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冒険者はまだ見ぬロマンを求めて  作者: 片山武琉
第一章 魔女と銀の笛

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第一章17 『近づく獣』


 翌朝。


 冒険者ギルド。


「来た!」


「おはようございます、ルイスさん」


「試験!」


「分かっています」


「早く!」


「落ち着いてください」


「落ち着いてる!」


「全然そう見えません」


 受付嬢が苦笑する。


 その近く。


「おはよう」


「カイル!」


 黒い三角帽子。


 杖。


 見慣れた少年が立っていた。


「なんでいるんだ?」


「見に来た」


「試験?」


「ああ」


「応援!?」


「まぁ」


「やった!」


「ただし」


 カイルが少し笑う。


「落ちても慰めないから」


「落ちない!」


「なら問題ないね」


「絶対受かる!」


 受付嬢が二人を見る。


「相変わらずですね」


「それで!」


 ルイスが身を乗り出す。


「何するんだ?」


「説明します」


 受付嬢が一枚の書類を取り出した。


「Eランクへの昇級試験は、ギルドによって多少内容が異なります」


「うん」


「今回の課題は、グランベルでよく行われる輸送依頼を想定したものです」


「輸送?」


「はい。グランベルでは、基礎的な戦闘能力だけでなく、状況判断も見ます」


「状況判断?」


「それから」


 受付嬢が続ける。


「依頼を安全に遂行できるかどうか」


「魔獣を倒すだけじゃない?」


「違います」


「おお……」


「Eランクになると、Fランクより行動範囲の広い依頼や、危険度の高い依頼も増えます」


「うん!」


「だから」


 受付嬢が少し真剣な顔になる。


「強ければいい、というわけではありません」


「…………」


「依頼内容を理解しているか」


 一つ。


「周囲を確認できるか」


 二つ。


「危険を判断できるか」


 三つ。


「そして」


 四つ。


「必要なら撤退できるか」


「…………」


 ルイスが目を瞬かせる。


 どれも。


 ここ数日。


 何度も言われてきたことだった。


「なんか」


 カイルを見る。


「いつもやってることみたいだな」


「だから試験なんじゃない?」


「なるほど!」


「試験官はこちらです」


 受付嬢が奥を見る。


「おう」


 一人の男が歩いてきた。


 三十代ほど。


 短く刈った黒髪。


 厚い革鎧。


 腰には片手剣。


 左頬には古い傷が一本走っている。


「お前がルイスか」


「ああ!」


「返事がでかいな」


「よろしくお願いします!」


「急に丁寧になった」


 カイルが小さく呟く。


「試験だから!」


 男が少し笑った。


「俺はダリオ。今日はお前の行動を見る」


「分かった!」


「まず一つ」


「ん?」


「これは勝負じゃねぇ」


「…………」


「俺を倒せば合格、って試験でもねぇ」


「じゃあ何すればいい?」


「考えろ」


「…………」


 ダリオが笑う。


「それを見る試験だ」


「おお……!」


「面白そうって顔するな」


「してない!」


「してるよ」


 カイルが横から言った。


「カイルさんはここまでです」


 受付嬢が言う。


「試験には同行できません」


「分かってます」


「えぇ!?」


「当たり前だろ!」


「一人?」


「試験官がいるだろ」


「あ、そっか」


 ダリオが呆れた顔をする。


「本当に大丈夫か?」


「大丈夫!」


「……まぁいい」


