44●『NieA_7』貧乏な君たちはどう生きるか?:ニアの選択、本当の自分を探す旅路。
44●『NieA_7』貧乏な君たちはどう生きるか?:ニアの選択、本当の自分を探す旅路。
『NieA_7』の主人公のひとり、ニア。
彼女は貧乏な自分に、どのように対処しているのでしょうか。
第13話の冒頭で、ハードボイルドに変装して、明瞭に語っていますね。
失意に沈む宇宙人ジェロニモへのセリフです。
「よかったじゃんか、幻想から目が覚めて。社会的地位とか世間体、そんな幻にすがって生きる輩には死んでも分からんものを、兄さんは見つけたのさ。……本当の自分ってやつ」
ニアの貧乏哲学は、「自分探し」だったわけですね。
自分は貧乏だけど、そんじょそこらの見栄張った金持ちには見えやしない、本当の自分ってやつを探す、自由気ままに誇り高い旅路を歩んでいるのさ……といったところでしょう。
それが、ニアのプライドです。しかし……
第9話で、ジャンク屋のおっさんの口車に乗せられて、立入禁止の廃棄物区画に掘り出し物を探して侵入したとき、ニアは打ちのめされます。
どうみてもヤバそうなガスが漂う、荒れ果てた土地に山をなすスクラップたち。
その時の気持ちがどうだったのか、以後のニアは語りませんが、想像しますに……
醜悪な環境に放置され忘れられているスクラップたちと、自分自身を重ね合わせたのではないかと、そう思います。
……ゴミを拾いに来ている自分も、ゴミと同じ。世界から捨て去られ、忘れられてしまったゴミと同じじゃないか?
ニアは、そう自覚したのではないかと思います。
いくら「自分探し」だとイキがってみたところで、社会から見た自分は、最下層のアンダー7に属する無名の宇宙人。それはいてもいなくても同じような、ゴミ同然の存在でしかない。
そう気づいたことで、ニアはこの作品で初めて、がっくりと肩を落とし、鬱々とした暗い表情を見せます。
*
一方、まゆ子も、そんなニアの置かれた立場に気づきます。
第12話、役所へ出向いてニアの消息を知る手がかりを尋ねた帰り道の独白。
「ここには、厄介者のアンダー7なんて、もともといない。そういうことになってるんだってさ……」
*
一方、周囲の人々はニアをこう見ています。
第12話に前後して、ちあ紀や源蔵くんなど、まゆ子以外の登場人物はことごとく、ニアのことを「自由でいいなあ」と評しています。
貧乏だけど、自由。
確かにその通りで、それがニアの強みであり、社会的地位や世間体なんかに縛られない自由を、天真爛漫に謳歌していたはず……
で、自由……と言えば、フリーターですね。
ニアの立場を端的に言い表すならば、フリーターってところでしょう。
『NieA_7』が放映された西暦2000年頃、世間に流行っていた名称です。
ただしフリーターは、フリーアルバイターの略だとは言いますが、その定義はあいまいで、ウィキペディアでは、内閣府と厚労省がそれぞれの白書で、2003年に定義を発表していると出ています。
まあ、そのお役所的な定義の内容はともかく、フリーターという名称が2003年の直前には世間に流行っていたことは確かでしょう。
ですからニアも、どこかフリーター気取りだったかもしれませんね。
しかしニアの“自由”は、裏を返せば「自分がゴミ同然に捨てられ、誰からも顧みられず、無視され続ける」がゆえに、社会が与えていた「自由という名の放置」だったわけです。
「社会の束縛を引きちぎる、勇敢でパワフルな自由」ではなく……
「社会から捨てられ、顔をそむけ、無視されているだけの、無力な自由」。
ニアの自由の正体は「無価値だから放置されている」だけだったのですね。
ニアが陥る、絶望。
オープニング主題歌の映像がそうですね。
果てしない廃棄物の山を駆けていくニア。
そんなニア自身もまた、社会からみれば廃棄物の一部でしかない、という、荒涼としたイメージです。
この点、まゆ子の思い出が映し出されるエンディング主題歌の映像と、見事な対照を見せていますね。
しかしそんなニアを、必要とする者が現れます。
母船。
ニアが、まゆ子のもとから失踪したのは、母船に招聘されていたのでしょう。
特殊な通信で母船に呼ばれていたことは確かで、それ以外の行き先は考えられないので、ニアは数日間、母船に滞在していたものと思われます。
何のために?
