第一章12 『小さな再会』
――翌朝。
冒険者ギルド。
「昨日の報告なんですけど」
受付嬢が、ルイスとカイルの前へ一枚の地図を広げた。
「他の冒険者から寄せられた情報と照らし合わせてみました」
「何か分かった?」
「はい。まだ断定はできませんが――」
地図には、いくつもの印が書き込まれている。
「魔獣の目撃地点が、やはり西の森周辺へ集中しています」
「一つの報告だけでは判断できないことでも、こうして情報を重ねれば見えてくるものがあります」
「前にも言ってたやつだな!」
「覚えていたんですね」
「当たり前だろ!」
ルイスが得意げに笑う。
「一個だけ見て決めつけない!」
「はい。その通りです」
受付嬢が微笑んだ。
「今後入ってくる情報とも照らし合わせます。必要であれば騎士団にも共有されるでしょう」
「騎士団にも?」
「魔獣の出現がこのまま増えれば、冒険者ギルドだけの問題ではありませんから」
「…………」
ルイスは地図へ目を落とした。
最初は。
街へ来る途中で襲ってきた魔獣。
それだけだった。
けれど。
街道へ伸びていた足跡。
森を気にする魔獣。
少しずつ街へ近づく目撃地点。
犬型だけではなく。
甲羅を持つ魔獣や、魔鳥まで出てきた。
「やっぱ変だよな」
「うん」
カイルも頷く。
「種類が違う魔獣が、同じ方向から出てきてる」
そこで。
カイルは少し考えるように黙った。
「それに?」
ルイスが聞く。
「昨日のこと」
「昨日?」
「森の方から感じた魔力」
「ああ!」
受付嬢がカイルを見る。
「魔力ですか?」
「はい。ただ……」
カイルは少し言葉を選ぶ。
「僕にも、はっきり分かっているわけじゃありません」
「構いません。感じたことを教えてください」
「森そのものから感じたわけじゃないんです」
「というと?」
「森の奥のどこかから、普段とは違う魔力の気配が届いてくるような感じで」
「魔獣の魔力ですか?」
「分かりません」
カイルはすぐに首を横に振った。
「遠すぎますし、一瞬しか感じないこともあります。ただ……昨日は、その前に感じた時より少し強かったです」
「へぇ……」
ルイスが身を乗り出す。
「魔法使いって、そんな遠くの魔力まで分かるのか?」
「いつでも分かるわけじゃないよ」
「でも分かったんだろ?」
「微かにね」
カイルは自分の胸元を指先で軽く叩いた。
「魔力を扱うことに慣れてくると、自分以外の魔力を感じることもあるんだ。近ければもっと分かりやすいし、強い魔力なら離れてても気づくことがある」
「じゃあ、森の奥にすげぇ魔法使いがいるとか?」
「だから分からないって」
「魔獣かもしれない?」
「それも分からない」
「じゃあ何なんだ?」
「分からないから気になってるんだよ!」
「あ、そっか!」
あっさり納得するルイスに、カイルがため息を吐いた。
「とにかく、今分かってるのは、森の中のどこかから妙な魔力の気配を感じたってことだけ」
「魔獣が増えてるのと関係あるかな?」
「それもまだ決めつけない方がいい」
「あ」
ルイスが自分で言った言葉を思い出す。
「一個だけ見て決めつけない!」
「そういうこと」
受付嬢は二人の話を聞きながら、報告書へ書き込んでいく。
「では、こちらも参考情報として共有しておきます」
「お願いします」
「カイルってそういうのも分かるんだな!」
「だから、はっきり分かるわけじゃないって」
「でも俺には何も分かんねぇぞ?」
「君は昨日、魔力を初めて意識したばかりだろ」
「それもそうか!」
受付嬢が二人を見ながら笑った。
その時。
ギルドの奥から、一人の職員が早足でやってきた。
「すみません」
「どうしました?」
「西街道側から、また新しい目撃報告が入りました」
「魔獣ですか?」
「はい」
職員が頷く。
「今朝、街道を通った商人が見たそうです」
「種類は?」
「これまで報告されていた犬型とは違うそうです。ただ、遠目だったので詳しい姿までは……」
「また違う奴か?」
ルイスが反応する。
「その可能性はあります」
「…………」
犬型。
甲羅を持つ魔獣。
魔鳥。
そして。
また別の種類。
