第一章32 『グランベル防衛戦』
――ズン!
巨大魔獣が一歩を踏み出す。
その巨体が動くたび。
地面が。
低く震えた。
「……来るぞ」
城壁の上。
兵士の一人が呟いた。
だが。
巨大魔獣だけではない。
「グルァァッ!」
「ギャウッ!」
その前方では。
無数の魔獣たちが、すでにグランベルへ迫っている。
「弓兵!」
ジョージの声が飛ぶ。
「次弾、構え!」
「はっ!」
数十人の兵士が。
一斉に矢を番えた。
「放て!」
――ヒュヒュヒュヒュッ!
無数の矢が空を駆ける。
そして。
――ザザザザザッ!
先頭を走る魔獣たちへ降り注いだ。
「ギャウッ!」
「グァッ!」
一匹。
二匹。
何匹もの魔獣が地面へ倒れる。
しかし。
「……止まらない」
倒れた仲間を踏み越えて。
後ろから。
さらに魔獣が押し寄せる。
「次!」
「放て!」
二射目。
三射目。
次々と矢が放たれる。
それでも。
魔獣の群れは止まらない。
「領主様!」
「どうした!」
「矢が効きにくい個体が混ざっています!」
「……!」
ジョージが目を凝らす。
群れの中。
身体に黒い筋が浮かんだ個体。
通常よりも大きな身体。
異様に膨れ上がった筋肉。
矢を受けながらも。
勢いを落とさず走っている。
「やはり……」
先ほど見えたものと同じ。
何者かによって。
異常な変化を与えられた魔獣。
「普通の魔獣と同じだと思うな!」
ジョージが叫ぶ。
「頭を狙え! 難しければ脚を潰せ! 一匹ずつ確実に止めろ!」
「はっ!」
「魔法兵!」
「準備できています!」
城壁の上。
杖を持った兵士たちが前へ出る。
「弓兵の間を埋めろ!」
「放て!」
「――ファイアボール!」
「――ウインドカッター!」
「――ロックバレット!」
炎。
風。
土。
様々な魔法が。
城壁の上から放たれた。
――ドォン!
――ズガンッ!
「グァァッ!」
魔獣の群れの一部が吹き飛ぶ。
「効いてるぞ!」
「そのまま押し返せ!」
兵士たちの声が上がる。
だが。
ジョージは。
その光景を見ても表情を緩めなかった。
「……」
群れの後ろ。
巨大魔獣。
まだ動いている。
ゆっくりと。
確実に。
こちらへ。
あれが到達するまでに。
できる限り数を減らさなければならない。
「領主様!」
「何だ!」
「西門より報告!」
伝令の兵士が駆け寄った。
「森へ向かっていた騎士団が戻ってきています!」
「……!」
「ですが!」
兵士が城壁の外を見る。
遠く。
森と街の間。
こちらへ走る人影が見えた。
騎士たち。
そして。
その後ろには。
「魔獣が追っています!」
数十匹の魔獣。
群れから離れた個体たちが。
騎士団を追うように走っていた。
「門を開ける準備をしろ!」
「しかし領主様!」
「騎士団を外に残すわけにはいかん!」
「ですが、開門中に魔獣が――」
「だから準備だけだ!」
ジョージが即座に答える。
「騎士団が門前まで来た瞬間に開ける! 通過したらすぐ閉じろ!」
「はっ!」
兵士が階段へ走る。
「弓兵!」
「はっ!」
「騎士団を追う魔獣を優先しろ!」
「了解!」
矢の狙いが変わる。
――ヒュンッ!
騎士団を追う魔獣へ。
城壁から矢が降り注いだ。
――――――――――
「街が見えた!」
ルイスが叫ぶ。
木々を抜け。
ようやく開けた場所へ出た。
その先。
グランベルの城壁が見える。
「まだ止まるな!」
騎士隊長が叫ぶ。
「門まで走れ!」
「はっ!」
騎士たちが一斉に速度を上げる。
ルイスも走る。
カイルも続く。
だが。
背後。
――ドドドドドッ!
「まだ追ってくる!」
ルイスが振り返る。
森を抜けた魔獣たち。
十匹どころではない。
「振り向くな!」
騎士隊長が叫ぶ。
「今は街へ入ることだけ考えろ!」
「でも!」
その時。
――ヒュンッ!
