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冒険者はまだ見ぬロマンを求めて  作者: 片山武琉
第一章 魔女と銀の笛

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第一章38 『森で見たもの』


 ――翌朝。


 グランベル。


 昨日まで。


 魔獣の群れが押し寄せていた街は。


 朝を迎えていた。


「よいしょ……っと!」


 西門近く。


 兵士たちが。


 崩れた石材を運んでいる。


「そっちは壁際へ!」


「分かった!」


「木材も持ってきてくれ!」


「負傷者は無理をするなよ!」


 街のあちこちで。


 修復作業が始まっていた。


 城壁には。


 巨大魔獣が残した。


 大きな亀裂。


 通りにも。


 戦いの跡が残っている。


 それでも。


 店を開ける者。


 荷物を運ぶ者。


 片付けを手伝う者。


 人々は。


 少しずつ。


 いつもの生活へ戻ろうとしていた。


「……すごいな」


 ルイスが。


 宿の前で。


 街を眺める。


「何が?」


 隣から。


 カイルが聞いた。


「昨日あんなことがあったのに」


 ルイスが。


 歩き始める人々を見る。


「もう動いてる」


「ずっと止まってるわけにもいかないからね」


「そっか」


「家も」


「店も」


「仕事もある」


 カイルが。


 修復中の城壁を見る。


「街で暮らしてる人は」


「ここで生活を続けなきゃいけない」


「……」


 ルイスも。


 城壁を見る。


「旅してる俺とは」


「やっぱ違うな」


「そうかもね」


 今のルイスは。


 一つの街に留まる旅人だ。


 この先も。


 一つの場所へ居続けるつもりはない。


 まだ見たことのない場所。


 知らない景色。


 地図の先。


 それを求めて。


 旅を続けたい。


 けれど。


 だからこそ。


「……守れてよかった」


「うん」


 カイルが。


 小さく笑った。


「本当にね」


 ルイスは。


 右手を見た。


 握る。


 開く。


「まだ痛い?」


「ちょっと」


「ちょっと?」


「結構」


「どっち?」


「動くから大丈夫!」


「それを大丈夫って言わないんだけど……」


 昨日。


 何度も短剣を振るい。


 初めて実戦で炎を使った。


 巨大魔獣の胸。


 黒い塊。


 あれを焼き切るために。


 限界近くまで。


 魔力を使った。


「今日は炎の練習禁止」


「ええ!?」


「当然!」


「ちょっとくらいなら!」


「駄目」


「小さい火だけ!」


「駄目」


「指先だけ!」


「もっと駄目」


「なんで!?」


「休め!」


「はい……」


 珍しく。


 ルイスが肩を落とした。


「分かればいい」


「……」


「何?」


「カイル」


「うん?」


「ちょっと師匠っぽくなってきたな」


「誰のせいだと思ってるの?」


「俺?」


「君以外に誰がいるんだよ」


 そんなことを話しながら。


 二人は。


 冒険者ギルドへ向かっていた。


 ――――――――――


 同じ頃。


 グランベル領主館。


「これで全部か?」


「現在確認できた分は」


「はい」


 ジョージの前には。


 古びた本。


 記録帳。


 黄ばんだ紙。


 いくつもの資料が積み上げられていた。


「二十年前の事件に関する記録」


「セージ・ナイトシェードの研究」


「裁判」


「処刑」


「それから」


 一人の騎士が。


 別の束を机へ置く。


「当時の研究施設に関する記録です」


「……」


 ジョージが。


 一冊を手に取った。


「かなり欠けています」


「分かっている」


「二十年だ」


「全て残っている方がおかしい」


 ページを開く。


 古い文字。


 研究材料。


 搬入記録。


 魔石の使用量。


 様々な数字。


「……」


 ジョージの視線が。


 一つの項目で止まった。


「これは?」


「何でしょうか」


「この量だ」


 指を差す。


「街側の研究施設で使用された魔石の数と」


「記録上」


「領主家から支給された量が合わない」


「……!」


 騎士が。


 資料を覗き込む。


「確かに」


「足りません」


「いや」


 ジョージが。


 目を細める。


「逆だ」


「え?」


「支給した魔石の方が多い」


「……」


「つまり」


 別の場所へ。


 相当数が流れていた。


「森の研究施設……」


「恐らくな」


 ジョージが。


 椅子へ深く座る。


「当時」


「森から保管区画が見つかった時」