 ギルドの裏手へ向かう。


「行くぞ」


「おう!」


 ルイスが後を追う。


「ルイス!」


 カイルの声。


 振り返る。


「何?」


「いつも通りやれば大丈夫」


「…………」


 ルイスが笑った。


「任せろ!」


 そして。


 試験へ向かった。


 ――――――――――


 グランベル郊外。


 街から少し離れた場所にある、ギルド管理の訓練区域。


 昇級試験や新人訓練に使われる場所らしく、広い草地の中には木々や岩、簡単な道まで作られていた。


「ここが試験場?」


「ああ」


 その中央には。


 一台の小さな荷車。


「何これ?」


「今日の依頼だと思え」


「依頼?」


 ダリオが説明する。


「この荷車を」


 少し離れた場所に立つ旗を指差す。


「あそこまで運べ」


「それだけ?」


「それだけだ」


「…………」


 ルイスが周囲を見る。


「絶対なんかあるだろ」


「さぁな」


「顔があるって言ってる!」


「試験開始」


「え!?」


 ダリオが少し下がった。


「もう!?」


「依頼は待ってくれねぇぞ」


「くそ!」


 ルイスは荷車を見る。


「…………」


 すぐには動かさない。


「ほう」


 ダリオが僅かに眉を上げる。


 ルイスは。


 荷車。


 道。


 草むら。


 木々。


 旗までの距離を見る。


「…………」


「行かねぇのか?」


「今見てる!」


「何を?」


「周り!」


「ふぅん」


 荷車には。


 木箱が三つ。


「中身は?」


「依頼品だ」


「壊したら?」


「減点」


「なくしたら?」


「減点」


「俺だけ着けば?」


「不合格」


「なるほど!」


 目的は。


 自分が旗へ着くことではない。


 荷車を。


 依頼品ごと。


 安全に運ぶこと。


「よし」


 ルイスは荷車を押し始めた。


 ガラガラと車輪が音を立てる。


「…………」


 前。


 左右。


 そして後ろ。


 何度も視線を動かしながら進む。


 その時。


 ――ガサッ。


「!」


 左。


 草むら。


 ルイスの手が短剣へ伸びる。


 だが。


 すぐには抜かない。


「…………」


 何かが動く。


 次の瞬間。


「グルァッ!」


 一匹の魔獣が飛び出した。


「来た!」


 犬型。


 ただし。


 本物ではない。


 冒険者ギルドが訓練用に使っている、犬型の魔導人形。


 本物の魔獣ほど素早くはないが、決められた動きで受験者を襲うよう作られている。


「なんだこいつ!?」


「魔獣だと思え!」


「そういうやつか!」


 魔導人形が荷車へ向かう。


「そっち!?」


 ルイスが地面を蹴る。


 狙われたのは自分ではない。


 荷車だ。


「させるか!」


 間へ入る。


 短剣を抜く。


「来い!」


 魔導人形が飛びかかる。


 牙。


 ルイスが身体をずらす。


「…………」


 反撃できる。


 けれど。


 その前に。


 背後の荷車を確認する。


「こっちだ!」


 魔導人形の注意を荷車から逸らす。


 一歩。


 二歩。


「グルァッ!」


「今!」


 斜めへ踏み込む。


 前脚をかわし。


 横腹へ。


 ――ガンッ!


「硬っ!」


「本物じゃねぇからな」


「そうだった!」


「集中しろ!」


「分かってる!」


 人形が振り返る。


 もう一度。


「…………」


 動きを見る。


 一定。


 右前脚。


 牙。


 その後。


 一瞬だけ止まる。


「そこ!」


 牙をかわし。


 懐へ。


 短剣を首元へ叩き込む。


 ――ガンッ!