「っ!?」
ルイスの横を。
一本の矢が通り過ぎた。
そして。
――ザシュッ!
「ギャウッ!」
後ろの魔獣へ突き刺さる。
「矢……!」
顔を上げる。
城壁。
「援護だ!」
次々と。
矢が頭上を越えていく。
魔獣たちが倒れていく。
「今のうちだ!」
「おう!」
ルイスたちは走る。
だが。
「……」
近づくにつれて。
見えてくる。
城壁の外。
その光景。
「なんだよ……これ」
平原を。
大量の魔獣が埋め尽くしていた。
倒れている魔獣。
まだ走っている魔獣。
矢を受けても進み続ける魔獣。
そして。
さらに後方。
「……あいつ」
黒い巨体。
巨大魔獣。
「やっぱり追いつかれた……!」
カイルが息を呑む。
巨大魔獣は。
先ほど森で戦った時より。
さらに不気味に見えた。
胸元。
赤黒い光が。
遠くからでも分かるほど強く脈打っている。
――ドクン。
「……」
ルイスは。
走りながら。
無意識にそこを見る。
やっぱり。
あそこだ。
何かある。
何なのかは。
まだ分からない。
だが。
身体中を巡る黒い筋は。
胸元から伸びているように見えた。
「ルイス!」
「っ!」
「今は前!」
「分かってる!」
カイルに言われ。
視線を戻す。
「門まであと少しだ!」
騎士隊長の声。
西門が迫る。
その前。
門は。
まだ閉ざされていた。
「開けろ!」
騎士隊長が叫ぶ。
直後。
――ゴゴゴゴゴッ!
巨大な門が。
ゆっくりと開き始める。
「急げ!」
門の向こう。
兵士たちが叫んでいる。
「全員入れ!」
「走れ!」
一人。
また一人。
騎士たちが門を潜っていく。
「カイル!」
「ああ!」
ルイスたちも速度を上げる。
その時。
「グルァァァッ!」
「っ!」
横。
群れから外れた一匹の魔獣が。
ルイスへ飛びかかった。
「ルイス!」
「邪魔だ!」
短剣を抜く。
飛びかかってくる魔獣の爪を避け。
すれ違う瞬間。
「はあっ!」
――ザシュッ!
首元を斬り裂く。
「ギャウッ!」
魔獣が倒れた。
「立ち止まるな!」
「分かってる!」
すぐに走る。
「早く!」
「閉めるぞ! 急げ!」
兵士の声が飛ぶ。
「待て待て待て!」
「急げ、ルイス!」
「走ってる!」
カイルが先に門を潜る。
ルイスも。
地面を強く蹴った。
「うおおおっ!」
滑り込む。
「閉めろ!」
直後。
巨大な門が閉まり始める。
――ズンッ!
門が完全に閉じた。
「……っ」
ルイスは地面へ転がった。
「間に合った……」
「危なすぎるだろ!」
カイルが叫ぶ。
「間に合ったんだからいいだろ!」
「よくない!」
「二人とも!」
騎士隊長の怒声。
「言い争いは後だ!」
「はい!」
「おう!」
その瞬間。
――ドォォォン!
「っ!?」
巨大な衝撃が。
門の向こうから響いた。
扉が大きく軋む。
「魔獣がぶつかった!」
「押さえろ!」
兵士たちが門を支える。
――ドンッ!
――ドンッ!
