17話
「ん、待ってた」
「ありがと」
白い門、前に立つのはより美しい少女だった。
背中に身を寄せる存在、シャロである。当の本人はしらと目の前にいるヴィルへ抱き着いて、果ては漂う香りすら味わっていた。だが、ヴィルの前に立つシャロは何かをする訳でもなく微笑ましそうに眺めるだけである。
「……ん、戻って。一緒に楽しも」
「ん、分かった」
背負われながら手を伸ばすシャロに手が当たる。
同時に彼女の中へと戻っていき、等しく表情が一気に強ばっていく。……その苦痛があるからこそ、産まれた時から使用等は拒んで来たのだ。それでも目の前にある自身を心配する愛おしい表情があるのならば、そのような苦痛は些事たる事でしか無かった。
「……ちょっとだけ、一緒がいい」
「仕方ないなぁ……どうせ、休むからいいよ」
シャロ、生まれながらに『忍』であった。
名前の通り、固有ジョブが歴史的に初見となる『忍』であり、それが記されるまでには十数年の時がかかってしまった。それは彼女の持つ能力故である。生まれながらにして幾つもの固有スキルを持ち、それでいて白の角蛇結成までは名前すらも表に出なかった化け物であった。
「……部屋の話、聞く?」
「要らなーい。楽しくなくなるし」
「ん……三人なら問題無いよ。ヴィルの顔が見たかっただけだから」
固有スキル『気配遮断』と『影分身』の二つ。
これがある事で白の角蛇はダンジョン攻略や高ランクの依頼において一度たりとも失態は見せてこなかった。いいや、それは暇だからと力を貸していた幼い少年の力が関係していた事などは当人達にしか分からない事である。
だが、その喜びとは裏腹にシャロは暗い。
一気に、ではなく、徐々に彼女を苦しめるのは絶対的なスキルの大きな反動のせいであった。彼女の場合は同時に十五体の分身を作り出せる反面、その者達の得た知識や情報を手にするためには同時に得た苦痛も感じる必要があった。今の彼女であれば階層ボスに何体も殺された苦痛を徐々に味わっているのだ。
「ごめん……ちょっと、情報交換の時間にしたい」
「ん……ごめん、ヴィルにしか流せないから」
「ははぁ、恋する乙女は強いってか」
「ん、私は最強だから」
無理に笑ってみせたが誰も返せはしない。
強く、酷く……真に誰もを殺させないようにと健気に戦う少女の魂がそこにはいたのだ。どれだけ表情を隠そうとも垣間見える残滓は、共に地獄を知る者達には知らぬ存ぜぬと返せぬものであった。だが、少なくとも彼女は幸福であっただろう。
「ほら、休憩なんだ。今は甘えてくれよ」
「……ん、ごめん」
「バーカ、こんな場所の探索で余裕を作れるのはシャロのおかげだろ。むしろ……痛みまで分かち合えなくてごめん。君が苦しむのを見るしか僕は……」
何度も見てきたシャロが苦しみに悶える表情。
ヴィルにはそれが心の底からの苦痛でしか無かったのだ。心配させぬようにと何度も隠れて泣いた事すらあった。ずっとずっと……共に命をかけあってきたからこそ、抱いてしまった親愛と情欲の入り交じったものである。
本当であれば……そんな事を考えた事もあった。
だが、ヴィルは一度たりとも懸念に苛まれた事はありはしない。それは純に彼女の実力故の成果であろう。だからこそ、甘えに身を窶す膝上の少女の頭を撫でて微笑んでみせるのだ。
「……次はどうするの」
「別に三人でどうにかなるんだろ」
「意地悪……もうちょっと休む」
遠回しな優しさはシャロをチクチクと痛めた。
だが、それでも目の前の人達を見回した時に少しも嫌な感情は湧かなかった。それだけで彼女には十分であった。そのまま口を閉ざしてヴィルの膝上、もとい、股間に顔を埋めて静かに寝付く。
「お姫様は休んだのか」
「こんな事をする姫なんていて溜まるか」
「の割には嫌がっていねぇな」
「ん……ヴィルはツンデレだから」
顔を埋めながらも揶揄う姿にダンは苦笑した。