「増えてるっていうより」
ルイスが小さく呟く。
「色んな奴が出てきてるな」
「そうだね」
カイルも表情を少し引き締める。
「この辺にいなかった種類まで来てるなら、やっぱり普通じゃない」
「西の森から?」
「まだ決めつけない」
「あ」
ルイスが再び口を閉じる。
「そうだった」
「ちゃんと学習してる」
「俺をなんだと思ってるんだ!」
「勢いで全部決める奴」
「違う!」
受付嬢が笑いを堪えながら、二人へ向き直る。
「今日は西街道の警戒依頼も増えています」
「じゃあ俺たちも行く!」
「最後まで聞いてください」
「はい」
「森へ近づくことが目的ではありません。街道を利用する人たちの安全確認が優先です」
「分かった!」
「異変を見つけた場合も、自分たちだけで追いすぎないこと」
「うん!」
「危険を感じたら?」
「戻る!」
「よろしいです」
受付嬢が依頼書を差し出す。
「では、お願いします」
「任せろ!」
「僕も行くこと確定なんだね……」
カイルが横から呟く。
「行かないの?」
「…………」
ルイスに聞かれ。
カイルは少しだけ黙る。
「いや」
杖を握り直した。
「行くよ」
「よし!」
二人はギルドを出た。
――――――――――
グランベルの大通り。
「だから違うって!」
「違わない!」
「絶対違う!」
「君が知らないだけだ!」
「なんでそんな偉そうなんだよ!」
「知ってる方が偉い!」
「そんな決まりねぇだろ!」
二人の少年が、大通りを歩きながら言い合っていた。
「……ん?」
少し離れた店先。
一人の少年が顔を上げた。
肩まで伸びた淡い銀色の髪。
灰色の外套。
胸元には一本の笛。
手には、小さな買い物袋を下げている。
「…………」
聞き覚えのある声。
忘れるはずがない。
少年は人混みの向こうへ視線を向けた。
「……ルイス?」
「ん?」
名前を呼ばれ。
赤髪の少年が振り返る。
「…………」
その視線の先。
淡い銀髪。
穏やかな瞳。
そして。
見覚えのある笛。
「……え?」
一瞬。
ルイスの目が大きく開く。
「リュート!?」
「……うん」
「リュート!」
次の瞬間。
ルイスは人混みの中を走り出した。
「おい、ルイス!?」
置いていかれたカイルが慌てて追う。
「やっぱリュートだ!」
ルイスが目の前まで駆け寄った。
「久しぶり!」
「久しぶり」
リュートが少し驚きながらも笑う。
「こんなところで会うと思わなかった」
「俺も!」
「まだグランベルにいたんだね」
「ああ!」
ルイスは胸を張る。
「冒険者の依頼やってる!」
「そうなんだ」
「リュートは?」
「僕?」
リュートが手元の袋を見る。
「ちょっと買い物」
「へぇ」
「ルイスは怪我とかしてない?」
「全然!」
両腕を大きく広げる。
「見ろ! ピンピンしてる!」
「ふふっ」
リュートが笑う。
「元気そうでよかった」
「リュートもな!」
そこで。
「……ルイス」
後ろから少し呆れた声。
「あっ」
振り返る。
カイルが追いついてきた。
「急に走るなよ」
「悪い!」
「絶対悪いと思ってないだろ」
「思ってる!」
「本当に?」
「たぶん!」
「ほら!」
リュートが二人のやり取りを見て、小さく笑った。
「……友達?」
「おう!」
「まだ聞いてない!」
カイルが割り込む。
「リュート、こいつカイル!」
「紹介が雑だな!」
「魔法使い!」
「もっとあるだろ!」
「すげぇ魔法使い!」
「……まぁ、それならいい」
「いいのかよ」
ルイスが笑う。
「カイル、こっちはリュート!」
「どうも」
カイルが軽く頭を下げる。
「初めまして」
「初めまして」
リュートも穏やかに頭を下げた。
「リュートは笛がすげぇ上手いんだ!」
「笛?」
カイルの視線がリュートの胸元へ向かう。
「これ?」
リュートが笛へ触れる。
「ああ!」
ルイスが頷く。
「馬車で聞いたんだけどさ、すげぇ綺麗なんだぞ!」
「へぇ」
カイルが少し興味を示す。
「今度聞いてみたいな」
「…………」
リュートが一瞬だけ目を瞬かせる。
けれど。
「うん」
すぐに柔らかく笑った。
「機会があれば」
「じゃあ今!」
