第一章36 『影を残す街』
――――――――――
それから。
しばらくして。
「負傷者はこちらへ!」
「治癒魔法を使える者を回せ!」
「城壁の損傷を確認しろ!」
「魔獣の死骸は一箇所に集めろ!」
「西の森から目を離すな!」
グランベルの西門周辺では。
戦いの後始末が始まっていた。
つい先ほどまで。
無数の魔獣が押し寄せていた場所。
地面には。
爪痕。
剣の跡。
魔法によって抉れた穴。
そして。
戦いの激しさを物語るように。
いくつもの魔獣の死骸が横たわっている。
「……すごいな」
ルイスは。
改めて周囲を見回した。
「戦ってる時は、こんなになってるって気づかなかった」
「そんな余裕なかったからね」
隣で。
カイルが答える。
二人は。
西門近くの城壁にもたれかかるように座っていた。
「……疲れた」
ルイスが。
大きく息を吐く。
「僕も」
カイルも。
その場へ座り込む。
「もう魔力ほとんど残ってない」
「俺も……」
ルイスが。
右手を見る。
少し前まで。
その手には。
赤い炎があった。
「……」
握る。
開く。
もう一度。
握る。
「何してるの?」
「いや」
ルイスは。
自分の手を見たまま。
少し笑った。
「炎、使えたなって」
「……」
「何日も練習して」
「うん」
「何回も消えて」
「うん」
「走ったら消えて」
「うん」
「短剣振っても消えて」
「……うん」
「それがさ」
ルイスが。
巨大魔獣の死骸を見る。
「あんなでかい奴に効いた」
「そうだね」
カイルも。
小さく笑った。
「ちゃんと役に立ってたよ」
「……」
「むしろ、君の炎がなかったら倒せなかったかもしれない」
「ほんとか!?」
「そこで急に元気になるなよ」
「だって!」
ルイスが笑う。
「練習してよかった!」
「それは僕も思うけど……」
カイルは。
ルイスの右手を見る。
「さっき言ったこと、忘れないでね」
「何?」
「最後に炎が急に大きくなったこと」
「ああ」
ルイスも。
自分の右手を見る。
自分が意識していないところで。
急激に膨れ上がった炎。
あの瞬間。
胸の奥に感じた。
奇妙な熱。
「今までとは違った」
カイルが言う。
「魔力を多く流しただけ……って感じじゃなかった」
「そうなの?」
「少なくとも僕にはそう見えた」
「ふーん……」
ルイスが。
もう一度右手を見る。
「じゃあ」
「うん?」
「もっと使えば分かるかな」
「いきなり実戦で試そうとしないでね?」
「まだ何も言ってない!」
「顔に書いてある」
「書いてない!」
「書いてる」
「どこに!?」
カイルが。
呆れたように息を吐いた。
「……本当に元気だなあ」
「疲れてるぞ!」
「そう見えないんだけど」
そんな会話をしていると。
「少年たち」
「ん?」
二人が振り返る。
そこには。
ジョージが立っていた。
鎧には傷。
衣服にも。
魔獣の血や土が付いている。
先ほどの激戦を物語る姿。
「ジョージさん」
ルイスが立とうとする。
「そのままでいい」
「でも」
「座っていろ」
ジョージが。
ルイスの右手を見る。
「まだ震えているぞ」
「……」
ルイスが。
自分の手を見る。
確かに。
よく見れば。
僅かに震えていた。
「ほんとだ」
「気づいてなかったの?」
「うん」
「ほら!」
カイルが叫ぶ。
「だから言っただろ!」
「そんな怒るなよ!」
「怒るよ!」
「元気そうで何よりだ」
ジョージが。
少しだけ笑った。
「二人とも」
その表情が。
すぐに真剣なものへ変わる。
「礼を言う」
「え?」
「今回の戦い」
ジョージが。
倒れた巨大魔獣を見る。
「お前たちがいなければ、被害はさらに大きくなっていた」
「……」
「特に」
ルイスを見る。
「あの炎」
「俺?」
「お前以外に誰がいる」
「カイルもいた!」
「分かっている」
「ジョージさんもいた!」
「……だから」
ジョージが。
僅かに眉間へ皺を寄せる。
「誰が一番かという話をしているわけではない」
「あ、そっか」
「人の話を最後まで聞け」
「はい!」
「……」
ジョージが。
深く息を吐いた。
「まあいい」
「諦めるの早くない?」
「誰のせいだと思ってるんだ」
カイルが呟く。
「それより」
ジョージの声が低くなる。
「お前たちに聞かなければならないことがある」
「森のこと?」
カイルが。
すぐに表情を変えた。
「ああ」
ジョージが頷く。
