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冒険者はまだ見ぬロマンを求めて  作者: 片山武琉
第一章 魔女と銀の笛

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第一章23 『あの日』


 夜。


 西の森。


 保管区画跡。


「……セージ」


 男は暗い森の奥を睨んでいた。


 もう声は聞こえない。


 笛の音も、いつの間にか止んでいる。


 残っているのは、木々を揺らす夜風だけ。


「……」


 男はゆっくりと剣を鞘へ戻す。


 聞き間違い。


 そう考えることもできる。


 二十年前の記憶が、この森を前にして蘇っただけなのかもしれない。


 だが。


「……あの声を、間違えるか?」


 何度も聞いた声だった。


 事件が起きたあの頃。


 取り調べの場でも。


 そして――処刑の日にも。


「セージ・ナイトシェード……」


 二十年前に処刑されたはずの女。


 男は手にしていた古い研究記録へ目を落とす。


 魔石から抽出された力。


 生体への投与。


 魔力経路の異常。


 そして、別の場所へ移されたという資料。


「……」


 答えを探すように。


 男は再び森の奥を見る。


 だが。


 そこにあるのは闇だけだった。


「俺が知っているのは……あの日までだ」


 小さく呟く。


 その後。


 セージの遺体がどうなったのか。


 森のどこへ運ばれたのか。


 自分は最後まで見届けていない。


 だからこそ。


 今聞いた声が本人なのだと。


 簡単に決めつけることもできなかった。


「二十年前……」


 男は目を閉じる。


 忘れたつもりだった記憶が。


 ゆっくりと蘇っていく。


 ――――――――――


 二十年前。


 グランベル。


 空は厚い雲に覆われていた。


 大通りの両脇には、多くの人々が集まっている。


 その中央。


 一人の女が、数人の騎士に囲まれて歩いていた。


 両手には枷。


 長い黒髪。


 白い肌。


 そして。


 年齢を感じさせないほど整った顔立ち。


「……」


 その姿を見て。


 一人の若い騎士が、僅かに眉を寄せた。


 今。


 西の森を調べている、あの男だった。


「……本当に、五十を越えているのか?」


 誰にも聞こえない声で呟く。


 事前に渡された資料では。


 セージ・ナイトシェードは、すでに五十を越えていたはずだった。


 だが。


 目の前を歩く女は、とてもその年齢には見えない。


 三十代。


 良くて四十に届くかどうか。


 その程度にしか見えなかった。


「何を見ている」


 隣にいた騎士が声をかける。


「……いえ」


「気を抜くな。相手は魔女だぞ」


「分かっています」


 魔女。


 いつからか。


 街の人々は、彼女をそう呼ぶようになっていた。


「人殺し!」


「魔女!」


 沿道から怒号が飛ぶ。


 それでも。


 セージは何も言わなかった。


 ただ。


 前だけを見て歩いている。


「……」


 若い騎士は、その横顔を見つめていた。


 彼自身。


 この事件の捜索に関わった。


 街に残されていた研究資料。


 押収された器具。


 森で見つかったいくつかの保管場所。


 すべてを理解していたわけではない。


 それでも。


 危険な研究が行われていた。


 それだけは間違いなかった。


 だが。


 捜索が終わった後も。


 一つだけ、胸に引っ掛かっているものがある。


 本当に。


 あれですべてだったのか。


「……」


 その疑問を。


 若い騎士は口にはしなかった。


 やがて。


 一行は処刑場へ到着した。


 ――――――――――


 処刑場。


 中央へ、セージが立たされる。


 周囲には騎士と兵士。


 少し離れた場所には、領主家の関係者たちが並んでいた。


 その中に。


 一人の青年がいる。


 当時の領主の息子。


 ジョージ・グランベル。


 まだ領主の座には就いていない。


 だが。


 父の名代として。


 事件の結末を見届けるため、その場に立っていた。


「……」


 ジョージは険しい顔でセージを見つめている。


 以前は。


 領主家に仕える魔法使いとして知っていた人物。


