第一章14 『火種』
「……腹減った」
朝のグランベル。
大通りを歩きながら、ルイスが呟いた。
「朝ご飯食べただろ?」
隣を歩くカイルが呆れたように言う。
「食べた!」
「じゃあなんで腹減ってるんだよ」
「もう減った!」
「早すぎるだろ……」
「冒険者だからな!」
「絶対関係ない」
カイルがため息を吐く。
ルイスはそんなことを気にする様子もなく、楽しそうに歩いていた。
「それよりさ!」
「今度は何?」
「あと三日!」
「何が?」
「昇級試験!」
「ああ……」
昨日。
ルイスはEランクへの昇級試験を受ける資格を得た。
ギルドで日程を確認したところ、試験は三日後。
「絶対受かる!」
「まだ試験内容も聞いてないんだろ?」
「大丈夫!」
「その自信どこから来るんだよ」
「今まで依頼ちゃんとやってきただろ?」
「まぁ、それはそうだけど」
「だったらいける!」
ルイスは胸を張った。
「Eランクになったら受けられる依頼も増えるんだよな?」
「基本的にはね」
「じゃあ知らない場所にも行ける!」
「ランクが上がった途端、危ない依頼ばっかり選ぶなよ」
「選ばないって!」
「本当に?」
「……たぶん!」
「やっぱり不安だ」
カイルが頭を押さえた。
その時。
「……あっ!」
ルイスが急に立ち止まる。
「何?」
「あれ!」
道端。
小さな屋台から、焼いた肉の香ばしい匂いが漂っていた。
「…………」
ルイスの視線が釘付けになる。
「食べたい」
「だから朝ご飯食べただろ!」
「でも美味そう」
「我慢しろ」
「一個だけ!」
「駄目」
「カイル!」
「そんな顔しても駄目」
「…………」
「…………」
二人が睨み合う。
数秒。
「……一個だけな」
「よっしゃ!」
「負けた……」
ルイスが嬉しそうに屋台へ駆け寄った。
「これください!」
「はいよ!」
店主へ代金を渡し、串焼きを受け取る。
「ありがとう!」
すぐに一口。
「うまっ!」
「幸せそうだな……」
「カイルも食う?」
「いらない」
「本当に?」
「いらないって」
「じゃあ全部俺の!」
「最初からそのつもりだろ」
カイルが笑う。
「うまいなぁ……」
もう一口。
その時だった。
「…………?」
ルイスの右手。
串を持つ指先。
ほんの一瞬。
赤い光が。
小さく瞬いた。
「……あれ?」
「どうした?」
ルイスが指先を見る。
「今……」
「何?」
「光った?」
「何が?」
「俺の指」
「…………」
カイルがルイスの手を見る。
しかし。
そこにはもう何もない。
「何も見えないけど」
「だよな」
「串焼きの油が光ったんじゃない?」
「そうかな」
ルイスは首を傾げる。
けれど。
指先には。
ほんの少しだけ。
熱が残っていた。
「…………」
昨日。
寝る前に感じたもの。
胸の奥から腕へ流れた。
あの感覚。
「……魔力かも」
「え?」
「昨日感じたやつに似てる」
「……!」
カイルの表情が変わった。
「本当に?」
「ああ。なんか指がちょっと熱い」
「熱い?」
「うん」
カイルがルイスの右手をじっと見る。
「…………」
「なんだよ?」
「いや……」
少し考え。
「帰ったら確かめよう」
「おう!」
「ここではやるなよ」
「まだ何もしてないだろ!」
「先に言ってるんだよ!」
「信用ないな!」
「君だから心配なんだ!」
「どういう意味だよ!」
二人は言い合いながら、冒険者ギルドへ向かった。
――――――――――
「おはようございます」
「おはよう!」
ギルドへ入ると。
いつもの受付嬢が二人を迎えた。
「今日もお二人で?」
「うん!」
「……まぁ」
「なんでカイルは毎回ちょっと嫌そうなんだよ」
「君が勝手に決めるからだよ」
「でも来てるじゃん!」
「……それは」
カイルが言葉に詰まる。
受付嬢が笑った。
「すっかり一緒に行動されるようになりましたね」
「友達だからな!」
「はいはい」
「否定しなくなった!」
「うるさい!」
ルイスが嬉しそうに笑う。
「それで!」
掲示板を見る。
「今日の依頼は?」
「そうですね」
受付嬢が一枚の依頼書を取り出した。
「今日は少し違う依頼があります」
