第一章3 『街を目指して』
車輪が草原の道を踏みしめる。
ルイスは荷台の端に座り、進行方向へ視線を向けていた。
その隣では、リュートが静かに流れていく景色を眺めている。
胸元には、一本の笛が揺れていた。
つい先ほどまで魔獣に襲われていたとは思えないほど、穏やかな時間が流れている。
そんな中。
ルイスは先ほどから何度も、リュートの胸元をちらちらと見ていた。
「なぁ、リュート」
「はい?」
「その笛、ちょっと見せてもらっていいか?」
「ああ、これですか?」
リュートは胸元から笛を外し、ルイスへ差し出した。
「おお……!」
受け取った瞬間、ルイスの目が輝く。
手のひらに収まるほどの、小さな木製の笛。
表面は綺麗に磨かれていて、ところどころに細かな彫刻が施されている。
新品ではない。
長く大切に使われてきたことが、見ただけでも分かった。
「すげぇな、これ」
ルイスは裏返したり、穴を覗いたりしながら眺める。
「自分で作ったのか?」
「いえ」
リュートは小さく首を振った。
「昔から使っているものなんです」
「へぇ」
「ずっと手元にあったので、僕にとっては大切なものですね」
「なるほどな!」
ルイスはもう一度、笛をじっと見る。
「こういうのって、穴の押さえ方で音が変わるんだろ?」
「そうですね」
「息の強さでも変わるのか?」
「ええ。少し変わりますよ」
「へぇ……!」
リュートが少し目を丸くする。
「随分と興味があるんですね」
「知らないものは気になるだろ!」
ルイスは当然のように答えた。
「どうやって動いてるのかとか、どうやって使うのかとかさ」
笛を持ち上げる。
「分かったら面白いじゃねぇか」
リュートは一瞬黙り――。
小さく笑った。
「ルイスらしいですね」
「そうか?」
「はい」
ルイスは首を傾げる。
そして。
「これって、俺でも吹ける?」
「吹いてみますか?」
「いいのか!?」
「もちろん」
ルイスは嬉しそうに笛を口元へ持っていく。
「よし……」
息を吸い込み――。
「…………」
吹く。
しかし。
「…………?」
音が出ない。
「おかしいな」
もう一度。
少し強く吹き込む。
――スカッ。
「…………」
リュートが口元を押さえた。
「ふふっ……」
「おい! 今笑っただろ!」
「す、すみません」
「くそっ! 難しいな、これ!」
ルイスは悔しそうに笛を返した。
「どうやったら鳴るんだ?」
「少しコツがいるんですよ」
リュートは笛を受け取る。
「こうして――」
静かに口元へ構えた。
そして。
息を吹き込む。
――ピィ……。
澄んだ音が響いた。
「おお!」
ルイスの表情が一気に明るくなる。
「すげぇ!」
「そんなに珍しいものではありませんよ」
「俺にとっては珍しいんだよ!」
ルイスは身を乗り出す。
「もっと吹いてくれ!」
「いいですよ」
リュートは小さく笑った。
もう一度笛を構える。
今度は先ほどより長く。
静かな旋律が、走る馬車から草原へ流れていく。
風と混ざり。
遠くへ消えていった。
「…………」
ルイスは黙って聞いていた。
やがて笛の音が止まる。
「どうですか?」
「……いいな」
ルイスは笑った。
「なんか、旅してるって感じがする」
「旅……ですか?」
「ああ」
ルイスは流れていく草原へ目を向けた。
「知らない場所を進んで、知らない音を聞いて」
その顔に自然と笑みが浮かぶ。
「こういうの、やっぱり最高だな」
リュートは何も言わず、その横顔を見る。
「俺、まだ見たことない場所をいっぱい見てぇんだ」
「冒険者ですもんね」
「おう!」
ルイスは嬉しそうに頷く。
「街だって楽しみだぞ。どんな奴がいるのか、どんな場所なのか」
少し身を乗り出す。
「もしかしたら、すげぇもんが見つかるかもしれねぇし!」
