第一章15 『揺らぐ森』
翌朝。
「……眠い」
月影亭の一室。
ルイスはベッドの上で大きく伸びをした。
「昨日、結構疲れてたんだな……」
右手を持ち上げる。
「…………」
何もない。
けれど。
昨日。
この指先から確かに火花が散った。
術式を使ったわけではない。
そもそもルイスは、術式の組み方すら知らない。
それでも。
身体の中から引き出した魔力は赤く。
熱を持ち。
そのまま火花を散らした。
「属性を持った魔力……か」
カイルから教えられた言葉を口にする。
普通の魔力は。
そのままでは火にも風にもならない。
術式を通すことで初めて属性を持ち、魔法になる。
でも。
「俺のは最初から火なんだよな」
自分の胸へ手を当てる。
まだ。
なんとなく不思議だった。
「……よし」
目を閉じる。
昨日と同じように。
胸の奥。
熱を探す。
「…………」
呼吸。
鼓動。
そのさらに奥。
「…………あった」
少しずつ。
感覚を掴めるようになっている。
胸から肩。
腕。
手首。
指先へ。
「…………」
ゆっくり。
流す。
「出ろ……!」
右手に力を込める。
「…………」
何も起きない。
「……あれ?」
もう一度。
「…………!」
出ない。
「昨日は出たのに!」
右手を睨む。
「もう一回!」
再び集中しようとして。
昨日のカイルの言葉を思い出した。
『毎日少しずつ』
『何が起こるか分からないんだから、焦るな』
「…………」
しばらく右手を見る。
「……やめとくか」
手を下ろした。
「カイルと一緒にやればいい」
ベッドから降りる。
「それより!」
冒険者証を手に取った。
刻まれている文字。
F。
「昇級試験まであと二日!」
途端に眠気が吹き飛んだ。
「絶対Eになるぞ!」
勢いよく身支度を始める。
腰には短剣。
「今日もよろしくな、相棒!」
柄を軽く叩く。
「…………」
当然。
返事はない。
「やっぱ喋らないな」
一人で笑い。
ルイスは部屋を出た。
――――――――――
「おはよう、ルイス」
「おはよう!」
月影亭の女将が朝食を並べている。
「今日は少し眠そうだねぇ」
「起きた時は眠かった!」
「今は?」
「腹減った!」
「元気だねぇ」
ルイスは席についた。
「昨日な!」
「はいはい」
「まだ何も言ってない!」
「魔法の話だろ?」
「なんで分かった!?」
「昨夜帰ってきてから、ずっとそればっかりだったじゃないか」
「そうだっけ?」
「そうだよ」
女将が笑う。
「それで、使えるようになったのかい?」
「まだ!」
「まだなのかい」
「でも火花出た!」
「へぇ」
「しかも普通とは違うんだって!」
ルイスは嬉しそうに話し始める。
「普通は術式ってのを使わないと、魔力を火とか風とかにできないらしいんだけど」
「ふむふむ」
「俺の魔力は最初から火なんだって!」
「まあ」
「すごいだろ!」
「すごいんだねぇ」
「たぶん!」
「自分でも分かってないのかい」
「カイルも珍しいって言ってた!」
そこで。
ルイスは右手を広げた。
「見てろ!」
「何を?」
「火!」
指先を見る。
「…………」
「…………」
「…………」
何も起きない。
「……出ない」
「朝飯が冷める前に食べな」
「昨日は出たんだぞ!」
「分かったから」
「本当に!」
「疑ってないよ」
女将が笑いながらパンを差し出した。
「ほら」
「…………」
ルイスはパンを見る。
「食べる」
「そっちの方がルイスらしいねぇ」
「どういう意味だよ!」
笑い声が朝の月影亭へ響いた。
――――――――――
冒険者ギルド。
「おはよう!」
「おはようございます、ルイスさん」
「おはようございます」
すでに来ていたカイルが隣から挨拶する。
「カイル!」
「何?」
「今朝、火が出なかった!」
「……いきなり何の報告?」
「昨日出たのに!」
「ああ」
カイルは納得したように頷いた。