「違う?」
「こちらです」
『薬草採取及び街道周辺の薬草分布確認』
「……薬草?」
ルイスが依頼書を見る。
「魔獣じゃないの?」
「残念そうな顔をしないでください」
「してない!」
「してるよ」
カイルが横から言う。
受付嬢は苦笑する。
「最近、西街道周辺で魔獣の出現が増えていますよね」
「うん」
「その影響で、普段薬草を採取している人たちが街道へ出るのを避けています」
「なるほど」
「そのため、一部の薬草が不足し始めているんです」
「…………」
ルイスの表情が少し変わった。
魔獣が増える。
危ない。
それだけではない。
商人が街道を使いづらくなり。
薬草を採りに行く人も減る。
「色んなところに影響出るんだな」
「はい」
受付嬢が頷く。
「魔獣の異変は、街の生活にも少しずつ影響しています」
「…………」
以前知った。
魔石が街灯や魔道具に使われること。
魔獣を倒すことも。
街を守ることも。
ただ戦うだけではない。
「この依頼やる!」
「いいんですか?」
「やったことないから面白そう!」
「結局そこなんですね」
「でも役にも立つだろ?」
「もちろんです」
受付嬢が笑った。
「規定数の採取と、見つけた場所の記録をお願いします」
「任せろ!」
「それと……」
受付嬢の声が少し真剣になる。
「昨日の件があります」
「魔獣がいっぱい出てきたやつ?」
「はい」
複数種の魔獣が。
同時に森から現れ。
そして。
まるで合図を受けたように。
一斉に森へ戻っていった。
「騎士団にも報告が共有されています」
「もう?」
「内容が内容ですから」
「森を調べる?」
「今後、調査範囲を広げる可能性はあります」
「じゃあ俺も――」
「今日の依頼は薬草です」
「…………」
「森にも入りません」
「…………はい」
「分かりやすく落ち込みすぎだろ」
カイルが笑う。
「でも気になるんだよ!」
「僕も気になる」
カイルは少し真剣な顔になる。
「だからこそ、勝手に入らない」
「分かってるって」
「本当に?」
「ああ」
ルイスはすぐに頷いた。
「調べていいって言われるまで待つ」
受付嬢が少し驚いたあと。
柔らかく笑った。
「ありがとうございます」
「その代わり!」
「はい?」
「行けるようになったら俺も行きたい!」
「その時の依頼条件次第です」
「よし!」
「まだ決まってませんよ?」
「可能性ある!」
「前向きですね……」
「じゃあ行こうぜ、カイル!」
「はいはい」
依頼書を持ち、二人はギルドを出た。
――――――――――
西街道。
「……どれ?」
草むらへしゃがみ込み。
ルイスが首を傾げていた。
「依頼書見ろよ」
「見てる!」
紙には。
目的の薬草が絵で描かれている。
「緑の葉っぱだろ?」
「この辺ほとんど緑だよ!」
「確かに!」
「そこ納得するな!」
ルイスは再び草を見る。
「これ?」
「違う」
「これ!」
「違う」
「じゃあこれ!」
「……それ草」
「全部草だろ!」
「薬草じゃないって意味!」
「難しいな!」
「魔獣と戦う時より苦戦してない?」
「魔獣は動くから分かりやすい!」
「その理屈はおかしい」
二人はしばらく、依頼書と地面を交互に見ながら探した。
「あっ!」
ルイスが声を上げる。
「これ!」
「また?」
「今度こそ!」
カイルもしゃがみ込む。
「…………」
葉の形。
根元。
依頼書の絵。
「……たぶんこれだ」
「よっしゃ!」
「たぶんだけど」
「さっき俺の『たぶん』怒ったじゃん!」
「僕も薬草師じゃないから!」
「魔法使いってなんでも知ってるんじゃないの?」
「そんなわけないだろ!」
「そうなのか」
「本気で思ってたの?」
ルイスは薬草を傷つけないよう。
根元近くから慎重に摘んだ。
「一個!」
「あと十株」
「…………」
「どうした?」
「結構あるな」
「依頼だからね」
「よし!」
すぐに立ち上がる。
「探すぞ!」
「切り替え早いな」
しばらく。
二人で街道周辺を歩き回る。
「二個!」
「それ違う」
「え!?」
「形ちゃんと見て」
「……ほんとだ」
「危なかったな」
「持って帰ったら怒られる?」
「たぶん」