現代のSランク冒険者、それも自分達が現役だった時と比べて格段とレベルの高い者のあられもない姿へ反応に困ってしまったのだ。ギネも同様の表情を見せてはいるが白の角蛇には意図は伝わっていないようだった。そんな中で「はぁ」と大きな溜め息が響く。
「頑張った人に褒美をあげないでどうするんだ。少なくとも僕は見返りがあるから頑張れるんだよ。今までシャロから、アリアから、そしてノーグからは数え切れない程に貰ってきたつもりだし」
「……かぁー、さすがは……俺等の娘を落とす馬鹿息子だよ。言うこと言うこと、色男過ぎて真面目に返すのも馬鹿らしくなってくるわ」
頭を抑えるダンにヴィルは苦笑した。
わざとらしく、その言葉は村を出る前から変わらず口にしてきたものであった。ヒナが、キアラがと口酸っぱく二人から言われてきたのだ。確かに二人へ愛情は持ってはいるが、それは妹へ抱く感情に近いだろう。ましてや、ダンとギネがそこまで自分へ、執着とも感じられる程の大きな感情を持っている事は分からなかった。
ヴォルが、と考えるのは容易だろう。
師匠だから、と考えるのも容易だろう。
だが、家族を何よりも大切にする二人が、その一家が互いに自身を同等に大切にしてくれる理由までは説明出来ずにいる。嬉しい感情と共に正しい返答がいつも分からないのだ。それは暗に……全員を何者にも変え難い程に大切だからであった。
「つまり、二人はパパって事か」
「お、言質取ったぞ」
「だな、これで俺の娘も安泰だ」
「いやいや、冗談だから」
そう、今は冗談で済ませておきたかった。
俯く視線の先には既に腹へ顔を埋め直している少女がいる。一瞬だけ合った視線が、反芻しては何度も脳内で問いかけてくるのだ。……本当に求めている事は何か、と。何度も何度も見てきた視線が、知らないフリをし続けてきた思いが確かに胸の奥に灯っていた。
「随分と……怖ぇ顔をしているな」
「ああ、本当にお前らしくない」
二人にガシガシと無理やり頭を撫でられる。
痛いだろう……だが、その痛みは間違いなく今のヴィルには必要だった。捨てようとしておきながら残り続けていた感情、騎士にならなかったから彼に残った幸福でもあった。ただ只管に『生きたい』という身勝手な感情である。
───膝上で休む笑顔が
───羨ましげに見つめる顔が
───それを微笑ましく眺める顔が
───愛してくれる二人の父の顔が
死の淵に立つ度に四肢の全てを掴んで離さない。
痛く痛く、それでいて何よりも優しかった。だからこそ、言い訳をするかのように視線を門へと向ける。見られたくない表情を隠すためには背後にある豪勢なそれは丁度よかった。自身の懺悔を聞き入れるかのようにボヤァと輝く明かりはただ幻想的に感じてしまう。
「……安心しろ。アレは既に鑑定済みだ。恐らくは罠に絡んではこねぇよ」
「だよね……でも、怖かったんだ」
「俺達がいる、それを信じれば問題は無い。もしも、何かがあれば三人で……」
そう、口にしたギネの表情は苦々しい。
ずっとずっと感じ続けていた孤独感、二人ですらも出来なかった事ですら、教えられさえすれば覚えてしまえる唯一の独自性がヴィルにはあった。自覚はしているが認めたくなかった事実でもある。それでも今の彼からすれば些細な事だった。
「その時は僕が残るから安心して」
「……悪ぃな、そう言わせるしかないなんて」
「いいんだよ。僕は……多分、人を守るのに適してはいないからさ。きっと、本気を出せば……」
俯く先には健気に見詰める少女がいた。
続きは口には出来ない、それをすれば間違いなく止められてしまうと分かっていたのだ。捨て切れなかった感情ではあったが……その顔を見ると確かに揺らいでしまう。不幸の中で生きた彼女達が幸福でいられますように、等と柄にもなく願ってしまうのだ。
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