「そりゃそうだよ」
「なんで!?」
「一回成功しただけだろ?」
「でも一回できた!」
「だからって次から毎回できるわけじゃない」
「…………」
「昨日だって言ったじゃないか」
カイルが指を一本立てる。
「まず、魔力を安定して感じる」
二本。
「次に、身体の外へ安定して出す」
三本。
「それから火花」
「…………」
「その全部を、毎回同じようにできるようにする」
「長いな」
「一日で終わると思ってたの?」
「ちょっと」
「思ってたんだ……」
カイルがため息を吐く。
「でも」
少し真剣になる。
「君の場合は特に慎重にやった方がいい」
「属性持ってるから?」
「うん」
カイルが頷く。
「普通なら、外へ出した魔力そのものが火の性質を持つことなんてほとんどない」
「昨日言ってたな」
「僕も、本で読んだり先生から聞いたことがあるくらいだから」
「カイルにも分かんない?」
「分からないことの方が多い」
「……!」
ルイスの目が輝いた。
「なんで嬉しそうなんだよ」
「だってカイルも知らないんだろ!?」
「それが?」
「一緒に調べられるじゃん!」
「自分の身体で実験しようとするな!」
「しないって!」
「本当に?」
「たぶん!」
「信用できない!」
受付嬢が二人のやり取りを見て笑った。
「今日も仲がいいですね」
「だろ!」
「それより依頼!」
「切り替えが早いですね」
ルイスが掲示板を見る。
「今日は何がある?」
「その前に、一つお伝えしておきたいことがあります」
「何?」
受付嬢の表情が少し真剣になる。
「西街道付近で、弱った魔獣が一匹発見されました」
「弱った?」
「はい」
カイルも表情を変えた。
「戦闘で傷ついた個体ですか?」
「それが」
受付嬢が首を横に振る。
「目立った外傷がほとんどありません」
「じゃあ病気?」
「まだ分かっていません」
「どこにいるの?」
「ギルドの裏手で保護しています」
「保護?」
「襲ってくるほどの力も残っていなかったそうです」
「…………」
ルイスの顔から笑みが消えた。
「見てもいい?」
「構いません」
受付嬢は頷く。
「ただし、絶対に触らないでください」
「分かった」
「ルイスさん」
「本当に触らない!」
「なら大丈夫です」
「僕も見ていいですか?」
「もちろんです」
二人は受付嬢とともに、ギルドの裏手へ向かった。
――――――――――
簡素な柵。
その中に。
一匹の魔獣が横たわっていた。
「…………」
ルイスは足を止める。
犬型。
これまで何度も見てきたものと近い。
煤けた灰色の毛。
首元に伸びた長い毛。
皮膚の一部に、薄い黒い筋のようなものが浮いている。
黄色く濁った瞳。
けれど。
「……痩せてる」
明らかに。
身体から力が抜けている。
呼吸も浅い。
「傷は?」
「見つかった時から、これといった外傷は確認されていません」
受付嬢が答える。
「…………」
ルイスは柵の外からしゃがんだ。
触らない。
近づきすぎない。
ただ。
見る。
「本当に昨日の奴らと同じ魔獣なのか?」
「種類としては同じだと思います」
カイルもしゃがみ込む。
「でも……」
魔獣をじっと見つめる。
「どうした?」
「魔力が弱い」
「分かるの?」
「少しなら」
カイルの眉間に皺が寄る。
「魔獣は人間より魔力の気配が強いことが多い。体内に魔石を持つのも特徴の一つだ」
「うん」
以前教わった。
魔獣の体内には。
魔力を蓄えた魔石がある。
種類や個体によって。
その大きさも。
含まれる魔力の量も違う。
「でもこいつは?」
「身体から感じる魔力そのものがかなり弱い」
「魔石がないとか?」
「生きてるなら、たぶんある」
「じゃあなんで?」
「分からない」
カイルが首を横に振る。
「弱ってるから魔力も弱いのか」
「うん」
「それとも、何かの理由で魔力が減ったから身体までこうなったのか」
「……そこも分からない」