「じゃあ戻しとこう」
「摘む前に確認しろよ……」
そんなやり取りを繰り返しながら。
三株。
四株。
少しずつ集めていく。
「……なんかさ」
「何?」
ルイスが薬草を見ながら言う。
「こういうのも結構面白いな」
「さっきまで苦戦してたのに?」
「ああ!」
一枚一枚。
葉を見比べる。
「最初全部同じ草に見えたけど」
別の植物を見る。
「よく見ると結構違う」
「まぁね」
「葉っぱの形とか」
「うん」
「生えてるところとか」
「そういう違いを覚えるのも冒険者には大事だよ」
「なんで?」
「毒草だったら困るだろ?」
「…………」
ルイスが手に持っていた見知らぬ葉を。
そっと地面へ置いた。
「今食べようとした?」
「してない」
「嘘つけ!」
「ちょっとだけ!」
「食うな!」
「分かったって!」
カイルが頭を抱える。
ルイスは笑った。
けれど。
もう一度。
周囲を見る。
「見る、か」
「ん?」
「なんでもない」
魔獣と戦う時も。
薬草を探す時も。
ただ目に入れるだけでは足りない。
違いを見る。
特徴を見る。
そこから考える。
「…………」
「どうした?」
「ちょっと覚えとこうと思って」
「薬草を?」
「ああ」
「珍しいね」
「なんでだよ!」
「君、戦うことしか覚えなさそうだったから」
「俺だって色々覚える!」
「なら」
カイルが一本の草を指差す。
「これは?」
「…………」
ルイスがじっと見る。
「違う!」
「正解」
「よっしゃ!」
「問題が簡単すぎるんだよなぁ……」
二人は笑いながら。
再び薬草を探し始めた。
――――――――――
昼を少し過ぎた頃。
「十!」
「あと一株」
「もう十個あるぞ?」
「依頼は十一株」
「なんで十一なんだよ!」
「僕に聞くなよ!」
「十でいいじゃん!」
「依頼主に言って!」
「くそぉ……!」
草むらを覗き込む。
「どこだ……」
さっきまで。
あれほど見分けるのに苦労していた。
けれど。
今は少し違う。
「…………」
葉の先。
細かな切れ込み。
茎の色。
日陰を好むこと。
「……あった!」
少し離れた岩陰。
「これだ!」
ルイスが駆け寄る。
確認する。
「今度は?」
カイルも見る。
「……正解」
「よっしゃあ!」
最後の一株を摘む。
「十一!」
「お疲れ」
「疲れた……」
「魔獣と戦った時より疲れてない?」
「探すの大変なんだよ!」
「それも冒険者の仕事だよ」
「冒険者って色々やるんだな」
「今さら?」
「討伐だけじゃないのは知ってたけどさ」
採取した薬草を見る。
「こういうのも誰かが必要としてるんだろ?」
「そうだね」
「なら」
ルイスは笑う。
「悪くないな!」
「……本当に何でも楽しむな、君」
「だって初めてやったし!」
知らなかったことが。
一つ減った。
でも。
その分。
また別の知らないことが増える。
「次はもっと違う依頼もやってみたいな!」
「まず昇級試験だろ」
「あっ!」
「忘れてた?」
「忘れてない!」
「今思い出した顔だったけど」
「忘れてないって!」
二人は集めた薬草を確認する。
そして。
「よし!」
ルイスが立ち上がった。
「帰るか!」
「そうだね」
その時。
風が吹いた。
「…………」
ルイスが西の森を見る。
「どうした?」
「いや」
耳を澄ます。
木々が揺れる音。
鳥。
風。
それだけ。
「昨日の音」
「笛みたいなやつ?」
「ああ」
遠くから。
ほんの一瞬だけ聞こえた。
細い音。
「今日は聞こえないな」
「僕は昨日もはっきり聞こえなかったけど」
「気のせいだったのかな」
「どうだろう」
カイルも森を見る。
「でも、魔獣たちが一斉に動いたのは事実だ」
「……そうだな」
「音が関係あるかは分からない」
「ああ」
「だから今は、分からないままでいい」
「…………」
ルイスが笑う。
「カイル、受付のお姉さんみたいになってきたな!」
「誰のせいだと思ってるんだ!」
「俺?」
「君以外に誰がいる!」
二人は笑いながら。
グランベルへ戻っていった。
――――――――――
夕方。
冒険者ギルド。
「十一株、確認しました」
「よし!」
「状態も問題ありません」
