
巨大魔獣と戦った時と。
同じ姿。
「これより西の森へ入る」
ざわめきが消える。
「目的は」
「二十年前に保管区画が発見された地域」
「そのさらに奥にある」
「未確認の施設の調査」
「そして」
一度。
言葉を切る。
「現在起きている魔獣の異常との関連を調べることだ」
誰も。
声を出さない。
「すでに分かっている通り」
「森には」
「通常とは異なる魔獣が存在する」
「黒い筋の入った魔石」
「異常な魔力」
「そして」
「街を襲った巨大魔獣」
空気が。
少し重くなる。
あの日。
巨大魔獣を見た者は。
少なくない。
「同様の個体が」
「森に存在しない保証はない」
ジョージが続ける。
「各自」
「決して単独では動くな」
「負傷者が出た場合」
「深追いするな」
「治療班まで下がれ」
「それから」
ジョージの視線が。
ルイスへ向いた。
「特に」
「ルイス」
「なんで俺だけ!?」
緊張していた空気が。
一瞬。
少しだけ緩んだ。
「お前が一番心配だからだ!」
「昨日ちゃんと戻っただろ!」
「一回で信用が戻ると思うな!」
「ひどい!」
「でも正しいと思うよ」
「カイル!」
周囲から。
僅かな笑い声。
ジョージも。
ほんの少しだけ。
口元を緩めた。
けれど。
すぐに。
表情を戻す。
「……冗談はここまでだ」
森を見る。
「相手は」
「二十年前」
「この街で禁じられた研究をしていた魔法使いかもしれない」
「何をしてくるか分からん」
剣の柄へ。
手を置く。
「必ず」
「生きて戻れ」
「はっ!」
騎士たちが。
一斉に答えた。
冒険者たちも。
それぞれ武器を確認する。
「行くぞ!」
西門が。
開かれた。
――――――――――
同じ頃。
西の森。
研究施設。
「……」
セージは。
地下の研究室に立っていた。
目の前には。
昨日よりも。
多くの魔石が並べられている。
黒い筋を持つ魔石。
それぞれが。
細い魔力の線で。
床の魔法陣へ繋がっていた。
その中心。
透明な容器。
内部には。
すでに大量の光が溜まっている。
「……十分ね」
セージは。
記録へ目を落とす。
昨日。
遠方から力を集める術式を。
調整した。
結果。
森の各地にいる魔獣から。
以前より。
遥かに効率よく。
力を集めることができた。
「距離による損失も」
「許容範囲」
紙へ。
一つ。
印をつける。
「集約も」
「安定している」
そして。
残るのは。
集めた力を。
人体へ。
安全に流し込むための術式。
「……」
セージは。
自分の手首を見る。
黒い紋。
昨日より。
僅かに。
上へ伸びている。
「この程度なら」
袖を戻した。
見なかったことにするように。
「問題ない」
その時。
「セージ」
声。
研究室の入口。
リュートが立っていた。
「何?」
「……」
リュートは。
少し迷ってから。
口を開く。
「森に」
「人が入ってきてる」
セージの手が。
止まった。
「何人?」
「分からない」
「でも」
「かなり多い」
「……」
セージは。
ゆっくり顔を上げる。
「騎士?」
「たぶん」
「冒険者もいると思う」
「……そう」
驚きは。
なかった。
「やっぱり」
セージが呟く。
「昨日の人たち」
リュートの身体が。
僅かに強張った。
「知ってたの?」
「あなたが何も言わなくても」
紫がかった瞳が。
リュートへ向く。
「術式が揺らいでいた」
「……!」
「誰かが」
「隠蔽魔法へ触れたことくらい分かるわ」
「……」
リュートは。
何も言えなくなる。
昨日。
セージに。
嘘をついた。
初めて。
けれど。
最初から。
気づかれていた。
「どうして」
セージが。
ゆっくりと尋ねる。
「言わなかったの?」
「……」
リュートの手が。
胸元の笛へ触れる。
「それは……」
「ルイス?」
「!」
名前を出された瞬間。
顔が上がった。
「やっぱり」
セージは。
小さく息を吐く。
「昨日来ていたのね」
「……うん」
もう。
嘘はつかなかった。
「声が聞こえた」
「それで?」
「……」
「会いたかった?」
「……うん」
答えた。
今度は。
迷わず。
「そう」
セージは。
それだけ言う。
怒鳴らない。
責めない。
けれど。
その静けさが。
リュートには。