 魔導人形が停止した。


「倒した!」


「…………」


 ダリオは何も言わない。


「どう!?」


「試験中だ」


「教えてくれないの!?」


「当たり前だ」


「くそぉ!」


 短剣を鞘へ戻す。


 荷車へ戻る。


「…………」


 木箱。


 一つ。


 二つ。


 三つ。


「全部ある」


 傷もない。


「よし!」


 再び進む。


 しばらく。


 何も起きない。


「…………」


 旗まで。


 あと半分。


 その時。


 道の先。


「……?」


 人影が倒れている。


「誰かいる!」


 ルイスが荷車を止めた。


 駆け出そうとして。


「…………」


 止まる。


「どうした?」


「荷車」


「ん?」


「置いていったら駄目だろ?」


 ダリオは答えない。


「…………」


「でも」


 倒れている人を見る。


「放っとけない」


 考える。


「…………」


 ルイスは荷車を道の端へ寄せた。


 周囲が見渡せる場所。


 車輪を固定する。


「ここなら……」


 もう一度周囲を見る。


「よし!」


 倒れている人影へ走った。


「大丈夫!?」


 近づく。


「…………」


 人。


 ではない。


「人形!?」


 布で作られた、人型の訓練用人形。


「また騙したな!」


「依頼中だぞ」


「くそ!」


 だが。


 人形の胸元には札がある。


『怪我人。歩行困難』


「…………」


「どうする?」


 初めて。


 ダリオが尋ねた。


「連れてく」


「荷物は?」


「それも持ってく!」


「一人で?」


「…………」


 ルイスが荷車を見る。


 怪我人。


 荷物。


「…………」


 少し考える。


「荷車に乗せる」


「依頼品と一緒に?」


「箱ずらせば入る!」


「壊すなよ」


「分かってる!」


 荷車を近くまで運ぶ。


 木箱を倒れない位置へ寄せ。


 人形を持ち上げる。


「重っ!」


「怪我人は軽くならねぇぞ」


「分かってる!」


 なんとか荷車へ乗せる。


「よし!」


 再び進む。


「…………」


 さっきより。


 荷車が重い。


「うぉ……!」


 押す。


「重い!」


「置いてけば楽だぞ」


「置いてかない!」


「なんで?」


「怪我人だろ!」


「人形だ」


「試験では怪我人なんだろ!?」


「…………」


「だったら連れてく!」


 ダリオは何も言わなかった。


 ただ。


 僅かに口元を上げた。


 さらに進む。


 旗まで。


 あと少し。


「もうちょっと!」


 その時。


 ――ガサッ!


「また!?」


 右。


 左。


 二つの草むら。


「二匹か!」


 二体の魔導人形が姿を現した。


「…………」


 ルイスが短剣へ手を伸ばす。


 だが。


 止めた。


「……?」


 ダリオが見る。


 二匹。


 荷車。


 怪我人。


 旗。


 距離。


「…………」


「どうした?」


「戦わない」


「へぇ?」


「もう近い!」


 旗までは。


 それほど遠くない。


「荷車押して走る!」


「二匹に追われるぞ?」


「倒すより早い!」


 ルイスが荷車を強く押す。


「うおおおお!」


 走る。


 二匹の魔導人形が追ってくる。


「重っ!」


 それでも。


 止まらない。


「あとちょっと!」


 一匹が迫る。


「――っ!」


 荷車から手を離さず。


 横へ蹴り。


 ――ガンッ!