受付嬢が薬草を一株ずつ確認する。
「依頼達成です」
「やった!」
「思ったより楽しそうでしたね」
「結構面白かった!」
ルイスは胸を張る。
「最後の方は見ただけで分かったぞ!」
「何回間違えてたっけ?」
「カイル!」
「事実だろ?」
受付嬢が笑った。
「でも、覚えられたのなら十分ですよ」
「次はもっと早くできる!」
「その調子です」
報酬を受け取る。
「それからルイスさん」
「ん?」
「昇級試験についてですが」
ルイスの目が一気に輝いた。
「三日後!」
「覚えてたんですね」
「当たり前だろ!」
カイルが横で何も言わずルイスを見る。
「なんだよ!」
「いや」
口元だけ少し笑う。
「覚えてたんだなって」
「カイルまで!」
受付嬢が説明を続ける。
「当日は朝からギルドへ来てください。詳しい内容は試験開始前に説明されます」
「分かった!」
「それまでは無理をしないでくださいね」
「分かってる!」
「怪我をして試験を受けられなくなった、なんてことが一番困ります」
「…………」
「今、『その可能性あったな』って顔しました?」
「してない!」
「してたよ」
「カイル!」
「本当だろ?」
「くそぉ……!」
ルイスは冒険者証を取り出す。
そこに刻まれたFの文字。
「あと三日」
それを見る。
「絶対Eになる!」
「頑張ってください」
「おう!」
そして。
「カイル!」
「嫌な予感がする」
「魔法の練習!」
「やっぱり!」
「約束しただろ!」
「今日は薬草探しで疲れたって言ってたじゃないか!」
「でもやりたい!」
「君、本当に元気だな……」
「それに今朝、指も光った!」
「…………」
カイルの顔から呆れた表情が消える。
「そうだったな」
今朝。
ほんの一瞬だけ。
ルイスが感じたという赤い光と熱。
「少しだけなら」
「よっしゃ!」
「疲れたら終わり」
「分かった!」
「絶対だぞ」
「分かってるって!」
二人はギルドを出た。
――――――――――
街の外れ。
人の少ない広場。
「まず」
カイルがルイスの前へ立つ。
「今までやったことを覚えてる?」
「身体の中の魔力を感じる!」
「その次」
「流れを見る!」
「そう」
「無理やり動かそうとしない!」
「正解」
「完璧!」
「最初からこれくらいちゃんと聞いてくれれば楽だったんだけどな」
「聞いてたぞ!」
「聞くだけじゃなくて覚えてくれ」
「覚えてるって!」
カイルが苦笑する。
「じゃあ始めよう」
「おう!」
ルイスは地面へ座る。
「目を閉じて」
「うん」
呼吸を整える。
吸う。
吐く。
「焦らない」
「…………」
心臓の鼓動。
身体の熱。
そのさらに奥。
「…………」
昨日。
感じたもの。
胸から。
腕。
指先へ。
流れていった何か。
「…………」
すぐには見つからない。
でも。
「……あった」
小さく呟く。
「そのまま」
カイルの声。
「何もしなくていい。まず感じて」
「…………」
温かい。
胸の奥。
小さな熱。
「昨日より分かる」
「どんな感じ?」
「温かい」
「それだけ?」
「なんか……」
ルイスは言葉を探す。
「火の近くにいるみたいな感じ」
「火……」
カイルが僅かに眉を寄せる。
「そのまま右腕へ意識を向けて」
「うん」
「急に押し出すなよ」
「分かってる」
「魔力が流れる道を意識する」
「道……」
胸。
肩。
腕。
肘。
手首。
「…………!」
そして。
指先。
「来た」
「何が?」
「温かいやつ」
「そのまま」
カイルはルイスの右手を見つめる。
「外へ少しだけ出してみて」
「どうやって?」
「身体の中を流していたのと同じ。指先の向こうへ道を伸ばす感じ」
「…………」
ルイスが集中する。
指先。
その向こう。
「…………!」
ふわり。
赤い光が浮かんだ。
「……!」
カイルの目が見開かれる。
「ルイス」
「出た!?」
「集中を切るな!」
「あっ!」
光が消えた。
「…………」
「消えた」
「喜ぶからだよ!」
「でも見えただろ!?」
「ああ」
カイルの返事が。
少しだけ遅い。
「…………」
「カイル?」
「もう一回」
「おう!」
ルイスは再び目を閉じる。