「今回の襲撃」
西の森を見る。
「偶然ではない」
「うん」
ルイスも。
すぐに頷いた。
「リュートが魔獣を街へ向かわせた」
「……リュート」
ジョージが。
その名を繰り返す。
「銀髪の少年だな?」
「知ってるの?」
「森へ入った騎士団から報告を受けている」
ジョージが答える。
「笛を吹く銀髪の少年が、魔獣の動きを操っていたとな」
「……やっぱり騎士たちも見てたんだ」
「ああ」
ジョージが。
カイルへ視線を向ける。
「お前たちは、その少年と直接話したのだな」
「はい」
「詳しく聞かせてくれ」
「分かった」
カイルが。
ゆっくりと話し始めた。
森で。
リュートと出会ったこと。
笛によって。
魔獣たちを動かしていたこと。
そして。
彼が。
自分の意思だけで。
全てを行っていたわけではないこと。
「……誰かの命令?」
ジョージが聞き返した。
「うん」
ルイスが答える。
「セージって人」
「――」
その瞬間。
ジョージの表情が。
僅かに固まった。
「……今」
低い声。
「何と言った?」
「セージ」
ルイスが。
もう一度答える。
「リュートがそう呼んでた」
「……」
ジョージは。
何も言わない。
「ジョージさん?」
「その名前は」
ジョージが。
ルイスを見る。
「本人から聞いたのか?」
「リュートから」
「どんな話をした」
「えっと……」
ルイスは。
森での出来事を思い返す。
「リュートは、小さい頃にセージに拾われたって言ってた」
「拾われた?」
「うん」
「育ててもらって」
カイルが続ける。
「食事も、寝る場所も、言葉も」
「それに、笛の吹き方も教わったそうです」
「……」
「彼にとって」
カイルが。
少しだけ言葉を選ぶ。
「セージは家族に近いんだと思います」
「だから逆らえないって言ってた」
ルイスが。
拳を握る。
「悪いことだって分かってるのに」
「……」
「それでも」
ルイスの脳裏に。
リュートの顔が浮かぶ。
『僕には……セージしかいなかった』
「セージを一人にできないって」
ジョージは。
黙ったまま聞いていた。
「そして」
カイルが続ける。
「今回の魔獣の群れも、セージの指示だったそうです」
「……詳しく」
「騎士団が森に入ったら、一部の魔獣をぶつけて足止めする」
「……」
「その間に別の群れを森から出して」
カイルが。
グランベルを見る。
「街の方へ向かわせる」
ジョージの目が。
鋭くなる。
「目的は?」
「リュートが聞かされていたのは、森へ入った騎士や冒険者を街へ引き戻すためだそうです」
「魔獣を街の外周へ近づけて、警戒をそちらへ向けると」
「……攻撃させるためではないのか?」
「少なくとも、リュートはそう聞いていませんでした」
「でも」
ルイスが口を挟む。
「あのでかい魔獣は、リュートも知らなかった」
「何?」
「俺たちと一緒に驚いてた」
「……」
「セージから聞かされてなかったみたいです」
カイルも頷く。
「リュートが命じられていたのは、あくまで魔獣の群れを集めて街へ向かわせるところまでだったようです」
「巨大個体は」
「少なくとも、リュートとは別に動いてたんだと思う」
ルイスが答える。
「……」
ジョージの視線が。
倒れた巨大魔獣へ向く。
胸元。
黒い塊が取り出された場所。
「セージ……」
もう一度。
その名を。
小さく呟く。
「ジョージさん」
ルイスが。
じっと顔を見る。
「知ってるの?」
「……」
「セージって人」
ジョージは。
すぐには答えなかった。
「その話は――」
「領主様!」
声が。
会話を遮った。
「……何だ」
一人の騎士が。
慌ただしく駆けてくる。
「申し訳ありません!」
「構わん。報告しろ」
「はっ!」
騎士は。
一度呼吸を整える。
「先ほど、治療所から連絡が入りました」
「治療所?」
「はい」
騎士が。
少しだけ戸惑ったように続ける。
「以前、西の街道で保護された男の件です」
「……!」
ルイスとカイルには。
分からなかった。
だが。
ジョージだけが。
僅かに目を細めた。
「あの男か」
「はい」
「意識を?」
「戻しました」
「……」
「まだかなり衰弱していますが、会話は可能とのことです」
「そうか」
ジョージが。
何かを考える。
「西の街道?」
ルイスが。
首を傾げた。
「誰?」
「数日前だ」
ジョージが答える。