 人形の顔を弾く。


「邪魔!」


 もう一匹。


 牙が迫る。


「…………!」


 一瞬。


 胸の奥に。


 昨日まで何度も探してきた熱が浮かぶ。


 右手へ意識を向ければ。


 出せるかもしれない。


 小さな炎。


「…………」


 けれど。


 脳裏にカイルの言葉が蘇る。


『まだ戦いでは使うな』


「今じゃない!」


 ルイスは短剣を抜いた。


 荷車を押しながら。


 横から来た牙を受け流す。


「どけ!」


 身体ごとぶつかり。


 人形を押し退ける。


「あと!」


 一歩。


 二歩。


「ここ!」


 旗を越えた。


 直後。


 二匹の魔導人形が停止する。


「…………」


「…………」


 ルイスは。


 その場へ座り込んだ。


「つっかれたぁぁぁ……!」


 呼吸を整える。


「重すぎだろ!」


「怪我人乗せたからな」


「でも!」


 荷車を見る。


 木箱。


 三つ。


 全部ある。


 人形も。


 乗っている。


「着いた!」


「ああ」


「…………」


 ダリオを見る。


「どう!?」


「…………」


「合格!?」


「せっかちだな」


「教えてくれ!」


 ダリオがゆっくりとルイスの前へ歩いてくる。


「一つ聞く」


「何?」


「最後」


「うん」


「なんで魔導人形と戦わなかった?」


「え?」


「二匹とも倒せたかもしれねぇぞ」


「…………」


 ルイスは少し考える。


「でも」


 荷車を見る。


「倒すのが依頼じゃないだろ?」


「…………」


「荷物を届けるのが依頼だった」


「ああ」


「それに怪我人もいた」


「人形だけどな」


「試験では怪我人!」


「そうだったな」


「だったら」


 ルイスは笑う。


「全部連れて着けばいいじゃん」


「…………」


「戦う必要ないなら、戦わなくていい」


 少し前の自分なら。


 そうは言わなかったかもしれない。


 魔獣が出た。


 倒す。


 それだけだった。


 けれど。


 調査依頼をやった。


 護衛依頼もやった。


 無理に追わないことも覚えた。


 状況を見ることも。


 依頼の目的を忘れないことも。


「冒険者って」


 ルイスは荷車を見ながら言う。


「魔獣を倒すだけじゃないんだろ?」


「…………」


 ダリオが笑った。


「そうだ」


「じゃあ!」


「まだだ」


「えぇ!?」


「結果はギルドで伝える」


「今教えてくれ!」


「帰るぞ」


「ダリオ!」


「試験終了!」


「気になる!」


 ダリオは笑いながら歩き出した。


「絶対わざとだろ!」


 ルイスも慌てて後を追った。


 ――――――――――


 冒険者ギルド。


「どうだった!?」


 戻った瞬間。


 今度はカイルが近づいてきた。


「疲れた!」


「それだけ?」


「魔獣二匹出た!」


「本物?」


「人形!」


「だと思った」


「あと怪我人!」


「試験で?」


「人形!」


「全部人形だな」


「でも重かった!」


 カイルが笑う。


「それで?」


「…………」


 ルイスがダリオを見る。


「まだ教えてくれない!」


「焦るな」


「もう試験終わった!」


「分かってる」


 受付嬢が奥から書類を受け取る。


「では」


「…………!」


 ルイスの姿勢が急に真っ直ぐになる。


「結果をお伝えします」


「はい!」


 受付嬢が少しだけ間を置く。


「ルイスさん」


「…………」


「Eランク昇級試験」


「…………」


 カイルも。


 静かに結果を待つ。


「合格です」


「…………」


 一秒。


「…………」


 二秒。


「…………」


 三秒。


「ルイス?」


 そして。


「よっしゃあああああああ!!」


 ギルド中に声が響いた。


「うるさっ!」


 カイルが耳を塞ぐ。


「Eランク!」


「はい」


「本当に!?」


「はい」


「E!?」


「Eです」


「やったぁぁぁ!」


 ルイスが飛び上がる。


「俺Eランク!」


「おめでとう」


 カイルが笑う。


「カイル!」


「何?」


「E!」


「聞こえてた!」


「Eだぞ!」


「分かったって!」


 受付嬢も笑う。


「冒険者証をお預かりします」


「これ?」


「はい」


 Fと刻まれた。


 これまでの冒険者証。


「…………」


 ルイスは一度だけ。


 それを見る。


 最初は。


 一番下だから。


 早く上げたい。


 それくらいにしか思っていなかった。


 でも。


 今は。


 少し違う。


「結構世話になったな」


 小さく笑う。


「F」


「ランクに話しかける人、初めて見ました」


「いいだろ!」


 冒険者証を渡す。


 受付嬢が処理を行う。


 しばらくして。


「お待たせしました」


 戻ってきた冒険者証。


「…………!」


 そこに。


 新しく刻まれている文字。


 E。


「…………」


 ルイスはしばらく黙って見つめた。


「Eだ」


「はい」


「本当に」


 指でなぞる。


「Eランクだ」


「おめでとうございます」


「…………」


 ルイスの顔に。


 大きな笑みが浮かぶ。


「やった!」


 冒険者になって。


 初めて。


 ランクが一つ上がった。


 ただの一文字。


 それでも。


 ここまでやってきたことが。


 形になった気がした。


「次はD!」


「早い!」


 カイルがすぐに突っ込む。


「Eになったばっかりだろ!」


「次があるなら目指す!」


「まずEランクの依頼やれ!」


「それもそうだ!」


「本当に……」


 その時。


 ギルドの扉が。


 勢いよく開いた。


 ――バンッ!