「ルイス」
「冗談だって!」
「絶対本気だっただろ」
三人の間に笑い声が生まれる。
ルイスは嬉しそうだった。
道中。
オリバーの馬車で出会ったリュート。
グランベルで出会ったカイル。
別々の場所で知り合った二人が、今。
同じ場所にいる。
「そうだ!」
ルイスが声を上げる。
「リュートも一緒に来る?」
「え?」
「俺たち、これから西街道の依頼なんだ!」
「西街道……」
リュートの視線が、ほんの一瞬だけ止まった。
「魔獣が増えてるから見回り!」
「…………」
「一緒に行こうぜ!」
リュートはルイスを見る。
何かを考えるように。
ほんの少しだけ。
返事が遅れた。
「……ごめん」
「駄目?」
「うん」
手元の袋を持ち上げる。
「今日はまだ用事があるんだ」
「そっかぁ」
ルイスが分かりやすく肩を落とした。
「仕方ないだろ」
カイルが横から言う。
「また会えばいい」
「……!」
ルイスの顔がすぐに明るくなる。
「それもそうだな!」
そしてリュートを見る。
「じゃあ、また今度!」
「うん」
「今度は笛聞かせてくれよ!」
「……うん」
リュートが小さく笑った。
「分かった」
「約束な!」
「約束」
ルイスは満足そうに頷く。
「じゃあ行ってくる!」
「気をつけてね」
「おう!」
数歩進んで。
「あっ!」
ルイスが振り返った。
「リュート!」
「なに?」
「また一緒にどっか行こうな!」
「…………」
リュートの瞳が僅かに揺れた。
ほんの一瞬。
驚いたような顔。
それから。
「……うん」
いつもの穏やかな笑顔へ戻る。
「また行こう」
「約束だからな!」
「うん」
ルイスは大きく手を振った。
「またな!」
「またね」
リュートも小さく手を上げる。
やがて。
リュートは人混みの向こうへ。
ルイスとカイルは、西門へ向かって歩き始めた。
――――――――――
「いい奴だな」
西門へ向かいながら、カイルが言った。
「だろ?」
「どこで知り合ったんだ?」
「グランベルへ来る途中!」
「旅の途中?」
「ああ。オリバーのおっさんの馬車に乗ってた」
「オリバー?」
「商人!」
「……君、知り合い増えるの早くない?」
「そうか?」
「そうだよ」
「でも面白いぞ!」
「何が?」
「旅してるとさ」
ルイスは前を向く。
「知らない場所で、知らない奴と会うだろ?」
「まぁ」
「それで、また別の場所で会ったりする」
先ほどのリュートを思い出す。
「そういうの、なんかいいよな!」
「…………」
カイルは少しだけルイスを見る。
「だから旅してるの?」
「それだけじゃない!」
ルイスの目が輝く。
「見たことない場所も見たいし! 誰も知らないところにも行きたい!」
「欲張りだな」
「全部見たい!」
「もっと欲張りだった」
カイルが笑った。
「そういや」
ルイスが思い出したように言う。
「リュートのこと、あんまり知らないな」
「知り合いなんだよね?」
「ああ!」
「どこに住んでるとか?」
「知らない!」
「普段何してるとか?」
「知らない!」
「……本当に知り合い?」
「友達!」
「本人に確認した?」
「してない!」
「君、全部それだな!」
ルイスが笑う。
「今度聞けばいいだろ!」
「まぁ、そうだけど」
「また会えるし!」
何の疑いもなく言う。
カイルは一度だけ。
先ほどリュートが消えていった大通りを振り返った。
「……そうだな」
そして。
二人は西門を抜けた。
――――――――――
西街道。
グランベルから少し離れると。
周囲を歩く人の数も減っていく。
「今のところ何もいないな」
「その方がいいだろ」
「依頼としてはそうだけど……」
「だけど?」
「ちょっとだけつまんない」
「魔獣に出てきてほしいみたいに言うな!」
「だって依頼だぞ!」
「出ない方が街道は安全なんだよ!」
「……なるほど」
「今気づいたの?」
「冒険者って難しいな!」
「何が!?」
二人は街道を歩く。
周囲を見る。
草原。
轍。
街道脇に残る足跡。
人や馬のものがほとんどだ。
「変なの見つけたら言えよ」
カイルが言う。
「分かってる!」
「森まで走るなよ」