「表向きの施設には置けない研究資料や器具が保管されていたことは分かった」


「だが」


「実際に危険な研究を行っていた場所までは」


「最後まで突き止められなかった」


 ジョージが。


 少し考える。


「今思えば」


「我々が発見したもの自体が」


「全てではなかった可能性もある」


「……」


 騎士の表情が。


 僅かに強張る。


「領主様」


「森の再調査を?」


「ああ」


 即答だった。


「ただし」


 ジョージが。


 西の森を見る。


「昨日のようにはいかん」


「大人数で奥へ入り」


「また別の群れに街を狙われれば意味がない」


「では」


「少数で動く」


「森を知る者」


「魔力の異常を察知できる者」


「それから」


 一度。


 言葉を止める。


「二十年前の施設を知っている人間がいれば」


「同行させたい」


「……アルバートですか?」


「……」


 ジョージが。


 僅かに目を細めた。


「回復すれば」


「話を聞く」


「だが」


「無理には連れ出さん」


「はい」


「二十年前の人間だ」


「知っていることがあるなら」


「それだけでも大きい」


「それと」


 ジョージが。


 机の端を見る。


 そこには。


 厳重に布で包まれ。


 箱へ納められた。


 巨大魔獣の胸から取り出した。


 黒い塊。


「こちらは?」


「魔導研究員が」


「引き続き調べています」


「結果は?」


「まだ詳しくは」


 騎士が答える。


「ただ」


「普通の魔石より」


「内部の魔力密度が異常に高かったそうです」


「……」


「それから」


「何だ」


「加工された痕跡がある可能性があると」


「加工?」


「はい」


「自然にできたものではなく」


「一度」


「何らかの方法で」


「手を加えられているのではないかと」


「……」


 ジョージの表情が。


 険しくなる。


「まだ可能性です」


「分かっている」


「断定はするな」


「はい」


「だが」


 ジョージは。


 箱を見る。


「調べる価値はある」


 セージ。


 魔石。


 生命力。


 若返り。


 再生。


 そして。


 昨日。


 街を襲った。


 巨大魔獣。


「……二十年」


 ジョージが。


 小さく呟く。


「お前は」


 窓の向こう。


 西の森を見る。


「その間」


「何をしていた」


 答える者は。


 いなかった。


 ――――――――――


 冒険者ギルド。


 ――ガチャ。


「おはよう!」


 ルイスが。


 扉を開ける。


「声でかい」


「朝だからな!」


「朝だから静かにするものじゃない?」


「そうなの?」


「知らないけど」


 中へ入る。


 すると。


「……」


「……」


「……」


 何人かの冒険者が。


 一斉に。


 ルイスを見る。


「……?」


 ルイスが。


 周囲を見回した。


「なんだ?」


「知らない」


 カイルも。


 首を傾げる。


 昨日の戦いに参加した。


 冒険者たち。


 その中の一人が。


 ルイスを見る。


「あいつだよ」


「何が?」


「昨日」


「巨大魔獣に飛びついた奴」


「……」


「……」


 ルイスが。


 カイルを見る。


「なんか言われてる」


「そりゃ言われるよ」


「なんで?」


「自覚ないの?」


「ない!」


「だと思った」


「あ!」


 受付から。


 声が聞こえた。


「ルイスさん!」


「ん?」


 いつもの受付嬢が。


 こちらへ。


 少し慌てた様子で歩いてくる。


「ちょうどよかったです」


「何?」


「昨日の件で」


「ギルドからお話があります」


「怒られる?」


「どうして最初にそれを心配するんですか?」


「無茶したから?」


「自覚はあるんですね……」


「ある!」


「胸を張らないでください」


 受付嬢が。


 小さく息を吐いた。


「とにかく」


「こちらへお願いします」


「カイルも?」


「もちろんです」


「僕も?」


「お二人とも」


「昨日の防衛戦に参加されていますから」


「分かった!」


 二人は。


 受付の奥。


 小さな部屋へ案内された。


「座ってください」


「はい!」


「ルイス」


「何?」


「声」


「あ」


 ルイスが。


 少しだけ声を落とす。


「はい」


「極端だなぁ……」


 カイルが呟いた。


 受付嬢も。


 少しだけ笑う。


「まず」


 机の上へ。


 二枚の紙を置いた。


「昨日の防衛戦について」


「騎士団と領主側から」


「正式な報告が届いています」


「もう?」


「今回の件は」


「通常の依頼とは扱いが違いますから」