「報告!」


 一人の男が。


 息を切らしながら飛び込んでくる。


「西門付近で魔獣が確認された!」


「……!」


 ギルド内の空気が変わった。


「西門?」


 受付嬢がすぐに立ち上がる。


「どの辺りですか?」


「街道からほとんど離れてない!」


「数は?」


「今のところ一匹!」


「種類は?」


「犬型だ!」


「…………」


 ルイスとカイルが顔を見合わせる。


 昨日より。


 さらに近い。


「俺行く!」


「ルイスさん」


 受付嬢が止める。


「でも!」


「まず話を最後まで」


「…………」


 ルイスが止まった。


「現場にはすでに冒険者と門兵が向かっています」


「うん」


「ただ」


 受付嬢が新しい冒険者証を見る。


「巡回要員が不足しています」


「…………!」


「Eランク冒険者として」


 一枚の依頼書を取り出す。


「西門周辺の警戒と状況確認をお願いできますか?」


「……!」


 ルイスが冒険者証を見る。


 E。


 初めての。


 Eランクとしての依頼。


「やる!」


 すぐに答えた。


「カイル!」


「もちろん行く」


「よし!」


 受付嬢が二人へ依頼書を渡す。


「無理に討伐する必要はありません」


「状況確認!」


「はい」


「門の近くを警戒!」


「はい」


「変なことがあったら報告!」


「完璧です」


「行こう!」


 二人がギルドを飛び出す。


 新しいEランクの冒険者証を。


 ルイスは胸元へしまった。


 ――――――――――


 グランベル西門。


「異常なし!」


「街道南側も確認!」


「東寄り問題なし!」


 門兵。


 冒険者。


 普段より。


 多くの人間が警戒に当たっている。


「すげぇ人数」


 ルイスが辺りを見る。


「街の近くまで来てるからね」


 カイルの表情は真剣だった。


「まず報告地点へ行こう」


「ああ」


 二人は街道を西へ進む。


 グランベルから。


 まだ大して離れていない。


「…………」


 ルイスが地面を見る。


「カイル」


「何?」


「あれ」


 街道脇。


 土の上。


「足跡」


 しゃがみ込む。


 犬型魔獣。


 何度も見てきた跡。


「新しい」


 カイルも確認する。


「どっちから?」


 ルイスが跡を辿る。


 西の森側。


 そこから。


 街道へ。


 そして。


「…………」


 その先。


「街だ」


 グランベルへ向かっている。


「本当に」


 カイルの表情が険しくなる。


「昨日より近い」


「昨日の護衛で見た奴は森へ帰った」


「うん」


「でも今日は」


 ルイスは足跡を見る。


「街に向かってる」


「…………」


 その時。


「いたぞ!」


 遠く。


 門の方から叫び声。


「魔獣だ!」


「西門から離れろ!」


「カイル!」


「ああ!」


 二人が走り出す。


 ――――――――――


「グル……!」


 一匹の魔獣が。


 西門から少し離れた場所に立っていた。


 煤けた灰色の毛。


 その毛の下。


 皮膚の一部に、薄い黒い筋のようなものが浮いている。


 黄色く濁った瞳。


 犬型。


 けれど。


「…………」


 ルイスは。


 すぐに短剣を抜かなかった。


「痩せてる」


「前にギルドの裏手で見た個体に似てる」


 カイルが小さく答える。


 身体は。


 明らかに細い。


 毛にも艶がない。


 呼吸も。


 荒い。


「囲むな!」


 年長の冒険者が声を上げた。


「まだ攻撃してきてない!」


 数人が。


 距離を取る。


「でも、このままじゃ門まで来るぞ!」


「だからって刺激するな!」


 魔獣が。


 一歩。


 街へ。


「…………」


 また一歩。


「ルイス」


「うん」


 二人は。


 その動きを見る。


「何してるんだ?」


 魔獣は。


 門兵も。


 冒険者も。


 ほとんど見ていない。


 街。


 グランベル。


 そちらばかりを気にしている。


「街に入りたい?」


「分からない」


 カイルが杖を握る。


「でも」


「うん」


「襲おうとしてる感じじゃない」


「…………」


 魔獣が。


 突然。


 足を止めた。


「!」


 耳が動く。


「また!」


 ルイスが声を上げる。


「耳!」


 右。


 左。


 何かを。


 探すように。


「…………」


 ルイスも耳を澄ます。


 風。


 門兵。


 街の音。


「…………」


 聞こえない。


 魔獣が。


 苦しそうに頭を振った。


