1話
ピヨピヨと複数の鳴き声が重なり合う。
天気は良く、雲一つ無い真っ青な空が広がっていた。その下では多くの畑が広がる中、二人の男が耕している。暑さのせいか、時折、首からかけているタオルで滝のように流れる汗を拭いているが笑顔で働いていた。
片方はタンクトップに半ズボンといった見るからに体育会系の服装をしており、片や長袖長ズボンを着た少し細身の男である。だが、共通して言えるのは見え隠れする四肢からははち切れんばかりの筋肉がある事だろうか。
「はぁ……もうそろそろで終わりか」
「ああ、ここをやったら今日の分は終わりだ」
「もうちょっとで、種蒔きの季節か……」
二人の頭に過ぎったのは一人の少年だった。
丁度、一昨年の種蒔きの季節に村を出た存在、自分達の子供のようにも思える少年を何時いかなる時も忘れた事は無かったのだ。騎士となるために努力しているであろう少年、純粋無垢な笑顔を見たいという寂しさが男達を何度も襲った。
「……と、ありゃあ、なんだ」
「馬車……待て! アレは!」
見慣れない馬車、運転席には一人の少年がいた。
見慣れた顔……多少は大きくなったとはいえ、二年では顔や雰囲気までは変えられない。いいや、明確に違う部分があった。それは一昨年に比べて明らかに放つ威圧がおかしい程に跳ね上がっている事だ。それでも二人は喜びから鍬を投げ出して馬車まで向かった。
「ヴィルか!」
「あ……ダンさんとギネさん」
「……随分と表情が悪ぃな。体調でも良くないのか」
ダンと呼ばれたタンクトップの言葉を聞いてヴィルは俯いた。何を話せば良いのだろうか、そんな考えが脳裏を過ぎるが即座に良い返答を見付ける事は出来なかった。
「……へ?」
「おかえり。会いたかったぞ」
「んだな。元気そうで何よりだ」
「……ご、ごめん……ごめん……!」
左右から二人に抱きしめられただけ。
だというのに、ヴィルの目からは大きな雫が流れ始め止める事が出来なかった。出る時に約束したというのに守れず、すごすごと帰ってきてしまったのだ。どのように言われたとしても受け入れようと思っていた。だが、心の奥底に閉まっていた感情は既に留まる事を知らない。
「頑張った……けど! なれなかったんだ!」
「……言わなくてもいい。見たら分かる」
「そうだ。それだけ強くなってもなれないなんて予測が付くからな。どうせ、見栄と体裁で生きている馬鹿共のせいだろ」
「そうか……潰すか」
「待って! 待って!」
涙すらも引っ込む強烈な威圧がギネから飛んだ。
両手を大きく左右に振ってギネの視線を自身に移すので精一杯だった。それでも少しだけ気持ちの整理が付いたのも事実なのだろう。不服そうに口元をへの字に曲げる様子を見てヴィルは大声をあげて笑った。
「良かった……本当は追い返されると思ったんだ」
「誰もそんな事はしない。ヴィルは俺達の家族のようなものだからな」
「そうだ。むしろ、皆、歓迎するだろうよ」
恐れていた……というのは、言い訳だった。
微かながらに残っている夢を諦め切れなかっただけの言い訳でしかない。そこまで考えが至った瞬間に両頬を強く叩いて軽く指を弾く。道の真ん中に建てられた木製の厩舎、そこに馬を付けたかと思うと馬車を回収して腕捲りをした。
「こういう時は体を動かすべし! だったね!」
「だな!」
「さっさと昼飯を食べよう。腹が減った」
変わらない二人、だが、ヴィルは嬉しかった。
二年ぶりに持った鍬は軽くなっており、大きさも既に越している。居ない間の感じられなかった自身の成長、それは内面でもそうだった。昔であれば意地でも帰らずにいただろう。だが、こうして堆肥の臭いが充満している地面に足を突っ込んでいるのだ。
「競走……しますか」
「縦、な」
「……破裂してからな」
魔力の玉の破裂音、同時に三本の線が出来た。
そのどれもが耕すというには十分なもの……だというのに、ダン以外は悔しそうに唇を甘噛みしていた。一般人からすれば同着とも思えた競走であっても三人には分かってしまうのだ。フレーム単位の差でダンが一位を、ギネが二位を取っている、と。
