第一章39 『黒い石』
その日の夜。
グランベル領主館。
「……」
ルイスは、大きな机の前に座りながら。
目の前に置かれた黒い塊を見つめていた。
巨大魔獣の胸から取り出されたもの。
表面には、ルイスの炎によってできた、いくつもの亀裂が残っている。
「近くで見ると」
ルイスが、少しだけ顔を近づける。
「やっぱり魔石っぽいな」
「触らないでね」
すぐ隣から、カイルの声が飛んだ。
「触らないって!」
「さっき手を伸ばしてた」
「見ようとしただけ!」
「君の『見る』は距離が近すぎるんだよ」
「そう?」
「そう」
二人の向かい。
ジョージは、黙って黒い塊を見つめていた。
机の上には。
黒い塊のほかに、いくつかの小さな魔石が置かれている。
騎士団が討伐した魔獣から回収したものだ。
大きさも。
形も。
色も違う。
だが。
「……似ている」
ジョージが呟いた。
「何が?」
ルイスが尋ねる。
ジョージは、机の上に置かれた普通の魔石を一つ指差した。
「これだ」
「魔石?」
「ああ」
魔石。
魔獣の体内から採れる、魔力を蓄えた石。
冒険者にとっては討伐した魔獣から得られる素材の一つであり。
加工されたものは、街灯をはじめとした様々な魔道具にも使われている。
ルイスにとっても、すでに珍しいものではなかった。
だが。
目の前の黒い塊は。
それらとは明らかに違う。
「形は似ている」
ジョージが続ける。
「魔力を宿している点も同じだ」
「じゃあ、やっぱり魔石なのか?」
「そう簡単には言えん」
「え?」
ジョージは黒い塊を見る。
「普通の魔石にはないものが多すぎる」
その言葉に。
ルイスも改めて黒い塊を見た。
黒い。
あまりにも黒い。
普通の魔石にも黒っぽいものは存在する。
だが、これは違う。
光を当てても。
その奥まで何も見えない。
まるで。
石そのものが光を飲み込んでいるようだった。
「それに」
カイルが口を開く。
「中の魔力も普通じゃない」
「やっぱり?」
「うん」
カイルは黒い塊へ手を近づける。
ただし。
触れはしない。
少し離れた場所で手を止め。
目を閉じた。
「……まだ残ってる」
「魔力が?」
「うん」
カイルの表情が険しくなる。
「かなり弱くなってるけど……消えてない」
「俺が焼いたのに?」
「あれだけ炎をぶつけたのにな」
「すげえ丈夫だな」
「感心するところじゃないよ」
「でもさ」
ルイスが首を傾げる。
「魔石なら、魔力が残ってても普通じゃないのか?」
「それだけならね」
カイルは目を開く。
「問題は、魔力の流れ方なんだ」
「流れ方?」
「普通の魔石は、魔力を中に溜めてる」
カイルが、机に置かれた小さな魔石を指差す。
「だから魔道具に使う時は、その中に蓄えられている魔力を少しずつ取り出す」
「うん」
「でも、これは違う」
カイルの視線が。
黒い塊へ戻る。
「中に留まってない」
「……?」
「一定じゃないんだ」
ルイスが瞬きをした。
「石の中で?」
「そう」
カイルは眉を寄せる。
「中で何度も偏ってる」
「偏ってる……?」
その言葉に。
部屋の空気が変わった。
ジョージも。
黒い塊を見つめたまま動かない。
「それだけじゃない」
カイルが続ける。
「昨日、巨大魔獣と戦っていた時」
「……」
「あの魔獣の身体全体に流れていた魔力」
ルイスの頭に。
あの光景が蘇る。
傷ついても。
何度も立ち上がった巨大魔獣。
皮膚の下を這っていた。
赤黒い魔力。
そして。
その全てが集まっていた胸元。
「この石から出ていたんだと思う」
カイルが言った。
「じゃあ……」
ルイスは黒い塊を見る。
「こいつが、あの魔獣をあんなふうにしてたってことか?」
「可能性は高い」
「……」
ルイスの顔から。
いつもの軽さが消えた。
あの巨大魔獣は。
明らかに普通ではなかった。
異常な大きさ。
異常な再生。
傷ついても止まらず。
最後まで街へ向かおうとしていた。
それが。
もし。
この黒い塊によるものだったなら。
「待てよ」
ルイスが顔を上げた。
「じゃあ、森で見た魔獣たちは?」
「……僕も同じことを考えてた」
カイルが答える。
森で遭遇した魔獣。
そして。
リュートが笛で操っていた魔獣たち。
巨大魔獣ほどではなかった。
けれど。
どこか不自然だった。
「全部にこれが入ってるのか?」
「分からない」
カイルは首を振った。
「少なくとも、今まで倒した魔獣から、こんな大きなものは出てきてない」
「じゃあ違うのか?」
「大きさが違うだけかもしれない」
「……あ」
ルイスが黒い塊を見る。
「巨大魔獣だから、こいつも大きかった?」
「可能性はある」
カイルが頷いた。
その時。
「調べさせている」
ジョージが言った。
「え?」
「今日、街の周辺で討伐された魔獣の死体をな」
ルイスとカイルがジョージを見る。
「騎士団には、魔獣の体内に通常とは異なる魔石がないか確認するよう命じた」
「もう調べてるのか!」
「当然だ」
ジョージは腕を組む。