外から。
何度も。
魔獣が門へ身体をぶつけている。
「……すごい数だな」
ルイスが息を整えながら呟く。
「うん」
カイルも。
荒い息を吐いている。
森での戦闘。
ここまでの全力疾走。
疲労は。
確実に身体へ溜まっていた。
「カイル」
「何?」
「魔力、大丈夫か?」
「……正直、結構使った」
カイルが杖を見る。
「でも、まだ戦える」
「そっか」
「君こそ」
「俺?」
「腕」
「……」
先ほど。
巨大魔獣に弾き飛ばされた時。
受けた腕。
まだ。
僅かに痺れている。
「大丈夫」
「本当に?」
「ああ」
「……」
「その顔やめろよ」
「信用してないから」
「ひどいな!」
「自業自得」
カイルが息を吐く。
「とにかく」
ルイスを見る。
「次は本当に無茶するな」
「……」
「返事」
「分かった」
「間があった」
「気のせいだ」
「絶対嘘だ」
その時。
「冒険者は西門へ集まれ!」
兵士の声が響く。
「防衛部隊を編成する!」
「行こう!」
「おう!」
二人は。
集まり始めた冒険者たちの方へ走った。
――――――――――
西門周辺。
すでに。
何十人もの冒険者が集まっていた。
「来たか!」
「ギルドから聞いてる!」
「戦える奴はこっちだ!」
剣士。
槍使い。
魔法使い。
弓使い。
様々な冒険者たち。
そこへ。
戻ってきた騎士団も加わる。
「聞け!」
騎士隊長が叫んだ。
全員の視線が集まる。
「魔獣はすでに西側一帯へ押し寄せている!」
ざわめきが起こる。
「だが、城壁はまだ破られていない!」
騎士隊長が続ける。
「城壁上から弓兵と魔法兵が攻撃する!」
「俺たちは?」
一人の冒険者が聞く。
「門が破られた場合に備える!」
「……!」
「それだけじゃない!」
騎士隊長が声を張る。
「負傷者の救助! 城壁上への補給! 侵入した魔獣への対処!」
今。
街全体が戦場になろうとしている。
「勝手に外へ出るな!」
「は?」
「外には百を超える魔獣がいる!」
騎士隊長が睨む。
「一人で飛び出せば死ぬだけだ!」
「……」
その言葉に。
ルイスが少し目を逸らした。
「君のこと言われてるんじゃない?」
「違うだろ」
「どうかな」
「聞こえてるぞ、そこの二人!」
「はい!」
「おう!」
「返事だけはいいな!」
周囲の冒険者から。
僅かに笑いが漏れた。
ほんの一瞬。
張り詰めていた空気が緩む。
だが。
次の瞬間。
――グオオオオオオオオオッ!
「……!」
街中に。
巨大な咆哮が響いた。
笑いは。
一瞬で消えた。
「……あいつだ」
ルイスが。
城壁を見上げる。
カイルも。
表情を強張らせた。
「来た……」
――――――――――
城壁の外。
巨大魔獣は。
とうとう。
魔獣の群れの先頭まで来ていた。
「グルルルルル……」
周囲の魔獣とは。
まるで違う。
その巨体。
その魔力。
何より。
身体中から溢れる。
異様な圧力。
「弓兵!」
ジョージが叫ぶ。
「あの大型個体を狙え!」
「はっ!」
弓が引かれる。
「放て!」
――ヒュンッ!
何十本もの矢が。
巨大魔獣へ降り注ぐ。
――ザッ!
――ザシュッ!
黒い毛。
赤黒い皮膚。
何本もの矢が突き刺さる。
「入った!」
兵士が叫ぶ。
しかし。
「待て」
ジョージが止めた。
「……?」
巨大魔獣は。
動きを止めていない。
「グルル……」
刺さった矢を。
気にする様子すらない。
そして。
――ドクン。
胸元が光る。
それに呼応するように。
身体中を走る黒い筋が脈打った。
「……!」
矢が刺さった傷口。
その周囲が。
ゆっくりと。
塞がり始める。
「傷が……」
「治ってる……?」
兵士たちが。
言葉を失う。
「再生……」
ジョージの目が細くなる。
先ほど。
戻ってきた騎士から。
報告を受けていた。
巨大な魔獣。
異常な魔力。
そして。
傷を再生させる能力。
「これか……」
森で。
あの少年たちが戦ったという個体。
「魔法兵!」
「はっ!」
「集中攻撃!」
「了解!」
「――ファイアボール!」
「――ウインドカッター!」
「――ロックバレット!」
複数の魔法が。
一斉に巨大魔獣へ飛ぶ。
――ドドドドォン!