 その女が今。


 罪人として目の前に立っている。


「セージ・ナイトシェード」


 執行人が告げる。


「最後に言い残すことはあるか」


「……」


 セージはしばらく俯いていた。


 やがて。


 ゆっくりと顔を上げる。


「一つだけ」


 静かな声だった。


「研究資料は」


「……?」


「すべて見つけましたか?」


 その場にいた何人かが顔を見合わせる。


「何を言っている」


「言葉の通りです」


 セージが小さく笑う。


「私が残したものを、本当にすべて見つけたのですか?」


「……」


 若い騎士の表情が変わった。


 街で押収された資料。


 森で発見された保管区画。


 回収された器具。


 捜索は終わった。


 そう聞かされている。


 それなのに。


 セージの言葉には。


 まるで――まだ何かが残されているとでも言うような響きがあった。


「それ以上は必要ない」


 執行人が告げる。


 セージは答えなかった。


 ただ。


 ほんの僅かに。


 目を細める。


「……」


 若い騎士は、その表情を忘れることができなかった。


「刑を執行する」


 執行人の声が響く。


 ジョージも。


 若い騎士も。


 その場から目を逸らさなかった。


 そして。


 刑は――執行された。


 ――――――――――


 現在。


 西の森。


 保管区画跡。


「……」


 男は目を開ける。


 あの日の光景が。


 今でも鮮明に残っている。


「処刑は、確かに行われた」


 自分は見ていた。


 ジョージ・グランベルも、あの場にいた。


 多くの人間が。


 セージの処刑を見届けた。


「だから……」


 死んだ。


 そう思っていた。


 疑う理由などなかった。


 問題は。


 その後だ。


 処刑されたセージの遺体は。


 その日のうちに、西の森へ運ばれた。


 当時。


 罪人の遺体を街の墓地へ埋葬しない判断が下されたからだ。


「……西の森」


 男が呟く。


 自分も搬送に関わった者の一人だった。


 だが。


 最後まで残ったわけではない。


 森へ入る途中。


 別の任務を命じられ。


 遺体の処理は、別の騎士たちへ引き継がれた。


 後日。


『処理完了』


 そう報告されただけだった。


「……俺は」


 男が拳を握る。


「その後を見ていない」


 当時は。


 気にも留めなかった。


 処刑は終わった。


 遺体も処理された。


 事件は終結した。


 それだけだった。


 だが。


 二十年前と似た異常を示す魔獣。


 残っていた研究資料。


 何度も聞こえる謎の笛。


 そして。


 森の奥から――あの声が聞こえた。


「……」


 男は暗い森を見る。


「本当に、お前なのか……?」


 返事はない。


 男はしばらくその場に立っていた。


 やがて。


 手にした研究記録を折れないようにしまい込む。


「……確かめるしかないか」


 誰かが研究を引き継いだのか。


 それとも。


 もっと別の何かが起きているのか。


 今度は。


 二十年前のように、途中で終わらせるつもりはなかった。


 ――――――――――


 同じ頃。


 グランベル領主邸。


 ジョージ・グランベルもまた。


 二十年前の記録を読み返していた。


『刑執行――完了』


『対象――セージ・ナイトシェード』


『遺体――西方森林へ搬送』


「……」


 ジョージは紙から目を離す。


 自分は見た。


 あの日。


 確かに処刑場にいた。


 刑が執行されるところを。


「死んだはずだ……」


 だからこそ。


 この状況が理解できない。


「……」


 次の記録をめくる。


『遺体搬送後――処理完了』


 それだけ。


「やはり、詳しい記録がない」


 誰が最後まで確認したのか。


 どこへ遺棄したのか。


 その具体的な場所さえ書かれていない。


「……」


 ジョージは椅子へ深く腰掛けた。


 最近現れ始めた異常な魔獣。


 二十年前と似た症状。


 森に残されていた保管区画。


 そして。


 そこから見つかり始めた研究資料。


 すべてが。


 一つの方向へ繋がり始めている。


「いや」


 ジョージが首を振る。


「まだ早い」


 自分へ言い聞かせる。