「街全体に関わる緊急事態です」


「参加した冒険者の功績についても」


「騎士団と照合しながら」


「記録を残す必要があります」


「功績?」


 ルイスが。


 首を傾げる。


「魔獣を倒した数」


「負傷者の救助」


「防衛への貢献」


「命令に従って行動したか」


「そういったものです」


「……最後の」


 カイルが。


 ルイスを見る。


「大丈夫かな」


「なんで俺見るんだよ!」


「理由、本当に分からない?」


「分からん!」


「そうですか……」


 受付嬢まで。


 少し遠い目をした。


「ええ?」


「ですが」


 受付嬢が。


 表情を戻す。


「今回は」


「非常に高い評価が届いています」


「ほんと!?」


「はい」


「特に」


 ルイスを見る。


「巨大魔獣の討伐」


「その中心となったこと」


「さらに」


 カイルを見る。


「その支援」


「森からの帰還後」


「すぐに街の防衛へ加わったこと」


「全て」


「記録されています」


「……」


 ルイスが。


 少しだけ。


 目を丸くした。


「俺たちのこと」


「ちゃんと見てたんだ」


「当然です」


 受付嬢が。


 柔らかく笑う。


「冒険者の実績は」


「依頼書だけで決まるものではありません」


「緊急時に」


「何をしたのか」


「誰を助けたのか」


「どれだけ信用できる行動をしたのか」


「そういったことも」


「今後の評価に関わります」


「へぇ……」


 ルイスが。


 紙を見る。


「冒険者って」


「魔獣いっぱい倒せば上がるだけじゃないんだな」


「もちろんです」


「強ければ」


「何をしてもいいわけではありません」


「依頼を最後まで遂行する」


「約束を守る」


「依頼主や仲間から信用される」


「危険を判断できる」


「そういったものも含めて」


「冒険者としての評価になります」


「……」


 カイルが。


 隣を見る。


「聞いてる?」


「聞いてる!」


「特に危険を判断できるってところ」


「そこだけ強調するなよ!」


「大事だから」


「むぅ……」


 受付嬢が。


 思わず笑った。


「それで」


 ルイスが。


 身を乗り出す。


「何の話?」


「ああ」


「そうでした」


 受付嬢が。


 紙を一枚。


 ルイスの前へ置いた。


「今回の功績を含め」


「これまでグランベルで達成した依頼」


「街道での救助」


「魔獣討伐」


「森での活動」


「そして今回の防衛戦」


「それらをまとめて」


「ギルド内で」


「あなたのランクについて」


「再審査を行うことになりました」


「……」


 ルイスが。


 瞬きをする。


「ランク?」


「はい」


「上がるの?」


「まだ決定ではありません」


 受付嬢が。


 そこは。


 はっきりと言った。


「必要な実績が揃っているか」


「今回の行動」


「これまでの依頼達成状況」


「担当者からの評価」


「全て確認します」


「そっか」


「場合によっては」


「簡単な確認や」


「追加の依頼をお願いすることもあります」


「おお!」


「なんで嬉しそうなんです?」


「だって」


 ルイスが笑う。


「強くなったって認められるんだろ?」


「まあ……」


「結果としては」


「そういう意味もあります」


「じゃあ楽しみ!」


「ルイス」


 カイルが。


 横から口を挟む。


「ランクが上がると」


「受けられる依頼の危険度も上がるんだからね」


「もっと面白そうじゃん!」


「言うと思った!」


「ですが」


 受付嬢が。


 少しだけ厳しい声になる。


「ここは大事です」


「?」


「ランクが上がるということは」


「危険な依頼を受けられるようになるだけではありません」


「そのランクに見合う判断を」


「求められるということです」


「……」


「自分が危険になるだけなら」


「まだいい」


「ですが」


「高いランクの冒険者になるほど」


「他の人と組むこと」


「護衛すること」


「後輩を連れて動くこと」


「そういう場面も増えます」


「……」


「だから」


「強さだけでは」


「上には行けません」


 ルイスが。


 少しだけ。


 真面目な顔になる。


「分かった」


「……」


 受付嬢が。


 少し驚いたように。


 ルイスを見る。


「本当に?」


「たぶん!」


「やっぱり不安です!」


「なんで!?」


「そこは『はい』って言って!」


「はい!」


「遅い!」


 カイルが笑う。


「でも」


 受付嬢も。


 小さく笑った。


「今回」


「あなたがしたことは」


「間違いなく」


「多くの人を救いました」


「……」