ルイスは魔獣を見る。
「…………」
魔獣が。
ゆっくりと顔を上げた。
黄色い瞳がルイスを見る。
「大丈夫」
ルイスは手を伸ばさない。
「何もしねぇよ」
「グル……」
弱々しい声。
「…………」
それから。
魔獣の耳が。
小さく動いた。
「ん?」
顔が。
僅かに西へ向く。
「また……」
「どうした?」
「森の方見た」
カイルも視線を追う。
建物の向こう。
そのさらに西。
西の森がある方向。
「…………」
これまで。
何度も見てきた。
魔獣が。
突然、森を気にする姿。
「こいつもか」
「偶然かもしれない」
「ああ」
ルイスはすぐに頷く。
「まだ決めつけない」
「……本当に覚えたな」
「何回も言われたからな!」
「誰に?」
「受付のお姉さんとカイル!」
「僕も入ってるんだ」
カイルが苦笑する。
「でも」
ルイスは魔獣を見る。
「報告はしといた方がいいよな?」
「うん」
受付嬢も頷いた。
「記録しておきます」
「この魔獣、どうするの?」
「しばらく様子を見ます」
「治る?」
「まだ分かりません」
「…………」
ルイスは少しだけ黙った。
魔獣。
戦えば。
人を襲う。
自分も何匹も倒してきた。
それでも。
目の前で弱っている姿を見れば。
「……治るといいな」
小さく呟いた。
その言葉に。
カイルが僅かにルイスを見る。
けれど。
何も言わなかった。
――――――――――
再びギルド内。
「今日の依頼についてですが」
受付嬢が掲示板から一枚の依頼書を外す。
「西街道の巡回をお願いできますか?」
「巡回?」
「はい」
「一昨日と同じ?」
「近いですが、今日は討伐が主目的ではありません」
受付嬢が地図を広げる。
「一昨日、大量の魔獣が現れた場所より街側を中心に巡回して、通行人の安全を確認してください」
「魔獣がいたら?」
「危険なら討伐して構いません」
「よし!」
「ただし」
「分かってる!」
ルイスが先に言った。
「追いかけて森に入らない!」
「その通りです」
「あと無理そうなら戻る!」
「はい」
「変なことがあったら覚えて帰る!」
「……完璧ですね」
受付嬢が少し驚いている。
「だろ!」
「成長したなぁ」
カイルがしみじみ言う。
「なんだよその言い方!」
「最初を知ってるから」
「カイルと会った時にはもうちょっとまともだった!」
「本当かな」
「本当!」
二人は依頼書を受け取る。
「では、お気をつけて」
「行ってきます!」
「行ってきます」
――――――――――
西街道。
一昨日とは違い。
今日は静かだった。
「……いないな」
「いない方がいいんだろ?」
「分かってる!」
「その割には残念そうだけど」
「だって巡回だけだぞ?」
「それが依頼だから」
「分かってるって」
二人は歩きながら、街道の左右へ目を向ける。
草原。
轍。
遠くを進む馬車。
目立った異常はない。
「一昨日あんなにいたのにな」
「本当に急だよね」
「ああ」
大量に。
様々な種類の魔獣が現れた。
そして。
突然。
一斉に森へ戻った。
「今日は全然いない」
「だからこそ変なのかもしれない」
「どういうこと?」
「普通に数が増えただけなら」
カイルが西の森を見る。
「一昨日だけあんなに出て、今日はほとんどいないってのも変だろ?」
「確かに」
「しかも、一昨日は動くタイミングまで揃ってた」
「…………」
ルイスも森を見る。
「やっぱ誰かに呼ばれたみたいだったな」
「うん」
「笛みたいな音もしたし」
「それはルイスしかはっきり聞いてないけどね」
「聞いたって!」
「疑ってない」
「本当?」
「本当」
カイルが杖を握る。
「それより」
「ん?」
カイルは森の奥を見つめるように目を細めた。
「今日は、あの気配がほとんどしない」
「あの気配?」
「森の奥のどこかから感じてた、妙な魔力」
「ああ!」
ルイスも西の森へ顔を向ける。
「一昨日より弱い?」
