13話
「ボーッとして、どうかしたのか」
「……別に。ただ、暇だなってさ」
「はは、そういう事にしておくよ」
フワァと一つ、大欠伸をして体を伸ばす。
森の中、舗装すらされていない獣道を三十分は歩いただろうか。出発の時には真っ黒だった靴は既に茶色の汚れで薄れていた。本来であれば多くの魔物に襲われるような環境ではあったが今回は少しだけ特殊である。
「睡眠の香なんて使っていないんだけどな」
「違うよ、ギネ……ただ暇なだけ」
「はぁ……本当に能天気な奴だな。何のための魔道具なのか分かっていないのか、まったく」
「あはは、感謝しているよ。本当に」
ガリガリと頭を掻いて最前線へ戻る姿にノーグは苦笑した。退魔の香、ギネの妻であるディーラが調合した専用の魔物避けの香だった。その効果は絶大で、Aランクの魔物がゴロゴロといる森のすぐ近くという最悪な立地の村が、一度たりとも魔物の進行を受けずに済んでいた理由でもある。
そして、それを効率よく撒く四角い箱。
その魔道具を作ったのは他でもない箱を片手に一番前を歩くギネだった。液体である香を小さな瓶に詰め、それを内部で煙として撒くという複雑な魔道具でもある。使用に魔力等も必要が無く、ただボタンを押すだけで良いという優れものであった。
「ノーグはさ……今、何を考えているんだ」
「……ヴィルと似たような事、かな。もしも、なんて甘えられる言葉を口に出来るなら喜んで昔を尊びたいさ。だけど……過ぎた現実な事に変わりない」
「そうだね……よかったよ、ノーグは優しいから」
木漏れ日が差し込み、目の前の道を照らす。
薄暗いとはいえ、進むには十分な明るさだった。今ある平和な空間が、真面目な顔をしながらも雑談を交えながら進める現実がヴィルには嬉しかった。ずっと見ていたかった景色、願わくばと脳内に今は亡き父と母の姿が思い浮かぶ。優しく語りかけてくる姿は淡く、あの頃と少しも変わりはしない。
「ヴィル……仲間以上に大切な物はあるのかい」
「……ごめん。そうだったね。今は……僕を信じてくれる皆のために戦う事が筋だ。それ以外に考える理由は無かったな」
「ああ、君を信じているから皆が集まったんだ。こんなにも理不尽な、死んで当然の依頼を誰が喜んで受けるっていうのかな。僕達だって死にたい訳では無いんだ」
前を向く姿は、殺しあった時と変わりはしない。
それでも眼に映る景色は昔とは違っていた。優しく優しく、そして天から与えられた輝きを少しも逃さないとばかりに映している。何も変わりはしていなかったが、確かに変わってきていたのだ。ヴィルはフッと笑って隙だらけの横腹を軽く肘で突っついた。
「安心しろ。そんな未来は訪れないからな」
「……だからだよ。皆、君がいるから命を賭けられるんだ。僕達がそうだったように、シャロがそうだったように、そして君と縁の深い者達が寝る間を費やしたように、ね」
鎧、靴、得物……全てが新調されていた。
シャロの情報をもとに作られた使い捨て前提の魔剣や魔道具達だった。一度使えば壊れるといった軟さは持ち合わせていない。作成した者達からしても誇りをかけた大切な逸品でもある。だが、それらがある事が前提での作戦でもあった。
「二度と、起こさせないと決めたんだろ」
「……ああ、もうさせやしないよ」
「それなら僕達も安心出来るよ。だって、君は」
続けようとした言葉は小さな手で止められた。
幼いながらに純粋さを既に失った、戦士として人を守るために鍛えられているものだったのだ。何度も殺しあって尚、勝利を得る事が出来なかった好敵手の手であった。違う事があるとすれば……その手は殺し合いではなく、手を取り合うために差し伸べられていた事だろうか。
「ノーグがそれを言ったら駄目、だろ」