「グ……」


 足がふらつく。


「おい!」


 ルイスが反射的に前へ出そうとして。


 止まる。


 以前。


 弱った魔獣を見た時。


 不用意に近づかないよう言われたことを思い出す。


「…………」


 距離を取ったまま。


「大丈夫か?」


「ルイス」


「触らない」


「うん」


 魔獣が。


 その場へ崩れ落ちた。


「…………!」


 呼吸は荒い。


 けれど。


 目立った傷はない。


「まただ」


 カイルが言う。


「外傷がない」


「魔力は?」


「…………」


 カイルが意識を集中させる。


「弱い」


「やっぱり?」


「ああ」


 カイルの眉間に皺が寄る。


「かなり」


「…………」


 魔獣が顔を上げる。


 ルイスを見る。


 でも。


 敵意はない。


「こいつ」


 ルイスが小さく呟く。


「戦いたいんじゃない」


「そう見える」


「じゃあ何しに街まで……」


 その時。


 魔獣の耳が。


 もう一度。


 動いた。


「…………!」


 今度は。


 顔が西へ向く。


 森。


「また森だ」


 魔獣が。


 震える脚で。


 立ち上がろうとする。


「無理だろ」


「グル……」


 それでも。


 一歩。


 森へ。


「さっきまで街に行こうとしてたのに」


「…………」


 一歩。


 また。


 一歩。


「合図」


 ルイスが呟く。


「え?」


「こいつ」


 魔獣を見る。


「街に来たかったんじゃなくて」


「…………」


「何かに言われて来たんじゃないか?」


 カイルの目が僅かに開く。


「それで」


 ルイスは森を見る。


「また何か聞いて」


「森へ戻ろうとしてる?」


「ああ」


「…………」


 証拠はない。


 でも。


 これまで見てきた動き。


 それぞれが。


 少しずつ繋がって見える。


「笛……」


 ルイスが小さく呟く。


 その瞬間。


 魔獣が。


 僅かに顔を上げた。


「……!」


「今」


「反応した?」


 カイルも見ていた。


「…………」


 ルイスの胸が。


 少し速く鳴る。


「笛」


 もう一度。


 言ってみる。


 だが。


 今度は。


 魔獣は反応しない。


「偶然?」


「分からない」


「…………」


 ルイスの頭に。


 また。


 一人の少年が浮かぶ。


 淡い銀髪。


 灰色の外套。


 胸元の笛。


「…………」


 リュート。


「ルイス?」


「…………」


「どうした?」


「いや」


 すぐに首を振る。


「まだ分かんない」


 それだけ。


 何も決まっていない。


 笛を持っている人間なんて。


 リュートだけとは限らない。


「今は」


 魔獣を見る。


「こいつだ」


「うん」


 魔獣は。


 森へ戻ろうとしている。


 でも。


 もう。


 まともに歩けない。


「保護できない?」


 ルイスが近くの冒険者へ聞く。


「ギルドへ連絡を飛ばしてる」


「じゃあ」


 ルイスが周囲を見る。


「それまで近づけさせない方がいいな」


「何を?」


「人」


 魔獣を見る。


「今は襲ってこないけど」


 いつどうなるか分からない。


「刺激しないで」


「うん」


「誰も近づけない」


 カイルが少し笑う。


「Eランクっぽいじゃん」


「……!」


 ルイスの顔が明るくなる。


「だろ!」


「今そこで喜ぶ?」


「いいじゃん!」


 けれど。


 すぐに。


 魔獣へ目を戻す。


「…………」


 弱っている。


 なぜ。


 こうなったのか。


 どうして街まで来たのか。


 なぜ。


 森へ戻ろうとしているのか。


 まだ。


 何も分からない。


 ――――――――――


 夕方。


 冒険者ギルド。


「今回の個体も、ですか」


 受付嬢が報告書へ書き込む。


「ああ」


 ルイスが頷く。


「外傷はほとんどなかった」


「魔力もかなり弱っていました」


 カイルが続ける。


「以前保護した個体と似ています」


「今は?」


「先ほど、ギルドの調査担当が回収しました」


「助かる?」


「……まだ何とも言えません」


「そっか」


 ルイスは少し黙る。


「それから」


 受付嬢が続ける。


「行動について」


「あっ」


「街へ向かっていたんですよね?」


「うん」


「でも途中で」


 カイルが答える。


「突然、森へ戻ろうとした」


「…………」


「その前に」


 ルイスが言う。


「耳を動かしてた」


「何かを聞いているように?」


