45●『NieA_7』貧乏な君たちはどう生きるか?:智絵ちゃんの選択、それは、無視しないこと。
45●『NieA_7』貧乏な君たちはどう生きるか?:智絵ちゃんの選択、それは、無視しないこと。
『NieA_7』(ニア アンダーセブン)の世界では、ニッポンに大量の宇宙人集団が普通に棲みついています。
そのことで、取り立てて争いがあるわけでもなく、何事もあいまいで、うやむやで、なし崩し的に「宇宙人がいっぱい」になってしまいました。
侵略でも恭順でもなく、なんとなく、いつのまにか……という同居化が、いかにも日本的ですね。気が付いたら近所の空き家に、ずっと前からいるみたいに住んでいて、いったん占有されてしまったら力ずくで追い出すこともできず……ってところでしょうか。
この設定、さすがに素晴らしいです。
古くはフレドリック・ブラウンのSF小説『火星人ゴーホーム』(1954)にみられ、TVドラマの『ブラボー火星人』(1963-66米)もそうですが、ウェルズの『宇宙戦争』とは真逆で、破滅的な戦争を仕掛けるのでなく「いつのまにかそこにいた」感で、結果的に超平和的侵略関係になってしまうあたり、日本人の趣向に合っているようにも思えます。『コメットさん』(1967-、1978-)みたいにね。
そういえば漫画の『うる星やつら』(1978-87)、『ウメ星デンカ』(1968-70)も、どこか似ているような。宇宙人の都合で勝手に押しかけ同居されるケースですね。迷惑かどうかはケース・バイ・ケースってことで。
そのような歴史的推移をふまえると、『NieA_7』(ニア アンダーセブン)にみられる、宇宙人と地球人の関係、この発想は凄い。南アフリカの映画『第九地区』(2009)よりも十年近く早いのですから。
このような“平和的侵略”こそ、宇宙人にとって理想的な入植の方法でしょう。
『NieA_7』の宇宙人は、とがったバルカン耳と、あとは頭の上にアンテナがあったりなかったり、それ以外は地球人と同じ。そして戦争をしない。
つまり、パッと見では、地球人と見分けがつかない。
これ、政府とお役所は、たぶん最初はイヤーンな顔をしたと思いますが、すぐに小賢しい大学の先生、たぶん経済学の教授あたりが現れて、「少子化に直面する我が国の労働力不足を解決する救世主として利用しよう」となったはずです。
その先生、きっとソーリに労働法の改正を働きかけて、宇宙人専用の人材派遣会社をつくって大儲けしたことでしょう。
ということで、政府の都合で「プラス5からアンダー5」までカースト風に分類登録された宇宙人は、飲食店のバイトから個人商店経営、そして有名タレントまでと、労働市場で幅広く活躍することになったと思われます。
そして、まゆ子の下宿で宇宙人ニアが同居するようになったころは、宇宙人労働者はすっかり社会に定着し、多くは非正規労働で生計を立てているようです。
つまり、政府とお役所にとって、景気の変動による雇用調整に柔軟に対応できる、便利で安価な労働力として重宝されるようになったと想像されます。
しかし政府にとって気がかりなのは……
あの巨大母船の存在。
宇宙人たちは、今はおとなしく非正規労働に甘んじてくれていますが、いずれ「地球人と同じ人権をよこせ」「同一労働は同一賃金」と主張し始めるかもしれません。
宇宙人側から人権がらみの要求が突き付けられたとき、そこで宇宙人の機嫌を損ねて、巨大母船のボス宇宙人が怒ってゼネストを起こされたり、話がこじれて波動砲なんぞを撃ち出したりされたら、大変困ったことになります。
それに、宇宙人がヘソを曲げて「故郷の星へ帰る!」と、全員が母船で飛び去ってしまったら、政府にとって元も子もありません。
日本国民ではないので労働基準法の適用を受けずに、文句も垂れずに最低賃金以下で働いてくれる“便利な格安労働力”をゴソッと大量に失うことになります。
これは避けたい……
ということで、政府は宇宙人を懐柔するために、おそらく法律によらない優遇策をあれこれと持ち掛けたのではないかと思われます。
たとえば、クレーター地区のような宇宙人専用居住区を設定することで、居住のための土地を(事実上、無償で)与える。多少の違法行為があっても(チャダのヤバい草の銭湯みたいに)不起訴で済ませる。最低賃金以下の低賃金で働いてもらうかわりに、納税義務を免除するとか……。また、貧しい生活を余儀なくされるアンダー宇宙人は、バス代を20円おまけします……といった、きめ細かな(あるいはケチな)憐れみを込めた優遇策です。