「そこは」


「ちゃんと」


「胸を張ってください」


「……おう!」


 ルイスが。


 嬉しそうに笑った。


「カイルさんについても」


「今回の功績は」


「あなたが所属する側へ」


「正式な記録として送られます」


「ありがとうございます」


「いえ」


 受付嬢が。


 二人を見る。


「こちらこそ」


 ゆっくりと。


 頭を下げた。


「グランベルを守っていただき」


「ありがとうございました」


「……」


 ルイスと。


 カイルが。


 少しだけ黙る。


「俺だけじゃないよ」


 ルイスが言った。


「え?」


「ジョージさんも」


「騎士も」


「冒険者も」


「カイルも」


「みんな戦ってた」


「だから」


 少し笑う。


「俺だけにありがとうって言うの」


「なんか変だ」


「……」


 受付嬢が。


 目を細める。


「では」


「こうしましょう」


「?」


「皆さんへ」


「ありがとうございます」


「おう!」


「はい」


 カイルも。


 笑って答えた。


 ――――――――――


 ギルドを出たあと。


「ランクかぁ!」


 ルイスが。


 上機嫌で歩いていた。


「まだ上がるって決まってないよ」


「分かってる!」


「絶対分かってない顔してる」


「上がったら何の依頼受けようかな」


「ほら!」


「でも考えるくらいいいだろ?」


「まあ」


「それくらいならね」


「ダンジョンとか!」


「いきなり飛びすぎ」


「護衛!」


「それならまだ」


「未知の遺跡!」


「そんな都合よく依頼ないよ」


「未開の土地!」


「もっとないよ!」


「じゃあ」


 ルイスが。


 少し考える。


「地図にない場所を探す依頼!」


「それ」


「依頼する側も場所知らないよね?」


「あ」


「……」


「じゃあ自分で探す!」


「結局いつもの君じゃないか」


「ははっ!」


 ルイスが。


 楽しそうに笑う。


 その笑顔を見て。


 カイルも。


 少しだけ。


 笑った。


 だが。


 しばらく歩いて。


 ルイスの足が。


 少しずつ。


 遅くなる。


「……」


「ルイス?」


「なあ」


「何?」


「昨日」


 ルイスが。


 西の森を見る。


「リュート」


「……」


「最後」


「森に戻ったよな」


「うん」


「あのでかい魔獣のこと」


「知らなかったって言ってた」


「うん」


「それから」


 笛の音。


 戦いの最後。


 残っていた魔獣たちを。


 森へ呼び戻した音。


「あの笛」


「たぶん」


「リュートだよな」


「僕もそう思う」


「……」


 ルイスが。


 少しだけ俯く。


「セージに言われて」


「街へ魔獣を送った」


「だけど」


「最後は」


「自分で呼び戻した」


「そうなら」


 カイルが。


 静かに言う。


「少なくとも」


「全部」


「セージの言うままってわけではないのかもしれない」


「……だよな」


 ルイスは。


 少しだけ笑った。


「やっぱり」


「ちゃんと話したい」


「リュートと?」


「ああ」


「でも」


 カイルが。


 表情を引き締める。


「昨日の話」


「忘れちゃ駄目だよ」


「分かってる」


「セージは」


「人を攫って」


「研究に使った」


「それに」


「今回」


「街を危険に晒した」


「うん」


「リュートが彼女を大切に思っていることと」


「セージがやったことは」


「別の話だ」


「分かってるよ」


 ルイスが。


 森を見たまま答える。


「だから」


「知りたいんだ」


「……?」


「リュートが」


「何を考えてるのか」


「なんで」


「それでもセージのところにいるのか」


「それを聞かないと」


「俺」


「何も分からないままだ」


「……」


 カイルが。


 少しだけ笑う。


「本当に」


「君は」


「すぐに答えを決めないね」


「そうか?」


「普通なら」


「昨日あんなことされた相手に」


「もう一度話したいなんて言わないよ」


「でも」


 ルイスは。


 少し考えて。


「リュート」


「俺を助けた」


「……」


 巨大魔獣の爪。


 森で。


 自分を守った。


 あの一瞬。


「敵なら」


「助けないだろ」


「……」


「それに」


『……死なないで』


 あの。


 小さな声。


「俺には」


「リュートが」


「俺たちを殺したかったようには」


「見えなかった」


「……そうだね」


「だから」


 ルイスが。


 拳を握る。


「次に会ったら」


「絶対」


「もっとちゃんと話す」


「……」


「それでも」