おそらく、機関の修理や整備のために。
ニアの、他者にない特殊な能力、いわば天与の才は、ガラクタからUFOを製造する技術力です。意図せずして地球に擱座したと思われる母船が、再び飛び立つためにニアの技術力を必要としたと考えてもおかしくはないでしょう。
ニアは母船の飛行機関を修理、整備した。
そのまま母船に乗って地球を去る、という選択肢が与えられたはずですが、それはせずに、ニアは銭湯の湯船に、ふらりと舞い戻ってしまいます。
なぜ?
まゆ子がいるから。
彼女を放棄して旅立つことはできないと、気づいたのですね。
なぜならば、ニアをゴミのように捨て去って無視するのでなく、かけがえのない居候として存在を認めてくれるのは、まゆ子ひとりだけだったから。
*
このように、非常にすっきりとした筋立てで、まゆ子とニアの物語は一応の決着をみます。といっても、おおむね第一話の冒頭に戻っただけみたいですが……
で、高邁な理想を掲げて「自分探し」を続けるニアは、昭和レトロの文化を彩る有名人にインスパイアされていることが、感じられます。
第12話の入浴シーンで、ニアは「♪いい湯だな~」と鼻歌交じりで口ずさみます。
ザ・ドリフターズですね、いかりや長介さん?
それに対して、まゆ子が返歌みたいにツッコミを入れます。
「この、ヘタレ・スーダラ・アンダー!」
スーダラ……ってことは、クレイジーキャッツで、植木等さん?
それとも、発明好きなところは、谷啓さん?
誰と特定するものでもありませんが、なにぶん貧乏テーマのお話なので、「金のない奴ァ俺んとこへ来い!」で、いかにも無責任なところ、昭和のクレイジーキャッツへのオマージュが含まれていると思います。
*
クレイジーキャッツみたいな、無責任なノリで自分探しを続ける……
これが、ニアが最終的に選択した“貧乏対処法”ではないかと思います。
まあ、先のことを深く考え込むよりも、今を楽しく生きる。
どうせ、どんなに苦労しても、金持ちにはなれないようだし。
これもボンビー族の特権でありましょう。
クレイジーキャッツの映画作品では『クレージー作戦 くたばれ!無責任』(1963)と『クレージーだよ奇想天外』(1966)がおすすめです。
しかし……
前章で触れたのと同じように、“時間”という不可避の要素が、ニアに対する大きな不安となります。
クレーター地区には宇宙人の子供たちの姿が見られますので、宇宙人とて不老不死ではなく、成長し、歳を重ねて老いていく運命から逃れられません。
西暦2000年の放映から、23年が過ぎて、今は2023年。
オトナになり、中年の域に入ろうとするニアは、幸せになれたでしょうか?
『会社物語 MEMORIES OF YOU』(1988)のハナ肇さんみたいに、ささやかな夢を追うのでしょうか。
“フリーター”という名称は、一時は流行りましたが、2023年の今は耳にすることがなくなりました。
フリーターの“自由”は、結局のところ自由でも何でもなく、自由であるがゆえに労働法の保護から外れてしまう……という、「自由の名を借りた不利益」に過ぎなかったようです。
当時のフリーターたちは、今や中年。
「フリーターになってよかった」という声を聞いた記憶はありません。
なってよかったならば、2023年の現在も労働の花形として、名称がそのまま残されているでしょうから。
貧乏宇宙人ニアのフリーターな生き方は、昭和の時代から西暦2000年までは、おそらく「アリ」だったのでしょうが、21世紀の現在は、すっかり、人気がすたれてしまったように見えます。
「貧しくても自由に生きる」かのように、なんとなくカッコいいイメージが造られてしまったフリーターですが、『NieA_7』から23年が経過した現在、年齢を重ねた、かつてのフリーターの人々は、どうなったのでしょうか。
フリーターという、ライトなイメージこそ、社会が貧乏人に与えた、罪深い幻想だったのかもしれません。
*
そして『NieA_7』には、まゆ子とニアだけでなく、もっと多くの、そして根深い 貧困問題が暗示されています。
宇宙人に対する政府の処遇です。
【次章へ続きます】