「うん。かなり」
「それも魔獣がいないのと同じ?」
「…………」
カイルは少し考える。
「分からない」
「そっか」
「でも」
森を見る。
「何日かここへ来て思ったんだけど」
「うん」
「あの魔力の気配、いつも同じじゃない」
「変わってる?」
「そうだね」
カイルは頷く。
「強く感じる時があって」
一つ。
「ほとんど感じなくなる時もある」
二つ。
「一昨日みたいに魔獣が一斉に動いた時にも、変化してた」
「…………」
ルイスは森を見る。
「じゃあ、森の中にいる何かが動いてるとか?」
「それもまだ分からない」
カイルはすぐに答えた。
「何かの魔法かもしれないし、魔獣の魔力かもしれない。他の原因かもしれない」
「そっか」
「ただ」
僅かに眉を寄せる。
「森そのものが変なんじゃなくて、あの中のどこかに、強くなったり弱くなったりする魔力の発生源があるように感じる」
「…………」
ルイスはその言葉を頭の中で繰り返した。
森ではない。
森の中の。
どこか。
「なら」
ルイスが笑う。
「ちゃんと報告しよう」
「……うん」
「何?」
「いや」
カイルが小さく笑う。
「前なら『見に行こう!』って言ってたと思って」
「ちょっと行きたい」
「やっぱり!」
「でも行かない!」
「そこは偉い」
「だから子供扱いすんな!」
「僕たち同じくらいだろ!」
二人の声が。
静かな街道へ響いた。
――――――――――
夕方。
「巡回完了!」
冒険者ギルド。
受付へ戻ったルイスが胸を張った。
「お疲れ様でした」
「魔獣はほとんどいなかった!」
「ほとんど?」
「遠くに一匹見たけど、街道には出てこなかった」
「場所は?」
「ここ」
地図を指差す。
受付嬢が印をつける。
「他に異常は?」
「カイル!」
「僕?」
「魔力の話!」
「ああ」
カイルが説明する。
「今日は、森の奥から感じていた妙な魔力の気配が、一昨日よりかなり弱くなっていました」
「一昨日より?」
「はい」
カイルは続ける。
「最近何日か西街道へ出ていて気づいたんですが、その気配の強さが一定じゃないんです」
「一定ではない?」
「強く感じる時と、ほとんど感じない時があります」
「…………」
「僕の感覚なので、どこまで正確かは分かりません。ただ、森そのものの魔力が変わっているというより、森の中のどこかにある何かの魔力反応が強くなったり弱くなったりしているように感じます」
「発生源までは?」
「分かりません」
カイルは首を横に振る。
「距離もありますし、何の魔力なのかも判断できません」
「いえ」
受付嬢はその内容も記録する。
「十分参考になります」
「あと!」
ルイスが身を乗り出す。
「朝の魔獣も森の方を見てた!」
「保護した個体ですね」
「ああ」
「それも記録しておきます」
受付嬢の表情は真剣だった。
「一昨日の大量出現」
「うん」
「今日の急激な減少」
「うん」
「そして、魔獣たちが森を気にする行動」
「…………」
「ギルドでも、引き続き情報をまとめます」
「騎士団は?」
「すでに共有されています」
「森に入る?」
「まだ決定は聞いていません」
「そっか」
ルイスは少し残念そうにする。
だが。
「分かった!」
それ以上は言わなかった。
「今日は帰る?」
受付嬢が聞く。
「いや!」
ルイスがカイルを見る。
「…………」
「なんで僕を見る?」
「練習!」
「やっぱり」
「昨日約束した!」
「はいはい」
「今日は炎出すぞ!」
「昨日のは火花だろ!」
「今日は炎!」
「勝手に目標上げるな!」
受付嬢が笑った。
「昇級試験も近いんですから、ほどほどにしてくださいね」
「あと二日!」
「ちゃんと覚えてますね」
「絶対Eになるからな!」
「まず怪我をしないことです」
「分かってる!」
「ルイス」
「何?」
「火傷も怪我だからね」
「…………」
「分かった?」