胸の奥。
温かさ。
右腕。
指先。
「…………」
今度は。
さっきより早く見つかった。
「…………!」
赤い光。
指先へ。
淡く。
揺らめく。
「そのまま」
カイルが息を潜める。
何かがおかしい。
普通。
人間が身体の外へ出しただけの魔力に。
色はほとんどない。
まして。
熱など持たない。
「…………」
だが。
ルイスの指先に集まっている魔力は。
赤い。
そして。
近くにいるカイルにも分かるほど。
僅かな熱を帯びていた。
「ルイス」
「ん?」
「そのまま」
カイルが自分の杖を握る。
「絶対に無理やり変えようとするな」
「分かった」
「ただ外へ」
「…………」
ルイスがゆっくり。
魔力を押し出す。
その瞬間。
――パチッ。
「……!」
指先に。
小さな火花が散った。
「出た!」
ルイスが目を開ける。
「今の火だろ!?」
「…………」
「カイル?」
返事がない。
「おい?」
カイルは。
ルイスの右手を見つめていた。
「……もう一度」
「え?」
「今度は僕が言うまで何もしないで」
「分かった」
ルイスは首を傾げながら。
再び魔力へ意識を向ける。
「…………」
胸。
腕。
指。
赤い光が生まれる。
「止めて」
「え?」
「そこで止めて」
まだ。
火花にはなっていない。
ただ。
魔力を身体の外へ出しただけ。
「…………」
カイルが一歩近づく。
手をかざす。
「やっぱり……」
「何が?」
「熱い」
「だろ?」
「そうじゃない」
カイルの顔が。
これまでにないほど真剣になった。
「ルイス」
「なんだ?」
「今、何か術式を思い浮かべた?」
「術式?」
「魔法を使うための」
「あの光るやつ?」
「そう」
「全然」
ルイスが首を横に振る。
「俺、術式なんて知らないぞ」
「…………」
「カイル?」
「ありえない……」
「え?」
「いや」
カイルはすぐに言い直す。
「ありえなくは、ない」
「どっちだよ」
「ものすごく珍しいんだ」
「何が?」
カイルは少し迷った。
「……まず、魔法の基本から話す」
「おう」
「普通、人が持ってる魔力には属性がない」
「属性がない?」
「ああ」
カイルが自分の杖を持ち上げる。
「僕が風魔法を使う時も」
杖先へ淡い魔力を集める。
「最初に動かしているのは、ただの魔力だ」
「それが風になるんじゃないの?」
「そのままじゃならない」
「え?」
「術式を通す」
カイルが杖を軽く動かす。
淡い光。
術式が形を作る。
「この術式で魔力に性質を与えて」
周囲の空気が僅かに揺れる。
「初めて風の魔法になる」
「…………」
ルイスが自分の右手を見る。
「じゃあ」
「ああ」
カイルも見る。
「君は術式を使ってない」
「使えない!」
「なのに」
赤い魔力。
そこから伝わる熱。
「君の魔力は、外へ出した時点ですでに火の性質を持ってる」
「…………」
「普通なら」
カイルが言う。
「魔力を出しただけで赤くなったり、熱を持ったりしない」
「じゃあ俺」
ルイスの顔が明るくなる。
「すごい!?」
「なんで真っ先にそこなんだよ!」
「だって珍しいんだろ!?」
「珍しいなんてもんじゃ……」
カイルは途中で言葉を止める。
「…………」
「カイル?」
「昔」
少しだけ考えながら。
「先生から聞いたことがある」
「先生?」
「僕に魔法を教えた人」
「へぇ!」
「ものすごく稀に」
カイルはルイスの魔力を見つめる。
「生まれつき、特定の属性を帯びた魔力を持つ人間がいるって」
「生まれつき?」
「僕も実際に見たことはない」
首を横へ振る。
「本当にいるのかも半信半疑だった」
「じゃあ!」
ルイスが自分を指差す。
「俺それ!?」
「……たぶん」
「おお!」
「ただ」
カイルの表情はまだ固い。
「断定はできない」
「なんで?」
「僕も知識として聞いただけだから」
「そっか」
「それに」
赤い光。
火花。
「君の魔力が、どこまで火の性質を持ってるのかも分からない」
「どこまで?」
「熱を持つだけなのか」
一つ。
「そのまま炎へ変えられるのか」
二つ。
「普通の火属性魔法と同じなのか」
三つ。
「それとも、何か違うのか」