爆発。
土煙。
「やったか!?」
「まだだ!」
煙の向こう。
影が動く。
「グルルルル……」
「……嘘だろ」
巨大魔獣が。
姿を現す。
皮膚には。
確かに傷がある。
血も流れている。
だが。
倒れない。
それどころか。
また。
胸元の光が脈打つ。
――ドクン。
「また治っていく……!」
「領主様!」
兵士がジョージを見る。
「どうすれば……!」
「……」
ジョージは。
巨大魔獣を見つめる。
再生。
だが。
あの再生にも何かしらの力を使っているのなら。
無限ということはないはずだ。
問題は。
そこまで攻撃を続けられるか。
そして。
城壁が耐えられるか。
「攻撃を止めるな!」
「はっ!」
「再生するなら、再生が追いつかなくなるまで叩け!」
「了解!」
再び。
矢と魔法が放たれる。
その間にも。
通常の魔獣たちが。
城壁へ迫っている。
「西側!」
「魔獣が壁を登ろうとしています!」
「熱湯を!」
「魔法兵、そちらにも回れ!」
「はっ!」
城壁上。
西門。
街中。
至るところで。
怒号が飛び交う。
――ドン!
門へ。
魔獣がぶつかる。
――ガリガリガリッ!
爪が。
城壁を引っ掻く。
「弓兵、下だ!」
「足元を狙え!」
「冒険者に伝えろ!」
「はっ!」
グランベル全体が。
戦いに包まれていく。
そんな中。
巨大魔獣だけが。
ゆっくりと。
城壁へ近づいていた。
――ズン。
一歩。
――ズン。
また一歩。
「……?」
ジョージが眉をひそめる。
矢も。
魔法も。
受け続けている。
それでも。
一直線に。
こちらへ。
「何をする気だ……?」
巨大魔獣が。
城壁の目の前で止まった。
「グルルルル……」
濁った赤い瞳が。
上を向く。
ジョージと。
巨大魔獣の視線が重なった。
「……」
次の瞬間。
巨大魔獣が。
前脚を持ち上げた。
「まさか……!」
ジョージの顔色が変わる。
「全員、何かに掴まれ!」
「え?」
「早くしろ!」
巨大な前脚が。
城壁へ向かって。
振り下ろされた。
――ドォォォォォン!!
「うわああっ!」
城壁全体が。
激しく揺れた。
「っ!」
ジョージが足を踏ん張る。
石材が。
軋む。
細かな破片が。
城壁から落ちていく。
「領主様!」
「被害を確認しろ!」
「は、はい!」
「西壁、一部に亀裂!」
「何!?」
兵士が。
青ざめる。
「一撃で……?」
分厚い城壁。
魔獣から。
街を守るために築かれた壁。
それに。
たった一度の攻撃で。
亀裂が入った。
「グルルルルル……」
巨大魔獣が。
もう一度。
前脚を上げる。
「また来るぞ!」
「全員掴まれ!」
――ドォォォォン!
二撃目。
城壁が揺れる。
――ミシッ。
「……!」
嫌な音。
亀裂が。
さらに広がる。
「領主様!」
「このままでは!」
「分かっている!」
ジョージが叫ぶ。
このまま。
城壁の上から攻撃を続けるだけでは。
間に合わない。
再生を止められず。
壁だけが。
先に壊される。
「……」
ジョージは。
剣を握る。
巨大魔獣を見る。
その時。
「領主様!」
伝令の兵士が。
息を切らしながら駆けてきた。
「森から戻った冒険者二名から追加の報告です!」
「何だ!」
「あの巨大魔獣について!」
ジョージが振り返る。
「胸元です!」
「……胸?」
「胸元だけ、異常なほど魔力が集中していると!」
「……!」
ジョージの視線が。
巨大魔獣の胸へ向く。
――ドクン。
赤黒い光。
そこから。
黒い筋が。
身体中へ広がっている。
「……なるほど」
傷つく。
胸が光る。
黒い筋が脈打つ。
そして。
再生する。
「そういうことか……?」
まだ。
確証はない。
だが。
あそこに。
何かがある。
「領主様?」
ジョージが。
剣を抜いた。
「……」
そして。
城壁の下を見る。
「領主様」
兵士が。
嫌な予感を覚えた。
「まさか……」
「指揮を任せる」
「……え?」
「弓兵と魔法兵は攻撃を続けろ」
「お待ちください!」
「通常の魔獣を街へ入れるな」
「領主様!」
ジョージが。
城壁の縁へ立つ。
「何をするおつもりですか!」
その問いに。
ジョージは。
巨大魔獣を見下ろしながら答えた。
「決まっている」
剣を握る。
「街を守る」
巨大魔獣が。
三度。
前脚を持ち上げる。
――ドクン。
胸元の光が。
強く脈打った。
ジョージは。
一歩。
城壁の縁へ。
踏み出した。