そうやって、政府は“非正規雇用宇宙人”をニッポンに「引き留める」工作をしてきたのでしょう。
しかしそれはすべて、母船あればこそのこと。
「脅迫されたわけではないけれど、なんとなく母船が怖いから宇宙人を優遇しておこう」という考え方ですね。
ですから……
宇宙人たちを残して母船が飛び去ったら、がらりと状況が変わります。
これまでは「移民・難民・避難民」のいずれでもなく、もやーっとした曖昧関係(ホント、ニッポン人はこういう関係がお好きなようで)で終始していましたが、母船がいなくなれば宇宙人集団の扱いは必然的に決まります。
「国籍不明だが国民同様の定住者」であると。
なにしろ強制送還できる祖国を持たない宇宙人ですから、定住権を認めないわけにはいきません。
しかしそのかわり、これまでの優遇策は撤廃、「国民の義務」が強制されます。
「勤労・納税・教育」の義務が発生し、「働いて税金と社会保険料を納めなさい」となります。犯罪の不起訴特権もなくなるでしょう。
そして、「アンダー宇宙人はバス代を20円割引」という、貧乏宇宙人を哀れとおぼしめす温情的制度は廃止されます。
この割引制度の廃止は、「9月から一律料金となります」と、母船が地球を去る前に予告されていました。ということは、母船が飛び去る日時を政府側は事前に知っていて、その時期に合わせて、宇宙人優遇策の撤廃を進めたとも考えられます。母船と政府の間に、なんらかの協議や密約があったのかもしれません。
宇宙人たちは、母船に捨てられた、つまり“棄民”されたのでしょうか?
母船は無責任にも宇宙の彼方へと「バハハーイ」したのかもしれませんね。
『NieA_7』では、日々なんら変哲もない平和な日常が描かれる一方で、「宇宙人ゆえの優遇策が廃止される」という、法的な激震が宇宙人たちを襲ってゆくさまが暗示されているのです。
*
こうして、宇宙人はただの、“宇宙人という名の貧乏人”となりました。
後ろ盾となる母船を失い、戦闘力も武器もなく、一切の特権のない、ただの人。
移民でも難民でも避難民でもなく、母国とのつながりが完全になくなった、すなわち“棄民”として。
あえて邪推するならば、20世紀最後の年に放映されたこのお話の“宇宙人”とは、21世紀における“外国人労働者”や“非正規労働者”に置き換えて読み取ることができるかもしれません。
作者の意図はどうであれ、『NieA_7』(ニア アンダーセブン)は、放映後23年を経て、多分に“予言的”な作品になったと思われます。
さてしかし、あまりにも多くの貧乏宇宙人が国内にあふれることになった状態を、ニッポンの普通の市民たちは、どのように受け止めればいいのでしょうか?
主人公、まゆ子も相当に貧しいのですが、宇宙人たちも同様に貧しい。
日常にあふれる貧困。
まず、その現実を、認めるのか、無視するのか。
第12話で、象徴的な、ひとつの回答が示されています。
洋食屋“かるちえ”の智絵ちゃんとお父さんが、道端の駄菓子屋に立ち寄ってアイスを買い、二人で並んでアイスを舐めつつ、帰っていきます。
そこに走ってきてすれ違う、宇宙人の女の子。
連れている男の子は彼女の弟のようです。
宇宙人の女の子、ちょっと悔しいような、悲しい顔をします。
……アイスを買って弟と食べたい。けれどお金がない……
その直後、何かを察したかのように、アイスを持った智絵ちゃんが振り向きます。
立ち去る、宇宙人の姉と弟の背中を……。
これが、作品に現れる「貧困に対する精いっぱいの回答」ではないかと思います。
貧しい宇宙人のために、アイスを買ってあげることはできる、けれどそれは、何一つ解決にならない。
そして、宇宙人の貧困をすべて解決するような財力も権力も、自分にはない。
できることは、振り向くことだけ。
しかしこれは、大切な視点であろうかと思います。
ニアを含めて、宇宙人に蔓延する貧困を、おそらく多くの人々は見て見ぬふりをして通り過ぎる。どうせ、なにもしてあげられないから……と。
しかし、そこで振り向いて、「今はなにもできないけれど、何かをしてあげたい」と感じることは、私たちにとって、とても大事なことでは?
これが、『NieA_7』を、忘れられない傑作にしているエッセンスではないかと思います。
チャールズ・チャップリンの名言のひとつ。
「必要なのは知識ではなく、思いやりである」
【次章へ続きます】