 資料の不足だけで、死者が生きているなどと考えるのは飛躍しすぎている。


「研究だけが残っている可能性もある」


 誰かが資料を発見した。


 そして。


 二十年前の研究を再現している。


 その可能性の方が。


 遥かに現実的だった。


 それでも。


 胸の奥には。


 言葉にできない違和感が残っている。


「……セージ」


 ジョージはその名を呟いた。


 ――――――――――


 その頃。


 西の森。


 古びた小屋。


「……」


 セージは窓の外を見ていた。


 月明かりが。


 白い肌を淡く照らしている。


「セージ?」


 リュートが声をかける。


「何です?」


「さっきから、ずっと外を見てます」


「……そうでしたか」


「何かあったんですか?」


 セージはしばらく黙っていた。


 窓の向こう。


 暗い森。


 そのどこかに。


 先ほど声を聞かせた男がいる。


「少し」


 セージが呟く。


「昔のことを思い出していました」


「昔?」


「ええ」


 そして。


 自分の手へ視線を落とした。


 白く細い指。


 袖の奥。


 手首には、薄い黒い紋が僅かに覗いていた。


「……」


 リュートがその手元を見る。


 以前から何度も見ているもの。


 けれど。


 今はなぜか。


 いつもより気になった。


「セージ」


「何です?」


「今日の人」


「ええ」


「昔、知ってた人なんですか?」


 セージはすぐには答えなかった。


「……知っている人です」


 やがて。


 それだけ答える。


「詳しくは?」


「まだ話す必要はありません」


「……」


「ただ」


 セージは再び窓の外を見る。


「あの人も、二十年前の事件を知っている」


「じゃあ……」


「そして」


 言葉を重ねる。


「私が処刑されたことも知っています」


 リュートの表情が僅かに強張った。


「……本当に、処刑されたんですか?」


「ええ」


「でも」


 リュートがセージを見る。


「セージは生きてる」


「そうですね」


「どうして?」


 その問いに。


 セージは沈黙した。


「……」


 夜風が。


 僅かに窓を揺らす。


「その話は」


 セージが静かに答える。


「もう少し後にしましょう」


「また、それですか」


「ええ」


 小さく微笑む。


「今はまだ」


 セージの視線が。


 机の上に並べられた古い研究資料へ向く。


「答えだけを話しても、あなたには分からないでしょうから」


「……」


 リュートは納得していない顔をした。


 だが。


 それ以上は尋ねなかった。


 少しの沈黙。


 やがて。


 セージが口を開く。


「リュート」


「はい?」


「怖いですか?」


「……何がです?」


「これから起きることが」


「……」


 リュートは胸元の笛へ触れた。


 ルイス。


 街。


 魔獣。


「……少し」


 正直に答える。


「そうですか」


「セージは?」


「私ですか?」


「怖くないんですか?」


 セージは少しだけ考えた。


「怖くないと言えば、嘘になります」


「……」


「私はもう」


 窓枠へ手を置く。


「失うことが、どういうものか知っていますから」


 それ以上は語らなかった。


 リュートも。


 聞かなかった。


 ただ。


 二人は同じ森を見つめていた。


 ――――――――――


 夜更け。


 保管区画跡。


 男は最後にもう一度、森の奥へ目を向けた。


「……セージ」


 その名前を口にする。


 今度は。


 憎しみでも。


 恐怖でもない。


 ただ。


 二十年前に置き去りにした疑問が、その声に滲んでいた。


「今度こそ……」


 男は古い研究記録を握る。


「何が起きたのか、確かめる」


 同じ頃。


 森のさらに奥。


 古びた小屋の窓辺で。


 セージもまた、月を見上げていた。


「……来るのなら」


 小さく呟く。


「来ればいい」


 その表情に。


 笑みはない。


 怒りもない。


 ただ。


 二十年前に終わらなかったものを見つめるような。


 静かな瞳だけがあった。

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