 カイルが聞く。


「リュートが」


「セージの側に立つって言ったら?」


「……」


 ルイスが。


 少し黙る。


「その時は」


「その時?」


「もう一回聞く」


「何を?」


「本当に」


「それでいいのかって」


「……」


「それでも」


「リュートが自分で決めたなら」


 ルイスの表情が。


 少しだけ。


 真剣になる。


「俺も」


「自分で決める」


「……そっか」


「うん」


 今は。


 まだ。


 決められない。


 知らないことが。


 多すぎるから。


 だから。


 まず。


 知る。


 それから。


 決める。


 ルイスは。


 そう考えていた。


 ――――――――――


 西の森。


 深い。


 森の奥。


「……」


 リュートは。


 古びた小屋の前に立っていた。


 昨夜。


 ここへ帰ってきてから。


 何度。


 扉へ手を伸ばしただろう。


 聞きたいことがある。


 巨大魔獣。


 なぜ。


 自分には。


 何も教えてくれなかった。


 街に。


 どれだけの被害が出るか。


 セージは。


 分かっていたのか。


 それでも。


「……」


 扉を開ければ。


 あの人がいる。


 幼い頃から。


 ずっと。


 自分を育ててくれた人。


 自分にとって。


 家族と呼べる。


 たった一人の人。


「……セージ」


 リュートが。


 小さく呟く。


 ――ギィ。


 その時。


 扉が開いた。


「リュート?」


「……!」


 セージが。


 小屋の中から。


 顔を覗かせる。


 長い黒髪。


 白い肌。


 紫がかった瞳。


 昨日までと。


 何も変わらない姿。


「どうしたの?」


「……」


「そんなところに立って」


「セージ」


「なあに?」


 優しい声。


 昔から。


 何度も聞いた声。


「……昨日」


 リュートが。


 笛を握る。


「街へ行った」


「ええ」


「魔獣も」


「向かわせた」


「そうね」


「……」


 リュートの手に。


 僅かに力が入る。


「どうだった?」


 セージが。


 静かに聞いた。


「……何が?」


「結果よ」


「騎士」


「冒険者」


「城壁」


「魔獣たちは」


「どこまで戦えた?」


「……」


 リュートの表情が。


 強張る。


 やはり。


 最初に聞くのは。


 それなのか。


「セージ」


「なあに?」


「あの」


 一度。


 息を吸う。


「巨大な魔獣」


 ――。


 ほんの僅か。


 セージの目が。


 細くなった。


「……」


「僕」


「知らなかった」


「そうね」


「どうして?」


「……」


「どうして」


「教えてくれなかったの?」


 森の中。


 静かな声が。


 落ちた。


「……」


 セージは。


 すぐには答えない。


「リュート」


「何?」


「あなたは」


 優しく。


 微笑む。


「知らなくてもよかったから」


「……え?」


「あなたにお願いしたのは」


「魔獣を集めること」


「騎士を森へ引きつけること」


「そして」


「一部を街へ向かわせること」


「それだけ」


「……」


「それ以上のことを」


「あなたが知る必要はなかったの」


「でも!」


 リュートの声が。


 少しだけ大きくなる。


「街には」


「人がいる」


「……」


「昨日」


「たくさん」


「戦ってた」


「騎士も」


「冒険者も」


「ルイスも……」


 その名前を。


 口にした瞬間。


 セージの瞳が。


 僅かに動いた。


「ルイス?」


「……」


 リュートは。


 少しだけ。


 言葉を止める。


「赤い髪の少年?」


「……知ってるの?」


「あなたが以前」


「話していたでしょう」


「街道で会った少年」


「……」


「そう」


 セージが。


 穏やかに笑う。


「彼もいたのね」


「セージ」


「何?」


「死んでも」


 リュートが。


 ゆっくりと。


 顔を上げる。


「よかったの?」


「……」


「街の人たち」


「ルイス」


「騎士」


「みんな」


「あの巨大な魔獣に」


「殺されても」


「よかったの?」


 初めて。


 はっきりと。


 聞いた。


 セージの表情から。


 笑みが。


 僅かに消える。


「リュート」


「……」


「研究には」


「結果が必要なの」


「……!」


「どこまで耐えられるのか」


「どこで壊れるのか」


「どれほどの力が必要なのか」


「実際に試さなければ」


「分からないこともある」


「でも」


「人だよ」