「……すまないね。どうにも君を見ていると兄なのか弟なのかが分からなくなるんだ。だけど、僕は変わらずに思うよ。君のためなら」
「死ぬなよ。死ぬ事を望む家族がいるのか。僕がダンの言葉を飲んだのは全員が助かる可能性を残していたからでしかないからな。僕が手を貸すからには誰も殺させたりなんてしないよ」
騎士としての夢、それとは別の信念があった。
本当であれば命を懸けてまで戦う理由なんてどこにも無い。騎士としての夢さえあれば、自分を偽ってでも戦い続けていただろう。だが、既にそんな世界は彼の目の前から消え去っていた。それでも戦う事を選んだのは消えない炎があるからだった。
それは黒く澱んでいるのかもしれない。
自分を陥れた者達を蔑むために、自分は違うと主張するために燃え盛っているのかもしれない。それでもヴィルの目の奥には残っているのだ。あの時に勝手に動いた体が、その口が手足が光を求め続けるのだ。地獄の中であろうとも絶やさぬようにと藻掻く炎へ薪を焚べるために息を吐く。
生の鼓動、執着……人が人らしく生きるための原動力が確かにヴィルを動かす。汚く染まった悲しみを薪に変え、ただ守りたいものを手の中に残すために息を吸うのだ。所詮、人など呼吸が出来れば幸福に生きられるのだろう。彼が不幸に溺れていたのは当たり前に理由を求めたからに他ならなかった。
「全部、任せてくれよ。───独裁者様に、な」
「……ああ、信頼しているよ」
その横顔を見続けるため、戦ってきたのだ。
視線を逸らす事等ノーグには出来なかった。今までの自分がしてきた事への贖罪等では決して無い。かといって、心の奥にある童心が騒ぐから居たいという訳でも無い。純に彼の心の中には共に進みたい未来だけがあるのだ。この戦いが終わった時にはなどと、そんな考えが過ぎって頭を左右に振る。
きっと、それをヴィルは望みはしないのだ。
では、共に過ごしやすく誰もが異端な者達を受け入れてくれる場所に居着くか。それもまた彼からすれば否だった。忘れてはいけない事がある、捨ててはいけない事由が彼にもあった。だから、と視線を向け直したヴィルの頭部には一つの大きなコブが出来ていた。
「いっ……!?」
「カッコつけてんじゃねぇ! この半人前が!」
頭を抑え蹲る姿にノーグは吹き出した。
先程までに見えていた景色が露のように消え、年頃の幼い可愛らしい少年が残っているのだ。彼の中にも守りたいものがあった。共に進むというような大層なものでは無い。未来等と見えぬ、知れぬものを語る気すら無かった。
「やっぱり! ヴィルと居ると飽きないよ!」
「そりゃあ! 俺の弟子だからな!」
「なんでアンタが自慢げなんだよ!」
フンと大きく鼻息を鳴らすダンの胸を不服げに叩く少年、そんな阿呆らしい姿が、誰もが笑える平和な世界がただ夢だった。だが、それでは彼の小さな手の中では零れ落ちてしまうだろう。過ぎたる事は人如きでは望めないのだ。
───どうか、馬鹿な弟が長生きしますように。
いつ死ぬかも分からない世界、一緒に生き残るなんて神でも与えられるか分からない最大の幸福であった。望めるのならば、人並みならば許されてくれるのであれば……大好きな人が幸せに生きてくれれば良かった。願わくば、と後ろを着いてきている二人の少女に視線が向く。
「ん、なに。すごくキモイ」
「ええ、お兄様はキモイです」
「だからさ! 僕の扱い酷いって!」
ダンダンと地団駄を踏むノーグに光が差す。
木漏れ日ではない、本当の陽の光だった。恐らくはそれが神託なのだろうと、ノーグは満面の笑みでヴィルを軽く抱き締めた。ただただ必ず守るべき者を胸に宿してギネの横へと足を進めた。
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