かえって怖かった。
「セージ」
「何?」
「今日来てる人たち」
「どうするの?」
「……」
セージは。
魔法陣へ視線を戻す。
「帰ってもらう」
「どうやって?」
「方法はいくらでもあるわ」
「魔獣を使うの?」
「必要なら」
「……!」
リュートの拳が。
握られる。
「また?」
「リュート」
「でも!」
今度は。
止まらなかった。
「昨日」
「もう十分だって言っただろ!」
「……」
「みんな弱ってる!」
「魔力もほとんど残ってない!」
「それなのに」
「まだ戦わせるの?」
セージは。
リュートを見る。
「なら」
「?」
「あなたが止めればいい」
「……え?」
「笛で」
淡々と。
言う。
「彼らを」
「森の外へ追い返せばいい」
「……」
リュートの目が。
僅かに揺れる。
「僕が?」
「あなたならできるでしょう?」
「……」
魔獣を操り。
騎士たちを追い返す。
その中には。
ルイスもいるかもしれない。
「できない」
小さな声。
「何?」
「……できない」
もう一度。
今度は。
はっきり言った。
「ルイスたちと」
「戦いたくない」
「……」
セージの瞳が。
僅かに細くなる。
「そう」
「……」
「なら」
セージが。
魔法陣の中央へ歩く。
「私がやる」
「セージ!」
「邪魔をしないで」
「でも!」
「リュート」
振り返る。
「今まで」
「私はあなたに」
「無理に何かをさせた?」
「……」
言葉が。
止まる。
「森で暮らす場所を与えた」
「食べ物も」
「知識も」
「あなたが好きだった笛も」
「……」
「あなたが」
「私を手伝いたいと言ったから」
「任せていた」
「それは……」
「違う?」
「……違わない」
リュートは。
俯く。
幼い頃。
確かに。
自分から言った。
セージの役に立ちたい。
助けてもらったから。
いつか。
自分も助けたい。
その気持ちは。
嘘ではなかった。
「なら」
「今はもういい」
「……!」
「あなたは」
「そこで見ていなさい」
セージは。
魔法陣へ手をかざした。
「セージ」
「これは」
「?」
「今までとは違う」
魔法陣。
そこへ。
魔力が流れ込む。
「昨日」
「遠距離からの集約には成功した」
「今日は」
術式が。
一つ。
また一つ。
光っていく。
「出力を上げる」
「待って」
「何?」
「それ」
リュートが。
セージの腕を見る。
「……黒いの」
袖の隙間。
手首から。
僅かに見える。
黒い紋。
「前より」
「増えてない?」
「……」
セージが。
自分の腕を見る。
「気のせいよ」
「でも」
「リュート」
「……」
「問題ない」
その声には。
迷いがなかった。
「始めるわ」
――ドクン。
魔法陣が。
脈打った。
同時に。
研究施設の各所。
いくつもの魔石が。
一斉に光る。
「……っ」
リュートが。
息を呑む。
空気が。
重くなる。
魔力。
いや。
それだけではない。
何か。
もっと。
身体の奥へまとわりつくような力。
「セージ……」
――ドクン。
二度目。
床が。
僅かに揺れた。
「……!」
棚の瓶が。
音を立てる。
「大丈夫なの?」
「ええ」
セージの顔には。
微かな笑み。
「予定通り」
――ドクン。
三度目。
その瞬間。
「っ!」
セージの腕。
黒い紋が。
一気に。
肘の近くまで伸びた。
「セージ!」
「……」
セージの表情が。
一瞬だけ。
止まる。
痛み。
それは。
ほんの僅かだった。
だから。
「問題ない」
また。
そう言った。
「まだ」
「制御できる」
けれど。
魔法陣は。
止まらない。
――ドクン。
今度は。
研究施設全体が。
大きく揺れた。
――――――――――
「……!」
西の森。
旧道を進んでいた一行が。
一斉に足を止めた。
――ズズズズ……。
地面。
木々。
葉。
全てが。
僅かに震えている。
「地震!?」
ルイスが。
周囲を見る。
「違う!」
カイルが。
杖を強く握った。
「魔力だ!」
「森の奥から?」
「うん!」
カイルの顔が。
険しくなる。
「昨日までと」
「全然違う!」
「どれくらい?」
「分からない!」
「え?」
「大きすぎる!」
その言葉に。
騎士たちの表情が変わった。
次の瞬間。
――ドォン!!