「街を襲った怪物の中から、こんなものが出てきたのだ。放置するわけにはいかん」
「そりゃそうか」
「ただし」
ジョージの表情が険しくなる。
「今のところ、同じものは見つかっていない」
「……」
「だが」
ジョージは一度言葉を切った。
「妙なものなら見つかった」
「妙なもの?」
「ああ」
ジョージが机の端へ置かれていた布を取る。
そして。
その中から。
一つの小さな魔石を取り出した。
「これだ」
「……普通の魔石じゃないのか?」
ルイスが顔を近づける。
「よく見ろ」
言われ。
ルイスが目を凝らす。
「……あ」
魔石の中。
そこに。
細い黒い筋が走っていた。
まるで。
石の内側に。
何かが入り込んでいるように。
「黒い……」
「今日討伐された魔獣から出たものだ」
ジョージが言う。
「巨大魔獣ほどではないが、通常の魔石には見られない変化らしい」
「じゃあ」
ルイスは。
巨大な黒い塊と。
小さな魔石を見比べる。
「やっぱり同じなんじゃ……」
「断定はできない」
カイルが言った。
「でも」
その目は。
黒い筋を見つめている。
「関係ないとは思えない」
「……」
リュート。
笛で操られていた魔獣。
街を襲った巨大魔獣。
セージ・ナイトシェード。
そして。
黒く変色した魔石。
バラバラだったものが。
少しずつ。
一つの場所へ集まろうとしている。
そんな感覚があった。
「……森か」
ルイスが呟く。
「何?」
「全部」
ルイスは窓の外を見る。
夜の向こう。
遥か先には。
あの森がある。
「結局、森に繋がってる」
「……」
カイルも窓を見る。
そして。
少しだけ考えた後。
「実は」
小さく口を開いた。
「僕も気になってることがある」
「気になってること?」
「あの森で感じた魔力」
「魔力?」
「うん」
カイルは思い出すように目を細める。
「魔獣を追って森に入った時から、ずっと妙だった」
「妙?」
「魔力が散らばってなかったんだ」
ルイスが首を傾げる。
「普通は違うのか?」
「自然の中にある魔力は、もっとバラバラなんだ」
風。
土。
植物。
生き物。
それぞれが持つ魔力が。
入り混じっている。
それが普通だと。
カイルは説明する。
「でも、あの森では」
カイルが。
黒い塊を見る。
「薄い魔力が、少しずつ同じ方向へ流れてた」
「同じ方向?」
「うん」
「どこに?」
カイルは。
ほんの少し黙った。
そして。
「森の奥」
そう答えた。
「……」
静寂。
ルイスは。
もう一度窓の外を見る。
暗い夜。
ここから森は見えない。
それでも。
その向こうに何かがある。
そんな気がした。
「セージ・ナイトシェード」
ジョージが。
低い声で名前を口にする。
「もし、本当にあの女が生きているのなら」
拳が。
ゆっくりと握られる。
「森の奥に何かを隠している可能性は高い」
「……」
「黒い魔石」
「魔獣の異常」
「そして、リュート」
カイルが続ける。
「全部がそこへ繋がってるかもしれない」
ルイスは黙って聞いていた。
それから。
「なら」
椅子から立ち上がる。
「行けばいい」
「どこへ?」
カイルが聞く。
ルイスは。
当然のように答えた。
「森の奥」
「……」
「ここで考えてても分からないんだろ?」
ルイスは笑う。
「だったら、自分の目で確かめる」
「君ならそう言うと思ったよ」
カイルが小さく息を吐く。
だが。
その口元には。
わずかに笑みがあった。
「ジョージ!」
「駄目だ」
「まだ何も言ってない!」
「森へ行かせろ、だろう」
「なんで分かったんだ!?」
「分からん方がおかしい」
ジョージは深く息を吐く。
そして。
机の上の黒い塊へ視線を落とした。
「……だが」
「?」
「調べる必要があるという点には同意する」
ルイスの顔が明るくなる。
「じゃあ!」
「ただし」
ジョージが睨む。
「お前たち二人だけで勝手に行くことは許さん」
「ええ!?」
「当たり前だ!」
「でも!」
「今日、巨大魔獣と戦ったばかりだろうが!」
「もう元気だぞ!」
「そういう問題ではない!」
「ルイス」
カイルが肩を掴む。
「今回はジョージが正しいよ」
「カイルまで!?」
「森の奥に何があるか分からない」
カイルは。
先ほどまでとは違う。
真剣な表情で言った。
「もし、あの巨大魔獣の異常にセージの研究が関わっているなら」
視線が。
黒い塊へ向く。
「今までと同じつもりで行くのは危険だ」
「……」
ルイスは。
少しだけ黙った。
「分かった」
「本当に?」
「分かったって!」
「怪しいな……」
「なんでだよ!」
そんな二人を見ながら。
ジョージは。
再び黒い塊へ目を落とした。
普通の魔石とは違う。
異質な黒。
二十年前。
セージ・ナイトシェードが研究していたもの。
魔獣の魔石。
そして。
そこから取り出そうとしていた力。
「……まさかな」
ジョージの呟きは。
二人には聞こえなかった。
黒い塊の奥で。
一瞬。
ほんの一瞬だけ。
黒い魔力が。
森の方角へ向かうように。
ゆらりと揺れた。




