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56話

『ヴィルは気が狂っている』


 それが彼を知った者達の共通の見解であった。

 騎士という役目のために命を懸ける……役職故にと言われれば納得する者もいるかもしれない。だが、それが仮に自身の命を捨てれば、目の前の見ず知らずの老人を救えるとなった時に、役目として等しく懸けられる者がどれだけいるだろうか。


 そんな擬似トロッコ問題に彼は即答するだろう。

 騎士として守るためならば顧みない。その事実が只管に冒険者、そして同じ騎士試験受験者や現役の騎士達へ狂気を感じさせた。自身では理解出来ない領域の考え、だからこそ、彼等は勝手に気が狂っていると評価するのだ。


 だが、今、彼の近くにいる者達は違う。

 理由は違えども、過去に負った傷のために、他の誰かが少しでも似たような経験を追わせないようにと戦っているのだ。金のためならばどれだけ楽に生きられただろうか。そうであったならば、このような魔界の門とも思えるような禍々しい強力な魔素を放つ扉を開けなくとも済むのだ。


『───これなら、確実に勝てる』


 自信に満ちた言葉に絆された訳ではない。

 対して、彼の口にした事へ絶望した訳でも決して無かった。救うために来たというのにヴィルは外へ出られないという事実、入った穴が既に埋まっていて通るのは不可能である事……そして、奥にいる魔物が一体のSSSランク魔物、いいや、魔物とすらも言えない存在である等と知らしめられようと些事たる事なのだ。


 目的を達成しながら生き残れる可能性がある。

 一縷というには太過ぎる希望、焚き火を囲みながら聞いた作戦は誰もが納得するものであった。仮に出された敵の情報だけで、いや、それを抜きにしたところで良い案など生み出せる程の余裕は誰も持ち合わせてはいない。


 道中で見た光景、ヴィルの戦闘する姿。

 オーガ等の一部の魔物を除けば、出てくる魔物は全てSSランクを有する者達でしかない。それらがまるで子どもを相手にするかのように倒されていたのだ。もちろん、サジタリウスの強さからして五階層で戦ったボス個体よりは格段と弱い事くらいは分かっている。それでも事実としてSランク最上位の力は確かにある敵には違いない。


 森を抜けた先、入口とは正反対に位置する扉。

 態となのか、それとも……皮肉にも周囲に広がるのはエルザスの入口と瓜二つの建物である。違うとすれば裏側に回る事が出来ない点と、先にあげた扉の存在だろう。少しだけ開いた先からは確かな魔素が、エルザスに入る時よりも濃厚で剣呑な空気だけが漏れ出している。


「じゃあ、開けるよ」


 全員の頭に響いたのはヴィルの念話である。

 変わらずに冷静な声は彼等の、彼女等の意思に薪を焚べた。何が待つのか、そのような想像はできやしない。だからこそ、ギィと開き始めた扉から視界を外す事は出来ず、眼前すら、数キロ先ならば余計に闇を作り出す空間を見詰めている。


 その中にヴィルが最初に足を踏み入れた。

 それに合わせて一人、一人と先に話された陣形のままで全員が中へと進む。優秀な者だけが揃っている現状、微かな懸念があるとすれば共に戦った経験が少ない事だろう。これだけの大人数であれば尚の事、経験した事などが無い。


 瞬間、扉が大きな音を立てて勝手に閉じる。

 聞いていた。とはいえ、咄嗟の事に、そして少しの灯りすら消え去った世界に狼狽せずにいられたのはヴィルとノーグだけである。響いた重なった二つの指を弾く音、同時にボヤァと多くの火球が周囲を漂い始め、ようやく視界というものが取れた。いいや、取れない方がまだマシだったのかもしれない。


 二十メートルはある巨大な人、であった。

 だが、下から見えた顔には幾つかのトカゲのような鱗が残っており、顕となっている上半身にも似たようなものがチラホラと残っている。獲物を見つけた獅子のような気高く、狩る者としての風格は極端な恐怖を齎した。


 視線が動く、体が動く……対して、それに合わせられる者は、やはりヴィルとノーグのみである。

 タ、と走り始めると巨人はニヤリと口を動かす。


「食ろうてやろう。資格無き者達よ」


 全ての火球が消えた。それでも視界は取れる。

 淡い光を放つ数千の小さな光球達……同時にカランと杖が地に落ちる音がした。見えてしまったのだ。エルフの血を引くルチアには光球の中に確かな命がある事が分かってしまう。全てが上位精霊、エルフですらも出会う事が稀な神の使い魔がいるのだ。


 では、それらを従える巨人は神なのだろうか。

 恐怖と共に自身の内心に問いかける。問いかけ、問いかけ、その問いは一秒の中に二十は行われただろうか。


「ッ!」


 箒から漏れ出した魔力、目に炎が戻り始める。

 光球と、上位精霊と見えていた者達は確かにそれと変わりないものであった。だが、フィルター無き彼女の目に残ったのは……ただの燃えカスのようなものである。生きていると読んでも良いのか分からないような、見る者達を操るためだけに生かされている哀れな命。


「恨んでも、いいから」


 微かに漏れた言葉の中で幻想が事象となる。

 ルチアの手によって壁に貼り付けられた命の残滓達は美しく光り続けていた。仇を取って欲しい、そのように伝えてきているかのような淡い光の寄せ集めはようやく全体を、正しい意味で照らし出す。




 天井が見えず、最奥すら分からないだだっ広い空間。それが彼等の戦闘の舞台であった。

次回は明日の9時の予定です。

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