「…………」
ルイスの目が輝いていく。
「分かんないこといっぱいじゃん!」
「なんで嬉しそうなんだよ!」
「だって調べられるだろ!」
「自分の身体だぞ!?」
「だから面白いんじゃん!」
「…………」
カイルが頭を抱える。
「君は本当に……」
「なぁ!」
「何?」
「じゃあ俺、術式覚えなくても炎出せる?」
「それも分からない」
「えぇ!?」
「今出たのは火花だけだろ」
「でももうちょっと!」
「駄目」
「なんで!?」
「今の時点で普通と違うんだぞ」
カイルが強い口調で言う。
「何が起こるか分からない状態で、いきなり大きな炎を出そうとするな」
「…………」
「火傷するかもしれない」
「うん」
「魔力を一気に使いすぎるかもしれない」
「うん」
「制御できないかもしれない」
「…………」
「だから」
カイルはルイスを見る。
「今まで以上に、一つずつ確かめる」
「……分かった」
珍しく。
素直な返事。
「本当に?」
「ああ」
ルイスは右手を開く。
「せっかく使えるかもしれないのに」
握る。
「失敗して使えなくなったら嫌だからな!」
「……理由は君らしいけど」
カイルが少し笑った。
「それならいい」
「じゃあ明日も!」
「やる」
「明後日も!」
「やるよ」
「試験の日も!」
「試験終わってから!」
「よし!」
「ただし」
カイルが指を立てる。
「毎日少しずつ」
「うん」
「まずは赤い魔力を安定して出す」
「うん!」
「次に火花」
「うん!」
「それを何度やっても同じようにできるようになってから」
「炎!」
「そこはまだ決めない!」
「なんで!?」
「様子を見る!」
「くそぉ……!」
ルイスが不満そうな顔をする。
でも。
すぐに。
右手を見て笑った。
「でもさ」
「何?」
「カイル」
「うん」
「俺の中に最初から火があったってこと?」
「……正確には」
カイルは少し考える。
「君の魔力そのものが、火の性質を持ってる可能性が高い」
「…………」
「かなり珍しいことだよ」
「そっか」
ルイスは。
静かに右手を見る。
「なんかいいな、それ」
「何が?」
「俺の中に」
拳を握る。
「俺の知らないものがまだあった」
「…………」
「これから何ができるようになるのかも分かんない」
顔を上げる。
橙色の瞳が。
夕焼けの中で輝く。
「めちゃくちゃ面白そう!」
「……やっぱりそこなんだな」
「当たり前だろ!」
カイルが笑った。
「じゃあ」
「おう!」
「今日はここまで」
「え!?」
「これ以上は駄目」
「もうちょっと!」
「駄目」
「一回だけ!」
「駄目!」
「カイル!」
「試験前に手を火傷したいの?」
「…………」
「どうする?」
「……帰る」
「よろしい」
「受付のお姉さんみたいになってる!」
「誰のせいだよ!」
二人の声が。
夕暮れの広場へ響いた。
――――――――――
その夜。
月影亭。
「…………」
ルイスはベッドに横になりながら。
右手を眺めていた。
「属性を持った魔力……」
カイルが言っていた。
普通の魔力は。
術式を通して。
初めて。
火や風といった属性の魔法になる。
けれど。
自分は違った。
「最初から火……」
右手を開く。
「…………」
試したくなる。
もう一度。
赤い光を。
火花を。
けれど。
「……今日はやめとくか」
手を下ろした。
カイルに止められた。
休むことも必要。
「明日またやればいい」
焦る必要はない。
まだ。
知らないことだらけなのだから。
「三日後は昇級試験」
天井を見る。
「炎も使えるようになりたい」
西の森も気になる。
まだ見たことのない依頼もある。
「やりたいこと増えたな……」
でも。
嫌ではない。
「全部やればいいか」
ルイスは笑う。
「時間かかっても」
目を閉じる。
右手には。
もう赤い光はない。
けれど。
身体の奥。
今まで存在すら知らなかった場所に。
確かに。
熱がある。
普通の魔力とは違う。
最初から火の性質を帯びた、極めて珍しい力。
今のルイスに分かるのは、それだけだった。
そして今はまだ。
指先に一瞬の火花を散らすだけの。
小さな火種だった。