御者台からオリバーの笑い声が飛んできた。
「はっはっは! 坊主は本当に冒険が好きなんだな!」
「当たり前だろ!」
ルイスは胸を張る。
「冒険者なんだからな!」
リュートはそんなルイスを見つめていた。
「……楽しそうですね」
「おう!」
即答だった。
「楽しいぞ!」
「…………」
リュートは少しだけ視線を落とす。
「そうですか」
それから。
いつもの穏やかな笑みを浮かべた。
「それは、いいですね」
馬車は進み続ける。
しばらくすると、先ほどまでより道幅が広くなってきた。
行き交う馬車も少しずつ増えている。
「おお!」
ルイスは辺りを見回した。
「人が増えてきたな!」
「街が近いからな」
御者台のオリバーが答える。
「この辺りまで来れば、街へ向かう商人や旅人も多い」
「なるほどな!」
ルイスは次々と通り過ぎていく人々を見る。
大量の荷物を積んだ馬車。
武器を腰に下げた冒険者。
大きな荷物を背負った旅人。
見慣れない衣服を身につけた者もいる。
「すげぇ……」
ルイスの瞳が輝く。
「こんなにいろんな奴がいるのか!」
「まだまだこんなもんじゃねぇぞ」
オリバーが笑う。
「街へ入れば、もっといる」
「マジか!」
ルイスはさらに身を乗り出した。
「おい、落ちるなよ!」
「大丈夫だって!」
「信用ならねぇな!」
オリバーが豪快に笑った。
やがて――。
草原の向こうに、巨大な城壁が姿を現した。
「……!」
ルイスの表情が変わる。
高くそびえる石造りの壁。
中央には巨大な門。
さらにその向こうには、いくつもの建物の屋根が見えている。
「でっけぇ……」
ルイスは思わず立ち上がった。
「こんな大きな街、初めて見た」
「そうか」
オリバーが少し誇らしげに笑う。
「あれが俺たちの街――グランベルだ」
「グランベル……」
ルイスはその名を口にする。
胸が高鳴っていた。
ウェルム村とはまるで違う。
今まで通ってきた小さな町とも違う。
あの城壁の向こうには、自分の知らないものがいくつもある。
知らない人。
知らない店。
知らない景色。
そして。
まだ知らない冒険。
「……楽しみだな」
「何がです?」
リュートが尋ねる。
ルイスは満面の笑みを浮かべた。
「全部!」
「全部?」
「ああ!」
城壁を指差す。
「街も、人も、冒険者も!」
拳を握る。
「ここから何が起きるかって考えたら――」
その瞳が輝く。
「ワクワクして仕方ねぇ!」
「……ルイスらしいですね」
「だろ?」
リュートが小さく笑った。
馬車はゆっくりとグランベルの門へ近づいていく。
門の前には武装した兵士。
街へ入ろうとする商人や旅人の列もできていた。
「結構並んでるな」
「この時間は商人が多いからな」
オリバーが馬をゆっくり歩かせ、列の最後尾へつける。
しばらくして――。
「止まれ!」
門を守る兵士が声を上げた。
オリバーが手綱を引く。
「おう、お疲れさん」
「オリバーか」
兵士は見覚えがあるのか、軽く手を上げた。
「今日は随分早いな」
「ああ。途中でちょっと魔獣に絡まれてな」
「魔獣?」
兵士の顔から笑みが消えた。
「数は?」
「五匹だ」
「五匹も?」
「ああ。だが――」
オリバーは後ろを振り返る。
「こっちの坊主が追っ払ってくれた」
「坊主って言うなよ!」
ルイスが口を尖らせる。
兵士はそんなルイスを見て目を丸くした。
「こいつが?」
「おう」
「一人で?」
「まぁな!」
ルイスは胸を張った。
しかし。
「……冒険者か?」
「そうだ!」
一拍置いて。
「まだなって一年も経ってねぇけど」
「なるほどな」
兵士は少し驚いたように頷いた。
「最近、この辺りじゃ魔獣がかなり増えている」
街の外へ目を向ける。