「走らない!」
「怪しいものを見つけても触るなよ」
「…………」
「なんで黙る?」
「分かった!」
「今絶対、触るつもりだっただろ!」
「触らないって!」
カイルがため息を吐く。
しばらく歩く。
その間。
ルイスは時折、自分の胸元へ手を当てていた。
「……何してるの?」
「魔力」
「今?」
「ああ」
「歩きながら目を閉じるなよ」
「閉じてない!」
「ならいいけど」
「昨日、一瞬分かった気がしただろ?」
「そう言ってたね」
「だから」
自分の胸の奥へ意識を向ける。
呼吸。
鼓動。
身体の熱。
そのさらに奥。
「…………」
昨日感じたもの。
ほんの僅かに。
身体の中を何かが動いたような感覚。
「分かる?」
「……まだ」
「焦らなくていいよ」
「分かってる」
ルイスは歩きながら答えた。
「何日もやればいいんだろ?」
「お」
「なんだよ」
「ちゃんと覚えてたんだと思って」
「覚えてるって!」
「君、すぐ炎出そうとしそうだから」
「出したい!」
「ほら!」
「でも、その前に魔力だろ?」
「……そう」
カイルが少し笑った。
「そこまで分かってるならいいよ」
「帰ったら練習な!」
「依頼が終わったらね」
「約束!」
「ああ」
その時。
「…………」
ルイスの足が僅かに止まった。
「ルイス?」
「今……」
胸元へ手を当てる。
「…………」
温かい。
ほんの僅か。
胸の奥。
普段感じる体温とは違う何か。
細い流れが。
身体の中を通ったような。
「また?」
カイルの表情が少し真剣になる。
「うん」
「昨日と同じ感じ?」
「似てるけど……」
ルイスは目を閉じない。
感覚が消えないように。
呼吸だけをゆっくり整える。
「昨日より、ちょっと分かる」
「どこ?」
「胸の辺りから……」
自分の腕を見る。
「なんか、流れたような」
「追わなくていい」
「え?」
「今はその感覚だけ覚えて」
カイルがすぐに言った。
「無理に動かそうとしない」
「分かった」
ルイスは素直に頷く。
「…………」
数秒。
その感覚へ意識を向ける。
だが。
やがて。
「……消えた」
「いいじゃないか」
「消えたのに?」
「昨日より長く感じられたんだろ?」
「あ」
「それなら進んでる」
「……!」
ルイスの顔が一気に明るくなる。
「じゃあ今の、魔力!?」
「可能性は高いと思う」
「マジか!」
「大声出すな!」
「だって!」
自分の手を見る。
「俺の中にもあった!」
「最初からあるって言っただろ!」
「知ってるのと分かるのは違うだろ!」
「……まぁ」
カイルが少し考える。
「それは確かにそうだな」
「だろ!」
ルイスが嬉しそうに拳を握る。
「よし!」
「何する気?」
「今度は動かす!」
「まだ早い!」
「なんで!?」
「今やっと感じたところだろ!」
「でも次だろ?」
「段階ってものがある!」
「じゃあ帰ったら!」
「帰ったらな!」
「絶対だぞ!」
「分かったよ!」
ルイスは笑う。
魔力。
少し前までは。
言葉として知っているだけだったもの。
魔石の中にあり。
魔道具を動かし。
カイルが魔法へ変えている力。
その同じものが。
自分の中にもある。
「……面白ぇ」
「何が?」
「だってさ」
右手を開く。
「今まで何もないと思ってたところに、知らない力があったんだぞ?」
「まぁね」
「これがどうなるのか、まだ分かんないんだろ?」
「うん」
「だったら」
ルイスの橙色の瞳が輝く。
「やっぱ面白いじゃん!」
「…………」
カイルは少しだけ笑った。
「本当に君らしいな」
「そうか?」
「そうだよ」
二人は再び歩き始める。
前方には街道。
そのさらに先。
西の森。
まだ分からないことばかりだった。
森の奥で何が起きているのか。
なぜ魔獣が街道へ現れるのか。
カイルが感じた正体不明の魔力は、それと関係しているのか。
そして。
自分の中にある魔力で、何ができるのか。
「よし!」
ルイスは足を速める。
「今日も探すぞ!」
「何を?」
「分かんない!」
「目的くらい決めろ!」
「知らないもの!」
「範囲が広すぎる!」
二人の声が。
西街道へ響いていった。