「……」


「魔獣じゃない」


「街に住んでる」


「普通の人たちだ」


「……」


 セージが。


 静かに。


 リュートを見る。


「あなたは」


「変わったわね」


「……え?」


「昔は」


「私の言うことに」


「そんなふうに聞き返したりしなかった」


「……」


 リュートの身体が。


 僅かに固まる。


「誰の影響かしら」


「……!」


「その」


 赤い髪の少年?」


「違う!」


 反射的に。


 声が出た。


「……」


「……」


 セージが。


 リュートを見つめる。


「ご、ごめん……」


 リュートが。


 目を逸らす。


「いいのよ」


 セージが。


 いつものように。


 笑った。


「あなたにも」


「色々考えることが増えたのね」


「……」


「それは」


「悪いことではないわ」


「セージ……」


「でも」


 セージが。


 一歩。


 近づく。


「忘れないで」


「……」


 その手が。


 リュートの頬へ。


 優しく触れる。


「あなたを」


「森で拾ったのは」


「誰?」


「……セージ」


「あなたに」


「食べ物を与えたのは?」


「……」


「寝る場所を作ったのは?」


「……セージ」


「笛の吹き方を」


 セージの指先が。


 リュートの頬を。


 ゆっくりとなぞる。


「一緒に覚えたのは?」


「……」


 リュートの手が。


 胸元の笛を握る。


「セージ……」


「そう」


 優しい声。


「私は」


「あなたを」


「ずっと大切にしてきた」


「……」


「あなたも」


「そうでしょう?」


「……」


 リュートは。


 答えられない。


 違う。


 嫌いになったわけじゃない。


 それどころか。


 今でも。


 大切だ。


 たった一人の。


 家族。


 だから。


 苦しい。


「……僕は」


「うん?」


「セージを」


 言葉を探す。


「……一人にしたくない」


「……」


「でも」


 リュートが。


 震える声で続ける。


「昨日みたいなことも」


「もう」


「したくない」


「……」


 セージは。


 しばらく。


 何も言わなかった。


 森の音だけが。


 二人の間を通り抜ける。


「そう」


 やがて。


 静かに答える。


「なら」


「……?」


「少し休みなさい」


「え?」


「疲れているのでしょう?」


 セージは。


 いつものように笑う。


「話は」


「また後でしましょう」


「……」


「今日は」


「何もしなくていいわ」


「セージ」


「大丈夫」


 頭を。


 優しく撫でる。


「あなたは」


「私の大切な子だから」


「……」


 その言葉に。


 昔なら。


 安心した。


 嬉しかった。


 けれど。


 今は。


 胸の奥に。


 小さな違和感が残った。


「……うん」


 リュートは。


 それでも。


 頷いた。


 そして。


 小屋の中へ。


 ゆっくり入っていく。


 ――ギィ。


 ――バタン。


「……」


 扉が閉まる。


 セージは。


 しばらく。


 その扉を見ていた。


 やがて。


 笑みが消える。


「……ルイス」


 小さく。


 その名前を口にした。


「そう」


「あなたが」


 紫がかった瞳が。


 細くなる。


「あの子を」


「変え始めたのね」


 セージは。


 森の奥へ目を向ける。


 そして。


 自分の手首。


 黒いローブの隙間。


 そこから覗く。


 薄い。


 黒い筋を見る。


「……」


 指先で。


 その痕をなぞる。


 ――ドクン。


「まだ」


 セージは。


 何かを確かめるように目を細めた。


 小さく。


 呟く。


「足りない」


 巨大魔獣。


 失敗。


 そして。


 赤い髪の少年。


「……ルイス」


 セージの目が細くなる。


「あの子が、生き残ったのね」


「……」


 その口元へ。


 ほんの少し。


 笑みが戻った。


「面白いわね」


 先ほどまでの。


 柔らかな笑みは消えていた。


 代わりに。


 その瞳には。


 研究者としての鋭い光が宿っている。


 未知のものを見つけた。


 魔法使いの瞳。


「次は」


 セージが。


 静かに森の奥へ歩き出す。


「もう少し」


「確かめてみましょうか」


 木々の向こう。


 さらに深い場所。


 そこには。


 まだ。


 ルイスたちの知らない何かが。


 深く。


 隠されていた。


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