26話
ピタリピタリと雫が堕ちていく。
完全なる暗闇、音すらも喰われて無だけが残る空間であった。その中にヴィルは静かに息をして瞳を閉じていた。光源すらも無い中、分かる事は洞窟である事程度。自然が作り出すベットというには硬すぎる岩肌がチクリチクリと刺激する。
その衝撃に襲われてか、ゆっくりと眼が開く。
何かを口にする訳でもなく静かに体を起こし、周囲を見渡して見せたが……やはり、何も視界に捉える事は出来なかった。かといって、灯りを作るというても取れはしない。見えないからといって近くに何もいないとは限らないのだ。
静かに息を吸うと自身の指を軽く切った。
ポタリと落ちる音は天井から滴る水と変わりなかったものの、その異様さだけは誰の目から見ても明らかであった。瞳を閉じたまま呆然と立ち尽くす姿は傍から見れば、生きる事を既に諦めているようにすらも感じられる。だが、確かに小さく呼吸をすると視線を天に向けた。
「穴は……無い、か」
血魔法の探知では生物の反応は近くに無かった。
それと同様に分かったのは今いる空間の全体像である。未だに視界は取れてはいない。それでも血が地面に接触した事で簡易的な状況を一瞬で把握する事が出来た。彼の頭の中に過ぎった通り、洞窟のような空間である事、そして今いる周辺から少ししたところに扉がある事が分かった。
問題はその先である。巨大な魔素の気配だった。
その質は……ミノタウロスを優に超える。例えるのであればサジタリウス、だが、それよりは少しばかり劣る魔素量であった。そう、彼は足を踏み入れてしまったのである。
「神殿……エルザス……」
咄嗟にヴィルは恐怖から転移を構成した。
数秒かかりはしたが確かに外にある吸魔の鎖を感じ取る。後は発動するだけ……だが、魔法陣が構築されるのと同時に消滅して霧散する。その事象はヴィルにとって初めての経験であった。発動したというのに何かに弾かれて掻き消されたのだ。
ヴィルには確かな魔法への自信があった。
騎士らしくない……そのような事は百も承知である。騎士とは剣と盾を持ち、馬に乗りながら突き進む者であった。そんな事は魂に刻まれていた彼であっても覆せないものがある。それは騎士に憧れた理由と仲間達の存在だった。
『お前はお前らしく生きればいいんだ』
反発してしまった父の優しさ。
ふと、その記憶だけが彼の脳裏にフラッシュバックしてしまう。魔物の血を浴びて赤く染ってしまった白の鎧、その顔は未だに若く綺麗なままであった。どれだけ強大な敵が現れようとも単身で前へ突き進み、その剣と盾で切り伏せる姿は色褪せやしない憧憬そのままである。
『お兄ちゃんはサイキョーだから!』
『お兄様は本当に……天才ですね!』
二人の少女、産まれた姿すら覚えていた。
守ると決めた、守らないといけなかった……その手を取れない等とは、その笑顔を見れなくなる等とは許したくもない理不尽であった。妹のように大切に思う二人が、村に残って帰りを待つ人がいるという事実がただ彼を生にしがみつかせてしまう。
「シャロは……怒るよなぁ。ん、残すなんて酷いとか言われそうだ。アリアも……ヴィル様は自分の命を軽んじ過ぎます、とか言ってきそうだ」
そして……と、一人の少年の顔が浮かぶ。
何を言うか……決まっている事であった。その少年は笑いながら『君を殺すのは僕なんだよ』と胸を軽く小突くだろう。その事実がただヴィルには生き残るための原動力となる。誰よりも信頼出来る友人だからこそ、後を任せて救いが来るのを待てるのであった。
「……少なくとも転移は使える。魔法も使えそうだな。ここは緑部屋だろうから……寝泊まりは難しく無さそうだ」
転移の破壊は外へ出ようとした時だけ。
近場とはいえ、入口付近に魔法陣を展開したところ、変わらずに発動出来た結果から出したヴィルなりの回答である。そして、その答えは正解でもあった。裏を返せばヴィルの最大の強みは未だに生きているという事でもある。
「こんな時に……生きるとは、ね」
服の襟を軽く掴み、胸部を払って整え直す。
その衣類はジーナとギネが寝る間を費やして作り出した魔道具であった。ダンの揃えたAランクの魔物の皮をジーナが衣類へと作り替え、魔道具のように能力を付与したのはギネである。その優しさと心強さはヴィルの胸をより高鳴らせた。
「食料はある……一週間は問題ない。いいや、今までの貯蓄も考えれば二週間、かな。それだけあれば確実にアイツが来るとして」
ヴィルと書かれた透明な情報の数々。
ステータス、個々人のジョブやスキル、数値化された強さが書かれた特殊能力である。ヴィルの場合はそれに加えて空間魔法『異次元倉庫』内の物を一覧として見る力を手にしていた。ステータスをスライドしながら現状を理解した上で少しばかり沈黙する。突如、その眼を扉へと向けて笑みを零した。
「どうせ、攻略しなければいけない場所だ」
仲間が来るのをただ待つ……出来なかった。
騎士としての意志、仲間のための生……それ以前に彼は兵士であった、戦士なのだ。この場で待っていたところで最悪な状況は変わりはしない。ましてや、今いる空間が本当に緑部屋かどうかはヴィルにも確信を持てなかった。
ヴィルには一つだけ運の良い事があった。
それはエルザスが彼を歓迎していたという事、高所から落ちながらも怪我一つせずにヴィルは目を覚ましたのだ。同様にヴィルも、その数奇な運命に鼓動を速めさせていた。軽く押した扉が、ギィと奥へと進む度に余計に速度を上げていく。
その先に広がるのは……ただの森だった。
上の階層とは違う空間、それでもヴィルはニヤリと笑って顔を手で覆う。感じていても口にはしなかった事であった。エルザスと口にした時から気付かない振りをしてきただけ……そう、その光景は確かに夢で見た事があったのである。
「僕は……ここを知っている、のか」
空に輝く太陽を睨み付けてヴィルは剣を構えた。
知っている、その事実は既にどうでもよかった。太陽と重なった仲間達の笑顔が、本当の意味で生き残らなければいけない理由を思い出せたのである。陽の光を浴びながら小さく何かを呟くと黒のローブを羽織って森の中へと駆け出した。
次回は明日の9時の予定です。
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