「……分かった」
「よろしい」
カイルが満足そうに頷いた。
「なんでカイルが言うんだよ!」
二人は言い合いながら、ギルドを出ていった。
――――――――――
街外れの広場。
「じゃあ始めよう」
「おう!」
「今日は」
カイルが指を立てる。
「昨日出せた火花を、偶然じゃなく狙って出す」
「炎じゃないの?」
「まだ」
「えぇ……」
「昨日何て言った?」
「一個ずつ」
「そう」
「分かったよ!」
ルイスは地面へ座る。
「まず魔力」
「うん」
目を閉じる。
胸の奥。
「…………」
以前より。
かなり早く見つけられる。
「ある」
「次」
「右腕へ」
「ゆっくり」
「分かってる」
胸。
肩。
腕。
手首。
右手。
「…………」
指先へ。
赤い光。
「出た」
「そのまま」
カイルがルイスの手を見る。
赤い。
そして。
僅かな熱。
昨日確認したものと同じ。
術式はない。
ただ魔力を身体の外へ出しただけ。
それでも。
火の性質を持っている。
「やっぱり……」
「何?」
「何でもない」
「気になる!」
「集中!」
「はい!」
ルイスが再び指先を見る。
「この状態から」
カイルが説明する。
「昨日の火花を思い出して」
「うん」
「でも、一気に出そうとしない」
「…………」
「魔力がどう変わるかを見る」
「見る……」
ルイスは赤い魔力へ意識を向ける。
「…………」
温かい。
その熱を。
ほんの少し。
強くするように。
「…………!」
――パチッ。
小さな火花。
「出た!」
「一回」
「もう一回!」
「一度消して」
「え?」
「最初からやり直す」
「面倒だな!」
「毎回できるようにするんだろ!」
「分かった!」
赤い魔力を消す。
「もう一回」
胸。
腕。
指。
赤い光。
「…………」
熱。
「…………!」
――パチッ。
「二回!」
「もう一回」
「おう!」
消す。
最初から。
「…………」
今度は。
途中で。
「……あれ?」
「どうした?」
「流れなくなった」
「じゃあ休む」
「まだいける!」
「駄目」
「なんで!」
「魔力を動かす感覚が崩れてる」
「…………」
「疲れてきてる証拠」
「分かるの?」
「さっきより赤い光も弱かった」
「…………」
ルイスは右手を見る。
自分では。
まだいける気がする。
でも。
確かに。
最初より。
胸の熱を見つけづらい。
「……休む」
「よし」
「すぐ再開するけど!」
「少しは休め!」
数分後。
「もういい?」
「……いいよ」
「よし!」
再び。
集中。
「…………」
赤い魔力。
火花。
一回。
二回。
失敗。
もう一度。
失敗。
「くそ!」
「焦らない!」
「分かってる!」
何度も。
何度も。
同じことを繰り返す。
昨日のように。
一度出て終わりではない。
「…………!」
――パチッ。
「出た!」
「もう一度」
「おう!」
少しずつ。
火花が。
偶然ではなくなっていく。
「カイル!」
「何?」
「次!」
「……分かった」
「炎!?」
「小さいのだけ」
「よっしゃ!」
「絶対大きくするなよ!」
「分かってる!」
カイルがルイスの前へしゃがむ。
「昨日までの火花は」
「うん」
「赤い魔力の熱が、一瞬だけ火になった状態だと思う」
「うん」
「今日は、それを一瞬で消さない」
「どうする?」
「火花が出た時の感覚を覚えて」
「うん」
「その状態を保つ」
「保つだけ?」
「言うのは簡単だけどね」
「やってみる!」
目を閉じる。
胸。
腕。
指先。
赤い魔力。
「…………」
熱。
火花。
――パチッ。
「今!」
カイルの声。
「消さない!」
「…………!」
ルイスが集中する。
散った火花。
その熱を。
指先へ残す。
「…………!」
ふっ。
「……!」
小さな炎。
指先ほどの。
本当に。
頼りない炎。
「出た……!」
「集中!」
「…………!」
一秒。
二秒。
炎が。
ゆらゆらと揺れる。