「前はこんな街道近くまで来ることも少なかったんだがな」
「やっぱり変なのか」
ルイスが尋ねた。
「ああ」
兵士の眉が僅かに寄る。
「原因はまだ分かっていないらしい」
「…………」
ルイスは先ほど戦った魔獣を思い出す。
馬車を囲んでいた五匹。
そして。
突然、逃げるように去っていった二匹。
「……」
「どうした?」
「いや」
ルイスは首を振る。
「なんでもねぇ」
兵士はオリバーへ視線を戻した。
「街の中も少し騒がしいぞ」
「例の募集か?」
「ああ」
「冒険者ギルドだけじゃない。領主様の方でも人を集めているらしい」
ルイスの目が僅かに輝く。
「詳しいことは、中で聞いた方が早いだろう」
兵士が道を空ける。
「通っていいぞ」
「ありがとよ!」
オリバーが手綱を動かす。
馬車が再び進み始めた。
そして。
巨大な門をくぐる。
「……!」
ルイスが大きく目を見開いた。
「すげぇ……!」
目の前には、城壁の外とはまるで違う景色が広がっていた。
石造りの建物。
道沿いに並ぶ露店。
大量の商品を運ぶ商人。
武器を腰に下げた冒険者。
行き交う人々の声が、至るところから響いてくる。
「すげぇ! めちゃくちゃ人いるじゃねぇか!」
「おいおい」
オリバーが笑う。
「田舎者丸出しだぞ」
「仕方ねぇだろ!」
ルイスはきょろきょろと辺りを見る。
「こんな大きな街、初めてなんだから!」
「あれは何の店だ?」
「パン屋だ」
「あっちは?」
「武器屋」
「じゃあ、あれは?」
「……八百屋だ」
「へぇ!」
「八百屋くらいは知ってるだろ!」
「知ってるけど、置いてるものが違うんだよ!」
「あ?」
ルイスが八百屋を指差す。
「俺が今まで見たことねぇ野菜がある!」
「……そこまで見るのか、お前は」
オリバーが呆れながら笑った。
リュートも隣で小さく笑っている。
「本当に何でも楽しめるんですね」
「だって全部見たことねぇんだぞ?」
「全部ではないでしょう」
「細かいことはいいんだよ!」
ルイスは笑う。
「知らないものを見つけるのが、冒険の醍醐味だろ?」
「……なるほど」
リュートは少しだけ考えるように目を伏せた。
そして。
「それも、悪くないですね」
「ああ!」
馬車は大通りを進んでいく。
しばらくして、オリバーが前方を指差した。
「ルイス」
「ん?」
「ギルドへ行くんだったよな?」
「おう!」
「なら、あそこだ」
通りの先。
周囲の建物より一回り大きな建物が見える。
正面には、大きな看板。
剣と盾を象った紋章が掲げられていた。
「……あれが?」
「ああ」
オリバーが頷く。
「グランベルの冒険者ギルドだ」
「おおお……!」
ルイスの顔が一気に明るくなる。
「よっしゃあ!」
勢いよく立ち上がろうとした瞬間。
馬車が揺れた。
「うわっ!」
ルイスがよろめく。
「危ねぇな!」
オリバーが笑う。
「慌てるなって!」
「だってよ!」
ルイスは目の前のギルドを見つめる。
その様子を見ながら、リュートが呟いた。
「……本当に楽しそうですね」
「おう!」
ルイスは振り返る。
「リュートも来るだろ?」
「僕も?」
「ああ!」
当然のように言われ。
リュートは一瞬だけ目を丸くした。
「…………」
それから、小さく首を振る。
「僕は、この街で用事がありますから」
「そっか」
ルイスは分かりやすく肩を落とした。
「残念だな」
「すみません」
「謝ることじゃねぇだろ!」
ルイスはすぐに笑う。
馬車は冒険者ギルドへ近づいていく。
ルイスはこれから始まる新しい出来事を想像しながら、笑った。
「よし!」
目の前には、まだ知らない街。
まだ知らない人。
そして。
まだ知らない冒険。
「行くぜ!」
ルイスは荷台からギルドを見上げる。
「新しい冒険の始まりだ!」