「そう見えた」


「音は?」


「俺たちには聞こえなかった」


「…………」


 受付嬢が記録する。


「笛との関連は?」


「まだ分かんない」


 ルイスはすぐに答えた。


「ただ」


「はい」


「最近の魔獣って」


 指を折る。


「急に森を見る」


 一つ。


「同じタイミングで動く」


 二つ。


「急に街へ来る」


 三つ。


「また急に森へ戻る」


 四つ。


「それで」


 五つ。


「何回か笛みたいな音も聞いた」


「…………」


「だから」


 ルイスが少し考える。


「何か関係あるかもしれない」


「分かりました」


 受付嬢が頷く。


「その可能性も含めて報告します」


「領主に?」


「はい」


「…………」


「これまでの情報をまとめ」


 報告書を見る。


「ジョージ・グランベル様へ正式に報告します」


「……ジョージ」


 ルイスは首を傾げ、名前を繰り返す。


「この街の領主様です」


「どんな人?」


「この街を大切にされている方です」


「へぇ!」


「今の状況なら、領主側でも警戒をさらに強めることになるでしょう」


「森も?」


「可能性はあります」


「…………」


 ルイスの目が少し輝く。


「ルイスさん」


「勝手には行かない!」


「……先に言われました」


「学習した!」


「はい」


 受付嬢が笑った。


「それから」


「ん?」


「改めて」


 ルイスの冒険者証を見る。


 E。


「昇級、おめでとうございます」


「……!」


 ルイスも冒険者証を見る。


「ありがとう!」


「今日の行動も」


「うん」


「無理に魔獣へ攻撃せず」


「うん」


「周囲への被害を防ぎながら、観察と報告を優先した」


「うん!」


「Eランクとして、良い判断だったと思います」


「……!」


 ルイスの顔が。


 少しだけ照れたようになる。


「そ、そう?」


「何で急に恥ずかしそうなんだよ」


 カイルが笑う。


「だって!」


「ずっと褒めてもらいたがってただろ」


「実際褒められるとなんか違う!」


「面倒だなぁ」


「うるさい!」


 二人が笑う。


 受付嬢も。


 少しだけ笑った。


 けれど。


 その視線は。


 すぐに手元の報告書へ戻る。


 魔獣。


 西の森。


 笛のような音。


 そして。


 ついに。


 街のすぐ近くまで現れた個体。


 異変は。


 確実に。


 グランベルへ近づいていた。


 ――――――――――


 夜。


 月影亭。


「E」


 ベッドの上。


 ルイスは冒険者証を持ち上げる。


「…………」


 眺める。


「E」


 裏返す。


 戻す。


「やっぱE!」


 一人で笑う。


「明日、女将にも――」


 そこで止まる。


「……もう見せたか」


 夕食の時。


 嬉しくなって、散々見せていた。


「…………」


 自分で笑う。


 冒険者証を胸元へ置く。


「次はDか」


 まだ。


 ずっと先。


 それでも。


 いつか。


「その次もあるんだよな」


 どこまで行けるのか。


 少し楽しみだった。


 その時。


「…………」


 別のものを思い出す。


 今日の魔獣。


 耳。


 森。


 笛。


「…………」


 そして。


 リュート。


 ルイスは天井を見る。


「リュートの笛……」


 馬車で初めて聞いた時。


 綺麗な音だった。


 街で再会した時も。


 胸元に下げていた。


「…………」


 でも。


 それだけ。


「笛なんて他にもある」


 自分へ言う。


「リュートが何かしてるって決まったわけじゃない」


 むしろ。


 そう考える方が。


 変な気がした。


 リュートは。


 穏やかに話して。


 笑っていた。


「…………」


 けれど。


 疑問は消えない。


「今度会ったら聞こう」


 笛のこと。


 最近。


 森の近くで笛の音を聞いたこと。


「それでいい」


 分からないなら。


 聞けばいい。


 ルイスらしい。


 単純な結論だった。


「…………」


 右手を見る。


「炎の練習もあるし」


 Eランクの依頼もやりたい。


 森のことも気になる。


「忙しいな」


 それでも。


 ルイスは笑った。


「明日も面白そうだ!」


 窓の外。


 グランベルの街灯が。


 夜の道を照らしている。


 そのさらに向こう。


 暗い西の森。


 今夜は。


 笛の音は。


 聞こえなかった。


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