「…………」
三秒目。
――フッ。
消えた。
「…………」
ルイスが右手を見る。
「…………」
「ルイス?」
「出た」
「うん」
「炎!」
「ああ」
「炎出た!」
ルイスが立ち上がった。
「やったああああ!」
「うるさい!」
「カイル見た!?」
「ずっと見てた!」
「三秒くらい!」
「そのくらいだったね」
「昨日は火花だったのに!」
「ああ」
ルイスは右手を見つめる。
「もう一回!」
「今日は終わり」
「えぇ!?」
「魔力もかなり使った」
「でも出たぞ!」
「だから終わる」
「なんで!?」
「成功した感覚を覚えたまま終わった方がいい」
「…………」
「それに」
カイルがルイスの指を見る。
「熱くない?」
「え?」
触れてみる。
「……ちょっと」
「ほら」
「火傷してない!」
「今日はね」
「じゃあまだ――」
「駄目」
「カイル!」
「駄目!」
「一回!」
「昇級試験まであと二日」
「…………」
「指を火傷して短剣握れなくなったら?」
「…………」
「どうする?」
「……帰る」
「よろしい」
「くそぉ……!」
ルイスは不満そうだった。
けれど。
もう一度。
自分の右手を見る。
「三秒」
「うん」
「明日は四秒!」
「そう簡単に伸びるとは限らないよ」
「じゃあ五秒!」
「なんで増えた!?」
「もっとやれば十秒!」
「話を聞け!」
二人の声が。
夕暮れの広場へ響く。
しばらくして。
ルイスがふと思い出した。
「なぁ、カイル」
「何?」
「やっぱ術式使ってないよな?」
「……ああ」
カイルの表情が少しだけ真剣になる。
「今日も一度も使ってない」
「俺、そもそも知らないもんな」
「そうだね」
「じゃあ」
ルイスが右手を開く。
「やっぱ俺の魔力がそのまま炎になってる?」
「今のところは」
カイルが頷く。
「そう見える」
「すげぇな」
「…………」
「どうした?」
「いや」
カイルは少し考えてから言った。
「一つだけ覚えておいて」
「何?」
「珍しいからって」
ルイスを見る。
「必ずしも強いって意味じゃない」
「…………」
「普通と違うことと、強いことは別」
「うん」
「君はまだ数秒、小さな炎を出せるだけだ」
「分かってる」
「だったら」
「もっと練習する!」
「……まぁ、そうなるよね」
「強くする!」
「まず安定させる!」
「それから強くする!」
「それならいい」
ルイスが笑う。
「いつか短剣と一緒に使えないかな」
「短剣と?」
「ああ」
腰の相棒へ手を置く。
「俺、短剣だけじゃなくて蹴ったり殴ったりするだろ?」
「うん」
「そこに炎も入れられたら」
「…………」
「もっと色んな戦い方できそうじゃん!」
カイルが少しだけ目を丸くする。
「……もうそんなこと考えてるの?」
「だって面白そう!」
「まだ三秒だよ?」
「だからこれから!」
「…………」
カイルが笑った。
「本当に君らしいな」
「だろ!」
「褒めたつもりじゃないけど」
「いいんだよ!」
ルイスは短剣の柄を叩いた。
「相棒」
そして。
右手を握る。
「こいつも使えるようになったら」
楽しそうに笑う。
「もっと色んなことできそうだな!」
――――――――――
夜。
西の森。
風が。
木々の間を抜けていく。
昼間まで聞こえていた鳥の声も。
今はない。
「…………」
一匹の魔獣が。
森の中を歩いていた。
その足が。
ふいに止まる。
顔を上げる。
耳が動く。
「…………」
少し離れた場所。
別の魔獣も。
同じように立ち止まった。
さらに。
もう一匹。
それぞれ違う場所にいた魔獣たちが。
ほとんど同時に。
同じ方向へ顔を向ける。
風の中。
ごく僅かに。
音が混じった。
――ピィ……。
細く。
短い音。
次の瞬間。
一匹が歩き出す。
続いて。
もう一匹。
そして。
また一匹。
別々の場所にいた魔獣たちは。
同じ方向へ。
静かに歩き始めた。