「街へ続く街道で、一人の男が倒れているのを巡回中の兵が発見した」
「怪我してたの?」
「怪我もあった」
ジョージの表情が。
険しくなる。
「だが、それ以上に」
「?」
「ひどく怯えていたそうだ」
「怯えて?」
「意識が途切れるまで、森や誰かの名前らしき言葉を繰り返していた」
ジョージが。
森を見る。
「その中に、一つだけはっきり聞き取れた言葉がある」
「何て?」
ルイスが聞く。
ジョージは。
一瞬だけ。
答えるのを躊躇した。
「……『魔女』だ」
「……!」
カイルの表情が変わる。
「その男」
「まさか……」
「ああ」
ジョージが。
騎士へ向き直る。
「今すぐ会う」
「はっ!」
「ルイス」
「うん?」
「カイル」
「はい」
「お前たちも来い」
「いいの?」
「ああ」
ジョージが。
もう一度。
西の森を見る。
「恐らく」
静かな声。
「今聞いた話と無関係ではない」
――――――――――
グランベル。
街の治療所。
建物の中は。
戦いで負傷した兵士や冒険者たちで。
慌ただしくなっていた。
「包帯を!」
「こっちにも!」
「その人は奥へ!」
治癒魔法を扱える者。
薬師。
手伝いに来た住民たち。
誰もが。
休む暇なく動いている。
「……」
ルイスは。
その光景を見ながら。
少しだけ黙った。
「どうした?」
カイルが聞く。
「いや」
ルイスが答える。
「街が壊れなくてよかったなって」
「……うん」
城壁には。
大きな傷が残った。
負傷者もいる。
だが。
もし。
巨大魔獣を止められなかったら。
この程度では済まなかった。
「こっちだ」
ジョージの声。
二人が。
奥へ進む。
一番奥。
他の患者とは。
少し離された部屋。
「領主様」
入口にいた兵士が。
頭を下げる。
「状態は?」
「先ほど水を飲みました」
「会話は?」
「可能です。ただ……」
「ただ?」
「かなり混乱しています」
「分かった」
ジョージが。
扉を開けた。
――ギィ。
「……」
小さな部屋。
窓際。
一つのベッド。
そこに。
一人の男が横たわっていた。
年齢は。
五十代ほどだろうか。
髪には白いものが混じり。
頬は痩せている。
腕や首には。
包帯。
それだけではない。
男の顔には。
今も。
消えていない恐怖があった。
「……」
目だけが。
落ち着かない様子で。
何度も。
窓。
扉。
部屋の隅。
周囲を確認している。
「……誰だ」
男が。
掠れた声を出した。
「私だ」
ジョージが。
ベッドへ近づく。
「グランベル領主、ジョージ・グランベル」
「……グランベル」
男の瞳が。
僅かに動く。
「領主……?」
「ああ」
「……」
男は。
ジョージを見つめる。
その顔が。
少しずつ。
驚きへ変わっていく。
「……まさか」
「?」
「ジョージ……様?」
今度は。
ジョージの表情が変わった。
「私を知っているのか?」
「……」
男は。
震える手を伸ばしかける。
「立派に……なられた」
「……何?」
ルイスとカイルが。
顔を見合わせる。
ジョージの目が。
さらに鋭くなる。
「お前は誰だ」
「……」
男の唇が。
震える。
「名前は」
何度か。
息を整える。
「……アルバート」
「アルバート……?」
ジョージが。
その名を繰り返す。
「アルバート……まさか」
何か。
遠い記憶を探すように。
目を細めた。
「二十年前」
「……!」
男――アルバートの身体が。
びくりと震えた。
「父上の騎士団にいた」
「……」
「アルバート・レインか?」
「……はい」
「……!」
カイルが。
僅かに目を見開く。
ルイスは。
二人の顔を交互に見る。
「知り合い?」
「昔の話だ」
ジョージは。
アルバートから目を離さない。
「父が領主だった頃」
「……」
「何度か顔を見たことがある」
「二十年前って……」
ルイスが呟く。
男は。
突然。
ジョージの腕を掴んだ。
「……っ!」
「おい!」
兵士が。
剣へ手を伸ばす。
「待て!」
ジョージが止める。
「……アルバート」
「生きています」
「……何?」
「生きて……いる」
アルバートの手が。
震えている。
「誰がだ」
ジョージの声が。
低くなる。
「言え」
アルバートは。
唇を震わせながら。
答えた。
「あの女です」
「……」
「黒い髪」
「白い肌」
「紫の……目」
ジョージの顔から。
血の気が引いた。
「……まさか」
「昔と」
アルバートが。