「ふっ……はは! あー! 楽しいな!」
「だな! 追い付かれそうだったぜ!」
「鍛錬をしていないツケが来たな」
その言葉を聞いてヴィルは大きく溜め息を吐く。
当然の事だろう。この場の三人を知る人が見ればサインを求めるレベルだからだ。最年少記録を持つ現役Sランク冒険者のヴィル、そして残り二人は十五年程前までは現役でSSランク冒険者として前線を張っていた存在だった。
『鋼鉄の破壊者』ダンと『全魔の統率者』ギネ。
その異質さはヴィルが現れるまでは伝説となっていた程である。騎士の座すら推薦されていた荒くれ者の二人だ。そんな二人から直接、剣と魔法の技術を学んだのはヴィルだった。
「ただいま! それとお腹減った!」
「んじゃ、帰って食うぞ!」
「次は大食い勝負だ」
「やってやる! 育ち盛りナメるなよ!」
厩舎が無くなり、手綱を握って奥へと向かう。
そんな姿を見てダンはヴィルを抱えて馬の上へと載せた。そのまま手綱を奪ったかと思うと馬の隣を歩いた。些細な優しさ、それが嫌な世界ばかりを見てきたヴィルの心には染み渡っていく。
数分程度、ゆっくりと雑談しながら歩いた頃。
ようやく十数件の家屋が見えてくる。藁葺き屋根で作られた五人程度ならば容易に暮らせる一軒家ばかりだ。その一番手前の家の前へ進んでからダンは足を止めた。
「ほら、入ってやれ。馬は俺達が送ってやる」
「安心しろ。何も怖い事なんてない」
「いっ……ああ!」
叩かれたヴィルの背からは煙が上がっていた。
それでも確かに勇気を貰えたのだ。静かに両の手を硬い木製の扉に当てて強く押し込む。ギィと大きな軋む音がしたかと思うと奥からは聞き慣れた音がした。鍋が沸騰して吹いており、包丁で何かを刻む音がする……この季節であれば大根辺りだろうか。
「あら、帰ってきたの……か、い……?」
「お兄……ちゃん……?」
「……ただいま。久し振り、だね」
扉が開く音に反応して調理を止めた二人。
中年程度の小太りの女性、そして可愛らしい少女がそこにはいた。どちらも割烹着をつけてはいるものの確かに顔はとても似ている。二年ぶりで様子自体は大きく変わってしまっていたがヴィルには一瞬で分かった。
「ジーナさんと……ヒナだよね」
「……お兄ちゃーん!」
「抱き着くのは───」
その瞬間、ヴィルは地面とキスをした。
飛び付いたと同時に美しいモーションで投げたのだ。年齢で言えば小学生になった程度の見た目だというのに、その腕前に関してはピカイチだった。だが、ただ投げられただけで意識を失う程の存在でもない。
「……そっか、ヒナは僕を嫌いに……」
「なってない! 置いていった罰! 最低! ブーブー!」
「はは、よかった」
床に寝転がるヴィルにヒナは抱き着いた。
温かい感触、昔は日常のように思えたものが確かにあるのだ。前なら無理やりにでも引き剥がしていた事ではあったが、ヴィルは静かにヒナを抱き寄せて軽く頭を撫でてみせる。守りたい、その中に含まれる大切な存在の一人でもあるのだ。
「おーおー、また馬鹿娘にやられたか」
「ヒナ、ダンにはあまり似るなよ。せっかくの可愛い顔に傷がつく。まぁ、その時には」
「うん! お兄ちゃんのお嫁さんになる!」
軽口、そんな有り触れた光景が幸せだった。
何かを言い返そうと口を開いたかと思うとヒナと目が合って俯く。かと思えば、顔を上げてダンと目が合って再度、俯いてしまう。前ならば返せた言葉すらも気恥ずかしくて言い返せやしないのだ。そんな思春期真っ盛りのヴィルを見てジーナはダンの後頭部を力強くぶん殴った。
「はい、馬鹿な事を言っている暇はないよ! 聞きたい事は山程あるんだ! さっさと飯にするよ!」
「は! はい!」
「うん! 手伝うね!」
「ご一緒します」
床に突っ伏し、煙をあげるダンを横目に昼食の準備を始めた。
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