森の奥。
何かが。
爆発したような音。
「……!」
鳥たちが。
一斉に飛び立つ。
小動物が。
草むらから飛び出し。
森の外へ逃げていく。
そして。
「グルルル……!」
「来るぞ!」
前方。
木々の間から。
魔獣。
一匹。
二匹。
いや。
もっと。
「多い!」
ルイスが。
短剣を抜く。
「待て!」
ジョージが叫ぶ。
「様子がおかしい!」
「え?」
よく見る。
魔獣たちは。
こちらへ。
向かってきている。
けれど。
牙を剥いていない。
襲うためではない。
「逃げてる……?」
カイルが呟いた。
魔獣たちは。
ルイスたちの横を。
次々と通り抜けていく。
「グゥッ!」
「ギャウッ!」
苦しそうな声。
身体には。
黒い筋。
「森の奥から」
「逃げてるのか?」
ルイスが。
振り返る。
「ああ」
ジョージも。
奥を見る。
「それだけ」
「異常なものが」
「あそこにある」
「……」
ルイスが。
短剣を握る。
「急ごう」
「待て」
「ジョージ!」
「だからこそだ」
ジョージが。
一行を見回す。
「隊列を崩すな!」
「ここから先」
「何が起きてもおかしくない!」
騎士たちが。
剣を構え直す。
「前衛!」
「はっ!」
「魔法使いは中央!」
「治療班は後方!」
「冒険者は」
「騎士団の指示から離れるな!」
「了解!」
そして。
ジョージが。
ルイスを見る。
「お前もだ」
「分かってる!」
「ならいい!」
一行は。
再び進む。
さっきまで。
森の中には。
僅かな鳥の声があった。
虫の音があった。
魔獣の気配もあった。
今は。
何もない。
皆。
森の奥から。
逃げていった。
「……」
ルイスは。
その異様な静けさの中を歩く。
そして。
やがて。
「見えた」
前方。
昨日。
道を塞いでいた。
巨大な岩。
「ここだ」
カイルが。
杖を構える。
「隠蔽魔法」
昨日と。
同じ。
しかし。
「……?」
「どうした?」
ルイスが尋ねる。
「弱くなってる」
「魔法が?」
「うん」
カイルは。
岩のように見える空間へ。
杖を向ける。
「たぶん」
「さっきの魔力の揺れで」
「術式が乱れてる」
「なら」
ジョージが。
剣を抜く。
「破れるか?」
「やってみます」
カイルが。
一度。
深く息を吸う。
「――風よ」
杖の先。
風が集まる。
風が。
岩のように見える空間を。
強く撫でる。
――ゴォッ!
突風。
岩へ。
真正面からぶつかる。
空間が。
大きく揺らいだ。
「……!」
岩。
木。
地面。
その全てが。
水面のように歪む。
「もう少し!」
カイルが。
さらに魔力を込める。
「――はぁっ!」
――バンッ!
何かが。
弾けた。
そして。
「……」
岩が。
消えた。
そこに。
道があった。
二十年前から。
人目を避けるように隠されていた。
古い道。
けれど。
その地面には。
新しい足跡。
魔獣のもの。
そして。
人のもの。
何度も。
何度も。
行き来した跡。
「……本当に」
ルイスが。
小さく呟く。
「あった」
道の奥。
木々の向こう。
僅かに。
建物の一部が見える。
古びた。
石と木で作られた施設。
「……」
ジョージの声が。
低くなる。
「ここが」
剣を握る。
「セージの」
「研究施設だ」
ルイスは。
その建物を見つめた。
その時。
――ピィ……。
「!」
聞こえた。
笛。
今度は。
間違いない。
「リュート!」
ルイスが。
一歩前へ出る。
「待て!」
ジョージが。
腕を掴む。
「でも!」
「約束しただろ!」
「……っ」
ルイスは。
足を止める。
「分かってる」
短剣を握り直す。
「もう」
「勝手には行かない」
「……」
ジョージが。
少しだけ目を細める。
「よし」
そして。
研究施設へ向き直った。
「全員」
「警戒しろ」
騎士たちが。
武器を構える。
「ここから先は」
「敵地だ」
ルイスも。
短剣を構える。
その胸の奥。
炎が。
僅かに熱を持つ。
以前なら。
炎を出そうとするだけで。
意識を。
大きく集中させる必要があった。
けれど。
今は。
違う。
「……」
右手。
指先。
小さな火の粉が。
ひとつ。
弾けた。
「ルイス?」
カイルが。
気づく。
「ん?」
「今」
「炎」
「ああ」
ルイスは。
自分の手を見る。
「最近」
「ちょっとだけ」
「出しやすくなった」
「……」
カイルが。
僅かに笑う。
「練習してたもんね」
「おう」
「でも」
「今はまだ出すなよ」
「分かってる!」
「本当に?」
「分かってるって!」
「静かにしろ!」
ジョージの声。
「ごめん!」
「だから声が大きい!」
そんな。
いつものやり取り。
けれど。
その先。
研究施設の奥では。
――ドクン。
また。
一つ。
大きな脈動が響いた。
そして。
セージの手首から伸びた黒い紋が。
ゆっくりと。
肩へ向かって。
広がり始めていた。