息を荒くする。
「変わっていなかった」
「……!」
「二十年前と」
その言葉に。
部屋の空気が。
凍りついた。
「二十年前?」
ルイスが。
思わず聞き返す。
「どういうこと?」
「……」
アルバートは。
ルイスを見た。
「若いままだ」
「……え?」
「何も」
男の顔が。
恐怖に歪む。
「何も……変わっていない」
「アルバート」
ジョージが。
両肩を掴む。
「名前を言え」
「……」
「その女の名前を」
「……っ」
アルバートの瞳に。
恐怖の色が浮かぶ。
「セージ」
「――!」
ルイスとカイルが。
同時に息を呑んだ。
「セージ……ナイトシェード」
「……」
ジョージが。
ゆっくりと手を離す。
「やはり……」
「どうしたの?」
ルイスが聞く。
だが。
ジョージは答えない。
「処刑された」
代わりに。
アルバートが。
小さな声で言った。
「え?」
「二十年前」
男の視線が。
何もない場所へ向く。
「あの女は……処刑された」
「……処刑?」
「私も」
アルバートの呼吸が。
速くなる。
「見た」
「アルバート!」
「処刑を……」
「私も、確かに見た……!」
男の身体が。
震え始める。
「確かに死んだはずなのに!」
「落ち着け!」
「生きてる!」
アルバートが叫ぶ。
「生きてるんだ!」
「アルバート!」
「あの魔女は!」
――ガシャン!
横の器が。
床へ落ちた。
「何事ですか!」
治療師が。
部屋へ飛び込んでくる。
「すまない!」
ジョージが。
すぐにベッドから離れた。
「話をさせすぎた」
「領主様、今は休ませてください!」
「ああ」
治療師が。
アルバートを横にする。
「大丈夫ですよ」
「……魔女が」
「もう大丈夫です」
「……森に」
「今は休んで」
「……」
徐々に。
男の呼吸が。
落ち着いていく。
「出よう」
ジョージが。
低い声で言った。
ルイスとカイルは。
黙ってその後を追った。
――――――――――
治療所の外。
「……」
誰も。
すぐには口を開かなかった。
夕方だった空は。
すでに。
暗くなり始めている。
「ジョージさん」
最初に。
ルイスが口を開いた。
「……」
「セージって人」
ジョージが。
ゆっくり振り返る。
「本当に知ってるんだよな?」
「ああ」
今度は。
否定しなかった。
「二十年前」
ジョージが。
静かに答える。
「私は」
一度。
目を閉じる。
「セージ・ナイトシェードの処刑を見た」
「……!」
「ジョージさんも?」
「ああ」
「じゃあ」
カイルが。
険しい表情になる。
「さっきの人の話が本当なら」
「本当だろう」
ジョージが答えた。
「え?」
「少なくとも」
ルイスたちを見る。
「お前たちの話と」
リュート。
セージ。
魔獣の強化。
「アルバートの証言」
黒髪。
紫の瞳。
二十年前と変わらない姿。
「そして」
巨大魔獣から取り出した。
あの黒い塊。
「偶然にしては」
ジョージが。
西の森へ目を向ける。
「重なりすぎている」
「……」
風が吹く。
森の方向から。
冷たい夜風が。
街へ流れてくる。
「……生きている」
ジョージが。
静かに呟いた。
「二十年前に処刑されたはずのセージ・ナイトシェードが、生きている」
その目から。
迷いが消える。
「……」
「そして今」
ジョージは。
傷ついた城壁を見る。
「グランベルへ戻ってきた」
「何のために?」
ルイスが聞く。
「……」
ジョージは。
しばらく答えなかった。
「分からん」
「……」
「だが」
拳を握る。
「もし」
声が。
低くなる。
「二十年前のことを恨んでいるのなら」
「……!」
「今回の襲撃は」
ジョージの目が。
西の森を捉える。
「街への復讐なのかもしれない」
「復讐……」
ルイスが。
その言葉を繰り返す。
「ジョージさん」
カイルが聞く。
「二十年前」
「セージは」
一度。
言葉を止める。
「何をしたんですか?」
「……」
ジョージは。
長く息を吐いた。
「ここで話すことではないな」
「え?」
「領主館へ来い」
二人を見る。
「お前たちには」
西の森。
その暗闇を見つめる。
「知っておいてもらった方がいい」
「何を?」
ルイスが聞く。
ジョージは。
静かに答えた。
「セージ・ナイトシェードが」
僅かに。
表情を険しくする。
「なぜ魔女と呼ばれ」
「なぜ」
二十年前。
処刑されたのかを。




